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一分一秒の回想

 電波時計を買った。10万年に一秒しか狂わないそうだ。しかし10年もすれば故障してしまうだろうから、あまり意味のない精度でもある。ソーラータイプの腕時計なので、電池の交換も必要ない。時計は行き着く所まで行ってしまったようだ。私の回想のみならず、人類としての一つの目標を達成したといえよう。

 一秒を争うということはよくあるが、時刻としての一秒を問題にすることは日常生活ではないと思う。特に高齢者になってからは特にその感が強い。では、何ゆえに精度の高い時計を持ちたいかというと、一種の憧れだったようにも思う。

 子供の頃には、大きな柱時計のゼンマイを巻くのが日課だった。数分の狂いを振り子を上下して調整するのだが、なかなか合うことはない。ゼンマイの温度特性とか、いろんな要素が絡み合って一分以内に合わせることは困難だったものだ。
 列車に乗ると駅長さんが懐中時計をだしてチラリと見ていたものだが、今にして思えばどんな精度だったのだろうかと思う。当時の時計の精度はゼンマイで決定されていた。
 鋼のゼンマイから、コバルトなどが入った合金のバネが出来て、温度によって左右されることは無くなった。機械式時計の究極のものができた。本多光太郎さんから増本量さんへと続く、仙台の学者によってなされたものである。
 
 しかし、時代は急変したのである。電気仕掛けの時計が出現した。トランジスタ時計である。ネジを巻く必要がなく精度も高かった。そうこうしているうちに、究極の時計と言われるクオーツがセイコーで発明された。パーマロイそして磁石が決手になる。その担当者が諏訪市から仙台にやってきたことを、いまだ鮮明に記憶している。この特許は世界に公開するつもりでいる。誰が使っても良いものとするのだ。世の中の時計はすっかり変わるだろうということだった。その量産試験の材料を提供した。もう30年も昔のことだ。
 
 電波でクオーツを補正する時計も、かなり前から出回ってはいるが、従前から掛けていた時計が壊れたのでやっと手にした次第なのである。
 
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by watari41 | 2009-11-28 18:33 | Comments(7)

人間の力

 人間には意外な「力」があると感じたことがある。山形県酒田市の観光名所に「山居倉庫」という巨大な米蔵がある。東北人なら誰しも一度くらいは訪れたことがあるだろう。
 明治時代に建てられたものだ。そこに当時の写真が飾ってある。米を運ぶ女の人達だ。皆な3俵・4俵と中には5俵(300kg)を背に担いでいる人もいる。キャシャな女の人だ。「く」の字になって運んでいる。現代の我々には想像もできない重さである。普通の人ならペシャンコに潰されてしまう。
 私は若い頃に農作業の手伝いをしていて、1俵を担ぐのがやっとだった。現在はもう30kgを担ぐのが精一杯である。
 その倉庫には、女子の運搬人しか写っていない。男子の仕事ではないというのだろうか。男はもっと、もっと「力」があったということなのだろうかとも思える。

 ここで気がついたのは、古代遺跡の巨石のことである。どうやって運搬したのかという謎である。近世にも大阪城の石垣、近くは仙台大年寺山の伊達家墓地にある巨石などである。ピラミッドの内部にも信じがたい巨石がある。ソリを使って運んだとも言われるが、それにしても物凄い力がいるはずだ。
 現実に物が存在する以上は、昔の人達は大変な力持ちだったといえるのだろう。講談本でよく10人力とか百人力の豪傑などが出てくる。大袈裟な話だと笑っていたが実際にそんな人が存在したのかもしれないと思ったりしている。

 昔の武芸が介護の現場で腰を痛めない方法として適用されたりもしているが、現代では消えてしまった「力」を出す方法があるのかもしれない。現代文明は人間に力を出させる必要がなくなった。

 我々技術職にあったものは、入社の頃はまだ「馬力」という単位があり、その計算をしたこともあった。この圧延機には何千馬力のモーターが使われているからどうだとか。(1馬力=0.75kwの換算である)近代になっても馬車が活躍した名残りであろう。銘版にも馬力での表示があったものだ。

 人間の「力」は数字で計り難いのは前述の通りである。火事場の馬鹿力など科学的に解明されつつあるが人間が物理的にどれほどの力を出せるものか興味をもっている。
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by watari41 | 2009-11-23 22:23 | Comments(7)

