<   2009年 09月 ( 7 )   > この月の画像一覧

囲碁と英国人

 9月27日(日)、仙南地区囲碁大会があった。百名以上の方々が参加した。この辺りで仙南とは仙台市より南を指す言葉である。選挙でいうと宮城3区だ。
 メンバーはいつも同じような人々で、平均年齢が毎年一才づつ上がっていくようだ。そんな中で外国人の若い方が3名いた。英国人で高校の英語教育助手できているのだという。最高が5級、下が10級である。いずれも日本に来てから囲碁を覚えたのだと言う。5級の方と当たったが中々の腕前だ。日本での赴任期間は3年で残り1年であるとあるという。私は囲碁を知って50年をはるかに越えたが、さっぱり上手にはならない。
 会場には、7・8段というアマでは最高レベルの方々も10名近くいて、ピンからキリまでの囲碁ファンが集まったことになる。
 
 最初の支部長挨拶では、本人自身も高齢なのだが、囲碁をやっている方でボケた人を知らないというのだ。そして長寿をまっとうした人もボケてはいないというのである。因果関係があるのかどうかはわからない。アルツハイマーなどは病気なので、その病気にかからないということなのであろうか。興味あることだ。しかし我々の囲碁は、考えているようでも実は迷いに迷って時間を潰していることが多い。極端には外観上は考えているようでも、脳はお休みしていることもある。そんな我々にも効果があるのだったらありがたいことだ。

 イギリスのその方に聞いてみたら、英国内には強い人がいないのだという。欧州の方にはいるが、英国には伝わらなかったようだ。日本にこられた方々がそれぞれに日本というか東洋文化の幾分かを吸収して帰りたいと言う希望を抱いてくるようだが、わび・さびとか、こういうものは日本人にもなかなか理解ができない。専門家から教えてもらってわかったつもりで帰っても、どんなものかと思う。
 その点、囲碁は白黒の世界で単純でありながら、戦略・戦術・作戦を考え千変万化があって面白い。中国が発祥地なので、東洋文化そのものだ。彼らはよいものに目をつけた。

 
[PR]
by watari41 | 2009-09-29 15:43 | Comments(7)

高速道路の開通

 仙台より南下して、我が町の北端まで伸びていた通称:常磐高速道(正式名称は仙台東部道路)が、次のインターチェンジの山元町まで11kmが部分開通した。
 一方で東京から福島県まで北上してきている常磐高速道路と結びつくのが15年後の予定なのだが、私は運転どころか、生存しているのかも定かではない。
 かの東国原知事の宮崎県はまだ高速道路がないと言うのだから、こちらはまだ良い方なのであろう。

 地上7mほどからの我が町の眺めもなかなかのものだ。特に海岸一帯の眺望がすばらしい。新しい鳥の海温泉ができた辺りの絶景が一瞬目をかすめる。

 高速道路というと無料化が話題である。大歓迎のはずだが、今になって疑問視する方々が多くなっている。大金をかけた道路を無料でということに対する抵抗感である。日本人としての正常な感覚なのだろうと思う。保守点検などに多額の費用を要するはずだ。
 先日、岩手県の前沢PAで、バスの休憩があったが、トイレが故障ということで、工事現場などで使う仮設トイレが3基あっただけだった。乗客は山に向かって用を足していた。無料ということになると、全国至るところで、こんな光景になってしまうのかと暗然としたものである。

 日本最初の高速道路は昭和38年の名神高速だった。偶然にもその年に走ったのである。偶然が重なりケネディ大統領が暗殺された日でもあった。道路が微妙にカーブしている、クロソイド曲線とはこういうものかと実感したことを回想している。

 その翌年の昭和39年には、東海道新幹線が開通した。一般道路に対するに高速道路のように、国鉄に対する新幹線と競うようにその路線距離を伸ばしていった。あれから40年である。至るところに高速道路ができた。

 「狭い日本そんなに急いでどこに行く」という標語があった。時間が短縮されるということは、必要なものは大都市でということになる。過疎化の根本原因なのかもしれない。宮崎県は高速がないのをもって幸いとしなければならないのかもしれない。
[PR]
by watari41 | 2009-09-25 15:50 | Comments(8)

ビールの進化

 仙台の中心街広場にて「ドイツビール」のフェアーがあったとのことで、息子が購入してきた。何度か飲んではいるが日本のビールとは多少味が異なる。
a0021554_10171764.jpg

 この30年ほど、日本のビールの変遷はめまぐるしかった。かつては、キリンのラガービールが永遠に続くかと思われたことがあった。サッポロやアサヒが自社のビールを宣伝すればするほど、キリンラガーの売れ行きが伸びると言う時代まであった。
 容器の戦争と言われたこともあった。サッポロジャイアンツという瓶が一世を風靡したこともある。我々消費者も若かったので、その宣伝につられてずいぶんと呑んだことを回想している。
 やがて、スーパードライの全盛期を経て発泡酒、そして第三のビールへと「進化」を遂げている。我々の舌や喉もそのように慣らされたのだろうか。酒屋さんに行けば、フトコロの関係もあって自然に安いビールへと手がのびる。この間のビールメーカーの努力たるや大変なものだったろうと思う。その技術者達に深甚なる敬意を表したい。

