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故郷に錦

 我が町の近隣に宮城県村田町がある。そこの出身者が東京で時計会社を創業して大成功した。大量生産をすべく故郷に工場を持ってきた。50年以上も前のことだと思う。その名も東京時計で数百名規模の工場が田舎に出来たのだった。ゼンマイ式目覚まし時計で、1ドルで米国への輸出専門会社だった。まだ為替が360円の時代である。それでも時計は高級品の時代だったから安いものだと思ったことを回想する。国内では販売ルートなどの関係で売ることが出来なかった。
 しかし、その後の電子時計への技術革新や円高などについてゆけず、昭和50年頃に倒産した。

 故郷に錦という言葉も古くなってしまったが、地方に大規模な工場が立地する時に、そんな例が多いようだ。先ごろ、話題になったキャノンの大分工場などのように、地縁、血縁など何かと便利なことがあるのも理由の一つであろうが、スチャンダルになることも多い。

 なかには別の意味合いで、故郷とのつながりを保った人もいた。私の同じ町内会に萱場さんという方がいる。その家の出身者が東京都庁に入り、大正時代のことだが大幹部になった(町史にも記載あり)。故郷からも後輩をということで、親戚の人が引っ張られて上京した。ずっと後年になってから、といっても30年ほど前であるが、葬儀で帰省したその方に会うことができた。70歳を過ぎていたと思う。私も話には聞いていたので一献差し上げたところ、その人曰く「私は幸いにも酒が呑めたんで、何とか定年まで勤まったんですよ」というのだから驚いた。謙遜とも本音とも取れる言葉である。大幹部だった萱場さんも親戚が酒に強いことを見込んで連れていったのだろう。

 最近では、ふるさと納税が話題である。時々新聞に取り上げられるが、集まっている金額は多くないように思う。「故郷に錦」という言葉も死語に近いが、都市に住む人も2世、3世の時代になってきているからなのだろう。
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by watari41 | 2009-05-31 11:50 | Comments(4)

北朝鮮の核

 朝鮮半島には思い入れがある。祖父が明治末から大正・昭和初期の定年になるまで現地の郵便局に勤めていて半島各地を転々としたからである。どちらかというと現在の北鮮の地が多かったようだ。父もアルバイトのようなことで時々は出かけていたようである。祖父は朝鮮総督府に勤務していた。戦争の起こる10年ほど前には日本に戻っていた。
 終戦の時、父の姉夫妻は、日本海側の元山というところに、母の姉夫妻は中国との国境である新儀州というところにいた。帰国するのに大変な目にあったらしい。

 私の最初の海外出張が韓国だったのも何かの縁みたいだ。朴大統領が暗殺され全大統領が選出される頃でまだ戒厳令がしかれていて、ホテルからは真っ暗なソウルしか見えなかった。当時はまだ金属製品で動く電話機の全盛時代だったことを回想する。

 韓国の大統領は辞めると捕まるということを繰り返している。残念なことだ。一族間の結束が強すぎることが原因だとも言われている。
 北朝鮮はまた物騒なことになってしまった。歴史的にも奇跡に近いようなことをやっているのだと思う。2千万国民を盲目状態にしておくのだから、この世界的情報化時代に信じ難い話である。もう20年も前から専門家は北は苦しい状況にあるので、そんなには持ちこたえられないと言っているが、どうしてどうしてである。暴発する前に、かつての東欧諸国のように自壊するのを望むばかりである。

 金大中大統領などの太陽政策というのは、失敗だったのは明らかである。融和というのはあり得ないことのようだ。無償で食料やエネルギーなどを手に入れようとしているのだから虫のいいことだ。

 貧しい国での軍事的突出というのは、いつの時代にもあり得ることのようだ。核兵器と言うのは使えないものだということを認識しておいてほしいものだと思う。
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by watari41 | 2009-05-27 20:33 | Comments(4)

種の変化

 蛙をめっきり見なくなった。それを餌にしていた蛇もわが屋敷には姿が見えない。ミツバチなど、いろんな生物の異変が伝えられている。何らかの原因がある。人工的なものか、自然がおかしくなってしまったのか気になるところだ。

 我々は健康とか快適さを求めていろんなものを排除してきた。記憶に残るものでは蚤やシラミのたぐいである。DDTがこれを駆除してしまった。シラミの巣になっていた女子の頭は、薬で真っ白にされたことを回想している。

 消毒も徹底されてきた。病院の廊下では特有のクレゾールの臭いが鼻についたものだが、最近はその臭いもなくなった。別の薬が採用されているのだろう。

 私は、町内会の公衆衛生組合長でもある。ゴミ担当の役員が兼職で任命されている。重複する組織は合わせてしまえばよいようなものだが、役場の長年のしきたりでそうもいかないところがあるのだろう。

 戦後間もなく法定伝染病の赤痢が我が町で大流行した。私もたった一人の弟を亡くした。昭和21年のことだ。郡医師会史によれば20名もの方々が亡くなっている。そんなことを契機に各地区に任意団体として衛生組合が発足しそれが今に続いている。歴史的な役目を終えたようなものであるが、汲み取りトイレの家がまだ数軒残っている。そのトイレのウジ虫殺しに薬をまくのが役目である。これまた戦後の懐かしい臭いのする薬だったが、昨年からこれまた別のものに替わった。今年は新型ウイルスの影響もあって、こんな薬にも注文が殺到している。配給数を少し減らされた。

