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復興大綱を早く

 腐敗した、あるいは硬直化した組織は、現場の実態がよくわからなくなり、被害を大きくするような指令が出されることがある。だが、現場指揮官が独自の判断でそれを回避している場合が多い。

 有名な話は、第二次大戦末期の悲惨な戦いとなったインパール作戦である。参戦する途上にいた山形県鶴岡市出身の師団長だった佐藤幸徳将軍は、独断で途中から師団を撤兵させ一万人余を救った。将軍は後に精神鑑定されるという笑い話まであったということだ。

 大本営発表みたいなことになってきた東京電力の原子力発電所の事故は、その実態が掴めないままに、参謀本部である東京と泥沼の戦いを強いられている現地軍というような感じがしている。我々には空襲のごとき放射能がやってきている。しかし、シーベルトという数字のどこまでが安全なのかがわからない。数字を発表する事そのものが、事態を混乱させるという考えもある。70km圏内のわが町は一切のデータを発表していない。ある意味、賢明なのである。

 総指揮官である管首相が何とも頼りなく見える。これを変えようという動きが活発化しているが、今はそんな時ではないだろうと思っている。谷垣さんは野党としての独自の復興案を出せば良いのである。それで議論してほしい。現在も尚、何がベストでベターなのかが分かって進んでいるわけではないのである。首相を代えてみたところで如何ともしがたいのである。

 復興計画の大綱を早く示す事が大切なのだろうと考えている。大正年間の関東大震災では、岩手県水沢市出身の後藤新平東京市長の大風呂敷とも言われる計画があった。戦災後の仙台は、当時の岡崎市長の道路計画が現在の繁栄の礎と言われていることを回想している。

 現在の東日本は残念ながら高齢化などで衰退するなかでの大震災であった。現地独自でとならないように願っている。現地の状況を踏まえながらも、人・物・金を集中させてほしい。そして新しい組織体制も必要となるはずだ。過去の復興計画は当時の人知を超えていて批判されていたが、後にはすばらしいものであったことを回想させた。
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by watari41 | 2011-05-28 22:31 | Comments(10)

地震の予測

 東海地震の発生確率が87%と発表され浜岡原発は止められた。この数字にオヤと思った人は多かったと思う。下一桁の数字にどんな意味があるというのだろう。こんな場合には通常は丸めた数字でよいはずだ。信憑性を高めるための工夫なのだろうか。

 今次東日本大震災のプレートメカニズムの解析結果が発表されたが、きわめて複雑だ。M9.0にもかかわらず、あらかじめ予測されていたものではない。それだけ地震予測とは難しい。
 東海地震に関しては、M8クラスともなれば、何らかの前兆現象が出るはずだという前提のもとに観測体制が強化され、地震判定会議も設立された。もう何十年も前のことだ。数mmなのか数cmの地盤変動が起きたときに会議が召集される。幸いにして未だその変化は起きていない。

 地震の予測では、30年も前の東京都知事選挙のことが思い起こされる。当時は過去の大地震発生の統計をとると、69年プラスマイナス17年の周期があるという説だった。知事選挙に立候補した秦野さんという元警視総監は、その地震周期に東京はもう突入している。その備えや震災後の対策は、私でなければやれないと演説していたことを回想する。しかし圧倒的な人気のあった美濃部さんにはかなわなかった。
 震災では、災害規模をいちはやく把握して対策を講ずるかがポイントである。今回驚いたのは、震災の翌日に、宮城県警本部長が死者は一万人規模に達するだろうと発表したことである。情報は正確だったのである。
 
 前記の東京69年周期説というのは、安政直下地震や相模沖地震とか宝永富士山噴火地震など、いろんなタイプの地震を含めての統計なので、今からみるとおかしな数字ではあった。
 地震判定会議の創設というのも、地震学への予算配分を多くしようとの下心があったらしい。しかしそれで地震の研究が進んだとすれば結果オーライとしよう。

 だが、腑におちないのは、宮城沖地震をあれだけ研究しながら、その近くにあったエネルギーでは500倍もある別の震源地帯を見落としていたのである。
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by watari41 | 2011-05-23 14:17 | Comments(4)

