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ツイッターの威力

 歴史的地震・津波の災害から20日となるのも近い。様々な情報が発信されてきた。その中でツイッターも重要な手段だった。わが町の体育館に避難していた子供が、震災の数日後に、ここは一日2回のオニギリで、食料も乏しいと「つぶやいた」そうである。それをたまたま人気アイドルのAKB48のリーダーが見て、出演番組で紹介したところ、たちまちにして全国から多くの物資が寄せられたというのである。わが町を対称としたツイッターをみつけた。
http://negau.org/search/detail.php?x=0&i=0&z=24&page=0
(リンクがうまくいかないので、上記URLにてすみません)

私も「つぶやいて」みよう。
1.先日まで、役場前の広場に「日田天領水」というミネラルウォーターが大量に積まれていた。大分 県 日田市より、上記水を含む各種20トンの救援物資が届けられている。ありがたいことだ。
 http://www.city.hita.oita.jp/soumu/page_00308.html

2.原子力に100%の安全はあり得ない。絶対安全なら東京のど真ん中に建設してもよかったはずだ。 0.1%だったのか0.0001%だったのかの危険率が今回の結果なのだろう。

3.昭和25年頃、東北電力の発電量は百万kw程度だったことを回想していた。渇水だったりすると  時々停電もあった。現在では10倍以上にもなっている。一人当たりにすると1kwとなる。現代人 は贅沢に電気を使いすぎているのかもしれない。 
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by watari41 | 2011-03-28 20:17 | Comments(5)

生活必需品

 巨大地震・津波から10日余、死者・行方不明者は数万人の単位になろうとしているが、生き残った人たちは生存に必死である。何が必要なのか、聞いてまわると”ガソリン”という答えが圧倒的に多い。こんな半都会的田舎町でも車がないと生活が成り立たない。
 数日前に、我が家前の旧国道6号線に車の渋滞ができた。おそらくは千台以上も並んだのではなかろうか、2km先のシェルガソリンスタンドにローリー車が一台入荷したというのである。その情報が瞬く間に広がったのだ。目の前の運転者に聞いてみたら、午前2時から並んで2回目の給油に向かうところだという。一回当たり2千円分約13リットルを入れてもらえるそうだ。

 車が動けば、食料や水は何とかなるという考えである。あるところに移動すれば良いのである。山形までゆけば何でも手に入るだろう。車はもはや、生活必需品そのものなのである。
 海岸地帯から逃げ帰るのに津波と競争した車もいたようだ。外出していて、本人は助かったものの車が無くなって途方にくれている人もいる。

 体育館などへ避難した人たちの食事は、一日2回のおにぎりが主体だったが、自衛隊の給食班が活動するようになってからは格段に良くなったようだ。風呂も準備してくれる。生活とは何かをトコトン考え抜いているのだろう。ロジスティックという言葉が主に倉庫の用語として30年ほど前から一般の会社でも使われるようになったことを回想しているが、生活そのものを意味するのだろう。

 今次災害での死者は、物凄い数にのぼるが、火葬はもう限界で、土葬とすることが決定したようだ。彼岸の墓地に行ってみたら、千坪ほどの空き地に重機が集まっており、白線が引かれ穴掘りが始まっていた。仕事とはいえ、作業者もつらいであろう。
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by watari41 | 2011-03-20 16:32 | Comments(9)

生き残りました

 恐怖とか、死ぬなどという領域を超えて、天地がひっくりかえるかと思ったものでした。強烈な余震での地面の揺れは、なんとも不気味で地球最後の日を体感するような感じでした。我が家は津波からは少し離れてましたが、海岸地帯から逃げ延びた人たちが体育館にあふれ少ない水と食料に困窮しており、私も町内会への水対策です。落ち着いたら、また書き足します。

 津波は海岸より4kmほどのところで、小川を逆流して1mほど押し上げて、鯉を放出しておりました。50cmほどもある見事なコイが泥にまみれて路上に白目を開けて横たわってました。そこから先は今も立ち入り禁止です。

 自衛隊・警察をはじめ多くの救助チームが、わが町に来てくれました。中部地方の名前を多くみかけました。愛知県師団通信隊(正確な名前を失念いたしました)など。

 異常事態は脳をもおかしくしてしまうようです。16日現在も尚水道は停止したままで、我々は地下水をくみ上げて配給しております。あるとき、防災無線放送(巨大なスピーカーです)より、水道の試験送水を始めますという声を聞いたのです(幻の声だったのです)。いつまでも水がでないので、役場の係長にネジコンダところ、そんな状態ではないし、放送などするわけがないと言われたのです。私はその時に聞いたように、錯乱していたのでしょう。

