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時間の蓄積

 かつての農村には、過去からの時間の蓄積があった。先祖が開墾した田・畑、滋味豊かになった土地など、それらを感じながら、それぞれの時代人が生産にいそしみ、また未来への遺産を残した。
 しかし、近代都市は時間を蓄積されるものから、過去へ過ぎ去るものへと変えてしまった。絶えず古いものを捨てて、新しいものを求め続ける。都市時間が現代を支配した結果、農村も荒廃した。人々は時間が蓄積されないことに虚しさを感じはじめている。(上記文は、内村節さんという方が書いた農業新聞2010年元旦版の抜粋である。)共感するところ大である。

 個人の時間蓄積は確かにあるのかもしれない。しかし社会への貢献となると、その時代にはあったのかもしれないが、もはや博物館に入っているのは良い方で、ほとんどのものは、新しいものへと切り替えられ、過去に存在したものは跡形も無く消えている。昔の民具保存館などもあるが、それらを実際に手にした我々は懐かしさにかられるが、初めて見る子供は何らの興味も示さない。

 我々の世代が自分史を書きたがるのは、そのような背景があるからなのだろう。この拙文である回想も似たようなものだ。足跡をとどめたいというよりも、もう一度自分自身を振り返ってみたいというようなことなのだろうか。

 近代化は一見して、人間の生活を大幅に向上させたかに見えた。しかし今や職を失い、住も無くなり、路頭に迷い、施しを受けなくてはならない人々が近代都市に何万人と出現した。片方では、それら食えなくなった人々を放りだした巨大企業には何兆円もの蓄積ができている。単年度が赤字であることに騒いでいるに過ぎない。企業は政府がセーフティネットを張るべきだと言っているが、これまた無責任のそしりを免れない。

 宮城県はまた膨大な先行投資をして、自動車企業を誘致して、雇用と税の確保を狙っているが、需要を握る市場はどうなるのだろうかと思う。

 上記文の作者は、時間が蓄積される生き方がもつ楽しさと、価値ある生き方とはなんであろうかを追求しようと締めくくっているが、現実との乖離は極めて大きい新年を迎えるのである。

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by watari41 | 2009-12-31 13:23 | Comments(3)

天地人

 今年の流行語にはならなかったが「義」という文字が大河ドラマを駆け巡った。上杉謙信に発して景勝・直江兼続と受け継がれた。日本人の我々はこの文字に一種の憧れを持っている。鼠小僧という義賊をも作りあげた。

 「義」の反対語は「利」である。義は善、利は悪のようなイメージを抱きやすいが、必ずしもそうではない。資本主義に利は必要であり、その蓄積の「富」は、産業革命を生んで人類に限りない利便を与えた。しかし不健全なる「利」の追求は、ろくなことにならないことは現代社会で多くのことを学んでいる。

 「義」も時にはおかしなことになってしまうことがある。数年前、いや現在も横行しているようだが、偽りのブランドというのが存在する。牛肉の冷凍品を預かっていた倉庫会社が、大手メーカーの雪印が頻繁に輸入肉を国産品とラベル変更しているのをみて、「正義」を発揮してこれを訴えた。しかし、これがとんでもないことになってしまった。食品会社が潰れたのはまだしも、当の倉庫会社の客先がすべて逃げ出したのだ。自分達も不正行為をやらざるを得ない時に、あの倉庫ではまずいということからである。ついに冷凍倉庫会社の人達は路頭に迷った。そんなドキュメンタリー番組を見たことがあった。

 我々も自慢ではないが、在職中、あるいは個人的にいくつもの不正行為を意識的に或いはやむを得ず行っている。自分自身で見て見ぬふりをしていることにしている。そうしないと生きていけない場合だってあるのだ。しかし心の中では自責の念にさいなまれている。大多数の日本人はそんなことなのだろうと思っている。キリスト教の人達は懺悔する機会があるからいくらかはよいのだろうかと思ったりしている。

 「義」を貫き通すことなどはできそうもない。しょせん我々は義と利の間で生きているのであろう。まさに天と地の間に人間がいるのだ。

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by watari41 | 2009-12-26 20:15 | Comments(5)

