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風評被害と実害

 福島県というだけで放射能が連想され敬遠されるのは何とも可哀想である。有名な喜多方市のラーメン屋さんに東京からの客が来なくなり、白虎隊で有名な会津若松城にも観光客が来なくなったというのだから深刻だ。福島県は広い。原発から会津までは仙台に来るよりも遠いのだ。

 風評に弱いのは日本人の特徴かと思っていたら、外国人も変わりがない。東京からいちはやく逃げ出したのは大金持ちの外国人からだということだ。そして拠点を東京から関西に移す海外企業もあるとの記事がでていた。情報化時代なのでやむを得ないところもあるのだろうが、理性的な行動が出来ないものかと思ってしまう、風評への過敏反応は人間の特性なのだろうか。

 津波による塩害は実害である。わが町では80%の田んぼが稲作不可の指示を受けた。実収穫高では昔風に表現すると10万石の田がある。江戸時代には隣町とも合わせて2万4千石の殿様がいたが、現在では5倍もの収穫となっており、その30%を減反しているというのが実態である。
 米の多収穫の源泉は、用水と排水にあるのだ。しかし今回の津波はそれら設備をのみこんだ。復旧にはかなりの時間を要するだろう。米も何のことはない、電気で作られていると言っては過言だろうか。海岸地帯で昔は米はほとんど収穫できなかったことを回想しているが、今や真水のお陰で多収穫ができるようになった。稲作は塩分に弱いのである。今回の作付け可能水田の基準は土の塩分濃度が0.1%以下なのである。

 すでに米不足の噂が出始めており、高級米から値上がりしているそうだ。米価は大幅に値下がりしてしまったので、多少の値上がりはカンベンしてもらうしかなさそうだ。この風評は農業関係者だけでしか知られていないが、これから一般にでまわることだろう。
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by watari41 | 2011-04-27 12:09 | Comments(4)

想定外

 かつて、ホリエモン氏は「想定内である」を連発して話題をまいていたことは記憶に新しい。
しかし、今度は東京電力の「想定外」という言葉を何度聞いただろうか。「想定外」には不可抗力という意味合いを含ませたいのだと思う。だが、そういう展開にはなっていない。危険範囲内の人たちの怒り心頭は最もなことだと思う。

 個人的な推測だが、第一原発の1~4号炉は、古いシステムで動いているのではなかろうかと思う。5,6号炉には異常がなく、第二原発にも問題がないので、現象面から言えば、そんなことになってしまう。昭和40年代のシステムで運転されているかもしれないといっては言いすぎだろうか。

 新しい柏崎原発には、強力な電源車が配備されているようだ。新潟柏崎地震の後のことにしても、それならなぜ福島に配備しなかったのかと疑問に思ってしまう。

 水素爆発にもおかしな感じを持ったものだ。私のつたない経験からすると、水素ガスはきわめて拡散しやすく、大きな建屋での爆発は起こりにくい。爆発が予測される時には、弱い部分を作りそこから爆発力を逃がしてしまう。また爆発を起こらないように窒素ガスへの置換も相当に遅れてしまった感じがしている。水素爆発が廃墟のような姿をさらす原因となっている。また放射能の拡散も建屋が崩壊したことで、空中に広がったのだろうと思う。

 「想定外」の津波ではあっても、放射能汚染を防ぐ手立てがいろいろとあったのだろうと考えている。発展途上国からは、最先端の技術力を持つ日本がどうしてという疑問が寄せられているが、どのような経過をたどって、最悪の事態に至ったのかをキチント説明すべきであろう。

 古い水素設備を扱っていた入社当時のことを回想し、これまた後年には時代がかったシステムである磁気増幅器制御式の圧延機が故障したことなどを同時に回想している。システムが古いと如何ともしがたいことがある。
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by watari41 | 2011-04-22 18:06 | Comments(6)

津波と常磐線

 JR常磐線は、太平洋岸そして原発地帯を通る。今回の災害を諸に受けた。仙台から亘理までは先日なんとか復旧したが、ここから先は全く回復のメドが立っていない。津波をまともに受けて駅舎は崩壊し、線路は曲がっている。亘理町の隣である宮城県南端の山元町では海岸から1kmと離れていないところを通っている。

