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近くて遠いは・・

 日中関係が再びおかしな雲ゆきになってきている。
近くて遠い関係とか、政経分離とか、いろんなことが言われてきた。今回の尖閣諸島の漁船衝突問題では、右向きの人からの発言が特に目立つ。
 領土問題は厄介である。古今の戦争は多くが領土問題に発している。

 古くは、天下に有名な伊達騒動も領内の支藩同士の領土問題が発端であった。藩主が幼く毅然とした対応ができなかったことが原因で、62万石が消える寸前までいった。余談になった。

 今回は中国が強硬な態度に出て、日本が譲歩する形になった。しかし決着がついたわけではない。切り札をたくさん持ってますよという一端を見せつけられた。稀土類金属の輸出に関する乙仲業務(事務手続き)を停止した。現職時代にその厄介さをかいま見たことを回想している。
 現代日本は、食糧や石油だけではなくて、ウイークポイントが沢山ある。外国と事を構えるような立場にはない。何事も平和的に解決するしかなくなっている。こんな基盤を理解する必要があるだろう。その上で発言してほしいものだ。
 だからと言って一方的に従属関係になる必要もない。それが外交というものであろう。

 戦前の日本もそうであったが、軍部が強くなると政治や外交が機能しなくなる。現在の中国もそんなことになりつつあるのではなかろうか。加えて権力闘争が激しいのだろう。

 日本は如何に対処すべきかということになる。国際社会に日本の立場を強くアピールすべきであろう。外に発信する力が弱いと言われる。中国は不当な権利を要求しているように思われる。社会・政治構造の全く異なる国との交渉は難しい。戦前の日本もそう思われていたのであろう。中国の研究がより一層必要なのだろうと思う。

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by watari41 | 2010-09-27 21:00 | Comments(5)

謎の物質

 NHKで二度の放送があった。科学番組とクローズアップ現代である。宇宙の80%を占める物質がまだわからないというのだ。そんな馬鹿なことがと思ったのだが、まだまだ解明されていないことが多いようだ。
 物理の世界は最初に理論ができて、こういう物があるはずだという理屈ができて、その現物が後で発見されるという過程をたどる。湯川博士の中間子もそんなことだった。

 宇宙の大部分を占める謎の物質とは素粒子なのだという。平均的には1ℓに1個が存在する程度らしい。地球上では問題ともならない数字であるが、広大な真空空間と思われていた宇宙にそれらがあるとしたら、その総量は莫大なものとなるのだろう。
 謎の物質は80年ほど前に予測されていて、現代数学が高度な算式を使って、より具体的な姿を、みせていた。世界の研究期間は、その現物を捉えようとかなり前から動いている。

 日本での観測は10月1日から始まるそうだ。それがテレビで紹介された理由でもあるようだ。日本の装置は精巧なもので、稼動と同時に歴史的発見があるのではないかと期待されている。

 No2、では駄目なのですかという大臣の発言がすっかり注目を浴びてしまった。そういう発想もあるのかと、驚いてしまったが科学の世界にはありえない。No2商法というのは、実業界にはありえるかもしれない。巨大家電メーカーが常にそんなことを言われ続けたことを回想している。

 かのアインシュタインが、その謎の物質を無視したことは、生涯最大の失敗であったと嘆いていたそうだ。
 謎の物質は、暗黒物質と呼ばれているが、その中味がはっきりすると、宇宙の終末が見えてくるのだというから面白い。我々の実生活には何ら関係のないことながら、日本の観測装置の稼動をワクワクして見守っているのである。

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by watari41 | 2010-09-23 16:28 | Comments(6)

東北大総長騒動

 全国版のニュースではないのかもしれない。
 東北大総長が論文捏造で訴えられているのだ。総長になった時からだからもう何年にもなる。今度はそれが裁判沙汰になったのである。訴えている相手は、かつては同僚だったのであろう複数の教授なのである。何とも奇妙な”事件”なのだ。
 総長は「金属ガラス」の世界的権威者である。簡単に言うと結晶構造を持たない金属のことだ。その論文の一つに捏造の疑いをかけられたのである。
 学内調査委員会なども設けたが白となった。総長は名誉毀損で一千万円の賠償を請求した。これに対して訴えた教授側もまた同じく名誉毀損で賠償を請求した。ドロ試合と化している。双方ともに引くに引けなくなってしまっている。 

 教授側はこんなことになろうとは思ってもみなかったと言っている。早々に総長に謝罪の一本をとり切り上げたかったようだ。
 そもそもの発端は学歴に対する「ヤッカミ・ソネミ」の類であると思っている。総長は「姫路大学」の出身なのである。東北大では従来、総長選出は選挙を行っていたが、これだと人数の多い医学部系が有利となるので、選考委員会を設けて決めることになったのだ。過去の実績と現在の名声などからみて、妥当な総長だと判断したのである。

 話は異なるが、同様なことは、私の中学同級生にもあった。彼はどうみても3流としかいえない大学に進んだ。就職したのは小学校の教員だった。この業界という表現もおかしいが、これまた先生方の暗闘の激しいところだと思っている。彼は苦労するだろうと思っていたが、意外に早く校長になったのである。県の教育界でも有名な話になったようだ。退職してから、かれが校長をしていた学校に用事があった。校長室には彼の写真も飾ってあった。私は、この男と同級生なんですと言ったところ、現職校長はあなたもA大学だったんですかというので驚いてしまったことを回想している。
 彼は大器晩成のタイプだったのだろう。東北大総長もそんなタイプのようだ。どなたかが中に入って丸くおさめることができないものだろうかと、地方ニュースで報ぜられる度に思っている。