油断

 人間は油断しやすい。別の意味では油断できる動物でもある。災害を忘れていたのではなくて油断していたのである。津波が来るまで逃げなかった人も多い。
 海岸近くの小さな堀では、今も数人が組みになって長い棒で川底を突付いている。人に迷惑をかけずに死のうと思っていても、何時どうなるかわかったものではない。

 野生の動物にとっては、油断は即、死につながる。インド洋の大津波で逃げた象の話は有名だが、小さなネズミも同じである。3月11日以来、我が家には多数のネズミが押し寄せた。天井がうるさい。縁側にも小さな姿を現す。古い住宅なのでスキマはたくさんある。しばらくは同居することになるのだろう。

 原発にも油断があった。

 「油断」という小説でデビューしたのは堺屋太一さんである。もしも石油が日本に入らなくなったらという仮定である。1970年の大阪万博の後に発表されたが、その後に起こった石油ショックを予見したかのようで話題になったことを回想している。
 オイルショックは、いろんなものをもたらした。全国各地に巨大な備蓄タンクができた。一方では第二の産業革命とも言われる「軽薄短小」という動きもこれを契機としたものであった。

 原発事故は何をもらすのだろうかと思っている。もはや電気を使わないわけにはゆかない。電気は便利なだけではなく、すべてが「計算」できるからである。55年前に何も知らずに入学した電気科の生徒が、微分されて目の前に出てきた電気回路の答えに驚いたことを回想している。
 ベンジャミンフランクリンが雷が電気であることを命懸けで証明してからまだ250年にしかならない。人間はその電気を今度は命懸けで核分裂によって発生されていたのである。一瞬たりとも油断があってはならなかったのだ。
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by watari41 | 2011-05-18 12:01 | Comments(8)

電力と金融

 現代社会の根底には金融・電力が存在して成立していることを、今回の大震災は改めて我々の脳裏に刻み込んだ。
 仙台にはタイプは異なるが、2つの巨大なビルがある。一つはあおば通りに面した七十七銀行本店である。高さはないが、重量感にあふれた堂々たる構えのビルである。その下を歩くと威圧感がある。資金量6兆円は、全国第一級の地方銀行である。
 今回の震災では数々の悲劇があるが、この銀行の海岸一帯の各支店も大きな被害を受けた。中でも女川支店は全員が津波にのみこまれた。助かったのはわずか数名。支店長はわが町の出身で将来の頭取候補だったのだという。
 東北の復興には莫大な資金が必要なことからして、いちはやく公的資金の注入を要請しているが、願わくは無利子で貸し出しをしてほしいものだ。

 もう一つのビルは東北電力である。これは高い。10年ほど前の建設当時、業種柄、東北一のビルにならないように苦心したのであろう。仙台を代表するビルだと思っていたが、最近ではミズホ銀行仙台支店の近代的デザインのビルが目立っている。

 電力会社は巨額の設備投資を必要とする。発電・変電・送電・配電という逆に言えば現在では莫大な資産を有する会社でもある。全国を九つの電力会社にして、戦後日本の復興・発展の基礎を作ったのは、電力の鬼とも言われた松永安左衛門という人で有名な話である。今やこの体制も再考すべきだという声が高くなっている。

 東京電力は、需要の伸びとともに巨大企業になった。いささかの慢心はなかったのだろうか。電気を販売しているのに節電してくださいというのだから民間企業としてはおかしな話なのである。しかも、我々日本人はこれに100%の協力をしているのである。従順すぎると思うが、仕方がないのである。

 先日の地元紙に、東電は送電・配電の設備を売却して賠償金に当てるべきだという識者の論があった。数兆円以上の資金を用意できるである。必要によっては、売却した設備を東電が再びリースして、従来どおり営業することができるのである。こんな例は在職の頃には、傾いた会社で、土地を売却して、それをまた金融機関からリースして操業しているという話を何度か耳にしたことを回想している。
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by watari41 | 2011-05-13 12:14 | Comments(2)