 明治30年に常磐線は開通した。工事を容易にしようとしたのだと思う。線路は直線である。本州では最長の10km以上の真っ直ぐなコースとなっている。本来ならそのままの直線が亘理町の東部を通過して阿武隈川を渡り、岩沼に至るはずだった。そうなると直線部分は20km以上になっていた。
 それを変えたのが、時の旧亘理町長、武田万次郎であった。当初の予定である直線コースでは、亘理の町並みを大きく外れてしまうので、彼は亘理のコースを大きく捻じ曲げて街に近い駅舎とした。これは万次郎のへそ曲がりとも言われている。彼には先見の明があったのだ。

 旧亘理の町民は大きな利便を受けて、線路と駅舎は今回の津波も免れた。
 常磐線が開通してから114年になる。私は16歳の高校入学時から仙台への通学・通勤に乗車しているので、線路歴史のほぼ半分を利用したことになる。

 これからの亘理駅以南の常磐線復旧はどうなるのだろうかと思う。思い切って山側のコースに変更するのか、それとも今の線路を土盛りして、津波堤防を兼ねたものにするのか、廃線にするのか、難しい判断を迫られよう。
 いずれにしても、原発地帯をしばらくは通ることが出来ないはずだ。福島県の浜どおり地帯は陸の孤島と化する。
 「今は山なか、今は浜、今はトンネル通るとこ・・・」という唱歌は、この地帯の光景を詠っている。ここ数十年は、繁栄する東京のエネルギーを担ってきた。第一、第二の巨大な原子力発電所群がある。
 今や存在が薄れつつある2本の常磐線レール。かつては海岸線を黒煙をあげながらの大動脈だった頃を回想している。人類は将来、津波のエネルギーを制御できるようになるのだろうかなどと夢想しながら、今日もまた津波で奪われた山元町の方の葬儀に参列してきた。
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by watari41 | 2011-04-17 17:35 | Comments(4)

原発への賭け

 東京電力は原発への賭けに敗れた。こんなことを言うのは、大変に不謹慎なことは承知してのことだが、実態はそういうことだと考えている。減価償却の終わった第一原子力発電所は、これから毎年何千億円もの莫大な利益を出し続けるはずであった。
 運転の費用は、燃料棒などたいしたことはないので、タダ同然の費用は言い過ぎにしても、発生した電力の売り上げは、そのまま利益につながる。なおかつ、廃炉とした場合には、これまた巨額の費用がかかるので、運転を続けていれば、これをも免れる。よい事づくめだった。

 しかし、この思惑は、全くはずれて逆の結果となった。今回の事故で何兆円もの損失がでるのであろう。東京電力は民間会社である。資本主義は冷徹だ。。当然のことながら倒産へと追い込まれるはずであった。アメリカのGMはまさにそんなことになった。しかしGMは見事に復活をとげている。

 日本の場合は、政府が最初からこれを救おうとしている。2011.4.12午後6時の管首相記者会見では、周辺地域の損害補償など、最終的には政府が責任を負うのだという。
 メガバンクなども、そんなことは承知のうえで、巨額の融資を続けているのである。そうでなければ銀行も共倒れになってしまう。東京電力を倒産させられないのは、日本国中が混乱すると思っているからであろう。本当にそうだろうかと思ってしまう。操業を続けながら更正を期する民事再生法などもある。

 しかしながら、今や日本全体が原子力発電に賭けているのである。国民がそういう意思決定を下したわけではない。気がついてみるといつしかそんなことになってしまっている。
 
 結果的にわかったことは、千年に一度の津波も議論にはなっているが、あらゆる安全策をとると、原発はコマーシャルベースに乗らないということで退けられている。つまり採算上、原発はありえなかったということになる。ただ、体験上、今回の事故から緊急時にはどうすればよいのかを、人命と膨大な費用をかけて学び取っているはずだ。事故が収束に向かったわけではないが、これ以上の放射能禍が出ない事を願うばかりである。

 状況を淡々と原子力保安官は説明している。私は復水器など、その昔に習ったことを回想している。回答のない難問に我々は突っ込んでいるのだ。
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by watari41 | 2011-04-12 20:04 | Comments(8)

津波対策貞山運河?

