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「我々は何者か・・」

 かの有名な画家、ゴーギャンがタヒチで描いた絵の題名が次である。「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」キリスト教の問答の一節でもある。ボストン美術館から東京の竹橋にある国立近代美術館にやってきた。
 ゴーギャンの晩年、1900年当時、彼は大いに悩んでいた。西洋文明にもキリスト教にも懐疑的になった。上記はそれらを批判した絵でもあるという。この絵を描いた直後にゴーギャンは自殺をはかった。「われわれは・・」という問題はキリスト教では解決できないと考えていたようだ。
 タヒチ島で人生最後のつもりで絵を書いた。一枚の絵に、生れ落ちた赤子、成人が果実を取る姿、老齢化して死に至るまでを横幅3.5mに収めた。そして上記の題名を付した。彼は生涯最高の傑作ができたと思ったようだ。
 
 日本にもそんな仏像がある。興福寺の阿修羅像がこれに相当すると思っている。頭が3つある日本最高傑作の仏像だ。従って3つの顔がある。先ごろ上野の国立博物館での特別展示で大好評を博した。正面を向いて合掌しているのが青年の顔である。真剣な表情で祈っている。左回りで次の顔が大人になって怒りの表情で手を振り上げている。最後は諦めの表情なのだという。
  穢れのない純粋な少年→憤怒に耐えぬ大人→諦観した人となる
この奈良時代の仏像には、生の人間がリアルに描かれていて、見るものに感動を与える。

 この奈良時代までの主役は日本も人間だったように思う。しかし、平安期以降は、もののあわれや自然をめでる風潮が高まったように感ずる。
 その集大成ともいうべきものであろう、1923年横山大観が描いた墨絵「生々流転」である。重要文化財に指定されている。ゴーギャンが傑作をものにしたやや後のことだ。これも国立近代美術館にあった。東京赴任の休日に見てきたことを回想している。長さ40mもの巻物である。大河の一生の物語が絵になっている。山奥の源流で濃い霧が水滴となって滴り落ちる。川は徐々に大きくなり、やがて海へとそそぐ。そして海面から霧が立ち昇り、山奥へと運ばれる。要はこんな自然の繰り返しのなかに、人間も動植物も生息しているというものだ。「われわれは何者か・・」などと考えなくともよいのだ。全てはみ仏のままにとか、川の流れに身をまかせればよいのだ。

 日本人の大勢はそんなことではあるが、悩みの尽きない人も多い。人間の労苦を一身に背負ったような方もいる。真面目に考えればゴーギャンの絵のようになるのかもしれない。「我々はどこへ行くのか」の選択肢は人間そのものが持っているのである。
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by watari41 | 2009-08-29 14:17 | Comments(5)

まもなく選挙

 今回の衆議院選挙はマニフェスト選挙だと言われる。さも選挙が一新されたかの如き印象を受ける。世論調査でもマニフェストを重視すると応えた方が多い。しかしその実態は従来と何も変わってはいないように思う。

 風向き次第という言葉はあんまり好きではない。日本人には「一億一心」みたいな感覚が昔から存在するようだ。皆が向く方向を自分も向いてしまう。
 新聞各紙はいずれも民主党が圧倒的に優勢な予測記事を掲げている。勝ち組に乗りたいという人がまたいるのである。負けるものには投票したくないというのだ。自分が名前を書いたものが当選しないと気分が悪いという男がいたことを回想する。

 政権が変わっても、何もかもが激変するというようなことにはならないだろう。60年間続いた自民党政権も還暦を迎え隠居するのだと思えばよい。

 日本が戦後、安泰であり続けられたのを実績としているが、その代わりに860兆円もの借金を残し、不安定な世情をかもしだしている。物騒な世の中になった。もっと早くに政権交代があってよかったのだ。

 税金の使い方について、いつかは、ゼロベースでの予算を組むべきだと個人的には考えている。前年度実績からスタートするのではなくて、国家・地方の運営には、どれだけのお金が必要なのかということを、ゼロから考えるのである。言うは易く実施するのは極めて困難なことであるのは承知の上であるが、試算程度はできそうだ。予算委員会でそんなこともやってもらいたいものだ。

