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人間の運命:⑤

 在職した会社は、常に2流の存在だった。入社した頃は3流だったのかもしれない。
 しかし、当時の製品ラインアップはすばらしいものだった。セラミックの数々は、後に残念ながら他社において大きく成長したのである。売り上げ一兆円企業もある。当時は名も無い会社が今や超一流企業になっている。
 その一つに、チタン酸バリウムに代表される圧電セラミックスというものがある。(これは興味をそそられないと思うので詳しいことは省略)

 また、フェライトというものもある。これは鉄鋼製造過程のカスで作るものだ。鉄を熱間圧延した時に表面にスケールができる。これを原料にしているのである。鉄の2%がカスになるとしても、年間200万トンも出るのだから原料に不足はしない。

 今や、電子と名が付く機器には、これらの材料が欠かせない。しかし在職した会社はこれらの競争にことごとく敗れてしまった。とどめはリーマンショックの渦中に巻き込まれてしまったことだ。ついに滅亡してしまったのである。
 70年の歴史だった。私は、そのうち40年を体験させてもらったことになる。
 市場から名前が消えても、工場は残っている。資本と経営の実態を失ったのである。

 今度は、自動車用リチュウムイオン電池をやるのだという。いつまでも夢のある工場だ。夢を形にと、どこかの宣伝文句で聞いたことがある。

 私も、苦しみながら夢を追い続けた一人である。今や会社は永遠なりという時代ではなくなった。しかし、厳しい時代に入って来たように思う。
 ここで、一旦中締めとすこにしよう。また改めて記してみたい。
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by watari41 | 2009-10-30 21:32 | Comments(7)

人間の運命:④

 さて、私がやっていた仕事を紹介しよう。「パーマロイ」という金属材料を扱っていた。鉄(Fe)とニッケル(Ni)の混じったものをパーマロイと呼ぶのである。アナログ時代の代表的な磁気材料としても知られている。
 なかでも「78%Niー残りFe」というのが最も生産量が多かった。とは言っても、全国で月に300トン(15億円)程度である。その三分の一を在職の会社で生産していた。こんな小さな市場なのだが、競争は激烈だった。
 この材料は、1920年に発明されたのだが、その製品寿命は人間の一生程度でしかない。私は丁度その最盛期に担当させてもらう幸運に浴した。
 NiとFeの原子量、電子の数、そして第三元素として加えるモリブデンなど、面白いことが沢山あった。

 僅かな量なので溶解、熱間・冷間圧延、プレス、熱処理など一連の製造工程を少数の担当者が見ている。おまけに磁気解析とか原価計算、客先との折衝なども行うのだ。会社業務そのものを個人でやっているようなものだ。もちろん経理部その他が会社にあることはいうまでもない。しかしあくまでもこれらの部門は結果処理でしかないのだ。

 在職の最後の段階で、会社が新しいシステムを導入するという時に、会社の概要がわかる一人として、その基本設計にかかわった。コンピュータシステムの詳細は、もう理解できないものの、概念を把握して、会社の業務と大まかな結び付けをして、カスタマイズの担当者に渡すのだった。

 面白いことだけではなかった。時には客先に大損害をかけたこともある。納入した製品が悪かった。私の判断が間違っていた。客先では高価な装置に使用していたのでその大メーカーは何十億円もの被害がでた。原因・対策書を持参し何度も会議に呼び出された。それこそいろんなことを申し立て結局は、材料に関しては原因不明としてしまった。客先担当者の何とも納得のいかない顔が何十年か過ぎても思い浮かぶ。
 後味の良くないことは沢山あった。真面目にして悪い男であることを自覚している。
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by watari41 | 2009-10-26 16:59 | Comments(5)

人間の運命:③

 給料を貰いながら大学教育を受け、教材費なども一切無料、支払いは寮の食費のみという、浦島太郎が竜宮城にでも行ったかのような2年間を過ごした。夏・冬・春と普通に休みがあり、何をしてもよかったのだ。全国一周をした人もいる。沖縄などは、まだパスポートの必要な時代だった。私も西日本の有名なところには行ってみた。

 読者の皆様にはお分かりのことと思うが、私はどんな時も目だたない男である。どなたの印象にも私のことは強くは残っていないようだ。前々からそんなことは意識していた。
 在学の時にひとつだけ皆を驚かせたことがあった。電気概論という科目があって、そのテストの時だった。工高で既に教えられたことだったので、どうということはない。ここで度肝を抜いてやろうという茶目っ気が起った。テストは書き終えたものから教室を出てもよいということだったので、10分くらいで、立ち上がって扉を開いた。皆からオーという声を聞きながら、教室を後にした。制限時間は60分か100分だった。私自身の思い出なので、クラスの皆はもう忘れていることだろうと思う。

