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青根温泉

 蔵王山系の温泉の一つである。近くには遠刈田温泉や蛾々温泉などがある。何十年か前までは、米を持参しないと泊めてもらえないところもあった。かつてはそんな交通不便な山奥の温泉だった。
 青根温泉は昭和初期に古賀政男が逗留したことで知られている。国民栄誉賞もいただいている音楽家なので青根には大きな古賀政男公園もある。若い頃に失恋して死を決意して、この温泉にやってきたというのだから興味を持たずにはおられない。そのときに彼自身が作詞・作曲した、我々世代なら誰でも知っている「影を慕いて」という歌がある。名曲中の名曲だと思っている。死を決意した人でないと、こういう詩は出来ないであろう。一番のみを掲載する。

   まぼろしの
  影を慕いて 雨に日に
  月にやるせぬ 我が想い
  つつめば燃ゆる 胸の火に
  身は焦がれつつ しのび泣く

 この青根温泉に、先日行く機会があった。その旅館の一つに「とだ屋」さんというところがある。その若女将さんが、シニア健康体操の上級インストラクターなのである。我々ご一行様は、周辺を歩いた後でそのご指導を受けた。
 その女将は、容姿端麗、今流に表現すると「美しすぎる・・」ということになろう。ストレッチなどに一層身が入った。紅葉には少し早かったが、今日(10月30日)の新聞一面には、真っ盛りの蔵王中腹の紅葉が載っていた。

 かつて、この青根温泉には在職した会社の保養所があり、何度か行ったことがあった。今やわが町にも「鳥の海温泉」というのがある。掘ればどこでも温泉が湧き出る時代になった。

 日本列島は、マグマの上にある。先日、宮城県北部の間欠泉で知られる鬼首部温泉の地熱発電所で噴出事故があり一人が亡くなった。温泉は癒しやエコと共に、危険も抱えていることを改めて認識させられた。
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by watari41 | 2010-10-30 20:42 | Comments(6)

レアアース

 資源の無い国が、原料をストップされると、どうにもならなくなる。レアアースが脚光を浴びた。試みにと日本への輸出を停止した中国自身が最も驚いたであろう。そして事の重大さに気が付いたということではなかろうかと思っている。
 尖閣問題が一段落した後でも、輸出を渋っている。資源の枯渇を問題にし始めているが、彼ら自身が使おうとした時には、なくなっている可能性も考えられるからなのだろう。

 資源問題は、日本のアキレス腱である。太平洋戦争もこれが発端だった。武力を持っていたのが尚いけなかった。力で資源を確保しようとした。失敗の発端である。

 戦後は、備蓄で切り抜けようと、石油などは3ケ月分を保有する巨大なタンクが並び、私も在職の頃には、ニッケルやコバルトが入荷しないときの為にと、通産省が主導した国家備蓄があり、半年分ほどが、茨城県の倉庫に眠っているはずだ。しかし、それらが活用される事態には至っていない。

 個々の備蓄というのは、あまり用をなさないようだ。あらゆる資源を海外に頼っているのだから、自分の業界だけが使うものを備蓄したとてはじまらない。
 巨大なものでは鉄鉱石がある。これは備蓄など不可能である。常に海の自由、空の自由がないと日本の国は成立しない。レアアース騒動は、また備蓄の必要性が唱えられるかもしれないが、それだけでは解決しない、その他多くの原料があるのだ。

 レアアースと呼ばれるものには17種のものがあるそうだが、現職の頃にはこのうち半数程度のものに触れたことを回想している。イリジュウムとか思い出すが、一般にはほとんど名前を知られていない。しかし高度化した現代工業は、これらの物質で成立しているのである。
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by watari41 | 2010-10-26 15:55 | Comments(5)

熊の受難

 これまでに何頭が射殺されたのだろうか。そのまま埋められているようだ。何とももったいないことだと思っている。せめて薬効があるとされるキモだけでも取ってから、埋めたらどうだろうかなどと勝手なことを考えている。
 熊をさばける人がいないらしい。また動物愛護団体からの反発なども予想されるのだろう。熊を料理できるのは、マタギしかいないのであろう。
 人里で木に登った親子熊の姿が映っていた。何とも気の毒なことだ。夏の異常高温は、いろんなところに影響をおよぼしている。

 仙台在住の直木賞作家、熊谷達也さんには「邂逅の森」など「マタギ」シリーズの3部作がある。熊の生態もよく描かれている。熊と人間の物語である。本来は人間のいるところには近づかないはずだが、冬眠のための食料が山にないのでは如何ともしがたい。
 日本にも、熊の保護団体があって、異常なまでに保護しようという活動をしているが、これもまた考え物だと、後書きが何かで述べていた。自然に任せるしかないのであろう。

 先日(11月19日)、青根温泉に出かけてきた。温泉が目的ではなくノルディックウオーキング団体さまの一員である。温泉街から立派な舗装道路があり、蔵王山頂に抜けるエコーラインと合流するが、その途中までを歩いた。最初は気がつかなかったが、道路の両側には「アケビ」が鈴なりだった。熊はアケビを食べないのだろうかと思ったりしたものだ。

