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希な事故

 今次、大震災で私が目にしたことや耳にしたことは、全体からみると、ほんの一部にしかすぎない。
 放送や新聞で知ることが多い。NHK震災特集の地域版に宮城県名取市閖上浜の被災を取り上げたものがあった。津波によって逃げ遅れた人々が多数死亡する悲劇があった。西に向かう道路の狭隘さが大きな原因であったのだが、津波到達には十分な時間があったにもかかわらず、住民の逃げるのが遅くなったのは、防災無線放送が全く機能しなかったことも大きな原因の一つであるという。

 防災無線とは、この辺りの田舎町ではどこにでもある。半径300m程度をカバーできる強力なスピーカーが町内の各所に設置してある。そのアナウンスは役場で行い、無線によって各スピーカーに放送を飛ばしている。震災当日も名取市役所では、職員が必死でマイクにしゃべり続けていた。しかしスピーカーは作動せず
閖上地区で放送は全く聞こえなかったのだという。その原因は市役所に設置してある無線送信器が故障したことによるものだと判明した。

 無線機器の製造メーカーは故障の追及に当たった。機器のなかに一部が黒焦げになりショートして、溶けてしまい何かわからない物質が付着していることが判明した。

 やがてメーカーからの事故報告がもたらされた。溶けた物質の分析から亜鉛と銅が検出された。真鍮である。報告書はこう結論ずけている。
 原因は小さな真鍮ビスが、地震の揺れで外部から飛び込んできて、回路をショートさせたものであるということだ。送信機の外缶側面は放熱のためヒダ状にわずかに口を開けているので、そこからはいったのだというのである。どんなに低い確率であったのか驚いた。オールドエンジニアの私は納得である。

 その昔、白黒テレビがまだ自分で組み立てられる時代のことだった。雑誌にこんな珍しい故障もありましたという記事だ。映らなくなったテレビを調べていたがどうしても原因がわからない。元に戻そうとしたらポトリを小さなハンダの塊が落ちてきたそうで一件落着ということを回想している。

 名取市の事故も函体の上に小さなビスが落ちていたとすれば説明がつく。
 無線放送の悲劇として、全国ニュースにもなっているのが南三陸町の放送を担当していた女性職員が、最後までマイクをはなさず、3Fの役場全体が津波に巻き込まれたことだった。
 希な事故も起こり得ることを想定しておかなくてはならない。
 
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by watari41 | 2012-01-31 14:06 | Comments(2)

沢庵さん

 我々はタクワンから、漬物を連想してしまうが、沢庵さんは実在した日本歴史上屈指の名僧(禅)である。
戦国時代末期から江戸初期にかけて活躍した。

 現代人に「禅」は、難しくて理解困難なところがある。キリスト教やイスラム教はそれぞれの「神」に救いを求める。仏教の多くもまた「仏様」に救いを求めている。いわば他者に頼る。
これに対して「禅」は仏教ではあるが、自分で解決することを求めている。お釈迦様の教えの原点でもあるという。現代人が目にしているのは禅もどきのことなのだろう。

 本来の禅は現世での栄誉虚飾を一切求めない。権威にへつらわないなどである。清貧の思想そのものである。
 沢庵さんは、死後に墓を作らないでくれ、お経も不要。野に穴を掘って埋めてくれ、伝記を書かないでくれと言い残している。数百年後の我々は、その存在すらも不確かだと考えたかもしれない。しかし弟子は余りの高徳を後世に残さないわけにはゆかないと、禁を破ってその記録を残しておいてくれたおかげで、我々はその実在と事績を知ることができる。

 弟子の書いた記録を我々は、ほとんど読めないのでこれを現代風に書き直してくれたのが作家・水上勉さんの「沢庵」という本である。25年も前のことだ。ところがこの本でも私などが読むのはきわめて難解なことなのである。半分程度しか理解できない。