 国と地方は、やるべきことがあまりにも多いと考えているようだ。だが、ムダとは別に、無理にやらなくともよい省くことができるものが相当にありそうだ。何も仕事を独立行政法人や民間委託ということで残しておく必要はない。

小選挙区制度は分かりやすい。政権が失敗したら別の政党に投票すれば良い。政権の転換が実に容易になっている。

 しかし、化かされやすいのも選挙民というか人間である。風と言われるものがそうだ。国民のレベル以上の政権は出来ないといわれる。我々はどの程度レベルアップしているのだろうか。
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by watari41 | 2009-08-26 09:39 | Comments(6)

或る女流作家の死

 我が町内会に一人の女流作家がいた。セミドキュメンタリーを得意としていた。渡部琴子さんという、彼女は両親が亡くなってからは一人住まいだった。琴子さんの死が確認されたのは盆の終わりだった。推定死亡日は8月5日とある。気ままに生活していたので、近所では誰も気づかなかった。享年62歳。

 彼女は普段から酒量が多かった。ウイスキーをあおり昼は寝ているという生活もあった。作家というのは、太宰治をはじめ、無頼な生活に陥ってしまう人が多いのは、どういうわけだろうか。深く自分を見つめていくとそういうことになってしまうのだろうか。

 代表作は「平野政吉」新潮社、副題は(世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男)である。
 秋田の富豪である平野政吉氏がフランスから帰国していた藤田嗣治画伯に昭和12年に「秋田の行事」という巨大な絵を描かせた物語である。渡部琴子さんの文体は読みやすい。インターネットでその名が出てくる。何かの文学賞も得ている。

 彼女は離婚後に帰ってきたが、その生活態度は、田舎では到底受け入れられるものではない。父親が町の有力者でもあったので、高い教育を受けたことも影響しているのだろうか。早稲田と慶応で哲学を学んでいる。
 
 上記作品にも書いてあるが、若い頃に東京の酒場で飲んでいて当時から著名人である劇作家・山崎正和さんに議論をふっかけたそうである。ヨーロッパを旅してみたがどうのこうと言ったようだ。山崎氏は、あなたは東北人のようだが、秋田の「平野政吉美術館」に行ってみなさい言われたそうだ。そこで、「平野政吉」を知りフジタに巨大な絵を描かせた人物とはどんな人だったのかを調べ始めたのだという。その成果が上記の代表作である。

 渡部さんには、何冊かの著作があるが、いずれもスケールの大きな男を取り上げている。「籠に収まらない鳥もいる」という信州でベンチャー企業を立ち上げた人も面白い。
 
 私の家からは、琴子さんのところまで10軒ほどしか離れていない。残念なことだった。
 ある時、雑誌を読んでいたら、どこかの女将が金持ちでもつまらない人と結婚するんだったら、活力のある男の愛人でいたほうが良いという記事があった。琴子ちゃんもこんなことだなと言ったらうなずいていたものだ。

 代表作「平野政吉」の帯封にこんなことが書いてある。哲学者・キエルケゴールの言葉である。
「喜劇的な障害も、悲劇的な障害も恐れはしない。ぼくが恐れるたった一つのものは退屈な障害だけだ」

 そんな彼女も次は地元の領主、伊達成実を書くんだと言っていたものだ。
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by watari41 | 2009-08-21 21:43 | Comments(18)

太平洋戦争のこと

 平和ボケであるとか、何だとか言われたのは20年も前のことだろうか。今年も終戦の日がやってきた。NHKの特集番組に旧海軍将校による反省会の録音などの放映があった。こんなものがあったとは驚きだが、後世に事実を残そうと昭和50年頃に始まったものだそうだ。
 海軍の開戦への決断は、陸軍に抗しきれなかったというものだ。反対を続ければ、海軍は陸軍に乗っ取られてしまうと考えていたらしい。それまでも陸軍は、5.15事件、2.26事件と政府首脳を暗殺してきている。今度は海軍だと思ったようだ。

