<   2011年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

凝縮

 俳句は日本語を究極まで凝縮させたものだと思う。諳んじてしる句はいくつもある。今の季節は「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」。これ以上の凝縮形はないであろう。
 だが、今や凝縮には放射能のイメージがつきまとってしまう。魚に凝縮されたセシュームとか、地中に凝縮されたり何十年もつきまとうことだろう。

 本来の凝縮の意味の一つに、気体が液体に変わることを指し、それに伴い凝縮熱が発生する。そのことが電気を発生させることと大いに関係するということを、NHKの科学番組が取り上げていた。

 金属の片端の温度を上げて、他端を冷やすと電気が発生することはかなり古くから知られていた。しかし電気量は微々たるもので、工業化されることはなく現在に至っている。この電気が発生する現象のことを、発見者の名前にちなんで、ゼーベック効果と呼ばれている。
 金属の温度を上げるのに、発生する電気量以上のエネルギーを費やしたのでは、何にもならない。いろんなことが思考錯誤されてきた。これに本気で取り組んできたのが意外にも北陸の小松製作所だった。最初は煙突の排熱を利用しようとしたが失敗したそうである。
 何かがないものかと担当者が工場を歩いていたところ、廃蒸気が目につき実験したところ想定外の電気を得ることが出来たというのである。これは蒸気が金属に触れて液体となるときに、大きな凝固熱を発生させていることが、その理由であることが後でわかったということだ。
 コロンブスの卵みたいな話でもある。今では工場の照明用電力を全てまかなっているということだから、排蒸気で数十キロワットに達する電気を発生させているのだろう。

 考えてみれば、我々も蒸気で火傷を負ったときは、ひどかったものだ。高温の乾燥炉などに手を短時間入れても特にどうということはなかった。そんなことを回想した。蒸気と気体とでは大きな差異があったのだ。当然に誰もが気がついていることを生かせないのが凡人たるゆえんである。
 優れた俳句というのは,日本語が凝縮された途端に光を放つ。無理やり凝縮熱とこじつけてみた。
[PR]
by watari41 | 2011-10-28 21:02 | Comments(3)

男女のこと

 遠くて近きは(枕草子)とか、古今東西、事件の陰に女ありは多い。
 ニュースステーションという番組があった。久米さんの相手をしていた気鋭のコメンテータ男子がいた。おそらくは新聞社の論説委員でもあったのだろう。ある日突然に画面から消えてしまった。女性問題が発覚してしまったのだという。何もそこまでもと思ったことを回想している。最近ではNHKの美人女子アナが番組から消えた。技能人との交際が発覚したからだとか。現代の「愛」を描いては渡辺淳一さんが随一であろう。後世まで残る文学なのかはわからないが、我々には面白い。

 歴史を変えたのかも知れないのは、カエサルとクレオパトラ。現代では角栄の恋文というのが10月号の文春にあった。立花さんは歴史的価値ある資料だともいうが、そうなのだろうか。

 10月23日(日)わが町では商人祭という催しがあった。アトラクションで江戸時代の支配者である、政宗のごく近い一族の伊達成実公を模した武将の演武があった。
 名古屋が発祥らしいが、現代版武将隊が結成されている。そちらは信長・秀吉・家康という全国版だが、仙台にもローカルに62万石伊達武将隊が存在している。わが成実公は勇猛果敢な武将として知られ、戦国時代でも全国10指に入りそうだ。家康が大禄をもって召抱え様としたことで知られる。兜に毛虫飾りをつけている。退くことを知らずという証なのだそうである。伊達家存亡の危機にあった福島の人取橋の戦いで勇名をはせた。

 その実成公が現代人も見習うべき、男女関係の倫理観念を持っていたのだから驚くべきことである。前妻を若くして亡くし、後妻もまた早くに亡くなった。成実公はまだ若い。以後に妻を娶ることもなく、女性関係も寡聞にしてない。妻との間に一女をもうけたが早世している。だからその能力がなかったわけではない。何とも不思議なことに思っている。一時期は政宗と不仲になったとも言われ高野山に籠ったが、戦列に復帰し、養子に政宗の九男を迎え、わが郡とその近傍を含めて2万4千石を継がせている。
[PR]
by watari41 | 2011-10-23 20:54 | Comments(6)

