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ある牛飼いの人

 近隣に馬喰(バクロウ)さんがいた。昭和40年頃から農作業に馬は必要がなくなった。馬から「牛」屋さんに転向したのである。私より10歳上だった。父親の商売を手伝いながら後年は自分の業とした。現代の馬喰は、子牛を市場から買ってきては近郷の農家に売りつけて肥育させ、大きくなったところで再び買取り、市場で売るのである。

 子牛を買うのにも目利きが必要だ。将来の有望な子牛でないと、売りつけた先の農家の信頼を失ってしまう。いくら食べても太らない牛も中にはいるのである。彼自身も牛小屋を持っていた。
 市場であまりに低価格の時には、自分自身で落札して、しばらく飼ってから再び市場に持ち込むのだ。また、肥育途中の牛を現金が必要なばかりに売ってしまう農家もいるので、それを育て上げることもある。
 宮城県もけっこう畜産が盛んである。子牛の生産が年間2万頭、肥育農家6千戸、育てている牛が3万頭と言われている。今も馬喰を生業とする方々も多い。我が町にも10人ほどいるだろうか。かつては駅前に畜産市場もあった。50年も前のことになるが。

 上記の馬喰さんは、残念なことに昨年亡くなった。大酒を飲み、ホルモンをたくさん食べていた。屠殺場からバケツで内臓を貰ってきて、井戸端でよく洗っていたものだ。私もよくご相伴にあずかったものだ。彼はあまりにも食べ過ぎた。脂肪過多だったのだろう。10年ほど前に心臓を患った。手術すると心臓に1cmほどの脂が覆い動きを妨げていたとか。脂を除く大手術をやったのだった。

 彼は無類の牛や馬好きで良否を見る目があった。競馬などでこの馬は、良い馬だと言うとたいがいは勝っている。ドングリだなというと混戦レースになるのだ。しかし彼は賭け事を一切やらなかった。

 特別な子牛を育てたことがあった。見事に生育し品評会で金賞をもらったことがあった。その大きな写真を座敷に掲げてある。2010年の宮崎県の口蹄疫大騒動、彼が生きていたらどんな話をしただろうかと思っている。10万頭もの牛が埋められる。ニュースにはならない陰の話がたくさんあるにちがいない。

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by watari41 | 2010-05-28 14:57 | Comments(6)

島流し

 その昔、遠島(島流し)という刑罰があった。終身刑みたいなものだ。有名な方々が思い浮かぶ。佐渡島への順徳天皇(鎌倉幕府への反乱)、隠岐島への後醍醐天皇(室町幕府への反乱)、フランスではコルシカ島へのナポレオン、・・・きりがなくなる。
 島で後世に子孫を残した方々もいる。代表的な人は豊臣時代の5大老の一人である宇喜多秀家だ。関が原の戦いで負けた西軍についたので、領地は没収そして本人は八丈島に流された。
 その奥方は加賀藩の姫なので実家に戻された。半年に一度の船便で米が送られ手紙の交換があったのだという。
 しかし秀家はまだ若かった。現地人女性なので側室とは言わないだろうが、一緒に暮らす島の女ができて、子供ができた。それから何代かが過ぎて260年後に明治維新を迎えるのである。時の明治政府は、秀家の子孫に赦免状を与えたというのだから面白い。恐らくは征夷大将軍たる徳川家康が朝廷の勅のもとに宇喜多秀家を処罰したので、明治政府が赦免するということになったのだろう。

 仙台藩にも遠島という刑罰が存在したようだ。その島は、牡鹿半島の先端近くにある田代島と網地島なのだという。
 我が亘理の支配者は仙台領内の南端に要害を構えていた伊達氏一族で24000石を領しこの地域を治めていたので、当然ながら
町内に獄舎もあった。
 罪によっては遠島になる人もいたのだろう。そんな罪人は、前記の島に送られたのだが、区分があったのである。それは知能犯と凶悪犯区分なのだという、どちらの島がどちらだたかは忘れてしまったが、これまた面白いことをしたものだ。仙台藩、すなわち宮城県と岩手県南部の人達の罪を犯した人が集まった。
 現在は老人の多い過疎地なのであるが、かつて子供の学力テストがあった時には、明らかに両島間に差異があり、知能犯の島は県内でもトップクラスだったとか。これは先日の我が町郷土史研究会での古老の話である。真偽のほどはわからない。
  検索したらアマゾンに本がありました「仙台藩流刑史」1980年刊行、在庫はなしとありました