 人間の性質と言うのは、歳をとってもそんなには変わるものではない。クラスではそのリーダーともいうべき方が自然とでてきた。40年後になってクラス会をやろうと、全国に散った仲間に呼びかけてきたのも、やはり彼だった。このブログにもコメンテータとして登場されるmorikouさんだ。現在は名古屋近郊に住んでいる。

 当時はまだ給料が2万円にもならない時代だった。学費の合計は百万円を越えていたのだと思う。そんな時代だった。外国に行ったわけではないが、最高の贅沢をさせてもらったのだろう。

 夢ともいうべき2年間が過ぎた。人生のハイライトだったのかもしれない。学校はその後、一般の誰でもが入れる産業技術短大へと変わり現在も続いている。もちろん有料である。
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by watari41 | 2009-10-23 22:10 | Comments(5)

人間の運命:②

 標記の題名にて芹沢光治良さんの大著「人間の運命」がある。ご自分をモデルに明治・大正・昭和の激動期を小説にした全16巻である。同様に五木寛之さんにも同名の著作がある。

 こんな大作家を引き合いに出して、はなはだ恐縮だが、誰にでも回想記を書いてみたい衝動にかられる、自分史ブームが続いている。

 我々凡人にとっては、ささいなことが一生の思い出になる。一つだけ自慢のできることがあった。
 以前にも書いた気がするが、高校生の時に県下一斉の社会科、学力テストというのがあった。それで満点をとったのが、私と仙台一高生との2名だけだった。母が学校に呼ばれ、実業高校としては稀なことだと大いに面目を施したようだ。
 しかし、それ以外はまるで駄目だった。特に体育はひどかった。運動神経がゼロに近い。子供たちにも遺伝しているようで何とも申し訳ないことだ。
 文章も書けなかった。会社に入ってから、必要に迫られ何とかかんとかこんな程度を書けるようになれた。
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 さて、関西鉄鋼短期大学のことだが、入学後に鉄鋼不況が来て関東での短大設立計画が取りやめとなった。尼崎の学校は「関西」という文字が抜けた看板にかけかえられた。
 大阪にはすぐ近い、何もかも驚くことばかりだった。私はいかに田舎者だったかを思い知ったのである。
 短大の学舎は近代的センスにあふれるものだった。校舎は空中の回廊で結ばれ、中央に実用的な意味はないが、デザインの要としての白い塔が立っていた。全員が寮に入れられた。青雲寮と言った。

 夢の世界に来たように感じたものだった。一つのクラスが40名で大手の鉄鋼メーカーの人達が多い。ここに来るまでの生活環境は似たようなものだったのだろうが、桁違いに優秀な方々が多かったのだと思う。(写真は鉄短大クラス会ブログより借用)
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by watari41 | 2009-10-18 15:05 | Comments(6)

人間の運命:①

 大変に恥ずかしいことながら、自分自身の回想を数回やってみる。 
 私は宮城県南端近くの町で、太平洋戦争の始まる少し前に生まれた。弱々しい少年時代を過ごしていた。成人するのは難しいだろうと見られていたのである。70歳近くになった私を奇跡のように見ているご町内のオバサンもいる。今も弱いことには変わりがない。元気のいい弟がいた。私が泣かされてくると、仕返しをしてくるのだった、残念なことに終戦直後の伝染病で亡くなった。

 戦後、私の家は広い敷地はあるものの、お金は一切なく、父も昭和19年に病死したので、母の苦労は並大抵ではなかった。
 担ぎ屋などもやった。鶏卵を買い集めて、仙台に売りに行くのである。僅かな手数料を稼いでいた。そのかたわら田畑を耕し、少しばかりの米を供出したりしていた。

 当時は皆が貧乏だった。中学を卒業してそのまま就職する人も三分の一くらいはいた。大学にゆくなどとは考えもしなかった。それでも志のある同級生は、そんなことにもめげず、頑張りながら進学校に通い大学に入り、後に県会議長になって今や引退を考える年齢になっている。

 私は高校まではということで、就職の容易な商業か工業の学校を選ぶしかなかった。結局は従兄のいた県立工業電気科に入り、教科書などをそのまま譲り受けたのだった。

 就職もこれまた地元でということで、仙台の金属製造会社に入ったのである。だが一年、二年と過ぎるうちに、毎日同じことの繰り返しで、さすがの私も飽きてきた。このまま定年まで通うのかと思うと憂鬱な気分になった。
 しかし、ここで思わぬ運命が待ち受けていた。当時の鉄鋼業は急速な成長産業だった。技術者が不足していた。鉄鋼会社が自ら学校を設立して、中堅技術者を養成しようというものだった。
 関東と関西に一校づつ設立する計画だった。まずは関西からと尼崎市の北部に建てられた。在職中の会社も小なりとはいえ、鉄鋼連盟の一員だったので、3名の割り当てがきたのである。私は、その第二期生として運良く入学できたのだった。関西鉄鋼短期大学といった。
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by watari41 | 2009-10-14 22:15 | Comments(6)