 山本連合艦隊司令長官はそこで真珠湾奇襲攻撃を考え成功させた。そしてもう一つ勝って和睦を計ろうとした。録音にはなかったが、山本長官は近衛首相に最初は暴れてみせましょう、だが早々に有利な条件で和を結んでくださいと言ったのは有名な話として伝わっている。それが次のミッドウエイ海戦だったのである。
 だがこれは当時の海軍内部からみてもあまりに拙速だったようだ。長官は米軍の準備が整わないうちということだったらしいが、逆に日本軍の準備がまったく不足だったらしい。山本長官は焦っていたのだ。時間が過ぎるほどに日本は不利になる。最後は永野軍令部総長が真珠湾の実績を評価して承認したが、結果は惨憺たるものに終わった。

 この軍令部というのが、おかしな組織だったと戦後のいろんな論評で、指摘されていた。天皇直属の機関で、その統帥権を肩代わりして絶大な権限を有していた。作戦を遂行するのに陸・海軍の参謀総長の他に、それ以上の権限のある軍令部があった。それを無視すると統帥権を犯したということで大変なことになったようだ。この組織が後々に、おかしなことになり支離滅裂な作戦がでてきたりする。20万人の陸軍をニューギニアに置き去りにしたりする。

 この組織は明治憲法の大きな欠陥でもあったのだろう。ひるがえって現在の憲法は、平和と理想を高らかにうたってあり、非現実的だとも言われるが、64年間、大部隊を海外に派遣せず平和を保ってきたのも憲法の制約があった為だ。
 ともかくも400時間も録音した旧海軍将校の記録を無駄にしてはならないだろう。昨16日は戦中の裁判官のドラマをやっていた。立派な方がいたものだ。なるべき人が裁判官になっていたのだ。そして戦後に法律に反することはしないとして配給だけで餓死した判事がいたことを回想する。
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by watari41 | 2009-08-17 10:23 | Comments(4)

人間の指感覚

 日本ハムのダルビッシュ投手の指は水分に弱いようだ。人間の指先の感覚は微妙にすばらしいものがある。熟練すると0.1ミクロン(一万分の一ミリ)の凹凸を見つけられる。8月の仙台七夕シリーズで、ダルビッシュは楽天の田中マー君と投げあった。雨中での試合であった。細い雨が強くなってきた。ダルビッシュが突然に変調をきたしたのだ。ストライクが入らなくなった。一人の打者に4球続けての四球を出した。この試合は楽天が逆転勝ちをした。

 6年前の夏の甲子園決勝戦を思い起こした。仙台の東北高校はダルビッシュを要し、強力な打線を持つ豪華なチームだった。常総学院と日本一を競うことになった。雨の決勝戦だった。東北高校は先取点を得た。これで勝ったかと思ったのだが、雨が強くなった。決勝戦をコールドにはできない。試合はダルビッシュが打たれエラーも出て逆転負けをした。この時はダルの指の弱点に気のついた人はいなかったようだ。

 人間の指は千差万別である。これで苦労をした人達がいる。在職の会社でテレホンカードを開発し量産化したことがある。私がやったのではない。開発中の担当者から、どんな材料が良いのかの意見を求められたのだ。何に苦労しているのかを訊ねたら、人間の指なんですというのだ。乾燥指・油指・・・・いろんなタイプがあって、ある特殊な人が触れるとカードに塗布した磁気材料の粉が、剥がれたり、汚れたりするんですというのだ。これまた面白い話だと思った。
 苦労に苦労を重ねたらしいが、とうとう使えるものができた。最盛期には月に何千万枚ものカードが出荷された。しかし製品寿命ははかないものである。まもなく携帯の時代となってしまった。近いうちにテレカも死語の仲間入りをしそうだ。
 テレホン磁気カードを見ると、いつも人間の指を回想するのだが、先日のプロ野球試合で、投手にも微妙な感覚の一端があることを垣間見た。
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by watari41 | 2009-08-13 10:19 | Comments(4)