計算尺

 古いものを片付けていたら写真のものが出てきた「円盤型計算尺」である。電卓が出る前は、技術職にとって「計算尺」は必須の道具だった。シニアのエンジニアにとっては、たまらなく懐かしいものだろうと思う。それも円盤型ともなると、現代の骨董品なのではなかろうか。
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 もうすっかり使い方を忘れてしまっている。計算尺国家検定なるものもあった。その3級か2級に合格したことがあった。
 アポロ11号が初の月面着陸の際に、地球のNASA管制センタでは、長尺型計算尺を手にした管制官が月に指示を送っていたのだと思う。その模様に何らの違和感も持たなかった。

 50歳くらいまでの方は、計算尺を見て、これは何ですかという時代である。
 計算尺の原理は、対数での「足し算」と「引き算」が、自然数での「掛け算」と「割り算」に当たるということである。従って計算尺に付けてある目盛りは「対数目盛」なのである。掛ける、割る、の計算が極めて容易にできる。
 「加・減・乗・除」と言われる計算の四則が、「加・減」だけでできるということになるのだ。三角関数などもあるが、ややこしい話は止めることにしよう。

 数学や物理の世界には沢山の法則がある。いろんなものが解明され定理となっているが、まだ解明されないものがある。代表的なものは「素数」に関するものだ。2・3・5・7・11・・・と不規則に無限に続く。先日のNHK特集でやっていた「リーマンの予測」というものだ。150年も前に素数にはある規則性があるはずだと予言した。まだ誰も実証していない。その解明に取り付かれて気の狂った学者までいたそうだ。
 数字というのは面白い。昨日(11月18日)の河北新報朝刊に興味深い問題が掲載されていた。
   123456789 × 9 =  1111111111
   123456789 × ? = 2222222222   (答え9×2=18)
   123456789 × ? = 3333333333   (答え9×3=27)
   123456789 × ? = 4444444444   (答え9×4=36)

 計算尺から、いささか脱線してしまった。円盤型計算尺の回想は尽きないが、後日改めて記すことにしよう。
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by watari41 | 2009-11-19 19:53 | Comments(7)

年金の没収

 日本航空が経営危機に陥っている。OBへの企業年金を支払うのに大変なようだ。OBが現役時代に積み立てたものなので個人財産に当たる。
 しかし、国会で議決すれば、これを没収することができるようだ。そんなことが実際に有り得ることを経験している。

 私の妻のことである。結婚の前後に10年ほど地方公務員をやっていた(県庁職員)。辞める時に、当時は退職金を現金支給か、それともそのままにしておいて、後日年金としてもらうかの選択があり、後者を選んだ。

 何十年か過ぎて、規定の利息が積み重なり、数百万円になっていた。それが国民年金にプラスされ、月に10万円以上をもらうことを楽しみにしていたのだ。しかし、支給年齢の直前になってガンで死亡してしまった。
 本人は、国民年金分は駄目にしても、退職金分は個人のものなので、夫である私に支給されるものだと思って亡くなった。

 私は、妻の年金手帳をもとに、かけあったのだが、法律が変わって、死亡の場合には没収されることになったとのことで、ガックリしたことを回想している。国家の権力というのは、すさまじいものだということを身をもって経験した。年金は長生きをした人の勝ちなのである。

 今回の日航騒動は、2割とか半額減で収まったら大成功なのだろう。モタモタしていると、全額没収になることは目に見えているようだ。日航は我々からみると信じ難いほどに給料の高い会社なのだろう。
 私が在職した会社は、皆さんの給料からそれを引くと残りすくなるので、その制度を採れないという貧乏会社だった。ただ、退職金をあずけてもらえば、10年間に分割して利息をつけて払いましょうというので、それを選んだが、まもなく終わる。懐が一段と寂しくなってきた。
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by watari41 | 2009-11-15 11:35 | Comments(7)

双頭の権力

 民主党政権には二つの権力機構が存在していると言われる。鳩山首相と小沢幹事長である。こういうことは、かつての自民党にはいくらでもあったので驚くことでもない。

 日本特有のことかと思っていたら、ロシアでもそんなことになっている。大統領とプーチンさんだ。これは恐らく民主主義が不成熟な状態で起こるものなのだろうと思っている。

 形は選挙の結果なのだが、日本もロシアも一党支配が長く続き過ぎた結果でもある。

 日本では、歴史的に双頭の権力というのが、かなりの期間存在した。天皇が譲位しても上皇になって権力を握ると言ういうシステムが平安時代にできた。有名なのは後白河上皇である。