 沢庵さんは、生前に「国師」の称号を授けられようとしているが何度も辞退している。また死後も「禅師」と呼んではならないと言い残している。従って表題も沢庵さんとした。

 宮本武蔵の小説やドラマで沢庵さんは有名だったことを回想しているが、両者の接点はなく、あくまで著者の吉川英治さんは創作であると語っていた。

 ただ、柳生宗矩とは接触があり、晩年の沢庵を3代将軍家光に紹介している。家光の帰依するところ大きく、沢庵の寺を江戸に建立するが、次々と大名などが教えを乞いにきて窮屈な生活だったという。その寺を沢庵開基として永続するよう後継者を家光が求めたが、沢庵は応じなかった。
 昼食を求めた将軍に出したのが、沢庵漬とご飯だった。

 墓の位置は、もちろん明確ではないが、交通の要衝となっている品川近傍の鉄道と国道に挟まれたところに名もない大きな石があるのだという。沢庵石とでも呼ぶのだろうか!。
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by watari41 | 2012-01-26 11:38 | Comments(6)

女性宮家

 現代の一夫一妻制度のもとでは、男系男子を永続して継承するなどとは、元々無理なことである。
近隣には、親子二代共に婿取りだという家もある。男女が生まれる確率からすれば当然にそんなことはあり得る。

 女性宮家を創出したところで、そこから天皇を出すわけには行かないのだから、あまり意味のないようなことに思えるが何故唐突にそんなことが出てきたのであろうか。

 昔は門跡尼寺というのがあった。格式の高い寺として皇族の娘さんがそこを継ぐことが慣例化していた。現代ではそんなこともなくなった。一般人に嫁ぐ。相手が元皇族とか公務員などの場合はまだしも、民間会社勤務の方だと生活習慣が全く異なるので大変なことになってしまう。

 私と同世代の方だった。明治維新に活躍した方の曾孫で、有名な金属メーカーに勤務していたサラリーマンが元皇族の娘さんと結婚して週刊誌などでも話題になったことを回想している。
しかし長くは続かなかった。酒を飲んで遅く帰る、同僚を連れてきて騒ぐなどのことがあったのだろう。一般サラリーマンからすればごく当たり前のことも、元皇族からすれば異次元の世界に入り込んだみたいに感じたのだろう。結局は離婚してしまった。

 現在の若い皇族はほとんどが女性である。その幸福を考える時に、宮家創設があっても良いのだろうかと私なりに思ったものである。

 天皇家は歴代に渡り、男系男子を継続しているが、それは天皇に側室がいたからに他ならない。
 近世でも明治・大正天皇もそんな生まれである。大正天皇の母親は、柳沢愛子さんという方で、この時代になるとさすがに憚れるということで、生母は公にでることはなくひっそりと暮らして世を去った。
 昭和天皇もまた子供に女子が続いたので、側近が密かにお元気なうちにと、名家の女子を勧めたそうだが、英国行きを経験した昭和天皇は断った。そうこうしているうちに皇太子(平成天皇)が生まれた。

 徳川幕府でも男系男子には苦労しており、8代将軍吉宗は御三卿というのを創設した。いわば徳川将軍のスペアとして存在した。最後の将軍慶喜はその一橋家から出ている。

 では、天皇家はどうなるのだろうか。おそらくは、その頃には不謹慎なことだが生殖技術が発達して問題は解決されるのだろうと考えている。鈴木雅洲先生の開発した生殖技術も岩沼市に開業した当時は特殊なものだったが今やすっかり普及した。倫理上の問題は後からついてきた。
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by watari41 | 2012-01-21 20:06 | Comments(2)

無かったことに・・

 1月14日夜は、全国各地で「どんと祭」が行われる。この辺りでは仙台の大崎八幡宮での行事が有名だが、最近はすっかりファッション化してしまった。繁華街の一番町を裸で練り歩くのと、どんな関係がと思うが、そんなヤボなことは言わないで、街の活性化にお祭りを改革し創出していると見ればよいのだろう。九州では「どんと焼」と呼ばれるとのメールが同窓生より届いた。
 神事なのだが、正月用品を燃やしてしまい、何事も無かったことにしてしまう行事だともとれる。我々は早く過去を消し去りたいDNAを持つ民族なのかもしれない。忘年会しかりである。
 正月飾りも、どうせ燃やすのだから、最初から飾らないという合理的?な考えの人も増え始めているようだ。わが町の神社でも年々燃やす量が少なくなっているようだ。