 千年に一度の津波だったのかもしれません。869年、貞観年間のことですが、巨大津波の痕跡が地中に海岸の砂が堆積層として残っているのです。その研究が盛んになってきたのですが、まさか我々の世代がそれを再度体験するとは思ってもみなかったことです。

 今や現代社会の中枢にもなってしまった原子力発電所まで破壊しています。このあたりまでも放射能がくるかもしれません。今日の新聞は配達されませんでした。小雨でしたので、販売店は空からの汚染を心配したのだとか。かつての放射能雨を回想する出来事です。
 郵便もいつ配達が再開されるかわからないということです。
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by watari41 | 2011-03-15 15:12 | Comments(11)

粉になる

 ゴパンという家電が売れている。米を入れるとパンが出てくる。米が粉末にされ、同じ機械の中でパンが出来るという仕組みである。
 ご飯を食べていればそんな必要もないと思うのが我ら年配者の考えで、パンという形状を取らないと口に入らないというのだから仕方がない。農業関係者は米の需要拡大に期待している。

 米を「粉」にするという発想はなかったが、金属の粉末にはずいぶんとお世話になった。身近なものでは磁気テープや磁気カードである。鉄粉が薄く塗られていて情報を記録する。私の在職の頃がその最盛期だったのだろうと回想している。VTRも音楽テープも、そのうちに博物館でしか見られないものになるのだろう。

 考えてみれば、いろんなものが「粉」にされている。岩絵の具というものがある、特殊な岩石を粉末にして高級な絵の具にしている。高価なものらしい。

 粉末はそれ自体で使われることもあるが、製品の原料となっていることが多い。パンもそうである。私の扱った金属には、粉末をプレスして焼き固めるという製品も多かった。

 金属原料にもモリブデンなど粉末を固めた状態のものがあった。高い温度で溶けているニッケルなどの湯に少量を溶かしこんで特殊な金属ができあがる。前期の磁気テープなどに情報を書き込んだり、読み取ったりするのである。今やこの機能は「光」を媒体とするブルーレイとかそんなものに変りつつある。かつて時代の最先端を走っていたと思っていたオールドエンジニアは、昔を回想するのみである。
 今後も超微細な粉末が世界をひっくり返す技術になるのかもしれないと思ったりしている。
 人間も最後には、骨となるがこれまた砕かれて粉末となり、自然に帰されることを希望する人たちが増えているようだ。
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by watari41 | 2011-03-07 21:16 | Comments(10)

みちのくの鉄

 表題は本の題名である。「みちのくの鉄」の編者は田口勇さんなどの方々で、田口さんは新日鉄の研究所に勤務され、国立民族博物館教授に転出されたユニークな経歴をお持ちである。
 内容は江戸時代の仙台藩(現在の宮城県プラス岩手県南部)における「製鉄」の研究だが、一般の方々が読んでもわかるように記述されている。
 冒頭に仙台藩の地図が掲載されているが、各地におびただしい数の製鉄遺跡が存在していたことがわかる。それだけの原料が存在していたことになる。川が運んできた砂鉄である。
 わが町の南端にもその一つが存在する。「ハナレ森遺跡」と呼ばれている。先日そこを訪ねた。車は私のボローラと称する年代ものだ。
 a0021554_15374440.jpg標柱には、弥生時代の土器や1300年前の鉄宰が層状になって存在するとある。しかし丘の周囲を歩いたが何にもない。丁度農作業をしていた老人がいたので訪ねてみた。老人曰く、残念なことにここの土が良いということで、仙台空港の滑走路延長や周辺の埋め立て土砂として、大量に削り取られてしまったというのである。丘の頂上近辺は平らになり、そこには工場が建っている。そこに鉄宰があったというのである。
 さらに曰く、その原料は”製鉄所”のあった西側の阿武隈山中から掘り出していた。そこを鉄堀澤(カナホリサワ)と呼んでいたそうで、その成分が釜石のものと近いということで、戦時中にはそれを掘り出して釜石まで運ぶ計画があったそうだ。第二次大戦中の鉄鋼増産の秘話みたいなものなのだろう。しかし、当時のこととて最寄の常磐線までトロッコ線路を敷設する必要があり、結局は断念したそうである。老人は鉄堀澤まで行ってみるかというので、おおよその場所を教えてもらった。
 ボローラを駆って、林道を登ったらまだ雪が残っていた。そこをもろともせずに走ったのだが、ハンドルが利かなくなってしまった。しまったと思ったがもう遅い。ズルズルと滑り、側溝に後輪を落としてしまった。こうなるとどうにもならない。JAFのお世話になった。救難車が私のところ迄くるのに、きちんとチェーンを巻いているのだから何とも恥ずかしいことだ。お粗末の一席となってしまった。わが町の鉄鋼生産についてはまた別途稿を改めたい。
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by watari41 | 2011-03-01 15:46 | Comments(4)