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懐旧

 私の祖父は几帳面な人だった。古いトランクに枢要書類と記して残してあるその一つが写真のものである。面白いのは「坂の上の雲」の時代を生きていたのである。
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 明治38年4月13日発行の書類である。日本帝国外務大臣小村寿太郎の印(写真左下)が押されている。25歳の祖父は生まれたばかりの長女と妻を伴って、韓国に通信手として渡った。バルチック艦隊との決戦の前月になる。(当時の公用語は英語と共にフランス語なのである:写真右下・・・赴任地への通行安全を求むという内容)
 当時の我が家は人手に渡っていて借家住まいをしていた。祖父の伯父が商売に失敗して、全財産を無くしていた。極貧の中で育った祖父は小学校にしか行っていない。(後に祖父は生涯をかけて生家を取り戻すことになるがずっと後年のことである。私が11歳の時に祖父は72歳で没した)
 さてNHKのドラマでは、高橋英樹さんの演ずる格好のいい「児玉源太郎」が生き生きとしている。私が最初にこの陸軍大将人と出会ったのは、江の島の「児玉源太郎神社」である。私には横浜赴任の時代もあり、その休日に島を探訪したのだった。もちろん、その時には「坂の上の雲」は読んでいたのでこんなところに祭られているのかと驚いたものだったことを回想している。
 児玉さんは軍事的才能のみならず、海底ケーブルまで敷いて、日本の通信回線を世界一にして、海軍がどこにいても素早く動けるようにしたのが、第一の功績だそうだ。内務大臣をしていた時に仕上げたそうで、百年早くインターネットを日本にめぐらせたといえるようだ。祖父はその末端を担ったのだ。
 児玉さんは、大山司令長官に毀れて自ら降格ともいえる、大臣から満州軍参謀長になった。この人は残念なことに日露戦争後、まもなく脳溢血に倒れた。また後に偉人とされる岩手県水沢の後藤新平さんを引き上げたのも児玉さんだという。この辺りは山口県の作家である古川薫さんの「天辺の椅子」に書いてある。死亡したときには5万円もの借金があったそうで当時の政治家は身辺がきれいだった。国家がそのまま肩代わりをしたということである。正岡子規の新聞社からの俸給が40円という時代である。その時にわが祖父は18円の月給だったのである。

 「坂の上の雲」は秋山さんという軍人兄弟の物語でもある。
秋山加代さんが書かれた「父・小泉信三」という本を手にしたことがある。秋山さんの息子さんに小泉さんの娘が嫁したのである。小泉信三さんは美智子皇后の実質的な仲人さんと言われる方で慶応の学長でもあった。
 長々と書いてしまった。
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by watari41 | 2011-12-27 17:43 | Comments(4)

早がり

 我々の属性の一つに、早ければ早いほど良いという、早がり症候群ともいうべきものがある。
 ひな祭は早々と飾り、3月3日の当日には片ずけにかかる。端午の節句もしかり、法要などは3年早くとも良いなどと言われる。年賀状も元旦配達の締切に近い。せかされている。

 何でこうも早がるのだろうか。良いことなのか悪いことなのか何とも判断がつかない。狭い日本そんなに急いでどこに行くなどという交通標語があったことを回想している。

 人生をも急いで駆け抜けようとしているかのようだ。人生のスピードよりも時代の速度の方が早い。我々は一生にして3世代分は過ごしたような感覚でいる。何もかもが変わってしまった感じがしている。惰性で続けている習慣も、時代感覚に合わないと思いながらも続けているものもあるが、そのうちに次の世代には何もかも無くなってしまうかもしれないと思っている。失われてしまったものも数多い。永遠にということは無いのだろう。

 時代劇もしかり。水戸黄門が今年で終了して後に続くものが無いようだ。幕末から140年足らずで、それ以前の歴史とお別れみたいな感じがしている。我々はその半分を生きた。早すぎる。
 日露戦争も、もう古い。司馬遼太郎さんも読まれなくなる時代が近いのかもしれない。早すぎる。

 スローライフが一時期流行した。しかし時代の潮流とはなりえなかった。
 急いで行く先には何があるのだろうか。何もかも失うような天災だってやってくる。我々は何を求めているのだろうかと思ってしまう。
 こんな早い世の中で、原発廃炉に40年とは何とも遅い。別世界のようだ。しかし現実はチェルノブイリが26年経過しても、まだまだ近寄れない。あと14年で収束するのだろうか。我々は巨額のツケを支払わなければならないようだ。電力料金の20%値上げ。危険なものに手をだすのが早すぎたようだ。
 2011年も残り少なくなってしまったが、後年になって振り返った時に、大震災だけではなくて、何か大きな転換点だったということになるのだろうと考えている。
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by watari41 | 2011-12-22 21:05 | Comments(6)