 消し去ってしまいたいものは、個人だけではなく国家にもある。莫大な借金である。逆に言えば国家の富であるともいえる。単純に消してしまえば富が消えることにもなる。だが国家は別に消費税という形で広く一般から富をすくいあげて、チャラにしようとしている。現在の富は富裕者と呼ばれる少数の方々が所有している。敗戦によってほとんどの富を失ったことを回想すれば、千兆円を消し去ることは何ともないのだろうが、富裕者には若干の税率を上げる程度でお茶を濁すようだ。
 その昔には「徳政令」というのがあった。全ての借金を棒引きにするというものだ。現代社会ではとても無理なことである。預金より借金の方はるかに多い私などは大いに助かるのだが、話はそうはうまくゆくまい。

 我々が死んで焼かれたところで、正月飾りのように全てが消えて無くなるのではないから厄介だ。お経のなかで「無」とか「空」をたくさん唱えてもらえるぐらいしかない。人生そのものが無かったことにはならない。そして数々の悪業を記憶として消し去りがたい方々もいる。
 棺を蓋しても、人の評価が定まりにくい時代になっている。何やら抹香くさい話に話になってしまった。松がとれて今年最初のお悔みに出かけようとしている。
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by watari41 | 2012-01-16 10:17 | Comments(4)

その時私なら・・

 齢を重ねたという年でもないが、これまでに数多くの出来事や事件に遭遇し、また見たり聞いたりしたことも多い。同年代の男が大事件の主役として登場することもあった。そんな時に私がその立場だったらどうしただろうというようなことを回想することがある。

 薬害エイズ事件は25年ほど前に起きた。厚生省の松村課長という人が、その危険性を知りながらもストップをかけなかったということで、「不作為の罪」に問われた。私と同年齢だった。私が同じ立場なら止められただろうかというと、出来なかっただろうと思う。事件は多くの死者と後遺症に悩む患者を出して大きな社会問題となり、今もなお苦しむ人たちが多い。この事件の解説記事を読むと、その製薬会社には、多くのOBが天下っており、現役の後輩がNOを言える状態ではなかったという、役所のシステム上の問題があったようだ。辞職を覚悟の上でないとストップ出来なかったのであるが、私などもこれまでそんな覚悟をもって生きてきたわけではない。見て見ぬふりということもずいぶんとあった。忸怩たる回想である。

 3.11大震災では、石巻市雄勝病院で私より少し若い世代の方だが狩野院長(62)が、身命を賭して他人を救っている。高齢の入院患者40名は全員死亡または行方不明となっているが、事務職員や見舞客6名が助かった。当初は狩野院長も津波にのまれながらも無事だった人たちと高台にのがれ、やがて流れてきた小舟に乗ったそうだが、さらに大きな船が流れてきたので、それに移ろうと院長は自分以外の人を先に乗せたそうだが、まもなく船が離れてしまい院長は小舟に取り残された。、後日凍死した状態で見つかった。タイタニック号を思わせるようなことだった。院長さんと同窓の方の手記を読んで合掌した。私なら、これまた同様のことは出来なかったであろう。自分の命が最優先になってしまったであろう。情けないことだと思いながらも現実の対応では、そんなことになってしまう気がする。

 これまでの生涯で、そんな大事件と立場に遭遇せずに生きてこられたのは感謝するしかないが、これからだって何が起きるかはわからない。覚悟を決めてもおかしくない年齢であるが、どうなるのだろうか。
 役所でも覚悟を決めた人がいる。テレビに見かける古賀さんという方だ。話し方がすがすがしい。団塊世代の方々にこんな人が多いのかもしれない。
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by watari41 | 2012-01-11 11:27 | Comments(4)