再生の損得

 スペースシャトルが出現した時には驚いたものだった。何回でも宇宙への往復が出来るというので経済的なものができたものだと思ったものだ。
 しかし、一往復すると、莫大な修理費用がかかり、結局は使い捨ての方が安かったのである。次の宇宙計画は使い捨てになるそうだ。

 再生紙が登場したころである。やや茶ばんだ名刺を渡されて、再生紙を利用と書いてあったことを回想している。差し出す方は得意顔だったのである。

 その後、「再生」ということの経済性が云々されるようになったのである。再生費用が結構かかるのである。一時期は再生も影が薄くなったかのように見えたが、資源の有効利用という観点、すなわちエコであることから再利用品が多くなってきている。

 在職当時は、希少金属を扱っていたので、ニッケルなどのスクラップ回収は日常のことであったが、有害な不純物がつきまとうのでそれを除くのが大変だったが、原料が高いので採算が合っていたのである。

 最新の電子機器には、もっと希少な物質が使われている。日本はその大消費国なので、本来は土中から取り出す資源だが、出来上がった製品から回収されることになり、わが国はもはやレアーマテリアルの資源大国といって差し支えないなどという議論もある。

 だが、それを取り出すのは大変な難作業のようである。昔の鉱山精錬所が再び活躍しているが、いかに経済的に取り出すかが課題である。もともと、そんなことが事業になるなどとは思われていなかったのである。

 日本語の「再生」には、リサイクルという言葉よりももっと良い響きがある。古来の日本人の知恵の詰まっているような感じがしている。国家も何度か再生してきた。被災地の再生を願いながら記している。損得抜きで事に当たってほしい。
[PR]
by watari41 | 2011-10-18 12:26 | Comments(6)

計算の変遷

 昭和20年代
 小学生の頃は、ソロバン・筆算・暗算など(江戸時代と変わらないと思う)であった。
 亘理郡内に12の小学校があり、団体戦のソロバン競技会があった。祖父が使用していた五玉のソロバンを持参して参加したものである。当時は大変に上手だと思っていたが、田舎の大将だったのである。実力は5級程度しかなかったことを回想している。

 昭和30年代
 乗除・関数など計算尺の世界だった。有効数字は、2桁からせいぜい3桁である。高校の時に検定を受けて3級を取得した記憶がある。会社に入ってからも計算尺は手ばなせなかった。

 昭和40年代
 最初の電子式卓上計算機が登場し会社が購入した。大変な代物だった。30万円もした。月給がまだ2万円の頃。夏や冬には、計算に狂いが生じる。半導体の温度特性が悪かった。当時は半導体がこんなに成長するとは思われていなかったのである。暗中模索の時代で、あるメーカーは磁歪遅延特性を利用した金属合金線を使って参入しようとしていた。その試作材料を提供したことがあった。当然ながら時代は急展開していたのである。

 昭和50年代
 誰もが電卓を手にしていた。私はオムロンのものをしばらく愛用していた。業務用ではこの頃、NTTの電子交換システムなどフェライトのメモリーブレーンに代わる次世代の大容量モジュールの開発が始まっていた。在職の会社はベリリューム銅線に磁性材料を蒸着したワイヤーメモリーの提供に悪戦苦闘した時代もあったが、半導体の敵ではなかった。ハイテクへの金属材料最後の挑戦だったのかもしれない。

 昭和60年代(年号は64年初頭から平成に代わる)
 計算するソフトウエアの時代が始まった。最初に登場したのが、表計算のマルチプラン次にはロータス123というソフトだった。

 1990年代以降
 計算ソフトはエクセルの時代に入る。いろんなソフト会社が独特のものを開発したが、結局はマイクロソフトなどに買い取られてゆく。ご存知の、ゲイツさんやジョブスさんの時代になる。
 あまりの加速度的変化に、老化しつつある頭は混乱している。2000年の退職時には、それでもエクセル上級に合格できたが、エクセル2010はさらに進化した。特に意味はないがP検定3級がやっとなのである。
[PR]
by watari41 | 2011-10-13 16:07 | Comments(2)