 
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by watari41 | 2010-05-21 12:05 | Comments(10)

形状記憶合金

 30年ほど前になるだろうか、米国帰りの東北大の先生から珍しいものをお見せいたしましょうとの電話があった。早速出かけてみると、直径3mmほどの線材が糸ハンダみたいに柔かくてグニャグニャと曲がる金属だった。ハンダはくすんだ色だが、それは明るい色をしていた。
  何ですか?と改めて尋ねた。先生はコップにお湯を汲んできた。その中に折れ曲がった金属線材を入れたところ、瞬間的にピンと真っ直ぐに伸びて硬くなったので驚いた。
 この金属は、元の形状を室温以上で記憶している「形状記憶合金」なのだという。後に一世を風靡することになるというのはややオーバーな表現かもしれないが、「形状記憶」という言葉は大いに流行した。私はこの金属を日本で最初に見た民間人の一人になるのだろう。

 先生は、この材料の特許が間もなく終了するのです、現在の米国での用途は限られたものだけだと言うのだ。それは航空機の燃料配管接合時の継ぎ手なんです。と語る。銅のパイプ同士をつき合わせて、液体が漏れないようにする継ぎ手である。その合金で作った継ぎ手をマイナス200℃もの液体窒素で保管しておき、使用する時に取り出して接続すると、それはもう完璧な継ぎ手になるのだという。日本では他に何か使い道があるのではなかろうかというのである。

 早速に、線材を半分ほどと、文献をいただいてきた。この材料はニッケルとチタンを原子比率でほぼ50:50にした合金である。非常に加工の難しい金属なのである。

 紆余曲折があったが、この材料は携帯電話のアンテナに使われた。旧いタイプの携帯を持っている方は、細いアンテナが付いていて、弾力性のある金属がそれである。最新型の携帯は、アンテナが本体に印刷されているのだから、もうこの分野での出番はなくなるはずだ。
 もう一つは、医療用でカテーテルのガイドワイヤーである。0.5mmほどの線材だ。強くてしなやかなのが特長である。思い出に残る材料の一つで、またひとつ懐かしい回想に浸った。 

 

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by watari41 | 2010-05-17 11:04 | Comments(6)

古人の墓

 話題があてどもなく変わっていく。素人ブロガーの典型みたいなものだろう。
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 我が町の道路のことだ。駅から真っ直ぐに、国道6号線まで約1kmの道路工事が途中まで進んでいた。ところが思わぬ障害にぶち当たった。横穴古墳群である。奈良時代以前の6~7世紀頃のものだろう。当時この辺りは、既に大和政権に組み込まれていた。横穴に鄭重に葬られていたのは、郡長クラスの有力者だったのだろう。当時は石城国(イワシロのクニ)曰理郡と呼ばれ、日本の最北端に近かった思われる。それより以北は蝦夷の世界である。

 この横穴古墳群は、ある程度予測されていた。写真の右手、地理上では北側に、いくつかの古墳群があり、その延長線上にあるもので、誰も不思議には思わなかった。従来から姿を現していた横穴古墳は、我々の格好の遊び場だった。戦時中は防空壕となり、戦後は乞食の住処となった。その後昭和40年頃に発掘調査が行われ、現在は住宅団地となっている。
 そんな古墳群が南北数百メートルに渡って続いており、合計21基の墓があるとのこと。ところで、当時の一般住民はどんな葬られ方かというと、ムシロに包まれて、河川敷などに埋められたというのだ。

 面白いことに、墓にも流行があって、その時代区分が明確になるとのことである。自分の敷地内に穴を掘って埋めていた時代もあったのだ。

 墓として、今や最も興味を持たれているのが「卑弥呼の墓」である。奈良の箸墓古墳が最有力視されているが、陵墓に指定されているのでいまのところ発掘することはかなわないそうだ。先日、纏向遺跡で卑弥呼の宮殿らしきものが発掘されたが、これも日本書記によれば、後代の天皇で纏向を宮廷として建設した方がいるようで何ともわからないらしい。
 古代史というのは、身近にもあり、また国家的・世界的規模でも新しい事実が出てくるので興味深々なのである。

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by watari41 | 2010-05-13 11:53 | Comments(6)

日本人は12才?