ベガルタ奮闘

 J2に優勝し、来年のJ1昇格を決めた後に天皇杯ではベスト4に勝ち残っている。仙台人、ひいては我々宮城県人は、何年もサッカーには歯がゆい思いをしてきている。

 J1には、面白いことに我が町出身の2人の方が関係している。アルビレックスの監督である。現役だ。もう一人はフロンターレの社長なのだ。もう辞めていると思うが、勤務した会社の関係だったのだろうと思う。2人共に小・中学生の頃は、ここの校庭でボールを蹴ったのであろう。我が町の少年サッカー団は強かった。全国大会にも出たことがある。その基は昭和40年頃にサッカー界で有名だった、岡野俊一郎さんが当町を訪れて指導したことがきっかけだったようだ。

 私自身は、ご承知の如く鈍いので全く門外漢なのであるが、進んでいくところが、意外にもサッカーと関係があるのである。高校はこれまた強い名門チームだった。応援に行ったことがあるが、実によくパスが通っていた。公立高校なのでサッカーのうまい選手ばかりが集まるのではない。指導者が良かったのだろう。何度も全国大会に出場した。
その伝統は現在に続いている。今年も県大会で決勝まで進出したが東北高校にわずかに及ばなかった。
 
 我々の時代には体育の先生がサッカーを指導していた。若くて活きのいい先生だった。一般体育の時に私などはいつもドヤされていた。何十年か過ぎて、仙台にもプロのチームが出た時に、その先生が役員の一人としてテレビに写っていて、オヤオヤと思いながらもさもありなんという感じだった。現在も何らかのお役目があるのだろう。先日もベスト4が決まった時に、かなり年老いた先生の姿があった。

 私が在職した会社もサッカーが強かった。何度か決勝に行ったことがある。練習用のグラウンドまで持っていた。
 ベガルタ選手ユニフォームの背中だったか腹に会社の名前を入れるスポンサーにもなったことがあるが、しかし業績の不調でこれもなくなった。
 2009年12月29日は国立競技場での天皇杯準決勝である。テレビ観戦だが頑張ってほしい。

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by watari41 | 2009-12-22 16:20 | Comments(3)

坂の上の雲

 小説で以前に読んだことがあった。作者の司馬遼太郎さんは、映像化すると好戦的なドラマになってしまうというので生前はテレビ化が実現していなかった。
 小説でも戦闘シーンは数多くあるが、戦争物というイメージはなかった。司馬さんの筆力なのであろう。描き方一つでどのようにでもなるのが小説の面白さである。帝国海軍の生き残った将校の中で、作家に転進した方の著作で「秋山真之」という本がある。「坂の上の雲」で読む秋山さんとは面白さが全くことなる。プロとアマの作者の違いともいえるのだろう。
 司馬史観とも言われるが、歴史を鳥瞰して見ることで客観性が出て、書きやすくなると何かの対談で言っていたことを記憶している。
 さて、映像ドラマであるが、日清戦争の時点ですでに好戦的な気分がでている。メインは日露戦争なのであるが、より一層そんなことになるのだろうと思う。司馬さんの懸念どおりになっていくのだろう。
 
 明治の時代気分は、戦えば何とかなるだろうというようなことで、幸いにも日清・日露戦争と勝ち進み、最終的には第二次大戦の大惨敗へとつながっていく。司馬さんの小説は明治という時代高揚期のなかで、これらを見事に昇華して傑作を得た。

 実際には、日清戦争の頃、朝鮮皇后暗殺事件というのが起きている。大鳥圭介という新撰組生き残りの一人が、当時の朝鮮公使館にいた。彼が指揮して宮廷への襲撃をかけ、誰が皇后かもわからないので、女官を皆殺しにしてしまったそうだ。かつての新撰組もかくやと思わせることだ。

 日露戦争では、小宅のお向かいの方が戦死した。祖母と同級だったということで惜しい人を亡くしたものだと言っていた。
 オバマさんは、ノーベル平和賞受賞演説で苦しい話をしている。戦争継続中の最高指揮官が受賞し現実はこうであるという内容だったが、率直でよかったと思っている。後世の作家が現代の戦争をどう捉えるのだろうかと思うのである。

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by watari41 | 2009-12-18 11:26 | Comments(7)