 ビール3社に加えて、サントリーが新規参入した時のことである。宣伝上手で知られた会社である。あるとき「ドイツでサントリービールが金賞受賞」という派手な広告がでた。大変な注目を浴びたことがある。だがそのタネが明かされた。ドイツには地ビールメーカーが、日本の清酒メーカーの如く物凄い数があるのだそうだ。その各地区大会がいろんなところで開かれていて、どこかの地区で金賞を貰ったということのようだった。地酒の宮城県大会に出品したようなものなのだろう。

 サッポロが缶ビールを出した頃のことだ。デザインがどうもやぼったい。これを外国の有名デザイナーに依頼した。400万円払ったそうだがスマートな流れるような図柄である。これでずいぶんと売れたそうだ。先日その復刻缶が発売されるとの記事があった。もう一度手にしてみたい。
 ノンアルコールビールも進化している。喉越しは変わらないが、当然ながら酔わないのが残念だ。ドイツ人から言わせたら、何の意味がある飲料なのかということになるだろう。
[PR]
by watari41 | 2009-09-21 10:25 | Comments(9)

数は力

 「花巻祭を見ずして祭を見たとは言うなかれ」、こんな言葉を奉ってもおかしくないほど立派なものだ。
 次から次へと壮麗な神輿がでてくる。その数は百神にものぼろうか。いずれも担ぎ手や囃し方が30人以上もついている。花巻があたかも百万都市にもなったかのような、錯覚に陥ってしまう。その規模の都市でないと出来ないような祭りだ。多数の神輿のお渡りは前座みたいなものだというからさらに驚く。

 ひと呼吸をおいて、花車というか華やかに飾りつけられた山車が来る。前には稚児が一列4名の5列程度、煌びやかな衣装を身に行きすぎる。山車のテーマは、古代神話や源平合戦のことなど様々だ。こんな花車が数十台もあっただろうか。

 祭を開催する費用たるや莫大なものにちがいない。神輿を一台新調すると二千万円だそうだ。市民全員が参加しているような感じがする。

 花巻市は町村合併でやっと人口10万人を越えた街だ。我が町の3倍でしかないのだ。我が町は神輿一台出すのにヒーコラ言っている。新しい温泉会館ができて、夏祭りをやったが、花巻には比ぶべくもない。しかし人出だけは仙台が近いのでやたら多い。花巻は残念ながら、見物人より出演者の方が多いのではなかろうか。

 全国には古来からのお祭も沢山あるが、祭は地域の結束度を表すような気がしている。花巻はそんな意味で、経済的に繁栄しているとは思えないが次元の異なる意気込みを示しているようだ。
 花巻は歴史的文化人も数多く排出している。宮沢賢治・新渡戸稲造・高村光太郎・萬鉄五郎(画家)・・・そんな誇りもあるのだろう。

 岩手県は四国と同等の面積だが、花巻も広い。山形県と隣接するようになった仙台市よりも、さらに一回り広いのだからこれまた驚く。

 今や日本一の実力者かもしれない小沢一郎さんは、ここを選挙区にしている。民主主義は数で決まると言う。数は力だ。沢山の神輿や山車を見ながら、そんな思いがよぎる。

(数年前の写真を借用)
a0021554_965726.jpg

[PR]
by watari41 | 2009-09-17 09:09 | Comments(8)

オバンデス

 ♯ 広瀬川 流れる岸辺 思いではかえらず・・・・・♭

 「青葉城恋歌」は、もはや歌謡曲の域を越えて今や仙台の文化財である。都市のイメージを著しく高めたことは間違いない。

 その歌手・佐藤宗幸さんは、歌のみならず軽妙な話術が得意である。そこを見込まれて仙台の地方局・東日本テレビの夕方に長時間の番組「オバンデス」の司会をやり、その為の地方取材に回ったりしている。

 我が町の海岸にもやってきた。ビーチコーミングをやるためである。浜辺の漂着物を探し集めることだ。珍しい貝殻や、きれいな貝の破片などがあれば、それらを組み合わせて絵を作るのである。
 在職時の後輩S君が、退職後に「東北ビーチコーミング協会」というものを立ち上げた。それがテレビ局の目にとまり、取材されることになったのだ。私も協力を依頼され、先日、数秒間テレビに写ったのである。
 宗さんより、「”日本”ビーチコーミング協会」はあるのですかと尋ねられ、まだありませんとS君が答えたら、日本で最初なら、そうしたらよかったのにと言われ、さすが大風呂敷の得意なS君も、そこまではできなかったようだ。
 宗さんは、歌のみならず芸術的センスが優れているのだろう。見事なトンボの絵を作りあげた。テレビ番組ではそれがプレゼント品にされていた。