 終戦後に、占領軍司令官だったマッカーサーは、日本人を12才だと言って物議をかもした。別の意味でそんな表現をしたらしいのだが、日本人はその字句をまともに捉えて、大いなる自虐思考に陥ってしまったという話を回想している。

 今回の沖縄基地問題を巡る鳩山首相の言動を見ていると、その12才説を思い出してしまう。「学べば学ぶほどに・・・いろいろと理解できてくる」。これはまさに小学校6年生くらいの生徒がいうことなのだろうと思う。過日、招待を受けて地元の小学校卒業式に出席してきたが、彼らにはまだ無限の可能性があると言う祝辞をもらっていた。そこで停滞してしまうということはあり得ないはずだ。

 しかし、鳩山さんは一国を代表する総理大臣である。政治的才能は12才で止まってしまったのだろうか。ただ、選挙で選んだのは我々国民なのである。

 国民のレベル以上の政治家は輩出しないと言われるが、そういうことになってしまうのだろうか。我々が政治的訓練を受けるのは極めて少ない。新聞・テレビなどしかないのが現状である。その論調や番組の取り上げ方に大いに左右されて投票行動を起こすことが多い。

 日本人が政治的に幼稚だとか稚拙であるというのは、今に始まったことではないようだ。幕末あたりに、もうそんな傾向が見える。坂本龍馬に人気があるのは、見事なまでに政治的な動きをしたからだ。
 大政奉還などを平和理に進め、さらに龍馬の八策なるものが実現すると、薩長は強大化した軍事力を使う間がなく、日本の体制が変わってしまうことになる。西郷隆盛らは立場がなくなる。ということで、龍馬を暗殺したと言う説まである。西郷さんは腹の据わった人かもしれないが、政治的には稚拙だったようだ。最後は軍事力で自滅する。大久保利通との大きな違いだ。

 太平洋戦争を起した人達も結局は、西郷さんを南州として尊敬するそんな人達だったのだろう。マッカーサーが指示したのであろう戦力を保持しないは、日本人が政治的に成熟するまで危険なことだという考えだったと思っている。戦後65年過ぎたが、鳩山さんに代表される如く、我々はまだ未成熟なのだ。

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by watari41 | 2010-05-09 10:12 | Comments(7)

スポーツビジネス

 サッカーの「市場規模」は30兆円に達するそうだ。それだけで巨大な産業である。スポーツビジネスは、野球・バスケット・・と合計すると大変な金額に達するだろう。その頂点に立つのは「オリンピック」だ。五輪をビジネス化したのは、アメリカのユベロスさんであり、前のオリンピック会長であるサマランチさんだった。

 「W杯に群がる男たち」という本を読んだ。著者は田崎健太、新潮文庫、H22年2月発行。サッカーに賭ける男達の情熱が見事に書かれている。それがW杯の大成功を収める原動力となり、益々隆盛を極めていく。時にサッカーは、法律をも越える存在になることがあるそうだ。欧州、そして南米でのフーリガンなど我々日本人には想像を絶する、一般人のサッカーへの思い入れがある。

 1984年のロサンゼルスオリンピックで辣腕を振るったのが組織委員長だったユベロスさんであり、その大会から商業化の方向に大きく舵をきることとなった。大会の公式スポンサーの話が有名だ。写真のコダック社はこれまでどおりの指名を受けるものと考えていたようだ。しかしユベロスさんは、従来の10倍の値段を吹っかけたそうだ。当然ながらコダック社は断った。そんな折に目をつけたのが、日本のフジフィルムだった。高くはあるがチャンスだろうということで、スポンサーの権利を買ったそうだ。全ての権利価格が一桁上がったという話だ。オリンピックは400億円の剰余金を出し、ユベロスさんは惜しげもなく、それを青少年スポーツ振興のためにと寄付したそうだ。いかにもアメリカらしい話だと思う。

 中国も今や、政治的思想は別として、ビジネスの国家になった。社会主義市場経済国家というのは、相矛盾するものだとばかり思っていたが、うまいことやっている。人間は欲深いのだ。おまけに中国もバブルみたいな感じになってきている。しかし社会主義なので土地私有ができないはずなので、どんな経済破綻をきたすのだろうかと興味を持っている。万博も終了すれば何らかの不況におそわれることだろう。
 かつては、卓球を政治的に利用したことがあったが、ビジネスの国となった今、どんなスポーツが中国に向いているのか模索しているものと思う。
 仙台は3つのプロスポーツを持っているので改めて贅沢なものだと思っている。

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by watari41 | 2010-05-05 12:01 | Comments(6)