背を向ける

 宮城県大河原町に金ケ瀬という地区がある。仙台より南に約40km、そこの家並みに特徴があった。家々が北側を向いて建てられている。普通は日当たりの良い南向きに建てられるものだ。
 その理由は、仙台の殿様に「背を向ける」わけにはいかないからということである。昔は観光バスで通ると必ずそんな説明があったものだ。仙台藩の直轄領地か何かであったのだろう。現在ではそんな家を見かけることも少なくなった。我が町をはじめ多くのところは、地元の領主というのがいたが、家の向きまでは気にしていない。

 「背を向ける」という言葉はよく使う。あの人には、お世話になったので背を向けては寝られないとか。反対に俺は、あのプロジェクトに背を向けているんだとか・・・。タイガーウッズ夫妻は背を向け合っているのだろうか。シーズン開始までには何とかならいものだろうかと思う。

 国会でもそんな話題があった。開会式で、天皇がお言葉を述べた後で、議長が詔書をいただき、後ろ向きに階段を下りるのである。天皇に背を向けるわけにはいかないからということである。階段を逆に下りるのは、お年寄りにとっては極めて難しい。よろけた議長がいた。何とかしようという話題になったことがあったが、その後どうなったであろうか。

 世間様には背を向けて生きているんだという人だっている。背を向けてもそれで済めば良いのだが、すまなくなってしまうと大変なことになる。パソコンが出来た当初は、厄介なものが出来たものだ。出来るんなら一生これに触れないで過ごしたいものだなどと考えたことを回想している。背を向けていたのである。
 しかし会社生活も終わり頃になって、そんなことは許されなくなってしまったのである。ようやくにして画面と向き合った。本来はベーシックの時代から触れておれば、もっとよく使えたのだろうが残念である。
 今やインターネットの時代である。これに背を向けられる時代ではなくなった。逆にパソコン画面と向き合っている時間が最も多いのだと思う。

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by watari41 | 2009-12-14 10:54 | Comments(4)

予言・予測のたぐい

 2012年の人類滅亡が話題になっている。マヤの長期暦が終わる年であるからという。地球の異変と無理矢理関連ずけたものだが、これで一儲けをたくらんでいる人達も多いようだ。
 1999年のノストラダムス大予言にも、振り回わされた人達は多い。これだけ科学技術が進歩した時代なのに、不思議なことだといつも思う。日本沈没というのがあったが、これは小説なのでどう書こうとかまわない。それをわかった上で読んでいる。
 しかし、これらの予言・予測は、過去の資料をもとに現代人が意味づけをして、不安をあおり、商売のネタにしようとしているのである。またそれに乗る人も物理学よりも昔の預言者を信じているのである。
 平安時代末期にもそんなことが起こったようだ。丁度世紀が変わるころだ。そのころ日本に西洋暦が入ってきていたのかということはわからないが、世の終わりがくると説いた坊さん達が多かったようだ。

 予言・予測のたぐいには、だいたいにして根拠がない。合理的な根拠がありそうなものも、ほとんどははずれている。飢餓に苦しむ北朝鮮の崩壊は近いとか限界だなどということは、ずいぶんと昔から言われていたが、未だに耐えている。江戸時代の岩手県北部の天明飢饉などはそんなものを上回っていたようだが、藩は存続した。一揆を徹底して抑え込んだのだ。
 21世紀のはじめに、中国は5年以内に崩壊するという本がでた。社会主義市場経済の矛盾が表れて立ち行かなくなるというものだ。その内容には合理性がありもっともなことだと思ったものだ。しかし今だに健在である。権力の基盤がしっかりしているからなのだろう。むしろ経済格差の拡大が国家崩壊の引き金になるだろうと今では新たな予測をされている。

 予測しない事態がおこるのが通例だ。ソ連・東欧諸国などの崩壊がそうだった。アメリカとイスラム原理主義者の対立もそんなことだ。
 日本についても30年前に予測したことと、現在の姿は大きく違うはずだ。何年か前の地方紙に平成30年という予測連載小説が載っていた。著者は堺屋太一さんである。飛ばし読みをしていたが、現実の姿はどうなるのだろうかと思う。
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by watari41 | 2009-12-10 11:27 | Comments(6)