 仙台は文化都市のイメージが強くなっている。土井晩翠の「荒城の月」が大きく貢献しているのだろう。一つの歌が都市を変える場合もある。北海道の南部半島地域を旅行した時に、「細川たかし」さんの銅像がすでに立っていることに驚いたことがあった。

 佐藤宗幸さんも、もはや仙台を代表する文化人の一人である。益々のご活躍を期待するものである。

a0021554_1731695.jpg

[PR]
by watari41 | 2009-09-13 17:31 | Comments(5)

天国と浄土

 このところ、やたら葬式が多い。年老いた方も多く、そのひ孫さんが、お別れの言葉を述べることが一般化してきた。「天国に行ってしまったおじいちゃん、おばあちゃん・・・」と、いうような文言のものだ。先日、住職がこれに文句をつけたのである。
 「天国」と「浄土」とは異なるものだとおっしゃる。「坊さん、そう固いことを言わず」という方もいるが、ここはきっちりと区別をしてもらわないと困るというのだ。
 住職にとっては、職業の根幹にかかわることなのかもしれない。「天国」は文字通りキリスト教徒が死して行くところだ。「浄土」はこの世にも実現できるという教義である。もちろん死ねば浄土に生まれ変わることができるという教えだ。
 本願寺を頂点とする浄土宗が最も盛んだったのは戦国時代である。この時代は武士同士の戦いもさることながら、一向宗徒と戦国大名との熾烈な戦いだった側面の方が強い。こちらの方はドラマになりにくいのでテレビで見ることはない。信長・秀吉・家康ともにさんざんな目にあっている。そして、これら天下に君臨した英雄達は一向宗徒に手を焼き、この人達を大量虐殺している。
 こんな事実は歴史ではあまり取り上げていない。秀吉に対抗して一向宗徒が長期間たてこもった石山本願寺というのは、場所が確定していないが、現在の大阪城であろうと言われている。家康も三河の一向宗には苦労をしている。浄土宗は一般人にもわかりやすかったのであろう。ひたすら「南無阿弥陀仏」を唱えていれば浄土に行けるというのである。

 この世をば、浄土と化するのは並大抵のことではない。親鸞が曰く「あなたは十人の人を殺すことができるか?と問われれば、とんでもないということになる。だが、その(縁)がないだけで、追い詰められた状況になったら、何人でも殺してしまうだろう」と言うのだ。この世にはいろんな魔性が存在するというのだ。

 中世の平泉は、そんな現世に浄土を目指した。藤原四代100年に渡る浄土化への取り組みがあった。それが頂点に達しつつあった時に源頼朝によって滅ぼされた。攻め込まれた平泉軍は武力での抵抗をしなかったとの説もある。武力と浄土とは両立しない。当然のことだが平泉政権は高邁な理想を持っていたということになる。
 「南無阿弥陀仏」=計りがたいもの=「無量」であるという。藤原三代目の秀衡は、「無量光院」という壮麗な寺院を建設した。(今は礎石のみが残る)

 現代の我々葬儀の参列者は死者に「南無阿弥陀仏」を唱える。今度は浄土に生まれ変わるよう祈る。しかしこれはもはや形骸化した行事でしかない。科学知識が豊富になった現代人にはなかなか通用しづらい話だが葬儀の形式はなかなか変わることはないだろう。
[PR]
by watari41 | 2009-09-06 14:54 | Comments(5)

神々の崩壊

 最後の神話だったのかもしれない。自民党が崩壊した。戦後60年いろんな神話ができてはなくなっていった。土地神話など昔懐かしいことになってしまった。

 企業神話もあった。 企業は人なりと言われ、株主配当などよりも従業員の賃金が優先された時代があった。日本式経営だとされ、もてはやされた。企業がよくなれば従業員も幸福になるというものだった。しかしグローバル化とか、新市場主義は容赦がない。会社は株主のものであると改めて規定されたかのようだ。配当が最優先されなければならない。そのためには従業員も「物」と考えてしまうようになったしまった。住むところもなければ食べるものもないというような方が何万人もでるようなことは考えてもみなかった。

 田舎では自民党神話が根強かった。各市町村長、農協などは選挙ともなると自民党候補の元にかけつける。今回もその様子がテレビで写されていた。これまでは政府とのつながりは重要なことだった。しかし個々の農家からみると、グローバル化は、米価を下げるなど、ろくなことにならなかった。

 未だに残っているとすれば霞ヶ関の神々なのかもしれない。予算の時期ともなると、おびただしい参詣者がおとづれてくる。自民党議員がその案内人だった。
 民主党政権は逆に霞ヶ関を「打ち出の小槌」と捉えているようだ。9兆円くらいは簡単に捻り出せるだろうと見ているようだ。
 予算の作り方を180度転換できるのだろうか。独立行政法人と名前は変わったが、それらを含めた膨大な国家行政機構の意識変革がなければならない。
 どこまで変えられるのか注目している。  
[PR]
by watari41 | 2009-09-02 17:09 | Comments(3)