 地震にも活動期と停滞期があるそうだが、昨夜(2011.4.7)の地震は強烈だった。余震の域をはるかに超えるものであった。歴史に残るものとなるのだろう。

 それよりも津波の方がもっと凄いものであることは、今回の被災状況が示している。その破壊力だけではなくて、津波の海水は陸上の低地や窪地では、その水留まりができてなかなか引かない。わが町の海岸松林の内側では、川のようになって水があり、まるで貞山運河が延長されたかのように感じたものだ。それでも現代の平地は、排水設備がきちんとなされている。海に近い排水路の終端には巨大なポンプが設置され通常の洪水などには対応している。しかし今回の外からの津波には海水を被って機能しなくなった。

 日本には、3つの運河しかないのだと教えられたことを回想している。わが町の阿武隈川河口を終端とし、石巻の北上川河口に至る「貞山運河」と、他の2つは「小樽運河」と九州の運河であった。この2つの運河は、いずれも明治時代になってから建設されている。「貞山運河」のみが伊達政宗が建設を命じたものでとびぬけて古い。運河の役割とはいうまでもなく、水運に供するものである。陸運に比べてはるかに多量の物資を効率よく運べる。

 「貞山運河」は、たしかにこれまで米を運ぶ水路だと考えられ、その役割を果たしてきた。
 しかし、最も最初の役割は「排水路」ではなかったのだろうか。慶長大津波(1611年)の水は、長い間海岸近くの低地に広い範囲で、とどまっていたのではなかろうか。海岸そのものは、通常小さな砂丘ができており、陸上のたまり水は海には流れて行かない。そこで排水路として作ったのが「貞山運河」の最初の姿であったのだろうと考えた。津波を防ぐのではなく、その被害元である海水をいち早く陸上から除こうとするものではなかったのではなかろうか。今回の平成の津波跡をみて考えたのである。

 現代においても、仙台東部地区の排水路の終端は、「貞山運河」(通称は貞山堀)につながっており排水路の役割を果たしている。潮の干満と水門の操作でそれができるのである。
 「貞山運河」が完成するのは明治になってからだから長い期間を要している。その間はさほどの大津波もなく、掘削意欲が湧かなかったのだろう。ややうがった見方かもしれないが小生の愚考である。
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by watari41 | 2011-04-08 16:37 | Comments(2)

津波の歴史

 400年前にもあったことなのか、千年来のことなのか、現代建築物もガレキと化した惨状をみて、詩人ならどういう言葉を呈するのだろうか。科学者たちは数値解析を進め、コンピュータ上に津波の規模と押し寄せる様を示している。私はただ黙するのみである。歴史を振り返ろう。

 慶長16年(1611)12月2日陸奥国、地震後大津波、伊達領内、人1638名、牛馬85頭溺死す。
              津波は岩沼付近に達す。
     この前後にも東北には地震・津波があった。
     1608年(慶長13)12月30日、仙台海浜大いに震う50余人死す。
     1616年(元和2) 9月9日  仙台巳下刻(午前11時)強震、城壁・桜櫓毀損、
                               三陸地方大津波あり

 貞観11年(869)七月13日陸奥国、大地震、陸奥国境もっとも甚だしく流光昼の如く家屋倒壊、
              圧死者多し、津波城下に迫り溺死者千余人。(城下とは多賀城のこと)

     この2年前にも、大地震が記録されている。貞観9年(867)陸奥国大地震。

 今回の大津波は、貞観津波に匹敵するのだろう。その2年前に起きた「陸奥国大地震」は今回の宮城・岩手内陸地震を思わせる。慶長の津波は岩沼までで、ここ亘理には到達していないようだ。仙台沖の震源が局部的に動いたのだろうか。仙台市若林区にある「浪分神社」は、慶長津波の到達を記録している。伊達政宗が仙台に入城してから10年と過ぎていない。しかも政宗は晩年に若林の平地に城を築き住まいとしている。現在の仙台刑務所近傍である。何とも不思議なことに思える。豪胆な政宗らしいともいえるのだろうか。
(上記の歴史記録は、昭和50年刊行の「亘理町史・上巻」年表より抜粋)今や郷土を語る貴重な歴史書となった。発刊当時にくまなく読んだことを回想しているが大半は忘れている。
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by watari41 | 2011-04-04 11:28 | Comments(9)