貢献度

 税金を全く納めていない方々が全世帯の30%にも達するそうで、また、生活保護費支給世帯は200万世帯にも及ぶとか、大変なことだと思っている。
 私は低所得にも係らず、地方税は年間百万円以上も支払っている。(国民健康保険税も含む)これは広い土地を所有しているからで、収入が全く無くても支払わなければならない。いわば借り物の家賃のようなものだと思っている。最大の支出項目が税金だという模範的国民?ということになるのだろう。現職の頃にはそんなにも負担には感じていなかったが老身には重い。
 
 わが町の自主財源は30億円程度であるから、3千分の1以上を負担していることになる。貢献度は極めて大きいのだと勝手に思っている。そんなサービスを受けているとは到底思えないが。

 そんな意味では、消費税は極めて公平な税金ということになるのだろう。財務省はノドから手がでるほど欲しているはずだ。野田さんも、菅さんも首相になった途端に消費税を騙りはじめた。

 国家にたいする貢献度ということでは、私の妻は、年金支給の直前に亡くなってしまったので、平均寿命まで生きていたとすれば、大変な金額を支給されていたことになるので、皮肉なことに貢献度は大変なものになっているはずだ。年金は、長生きしてしまったことに対する保険だというのだから、一般の保険に対する考え方とは180度異なる。

 貢献度は何も税金に関することだけではない。いろんな分野での貢献があるはずだ。何かに貢献した方々は大体にして表彰される。昔は多額納税者の表彰などもあった。現在は新聞発表がなされるるが、これは名誉なことなのかどうか当事者に聞いてみないとわからない。

 今次震災からの復旧に当たっては、ボランティアの方々の多大な貢献があり、被災者は一様に感謝感激している。

 今や地球環境を守る貢献に対してのノーベル賞だとか、考え方も大きく変わってきている。在職の頃は会社に対する貢献度が第一だったことを回想しているが今や昔である。
 プロスポーツ選手には厳しい貢献度査定があるが、一般人にもそんな考え方が導入されたらどんなことになるのだろうと下らないことを考えてみた。
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by watari41 | 2011-12-17 22:13 | Comments(2)

発音の悲劇

 大震災から9ケ月目を迎えた。日々の過ぎるのが何とも遅い。
 数えきれないほどの悲劇があった。苦しんでいる方々は多い。
 宮城県山元町立保育所でも児童が津波にのまれた。町の責任を巡って裁判になるようだ。
 大地震の直後に、保育所職員の一人が3km西方の丘にある役場に駆けつけて指示を仰いだ。役場では「退避して下さい」と言ったそうである。保育所職員はわかりましたと児童のいる職場に戻って報告した。「待機」という指示だったと伝えた。結果的には逃げ遅れてしまったのである。それでも多くの児童は助かったが数名は命をうばわれた。
 わずか一文字の発音と聞き取りの差異が悲劇の元になってしまったと聞いている。この辺りでは「キ」と「チ」の発音に紛らわしいことがある。「来て」は「チテ」と発音する人も多く、その時の状況で大概は間違うことがないが、今回の如きはそうはいかなかった。「退避」と「待機」。おそらくは「タイシ」してください。という発音ではなかのだろうか。聞く方にもそれなりの潜入観念があったのかもしれない。津波が来るなどとは考えてもいなかったとだろう。そのまま「待機」と言われたと思っても不思議ではない。メモでも渡していれば、そういうこともなかったのであろうが、そんな余裕はなかったのであろう。
 言ったとか言わなかったの論争になるのでは何とも悲しいことだ。

 旧日本軍の部隊編成では、異なる地方出身者を同一部隊にすることはなかった。指示・命令の解釈が違うのではどうにもならない。

 我々は、若い頃には東北弁に大いなる劣等感を持っていた。集団就職した人たちがバカにされたということをよく聞いた。私も何とか標準語を話すように務めたものだったことを回想している。時代が移り、今やそんなこともなくなったようだ。特色ある方言がもてはやされているのだ。

 しかし同一地域であっても、意志の疎通を誤ることがある。
 国会では不毛の論議が続いた。大臣の発言をめぐる問題だ。物言えば唇さびし、などの狂句もあるが、発言するときには誤解のないように気をつけたいものだ。
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by watari41 | 2011-12-11 22:31 | Comments(0)

枯葉よ

 今年は枯葉の落ちるのが遅い。地域の老人会で落ち葉ひろいのボランティアがある。氏神様のイチョウの木などはまだ緑が残り、半分はこれから落下するのだろう。

 散歩道にはバカデカイ枯葉もある。ほうの葉である。私の片腕ほどもある。昔はサランラップ変わりになったこともあったとか。(写真)
a0021554_1344328.png私も、もう枯葉に近い。先日の体力測定では、握力が35kgまで落ちている。我が家も同様で築40年になる。玄関の土台を支えるコンクリートが脱落し、震災で大きくひび割れた。