 鎌倉時代以降になると、実質的な権力はなくなるが、朝廷と幕府という双頭の国家体制である。
 織田信長はこれを変えようとした。朝廷をも自分の支配下におこうとした。それが安土城の間取りから伺えるという。しかし旧来勢力は光秀を説得し暗殺した。これをみた秀吉は、逆に朝廷に一本化しようとして自ら関白となった。しかしこれも結局はうまくいかず、家康は従来どおりの幕府体制をしくしかなかったのだろうと考えている。

 日本人には、双頭の権力体制というのが、歴史的に染み付いているかのようで、違和感をもたれないようだ。

 会社でも社長を退いて実力会長となって実質的な双頭の体制というのが普通に見られる。

 一般の家庭もそうかもしれない。権力を持っていると思われる夫だが、実質は奥さんに握られている。双頭の権力でもそれがうまく機能していればよいのだが・・・。
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by watari41 | 2009-11-11 20:03 | Comments(4)

起動力

 何事によらず、最初に事を始める時には,物凄いエネルギーがいる。「起動力」と呼んだらよいのだろうか。車・電車にしてしかり、動き出す時には大きな力がいる。航空機・ロケットともなると凄まじい燃料消費である。しかし通常運行に入ると起動時の何分の一かで継続運行ができる。

 何故、最初にエネルギーが必要かと言えば、大きな摩擦力に打ち勝たなければいけない。現状を維持する静止摩擦力は、人・物を問わず意外に大きなものだ。これに打ち勝って初めて動き出したり離陸する。

 在職時に圧延機が、起動時に凄まじいエネルギーが必要だったことを回想している。社内の変電所に全工場の電気使用を表示する電力計があった。圧延機が動きだすと、瞬間的ではあるが、メーターが振り切れるように動く。その電力たるや、当時の仙台全市に匹敵するものだった。オンボロ工場にある、これまた旧式の大型モーターだったが、今となっては懐かしい思い出である。

 人間にしても、しかりである。新しく事業を始めようとすると、これまた大変な努力が必要だ。軌道に乗ってさえしまえば、継続の労力だけで済む。

 現状維持力が意外な大きさで抵抗する。自分自身の静止力、そして周囲との摩擦力もある。新規に事業を起こす人を尊敬してしまう。

 日本は、ほぼ60年ぶりに政権交代した。民主党は既存のものをひっくり返そうとしているが、その静止摩擦力は想像以上のものがあるようだ。簡単には動き出さないだろう。或いは見かけ上動いたように見える上滑りということもあるだろうと思っている。
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by watari41 | 2009-11-07 22:23 | Comments(5)

ご馳走様

 少し前までは、どんな山奥の旅館に行っても、必ず「刺身」がでたものである。現在でもそうなのかもしれない。「刺身」は最高のご馳走とみられていた。
 しかし浜の魚を食べているものとしては、活きの悪い何とも始末に悪いものだった。当時は肉を食べることなどは、ほとんどなかったので魚がごちそうであり、なかでも「刺身」だったのである。

 私の仲人さんが、もう40年も前になるが故人となってしまった妻の実家にご挨拶に行った。名うてのソバ屋さんである。期待して行ったらしいのだが、出されたものは「お寿司」だったのだという。賓客にソバを出すのは失礼だと考える風習が残っていたのである。私が行ったときもやはり寿司を出された。ソバは困窮している人が食べるものというようなイメージだったのであろう。

 今や、健康食としてもてはやされている「アワ」とか「キビ」なども昔は「米」を食えない人が、命をつなぐためにやむを得ず食べていたものだ。だからといって昔の人が長生きしていたわけではない。
 今や副食でカロリーをとり過ぎているので、主食は低カロリーでという時代なのだ。岩手県のキビを栽培する老農家が不思議な時代だと言っていた。

 食べるだけではなくて、仲の良い男女や「のろけ」をみては、からかいの意味で「ご馳走様」ということもある。口ではなく目の馳走にあずかったということなのだろう。

 いろんなご馳走がありそうだ。これは人間の欲とも関連した言葉なのだろうと思う。また、おもてなしという意味もあるのだろう、国賓を迎えるに当たっては、礼砲、儀場兵の閲兵や音楽、そして晩餐と続く。

 我々世代は、食事の後は「ごっつおさんでした」と言うように躾けられた。このあたりの方言だが、お相撲さんの言葉にも似ている。

 その気になれば、われわれでも世界中のご馳走を食べられる。片やユニセフからのたよりは、貴方の千円は10人の子供を救いますとある。この子たちがご馳走様といえる日が来るのだろうかと思う。
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by watari41 | 2009-11-03 10:33 | Comments(7)