追悼S・ジョブスさん

 美人薄命という言葉がある。天才は短命でもあるかのようだ。
 IT業界を30年間常に創造・変革し続けてきた。何世紀にも渡るかのような業績を一代で成し遂げてしまった。
 我々は常に驚きつつ、次なる商品を待っていたのかもしれない。

 「ハングリーであれ、愚者であれ」という彼の言葉が残った。日本の禅に興味をもっていたようだ。Poor(愚)に惹かれていた。我々は賢者になろうとしているがこれは誤りらしい。凡人は、教育を受けることが全ての始まりと思っているが、天才には必要としないらしい。かのビル・ゲイツさんも同じだったと思う。ライバルのように見えてもスティーブ・ジョブスさんとは肝胆相照らす仲であったという。天才は天才を知るなのたろう。

 過去の技術には一切興味がなく、常に創造を求め続けた一生だった。日本の巨大電機メーカーを評して西海岸に腐った魚を大量に運んできていると言ったものだった。
 結果的に巨額の資産を残したが、それが目的ではなかった。墓場で金持ちであることを自慢しても何にもならないとも言っていた。悔いなき生涯こそ値打ちがあった。

 日本人に、こんな人を見出すとすれば織田信長であろうか。過去の常識を否定して常に前進あるのみだった。現代社会にはこんな人は存在し得ない。現代日本はあまりに組織化されすぎてしまった。米国だから可能だったのかもしれない。その米国にもPoor(貧)なる人々が多くなりすぎてデモが起きている。

 組織に忠実であれば、そこそこの生活が保証される。今日(10月8日)のTBS報道特集を見ていたら名古屋交通局でのパワーハラスメントで自殺した運転手のことを取り上げていた。個人が組織に立ち向かうのは容易なことではない。

 私自身も小さな組織の一員だったに過ぎず、過去にこだわっていたことを回想している。
[PR]
by watari41 | 2011-10-08 22:14 | Comments(8)

勝つ丈ではダメ

 中日ドラゴンズの落合監督が来シーズンから事実上解任された。
 これまでの成績からすれば、契約の継続は確実かと思われたが、そうはならなかった。おそらくは「顧客満足度」が不十分とみられたのであろう。プロ野球の場合、勝つことが本来は最大の顧客サービスのはずだが、それだけではダメだということである。

 「絵」にならない監督だった。表情がなかった。勝っても負けても表情が変わらない。彼は秋田県の出身である。良くも悪くも東北人なのである。前回のコメントにもあった。「け」の一言は、食べなさいという意味であり、話す人には何の表情もない。単純といえば単純な東北人だ。

 完全試合目前のピッチャーを交代させてしまう。勝つことが目的なのだから当然といえば当然なのだが、観客とすればスッキリとしない。その場面では続投が勝つこと以上に価値のあったことかもしれない。落合さんは監督としてそうは出来なかった。ファンには欲求不満が残る。彼の「オレ流」に満足する人たちも多いのだろうが、おそらくは不満に思っている人の方が多いはずだ。契約の終了について、この世界はこういうところなんですよと淡々としている。

 観客動員数も名古屋をフランチャイズにしていることを考えれば決して多いとは言えない。人口の少ない福岡や札幌ドームの方が入場者数は多いのではなかろうか。

 対照的なのは阪神タイガースであろう。いつも甲子園の観客数を見て驚いている。なぜに「顧客満足度」が高いのであろうといつも不思議に思っている。大阪だけではなくて「虎キチ」は全国各地にいる。同じところにフランチャイズのあるオリックスには人が入らない。昔の阪急ブレーブスもそうだった。かつてのタイガースの一員だった岡田さんが監督をしているのである。中日も落合さんが監督では、これ以上に観客は伸びないとみたのだろう。

 「顧客満足度」とは、一体なにものなのだろうと考える。その名前だけで満足する人もいる。ブランド品しかり。在職中は製造するその商品だったが当時から耳に残っている満足度なる言葉を回想している。
[PR]
by watari41 | 2011-10-03 20:23 | Comments(13)