人間の脳磁気

 脳梗塞は何の前触れもなく突然にやってくるそうだ。わが農協が組合員への健康診断で、その検診をMRIで行っている。仙台の検診施設までバスで連れて行かれる。検診料金は一万円以上を要し、一日が潰れてしまう。検診案内をもらったが今年は見送った。脳の断面写真から血流が細くなっているところを探してくれる。問題なしとか、処置を要するとかの判定をしていただく。

 この脳内血流の細りを簡単に見つけるため、人間の脳が発する磁気を測定して、脳梗塞の前兆を掴むことに成功したとの記事が、先日の河北新報に掲載されていた。
 脳磁気を測定すればよいだろうことは、前々からわかっていたらしいが、容易なことではない。その脳磁気は超微量だからである。地球磁気の一億分の一程度であり、なおかつ地表上には、電線だとかいろんなところから発する磁気雑音が、脳磁気の百万倍以上も存在している。これらをシャットアウトした上でなければ、脳の磁気は測定できない。

 仙台に脳関連の病気を得意とする広南病院がある。そこから磁気をシールドするルームの注文をもらった。20年も前のことだろうか、3千万円ほどの物だった。職場の同僚が指揮をとって納品した。その室内は地球磁気とか磁気雑音をゼロには出来ないが、10万分の一程度には小さく出来る。
 当初は、てんかん発作の人を事前に発見しようとの試みだった。その後に。いろんな工夫をして、脳磁図というものを計測できるようになったということなのだろう。何しろ、そんなわずかな磁気を測定するセンサーというのも容易なものではない。絶対零度近くのマイナス270℃近くで動作するセンサーなのだ、液体ヘリウムで冷やして使うのである。
 人間の脳のどこから、どういう磁気がでているかということを調べる。地図と同じようなものなので、脳磁図と呼ぶ。この言葉はもう何十年も前から聞いている。いろんなところで基礎的な研究がなされていた。標準的な脳磁図ができれば、それとの比較で簡単に判定ができる。
 MRIは医師が画像を見てのアナログ的なものだ。脳磁図はデジタタル計測ということになるのだろう。
 脳の磁気は血流に含まれる極微量の「鉄分」によるものだと考えられる。血管の内側には、歳をとるといろんなものが詰まってくる。自覚症状は出ないのだそうだ。発病前に見つけてもらえばありがたい。
 医学に磁気が絡まっているものは結構多い。こんな話がでるたびに在職中のことを回想をするのである。
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by watari41 | 2009-08-09 11:29 | Comments(4)

古橋選手の時代

 昭和27年のヘルシンキオリンピックをラジオで聞いていた。まだテレビのない時代である。水泳の1500mに古橋広之進選手が登場する。当時としては驚異的な世界記録である18分19秒0の記録保持者だ。子供心にもわくわくしながら聞いていたことを記憶している。
 決勝に進出しての模様をアナウンサーは、古橋選手は残念ながら第八コースをゆっくりと泳いでおりますと放送している。もう余力は残っていなかったのだろう。水泳選手としての年齢限界を越えていた。とは言ってもまだ24歳なのである。記録を出したのは3年前のことだ。厳しいスポーツなのだ。その前の400mにむしろ期待をかけられていたが、無残にも敗れ、1500mは最後の力泳である。しかし結果は最下位に終わった。同時にレースをした橋爪選手が銀メダルだった。優勝タイムは18分30秒だった。
 古橋選手の不振は体調がよくなかったとかの説もあるが、選手生命はそこで終わった。その後は水泳連盟会長などスポーツ関係の政治的活躍の期間が長かった。
 先日、死亡のニュースが流れた。かなりの年齢かと思ったが、80歳とのこと。私とは一回りほどの違いしかない。私の残っている年月を考えると唖然たる思いである。