 縄文人もドングリや栗を主食としたらしいことが、青森の三内丸山遺跡からわかったということであるが、人間の方がより雑食性が強いようだ。

 熊には進化がなかったのだろうか。異常気象は熊のような大型哺乳類に、より厳しいように考えている。射殺頭数がこれ以上に増えないように願っている。
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by watari41 | 2010-10-22 21:21 | Comments(4)

銀杏の巨木

 万葉集には、銀杏に関する詩はないのだというから驚いた。銀杏が、わが国に到来してから千年ほどしかにならないのだという。そんなことが「本朝巨木伝」という本(牧野和春著)を眺めていたら書いてあった。
 それにしては各地に巨木が多い。神社・仏閣には、乳柱といわれる乳房のようなのもが出来た老木もある。銀杏は生長が早く、寿命も長いらしい。黄色に紅葉した美しさはたとえようもない。
 植物としても珍しいそうで、一科一属でイチョウ科のイチョウ属だという。

 わが町内会の氏神様境内にも大きな銀杏がある。樹勢を広げようとしているが周囲の住宅が邪魔をしている。しかし、なかなかご神木を伐採しようとする勇気もなかった。数十年も前になるが町内の名物オジサンが、クレーンを持ってきて、主枝を伐採した。そして、そこから「まな板」を作り、町内会百軒に配ったのである。天罰があるではなどと恐れたことを回想している。そのオジサンも天寿をまっとうした。

 わがお寺さんでも同様なことがあった。イチョウが大きくなりすぎて、墓地への落ち葉処理に困っていたのである。一枚ごとの葉はきれいなものだが、大量の落ち葉には困ってしまう。これも住職が決断して、根元から伐採してしまった。墓地が明るくなった。入念に念仏を唱えたのであろう。その後、お寺は隆昌を極めている。私が子供のころは百件の檀家だったが、最近は5百軒近くになっている。

 我々は、巨木・老木には畏怖の念を持ち、しめ縄をはって長寿を祝う。伐採時には神主を呼んできてお払いする。しかし単なる植物・材木であることにはかわりない。

 今年で1300年を迎える奈良の遷都祭り、当時はイチョウの木がなかったというのだから、考えてみると面白いことだ。自然も変わり行くのである。
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by watari41 | 2010-10-18 12:32 | Comments(6)

地底の生活

 今年最大の海外ニュースとなるでありましょうチリ鉱山の救出劇。テレビに釘付けになっていたが、彼らにとって最大の苦難は、地上から生存を確認してもらえるまでの17日間であったでしょう。
 
 生きて帰れるかどうもわからない状態でよくぞ頑張ったものだと思う。人間の生命力とはたいしたものだと感じた。
 不思議だったのは、あれだけの人数がいて、よくぞ酸素不足にならなかったものだと思っている。どこかに空気穴があるんでしょうか。落盤したとはいっても空気が抜ける道はあったのだろうか。あるいは土壁であれば、呼吸ができるのだろうか?。そんなことを解説した番組はまだ見ていない。素人には沈没した潜水艦と同じだと考えてしまうが、ちがったのであろうか。

 鉱山の体験は身近なところでは、宮城県北の閉山した鉱山である「細倉マインパーク」がある。千年の歴史があるそうだが、すっかり観光地となった。地中に鉱山事務所があったのには驚いた。

 小学生当時の昭和25年ころだが、叔父さんが日立市の銅鉱山に勤務していた。以前には公務員をしていたが、一家を養ってはいけないということで、転職したのである。危険なところだということもあったのだろうが、給料は当時から高かった。叔母さんから母が聞いたところではボーナスが40万円だと言われてたまげていた。当時はこの辺りで家が一軒建てられる金額だ。常磐線の一本道だったので、何度か遊びに行ったことを回想している。

 チリの人々は陽気である。さすが南米の国家だと思いながら救出劇を眺めていた。個人的には愛人問題などいろんな事情を抱えている人が多いようだ。
 20年ほど前になろうか、アニータさんという女性チリ人がいて、青森県の人が公社のお金を何十億円も貢いで大問題になったこともある。
 
 チリはワインも有名だ。巨大地震と津波がやってくるところでもあるが、一般の暮らしぶりはどうなのっだろうか。今回の事故をキッカケにそんなところも見せてもらいたいものだ。

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by watari41 | 2010-10-15 11:54 | Comments(4)

2人のノーベル化学賞

 鈴木さんと根岸さんは30年も前の発明で受賞した。長生きをされていて良かったと思う。ノーベル賞まではお二人のことを知っている日本人は99%いなかったのではなからろうか。賞をいただいて、はじめて現代に生かされている液晶とか、いろんなものを知ることができた。

 化学とは、うまい名前だと思っている。まさにいろんなものに「化ける」からである。私をはじめ多くの人達は、この化学を苦手としていたのではなかろうか。亀の甲羅のような記号は、何ともわからなかった。化学実験は面白かったが、その理屈は頭に入りづらかったことを回想している。