断る力

 現代日本人は、「拒否力」というか断る力を失っていると常々思っている。JR西日本の大惨事の調査報告書が事前に漏れていた。調査委員の一人が断り切れなかったのである。遺族の感情を逆撫でし今後の事態を複雑にしてしまいそうだ。

 断るのは相手があっての話である。それに対して「悩む力」は、個人の心にある。人間である限りいろんな悩みがある。姜 尚中さんの同題著作がベストセラーになったのは記憶に新しい。今回は悩むのではなく、断る力を考えてみたい。

 個人レベルでのお断りだけではなく国家レベルでのお断りがある。日本国家としても戦後は、これまた「拒否力」が弱くなった。
 「NOと言える日本」という題名で、石原慎太郎さんとソニー社長だった盛田昭夫さんが対談した本が人気を博したことがあった。断る相手は米国なのである。力関係もあってなかなか今も難しい。当時は強がりを言っているのだと思われたものだ。しかし内心では共鳴する方も多かったのだろう。

 国も個人も弱くなってしまったということなのだろうか。戦前のことを思うと、日本は国際社会にNOを言い続けた。その結果最後には戦争に突入した。
 かつてソ連が国連で拒否権を使い続けミスターNOともいわれたグロムイコさんという人がいた。後年、ソ連はキューバにミサイルを運び核戦争の一歩手前まで行ったが、フルシチョフ首相がケネディの米国に屈した形になった。
 一国が国際社会にNOを続けた結果が戦争、或いはその直前まで事態が進んでしまうのは現代史で明らかだ。北朝鮮の動向が気になってきている。彼らは国力とかそういうことには一切関係なく動いているようだ。

 個人の場合には、対人関係をそこないたくないとか、いろんな思惑がからむ。ようやく借金の連帯保証人にはなるものではないということが定着したかのようだ。保証人となって全てを失った方がかなりいるからだ。

 国家の拒絶と個人の拒絶とでは、大きな差異がある。相手の要求に対して断ることが少なからぬ悪影響を与えるが個人の範囲内にとどまるものは、冒頭の事件などをみても、やむなしと考える風潮が出てくるように思うが楽観的すぎるだろうか。
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by watari41 | 2009-10-10 15:34 | Comments(6)

価値の転換

 2009年10月1日は、記念すべき判決が出た日として記憶されるかもしれない。「鞆の浦の景観を守れ」というものだ。これまでの裁判では人間の利便性、経済的効率などが優先されてきた。だが、もっと「価値」あるものがあるという判決なのだ。
 我々は、これからもう一つの近代史を経験することになるのかもしれない。それは既に始まっているかもしれないが、さらに加速されていくものなのだろう。

 トフラー夫妻が「富の未来」という著作で、将来の富は「知」であると言っている。これまでの富も人間の知によってもたらされたことは言うまでも無い。工業社会とか金融社会などだ。しかし未来は「知」やボランティア活動がもう一つの大きな市場になっていくのだという。
 日本では堺屋太一さんが「知価革命」という著作で、同様な論を展開している。「ブランド」などが今や巨大な知価であり、その冠を記した商品は絶大な価値を持つ。

 裁判官もそんな社会的変化を感じ取っているのだろう。「鞆の浦の景観」に価値ありとの判断である。アニメの宮崎監督は、その風景を見ながら「崖の上のポニョ」という作品を構想し、何百億円も稼ぎだした。その景観が創作意欲を刺激したのである。埋め立てられた鞆の浦では、芸術家の意欲を削いでしまったであろう。景観も知の価値と密接な関連があるといえそうだ。

 過去の富は普遍のものとして文化財に指定されている。しかし日本人がその価値に気のつかない時代があった。明治維新の廃仏棄却の時である。外国人のフェノロサに指摘されて、仏像美術の価値を再認識したのだった。だが、もはや日本も世界最先端をゆく国家であり、先の裁判のように毅然たる判断ができるようになったようだ。

 さて、トフラー夫妻のいう「知」の未来についてだが、我々は漠然たる概念を抱くことはできるが、具体的にいまひとつわからないところがある。私の頭がもはや固定観念化してしまっているのかもしれない。知的財産といえば、「工業所有権」「商標権」とか「著作権」しか思い浮かばない。知といえば脳である。21世紀の脳研究と密接な係わり合いがあるような気はしているが。
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by watari41 | 2009-10-03 10:38 | Comments(10)