 ヘルシンキオリンピックの頃は、まだ貧しかった。そんな中で選手団へ現地大使館から日本食の差し入れがあったという記事がでた。これで日本選手も力を出せるだろうというものだった。この記事はおかしと思ったことを回想する。当時の洋食は高級品というか、我々田舎人には高峰の花みたいなものだった。パンを食べるなどというのは贅沢なものだった。折角ヨーロッパまで行き、洋食を毎日食えると言うのに、オニギリやたくあん、梅干、味噌汁などをもらったところでしょうがなかろうというのが率直な感想だった。しかし当時でも立派な日本食というものはあったのだろう。

 当時の年寄りは、パンは主食にあらずというような感覚があった。代用食の一種くらいに思っていたらしい。まだ存命だった祖母がそうだった。子供が喜ぶからと母は時々パンを買ってくるが、祖母は食べた後で「口直し」をさせてくれと、ご飯を一口分要求するのだった。明治の中期頃に生まれた方々は、誰しもそんな感覚をもっていたものなのだろう。ただ、当時のオリンピック選手は我々とそんなに年齢の違いもなかったので、日本食へのこだわりはなかったであろうと思うのだ。

 当時のパンは高かった。今みたいにオヤツにとはいかない。オヤツは竹の皮に包んだ梅干が定番だった。それをしゃぶるのだった。
 その頃、我が町にパン屋さんを創業した人がいた。現在はやっていないが、当時は高値で売れたので相当に儲かったということを聞いている。
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by watari41 | 2009-08-05 17:51 | Comments(10)

続:大気の汚染

 ダイオキシンが話題になったのは、30年ほど前のことだ。猛毒である。サリンの2倍もの毒性を有する。ゴミの焼却によっても発生することが確認されたのは、オランダで1977年のことに過ぎない。農薬によっても発生するし、工業的には電気製鋼炉からでるものが最も多かった。

 これまた強烈な規制がかけられた。それ故ここ10年ほどは急激な勢いで減少している。最後にテレビ放映された大きな話題は「ニュースステーション」での埼玉であったろうか、焼却炉近辺の野菜から基準を超えるダイオキシンが検出されたということで、大変な風評被害が出て、久米宏さんが連日陳謝していたことを思い出す。

 化学物質は次々に開発される。現代に存在するものは3千万種とも言われ、工業的に利用されているものだけで、10万種があるのだそうだ。ポリ・・・・という、舌をかみそうな物質がたくさんある。ダイオキシン類の一つは「ポリ塩化ジベンゾーパラージオキソン」というもので読みにくいったらありゃしない。

 現代社会は一面では高分子化学工業の時代といえるのかもしれない。便利で有用なものが次々と生み出されてくる。しかし、それが次の瞬間には人体に有害なものだったという話もこれまた多い。
 PCBによるカネミ油事件というのが記憶に残る。このPCBというのは有用なものだと柱上トランスなどの冷却オイルとして大量に使われた。有害だとわかった時点でストップがかけられ、各事業所で厳重に保管せよとなった。どこでももてあましていたが、最近ようやく国のお金で全国に5ケ所の処理施設ができた。
 東北・北海道・北関東地域は北海道の施設まで運搬しなければならない。

 こんな、ダイオキシンや有害な化学物質も最終的には川を下り、海に流れ出す。そして魚の食物連鎖を通じて人間が食べる。事実、人間の体のダイオキシン類の85%は、魚貝類からのものであるという。
 肝機能障害を起こし易いのだそうだが、一時期我が町の海岸地帯で、肝臓病でなくなる知人が多かった、当時は新たな風土病なのだろうかなどと思ったものだが、今となれば化学物質の影響が大きかったのかもしてないと回想している。一日に一度は刺身を食わないと満足しないという人達だった。だがもう一説には、地元の医者が、注射針を使いまわしていたので、患者が広がったとか、の噂もあり、今となってははっきりしないが、化学物質にはいやな感じを持っている。最も苦手とした科目でもあったからだ。
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by watari41 | 2009-08-01 10:28 | Comments(3)