 亀の甲羅同士を結びつける仲人さんというか、化学の世界では「触媒」というそうだが、それをパラジウムという金属で実現させたらしい。人間の世界でも同様だが、好きな同士、あるいは不安定な同士だと簡単に結びつくが、独立心の旺盛なものもいて、これらを結ぶのは容易でない。工業の世界では「炭素」がそうであったのだという。

 私も金属を扱っていた端くれにいたので、パラジウムそのものは知っていた。水素ガスを発生させていたので、その不純物を取り除くのにパラジウム薄膜を使っていた。宮城沖地震がキッカケだったろうか、水素の自家発生を止めて、精製されたガスを購入するようにしたのであった。

 化学が凄いと思ったのは、プラスッチクなどに代表される高分子材料である。夢の材料が次々と出てきて、巨大な産業になっていることである。

 受賞された北海道の鈴木さんは早くに父親を亡くされそのご苦労は並みのものではなかったらしい。奥さんの第一印象は何て細い男性なんだろうと思ったらしいが、食べるものも食べずにがんばったんだろうと思う。

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by watari41 | 2010-10-11 17:01 | Comments(7)

消したい記憶

 人は認知症にならぬよう願望し、いろんな努力をする。簡単な足し算や音読が良いと言われればそれを行う。
 しかし、忘れたい、消したい記憶もある。すべての記憶がなくなり自分が誰であるかもわからなくなったとき、もう人間ではないのかもしれない。それでも生き続けるのが現代である。
 認知症はは病気であり、その原因と対策もやがては明らかとなるであろう。記憶はできるだけ保ちたい一方で、人間の本性は忘却にあるのかもしれないと思うことがある。

 三島由紀夫の代表作「豊饒の海」(全4巻)を読んだことを思い出した。これは人間にとって記憶喪失とは如何なることかをテーマにしたのではなかろうかと、最後の部分を読み終えた時に感じたことを回想している。
 作者は転生をモチーフとした。明治時代の華族の恋愛物語が第一巻の「春の雪」である。主人公の男子は相手の女子を想いながらもわざと無視し、女子はやむなく皇族と結婚するが、男子は想いを捨てきれず関係を迫り妊娠させてしまう。中絶後に女子は門跡尼寺に出家する。男子はその後20歳にして亡くなってしまう。
 男子の友人が以後の2,3,4巻にも登場し、男子の生まれ変わりではないかと思われる少年と遭遇するが、いずれも20歳を前にして亡くなってしまう。80歳となった友人は、最後に門跡尼寺を訪ねる。邂逅を期待したが、貴方はどなたでしたかと言われ、全ての話しに「何のことでっしゃろ」と訊ねられて終わる。友人が60年間にみた少年達と自分の人生は何だったのだろうと欄外に問いかけているようだ。尼にとっては消したい記憶そのものであったのだろう。
 
 40年も昔に読んだことであるが、三島はこの最後を書き終えると、翌日自衛隊に乱入し割腹した。昭和45年のことだった。この自殺は文学的帰結なのか、右翼としての慷慨なのか今も謎とされている。

 明治維新の立役者である岩倉具視の暗躍はよく知られている。自分は墓場まで持っていかねばならぬ記憶が沢山あると言っていたそうだ。
 誰にでも、話すことのできぬ、消したい記憶のひとつやふたつはあるだろう。認知症を喜ぶべき人も多いのかも知れないと思ったりしている。

 
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by watari41 | 2010-10-07 17:08 | Comments(2)

飲み屋さん

 在職のころ、遅い列車で帰ると、一杯をひっかけた近隣の男が乗っているのだった。ほぼ毎日飲んでいた。その男が退職してから、週に一度決まって夕方に仙台へでかけるのである。その飲み屋に顔を出すためだそうだ。何とも律儀なことである。そんな人は日本全国には結構多いことであろう。

 飲み屋で成功するオバサンというのは苦労人が多い。何とはなしに相手の心情を読み取れるようだ。飲み屋に行く人たちには何らか不満のある場合が多い。その男は業務への不満だったのかもしれない。銀行員だった。オバサンと心の通じるものがあったのだろう。

 私の小・中学校の同級生200人のうちで、飲み屋を開業したのが4人いた。女3人と男1人である。仙台で2人、横浜そして小田急の南林間にもいた。もちろん私は、在職中にすべてを回った。水商売というのは、はたで見ているほど楽なものではない。
 あまり美人すぎてもだめなのだ。相手を適度にオチャラカスというのだろうか。お客もそれをわかっていて楽しんでいる。

 飲むほどに酔うほどに我々は本音が出てくる。次の日には、何をしゃべったのか忘れていることもあるのだ。心の奥底まで見られてしまっているのだろう。相手は商売だ。何度でも来てほしい。スーさん近頃どうしたのとなる。ホドホドにいい気分にさせられる。また来ようとなってしまうのだから弱いものだ。酒に飲まれるなとはいうものの、すっかり呑まれてしまっている。

 飲み屋の同級生4人も、既に2人が亡くなった。心労の多い商売でもあるのだろう。10月下旬には全国に案内した同級会がある、何人が元気な顔を見せるのだろうか。

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by watari41 | 2010-10-03 21:10 | Comments(4)