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by watari41 | 2010-09-19 11:10 | Comments(3)

選挙終わる

 一国の首相を選ぶ選挙なのに、ほんどの国民は傍観者でしかない。サポーターと呼ばれる方々は圧倒的に菅さんを支持し、上に行くほど差が縮まり、国会議員では互角となる。

 一票の格差がどうのこうのという最高裁判所までゆく選挙制度の適用もなく、いわば内輪の争いでしかない。投票のポイント制などもおかしなものであったと思う。
 しかし最高権力者が決定した。自民党の時代と何が変わったのだろうかと思う。円高は益々進んでいく。菅さんは財務大臣の時に95円が望ましいと発言してヒンシュクを買った。経済のことがよくわかっていないと解釈された。円高の対策に法人税率を引き下げようとしているが、何か間違っているのではなかろうか。

 選挙制度が適用されないものは世の中に沢山ある。都市ではなじみが薄いが農業委員などもそうである。かつてはその選挙ポスターが街に貼られていたことを回想する。今やその候補者を定員まで満たすのに苦労している。当時は飲みや食えで、大変なことだったが、選挙制度がないのだから、何をしても違反などということはなかった。

 今や、マスメディアが風を起こし、予測値とほとんどちがわない選挙結果をもたらすと言われる。選挙は非常にクリーンになったと思う。しかし、それで国が良くなるとか地方が良くなることとはまた別次元の話である。

 菅さんは、よく市民という言葉を使ったが、日本ではあまりピンときていなかった。我々には納税者と言う表現の方がピッタリくるように感じている。いわば義務を果たしている人である。その義務を5%から10%に上げようとして参議院選挙を敗退した。

 我々は首相が変わるたびに期待感を持つ。何度期待を裏切られたことだろうかと思う。そのたびに「失われた年数」というのが増えてゆく。内輪もめの選挙はこのあたりで止めてほしいものだ。


 
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by watari41 | 2010-09-15 14:43 | Comments(4)

週刊誌の見出し

 新聞で熱心に読んでいるものの一つに「週刊誌の見出し」広告がある。
地元紙はやや字が細かいので、読むのに苦労するが、実に面白い。世相の表裏が分かる。
 かと言って、週刊誌を買って読むと見出し以上の内容はなく、ガックリしてしまうのだ。見出しに全精魂をつぎ込んでいるのだろう。
 一般紙が書けないような裏話を、新聞が堂々と広告として載せているのだから、これまた面白いことである。中には憶測だけの記事もあって訴えられたりするが、琴三喜の一億円恐喝事件などは、その記事がきっかけで、大相撲は大改革を迫られることにもなっている。

 週刊誌のようなものを何ジャーナリズムと呼ぶのだろうか。世の中に必要なものなのだろうと思う。東京赴任時代には、朝の満員電車でその車内吊り下げ広告を眺めていたことを回想している。
 
 我が町の駅に、自転車でスポーツ新聞を買いにくる同世代の男達がいる。楽天が勝ち、ベガルタも勝って高校野球の育英が勝ったときにはすごかった。見出しは躍るである。

 テレビでみて、一般新聞紙を読んで物足りず、スポーツ誌の見出しと内容で満足するという方々も結構多いのだ。ファンは欲張りなのだ。

 週刊誌見出しにも、そんな作用がありそうだ。一般紙の内容だけではどうも物足りない。世の中こんなものだけではないだろうという感覚があって、それを満たしてくれるのだ。裏側を覗きたいというのもこれまた人間の本能なのだろうが、正常な感覚で覗いているうちは問題が無いのだろうと思っている。

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by watari41 | 2010-09-10 11:06 | Comments(6)

ミイラと白骨

 近代国家で、個人の生死がはっきりしない人数は日本が例外的に多いのだそうだ。これからもミイラや白骨が続々と出てきそうだ。

 やや古い本で恐縮だが「レーニンをミイラにした男」という、2000年初版の本がある。この遺体の顔は、今や世界中の多くの人々が知っている。これがどうように作られたのか。ソ連の権力機構とどんな係わりがあったのかという内容なのである。
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 著者は、イリヤ・ズバルスキーという1909年生まれの方で、実際に遺体を取り扱ったのは、その父親の生化学者である。著者もその道に進み、その後遺体の保存に尽力することになる。

 近代民主主義の国では、こんな遺体保存などという馬鹿馬鹿しいことは行わないが、専制国家では必要としたようだ。毛沢東、金日成などの遺体保存もこの著者らのチームが行ったということだ。

 1917年レーニンの主導によってロシアで社会主義革命が起こった。だがその体制がまだ整わない24年にレーニンは死去してしまう。慌てたスターリンなどの首脳部は、その権威を保つために、レーニンを生けるが如く保存する計画を立てた。最初は冷凍すればよいと思ったらしい。極寒のシベリアでマイナス30℃にさらしたが徐々に朽ちてきたということだ。
 著者の父親は細胞学を専門としており、化学処理するしかないと、遺体を預かり、開発した特殊な液体で血液を代替し、全身を液に漬け、朽ちた顔に足の皮膚を移植するなどの工夫があったそうだ。

 百年近く経過した今も、生けるが如く存在している。しかしと著者はいう、再革命も起きた現在この遺体はどんな意味を持つのだろうかと問いかける。早く埋葬してやるべきだと訴えている。

 現代日本にも早く埋葬すべき遺体と共に暮す肉親が多いのだろう。遺体の年金が当てにされている。それがないと餓える人もいるのだろう。何とも悲しい経済大国なのだ。

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by watari41 | 2010-09-04 21:00 | Comments(4)