 昔の枯葉は落ちると土に還った。その養分を吸ってまた葉が茂るサイクルを繰り返していたのだが、いつの間にか路面はコンクリートの覆い尽くすところが多くなり、落ち葉は集めて燃やされる。
 人間もかつてはそうだった。土に還っていた。火葬が始まったのは昭和30年頃からだったろうか。役場も今みたいには服務規律にうるさくなかった。その頃の焼き場の職員は卑しいものだという一般的な感覚があり、このあたりではオンボとも呼ばれ歓迎されるものではなかったことを回想している。しかし今や時代が変わり最も良い職場の一つに数えられるまでになったのだ。何のストレスもなく勤務できるのである。(これには異論があるかもしれないが)

 私と同世代で役場にいた男は、暇ができるとよく火葬場に油売り(若い人にも意味は通じると思うが)に行ったそうである。現在は住宅地が迫っているが、当時は辺鄙なところだった。鳥もたくさん飛んできていた。試みに石を拾って投げてみたら、たまたまカラスの急所に命中して落ちたそうだ。それを土産に炉に入れて焼いて食べるという悪戯をしたこともあったそうだ。今や昔の物語みたいだ。

 全国の同年輩者にもまだまだ元気な人が多い。1500m水泳で30分を切ったとか。生涯現役で設計の仕事を続けているとか。若いママさん方に交じって英会話を学習し、英文ブロクまでやっている人もいるのだから驚いてしまう。中にはまだ社長だという人までいる。名古屋、九州などからの便りである。枯葉どころではない。イチョウの木を見ながらまだ緑の葉に相当するのだろうと思ってしまう。逆にもう落ちてしまった方々もいる。知らない人からの喪中は、夫が妻がというように同級生の配偶者からのものだ。男子では70才で一割、80歳で九割の人が亡くなってしまうのだという。
 これからのイチョウの葉っぱのようだ。年末にかけて急激に茶色になって氏神様には落ち葉が増えるのだろう。
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by watari41 | 2011-12-07 13:57 | Comments(4)

足りなくはない

 近刊の2冊に目を通した。(原発事故後に書かれている)
 「電力危機をあおってはいけない」朝日新聞社 川島博之著
 「シェールガス争奪戦」日刊工業新聞社 伊原 賢 著

 我々には「足りない症候群」とも言うべきものがある。足りないと言われると敏感に反応する。
 ・食料が足りなくなる。  ・電力が不足する。 ・年金財源が不足する。  ・税金が不足する。
 ・エネルギーが足りなくなる。  ・・・・・・

 こういうことが流布される背景には、必ず何かの意図が存在するのだという。
 電力需要はすでにピークを打っており、日本の人口減少とともに、近い将来には解決されそうだ。全ての原発を止めたところで、電力はギリギリ持ちこたえるようだ。人口が減少するのに経済は発展するという、誤った設定がそもそもの原因であるという。
 しかし、太陽や風力発電もこれまたおかしいのだと切って捨てる。日本の自然条件ではこれらの電力を安価には出来ず、結局は経済原則で破たんする運命にあるのだというから興味深い。今のところは法律で、42円/kwで買い上げることになっているが、一般家庭電力料金の2倍の価格であり、こんなことが長続きするはずがないということである。技術的ブレークスルーも過去数十年の経緯からみると期待できないのだということである。化石燃料にたよるしかないようだ。これには二酸化炭素の問題があるが、2050年頃には人口も大幅に減少しており、大ぼらを吹いたような鳩山元首相の削減目標も時期はずれるが達成可能だそうだ。
 電力不足流布の背景には、原発もさることながら、政府がバイオマス発電開発に6兆円もの巨費を投じて失敗に終わったことがあるようだ。高速増殖炉もんじゅ、にも兆円単位の金額が使われる。

 食料も現実には余ってしまった。(経済的にという意味で:アフリカの人たちは買うことができない)米国の余剰トウモロコシを、バイオエタノールへという、ブッシュ政権苦肉の政策でエネルギー対策のかたわら、トウモロコシの価格を引き上げることに成功したというのだから、世界中が騙されたようなものだ。
 その一方で、地下1000mの頁岩(シェール)に含まれる膨大なガスが開発されている。岩石に圧力をかけて細かい割れ目をつくり、ガスを吸い上げるのだという。米国中部で大規模な開発が進み実用に供されているそうだ。
エネルギー問題も一挙に片付くかもしれないのだという。地球温暖化もマイナス面だけではなくて、シベリアやカナダの大地が一大穀倉地帯に変貌するかもしれないというから面白い。何事も両面から見ることが必要だと言われたことを回想しているが、何時の時代にもあてはまるようだ。
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by watari41 | 2011-12-02 20:48 | Comments(2)