境界線

 隣家との境界、町の境界、県堺、国境など様々な垣根がある。我々の思考も何となくそのことが無意識にある。他からもそんな目で見られることが多い。
 市町村の境界は最も移動しやすく合併によって広くなり名前も変わるので昔の名前に馴染んでいると戸惑うことがある。大震災で大きな被害を受けた、南三陸町や南相馬市などで、その名称にオヤと思った人も多いはずだ。県境も消すことは可能なのだろう。復興構想で持ち上がった東北復興特区などであろうが、政治的しがらみがあって実現は困難であろう。
 国境には検問所があり、軍事的睨み合いがある。国境変更には戦争が付きまとっていた。
 ユーロ圏内では最終的には国境を取り払う計画だろうが、その前の経済統合でガタガタしてしまった。
 隣家との境界も経済的事情によるところが大きい。我が家も先祖が最終的には半分を隣に売り渡した。いずれにしてもそれぞれに歴史的な事情があり、現在の区域が定まっている。昭和20年代にはまだ戦前の世界地図が残っており、日本は赤色で塗られ、台湾・朝鮮・南樺太も同様の色だったことを回想している。

 これら目に見える境界線の他に、我々自身の中にある「心の境界線」ともいうべきものが存在している。それは人柄を表すべきものでもあろう。一旦他人からそう見られてしまうと、それを自分自身でつきくづすことが困難になってしまう心の壁でもある。
 宗教がそれを形作ってしまうこともある。特にカルトと呼ばれる教団はそうである。年末にオウム教の平田容疑者が出頭した。彼はすでに教義を捨てたというが、それは心の境界線を取り払ってしまったことでもある。本当にそうなのであろうか。これから明らかにされるのであろう。オウム教のことは何もわからないままに裁判だけが進んでしまった。刑事的な罰だけがくだされた。民事裁判があるように心事裁判があってもよかった気がしている。キリスト教に昔は宗教裁判というのがあった。仏教徒はもともと悪事をはたらかない、善を施すということからスタートしているからそんな宗教裁判はなかったのだろう。

 オウムの麻原被告は、刑事裁判では何事も話さなかった。高等な演技だったのか。あるいは独自の宗教的境界線を出ようとしなかったのか謎のままでは多数の被害者は納得できないだろう。
 我々は自分の常識内で判断してしまっているが、平田容疑者の心のバリアが除かれて、そんなことが聞けるのであれば事件の真相に大きく近づくことになるのだろう。
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by watari41 | 2012-01-06 11:36 | Comments(6)

何処に向かうのか

 除夜の鐘と共に、今年はわが町の東の仮設住宅団地から花火が打ち上げられた。夜中の12時である。鎮魂と希望を込めたものであろう。百発ぐらいあったろうか。大晦日に回覧板が来て前もってわかってはいたが、何とも珍妙な感じを持った。
 西に除夜 東に花火 辰の年 (watariのヘボ一句) 

 山裾(西)に菩提寺があり鐘をついている。私の家はその中間に位置している。どちらに行くべきか仏様も迷ったことだろう。生かされた我々もどこに行くべきか迷っている。

 昨年、ブータン国王夫妻の来日が話題となった。幸福度なる言葉に感銘を受けた。我々は失われたものを見ていたのである。ブータンになれと言われてもそれはもう無理だ。近代化した社会からもう戻ることは不可能である。近代化は数知れない恩恵を我々にもたらしている。それを数えようとはしていない。失われたもののみに郷愁を感じてしまっている。もう引き返すことなどは出来ない。オール電化した家は、その利便性を手放したくはないであろう。

 昭和20年代の日本にはそれなりに目指すべきところがあった。豊かさであった。小学校の教科書にもそんなことが記載されていたことを回想している。アメリカには3人に2台の乗用車があるとか。
 我々はそれらを達成した代わりに、失ったいくつかのことがある。21世紀に至り、多くの国々はそんなことに気がついてきたのであろう。ブータンにはそれなりの幸福追及の途を見出したのだろう。

 我々は何処へ向かうべきなのか誰も答えは持っていない。しかし人々は敏感に感じとっている。人口減少社会が物凄いスピードでやってきている。私などは人生において第三なのか第四の社会を見守ることになる。

 我々はどんな環境でもそれに合わせられる能力を有している。例えば江戸時代の鎖国下で、西洋数学とは全く異なる手法で和算を発達させて、開国した時にはほぼ同じレベルに達していた。現代風にいえばOSの違いを乗り越えていたのである。

 世界にモデルが無くなってしまったとは、かなり前から言われていたことでもある。西に行くべきか、東に進むべきなのか今年も大いに迷うのだろう。
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by watari41 | 2012-01-01 21:12 | Comments(0)