音声録音

 信長・秀吉・家康の声を聞いてみたいと思ったことがある。伊達政宗の声らしきものを聞いた時である。墓所である瑞宝殿の修復時に、埋葬されている遺体が発掘された。骨格が良く残っており、顔も再現された。端正な顔立ちである。顔骨を基にしてこんな声だったろうとテレビから流れ出た。

 戦国武将の肖像画や肉筆の文字は残っているが、当然ながら音声はない。録音が出来るようになったのは、たかだが120年前のことにすぎない。蝋管というシリンダー状のものに、レコードのように針で凹凸を入れてゆくものである。

 私が子供の頃はまだゼンマイ式の蓄音機が幅を利かせていた。電気式の増幅器などはなかった時代で耳をすませて聞いていたことを回想している。
 磁気テープの録音が一般化するのは、昭和40年台に入ってからで、昭和50年頃にピークを迎えたのである。在職した会社が製造するパーマロイ材料が大量に出荷された。磁気録音そして再生ヘッド用の材料としてである。
 繰り返し何度も再生するとテープに擦られて、磁気ヘッドが磨り減り音質が悪くなるというクレームが市場からメーカーに寄せられ、磨耗しにくい材料をつくれという要求がきた。どういうわけかモリブデンの添加がよく効いたのである。その他に磁気ヘッドは樹脂でガチガチに固められるので、それでも性能が落ちないものとか、いろんな改善要求があったものである。
 VTRの時代も、このヘッドは続いたが、全盛期はそれほど長くはなかった。デジタル化の波は、こんな材料をも吹き飛ばしてしまった。a0021554_2027136.jpg

 当時は「IC」の性能も飛躍的に伸びている時代だったので、音声録音もやがてワンチップに収められるだろうと思っていたら、写真の如きボイスメッセージというグッズが千円程度で発売された。ペンでメモする代わりに声のメモを残しておくのだ。一回当たり10秒程度を録音できるものだった。これまた古いものを整理していたら出てきたものだった。世紀が変わる直前の頃のものだ。まだ動いている。10年前の声が出た。
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by watari41 | 2009-12-06 20:34 | Comments(8)

悪い円高

 著名なエコノミストであるリチャード・クーさんが「良い円高・悪い円高」という著作を出して当時話題になったものだ。現在進行中の円高は「悪い円高」の代表的なものであろう。身を削って(給料を下げて)まで、製品の価格を下げている。根本原因は国内で物が売れないことにある。価格をさげざるを得なくなる。そうすることで見かけ上は、益々国際競争力が高まり円は強くなる。「良い円高」とは、生産性が高まり、その結果コストが下がることだったはずだ。

 我々が入社の頃は、まだ360円の時代だった。外国から優れた機械を購入するのに、その為替レートに何らの違和感も持たなかったことを回想している。
 在職した会社が製造する金属製品価格も、外国製品対比でそんなものだったのである。だが為替は自由相場制になり、円高が進むようになった。120円の頃までは、外国製品価格とコンパラブルな状態だったように記憶している。我々の給料もそれなりに上がったのだった。良い時代だったのである。
 特に、対アメリカとの関係で種々の貿易トラブルもあったが、大きな問題とはならなかった。
 120円が一つのターニングポイントではなかたのだろうかと思っている。東南アジアの安い賃金を利用せざるを得なくなった。韓国から台湾そして中国、さらにはベトナム等へと手作業を中心としたものが移っていった。在職の仙台工場が各所に設けていた作業加工場や内職者を含めると仙台近辺に一万人くらいの雇用を確保していたことになる。それらがすべてなくなった。

 そんな努力というか企業のやむをえない行動の結果、100円を切って80円台で動いているのだから信じがたいことだ。輸入品は安くなったがそれと対抗する国内品は大変なことだ。

 世の中は全てインフレの方向に向かって動くものだと、そんな概念を持って人生を過ごしてきている。過去にはそんなことで経過していた時もあった。デフレになるなどとの予測は誰ももってはいないはずだ。現在の対策が的を得たものであるのか気になるところだ。
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by watari41 | 2009-12-02 12:04 | Comments(2)