津波と地名

 「流」「長瀞」「頭無」、わが町と隣の山元町にある地名である。
 普段は、当たり前の地名だと思っていたのだが、今回の震災で大きな被害を受けて見ると改めて、考えさせられる名称である。いずれも「水」に縁がある。低湿の地なのだが、最近の宅地開発で、多くの人が住むようになった。
 少しばかり奇妙にも思える住所を冠して、他所から移り住んだ人たちは、住みよいところだと満足している人が多かった。

 「流」地区は、浜吉田駅前一帯にあり、かつては、大きな谷地であった。特にその146番地は広大な面積がある。何百軒かの家が同じ番地なのである。区別するのに番地の下にまた数字を設けている。146-○○○○、枝番はもう1300を越えている。それでもまだまだ空き地がある。海岸から2km程のこの一帯は、津波で大きな被害を受けた。かつては大雨が降ると洪水状態が続いた土地だったのであろう。排水施設が整備されて山からの水には強くなっていたが、海水が来るとは思われていなかった。

 「長瀞」も、そんな感じのところだったのだろう。静かなる流れのあるところという意味であるが、阿武隈山脈の北端に降り注いだ雨が静かに海にそそいだのだろう。傾斜の弱い土地なのである。逆に少し離れた私の住む街中には動転沢という川がある。これは山に降った雨が一気に沢に集まり流れ下るためである。現在は砂防ダムがこれを抑えている。

 「頭無」(カシラナシ)は、山下駅一帯の地区である。出水した時にどこから水が来たのかわからないが、大きな水溜りが出来てしまうというような意味合いのもので、頭が無いということだ。全国的にも何箇所かこの地名がある。最初にこの地名を見た人は、首のない死体の捨てられたところと思ってしまうようだ。

 今や、いずれも瀟洒な住宅の建つ閑静なところだったが、それも過去形になってしまった。どんな復興プランになるのか、あるいは数十年が過ぎると忘れ去られて、また多くの人が住むようになるのか、被災地はまだまだ、戦後の焼け野原状態だが、人間が住む場所とはつくづく難しいものだと思っている。
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by watari41 | 2011-05-06 17:21 | Comments(6)

震災の写真・記録

 やや落ち着きを取り戻して、震災関連の写真集が注目されている。今やどこの家にも置いてある。地元・河北新報社のものが人気である。町内の本屋さんでは売り切れていた。棚に並んでいた「AERA」を買ってきた。朝日新聞社系のものである。世界的な写真家がニューヨークから飛んできて撮影したものが主体である。眺めていて何かが違うように感じられた。
 災害現場を写真芸術の対象としてレンズを向けているのだと思った。画面が整いすぎている。ピューリッツアー賞など、そういう類に選ばれる写真はこういうものかと思ったものだ。別に悪いということではなく、表現手段の一つのありかたなのだろう。

 対するに、河北の写真集は、災害そのものを捉えていると感じられるのである。被災地にいる我々の実感に近い感覚なのだ。
 しかし、津波の惨状は写真をはるかに凌駕する。通常は誇張された写真なども多いが、今回の現場は、レンズを通じても、人間の感覚を上回ることはない。
 現地に立つと、目以外にその場の雰囲気、臭いなど、あらゆる感覚を総動員いた結果を、いわゆる肌で感じるというものだろう、そんなものが、目で見るだけの写真を上回る何とも言い知れぬ、感慨を与えてくれる。

 何冊もの写真集を購入しているお宅もある。新聞を保存している方々も多い。もうしばらくはこんな災害はないのだろうと考えている。現代社会は幸いにして余すところなく記録する手段を持つに至った。やがては今回の大震災も忘れ去られることもあるのだろうと思っている。

 写真だけでは伝えきれない、後世に残るような震災に対する人間感情を書いた優れた作品が出るのだろうことを期待している。鴨長明はその人生で体験したのであろう、方丈記に凄まじい表現で地震を記述していたことを回想している。
 
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by watari41 | 2011-05-01 16:01 | Comments(11)