 今朝の河北新報を見ていたら、従来種を駆除する一方で「侵入種」対策に全世界では年間133兆円も使っているとか。信じがたい数字だ。入るものがある一方で出ていくものも多いのだろう。
 蛙などの異変は原因がはっきりしていないようだが、気になっていることの一つである。 
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by watari41 | 2009-05-23 18:13 | Comments(8)

面白い人

 ニッサンのゴーン社長が後継者を選ぶ時に、必要条件として上げたのが「面白い人」でなければならぬ、というのだから何とも興味あることだった。
 あまりそういうことを意識していなかったが、リーダーたるべき人の一般論としても通用しそうなことだ。歴史上でも、信長の後に秀吉だったのは、そういう必然性からだったのだろう。

 最近では文字通りのお笑い芸人である宮崎県知事が注目を浴びた。面白い人というのは人間的魅力だとか、いろんなことを勘案されてのことだろうとは思う。

 最近、宰相力というか支持率が話題である。上がったり下がったり、当事者は大変なことだ。短期間に激しく上下するのだから、たまったものではないだろう。麻生さん個人が何も変わっているわけではなくて、周囲の評価が対立党のことをも含めて、揺れ動いているのである。
 いずれは、その瞬間の状況が選挙結果ともなり、最大4年間を左右することになってしまう。

 後継者というか政権後代になってしまうと鳩山さんであるが、麻生さんと、どちらが面白い人なのだろうかという側面からからも興味がある。
 我々の年代は祖父の鳩山一郎さんや吉田茂さんが首相の頃に、新聞ではさんざんに叩かれていたことを記憶している。半世紀を過ぎると偉大な宰相だったと様変わりだが、面白さではどうだったのだろうか。吉田さんは長生きしたので、ウイットな側面を見せることがあった。

 最近の話題は「愛」に移ってきている。直江兼続である。現代の我々が考える愛という言葉とは、違う概念であろう。鳩山さんは、しきりと「愛」のあるということを訴えている。「面白さ」も「愛」もいずれも必要なことなのだと思う。
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by watari41 | 2009-05-20 11:43 | Comments(6)

50年ぶりです

 町の外れに小さな用水路がある。今はコンクリートの堀になっている。少し水面に張り出して小型の電気操作盤が置かれている。地下にあるモーターを制御しているようだ。先日、そこを通りかかったところ、そのメーターをチェックしている男がいた。モーターはどのあたりにあるのかと尋ねてみた。
 男の指差した先にマンホールの蓋があった。男はジット私を見ていたが、あなたは「S」さんではないのかと言うのだ。そうですというと、男が私は「T・T」だよとフルネームを言うのである。驚いてしまった。
 高校の時に私のすぐ後ろに座っていたのである。卒業してから初めて顔を見た。50年ぶりということになる。クラス会にも顔を見せたことがなかった。酒を呑めないからだというのだ。
 一風変わった男だった。我々は電気科であったが、彼は電気に興味をもっていなかったのか、当時話題のサルトルとかカミュの本を読んでいた。実存主義というものである。私も少なからぬ影響を受けた。

 「T」君は、職を転々としたらしい。彼は面白いことを言うのだ。こうして70歳近くになっても飯を食えるのは、電気に在籍していたお陰なんですよというのだから、当時を回想すると何ともおかしなことだ。卒業証書と経験年数で、それなりの国家資格をもらったのだろう。名刺には、プラント会社の技術顧問とあった。

 彼は、私がこの町から仙台に通学していたので、今も住んでいると思って、いろいろと情報を得ていたようだ。月に何度かは来ているので、いつかは遭遇することもあるだろうと思っていたらしい。私の方に意外性があったのである。

 50年が過ぎても電気の原理が変わったわけではない。モーターやトランスにしたところで、小型になっているが理屈は同じである。
 これがパソコンや通信の世界だったら、大変なことだ。50年前にコアメモリーのコンピュータを国鉄で扱ったことがあるので、何とかなるだろうとパソコンを買ってみたがどうしようもなかったという老人もいた。
江戸時代からいきなり現代に来たようなものになるだろう。我々は良い時期に良いものを学んだのだと思っている。
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by watari41 | 2009-05-16 09:00 | Comments(4)

ゴミの側面

 町内会のゴミ役員をやって4年になる。今回、思い切ってゴミ集積所を新築した。それを記念して、役場のゴミ担当課長に町内役員一同が集まったところで講演してもらった。a0021554_9472310.jpg

 課長は、4月から町役場としては史上初めての女性である。極めて優秀な方のようだ。今頃になっての就任だが、田舎のこととてやむを得ないのだろう。
 ゴミについては、知ってるようで知らないことがたくさんある。各市町村毎に事情は異なるのだろうが、オヤオヤと思うようなことがいっぱいあった。私が知らないんだからというのも変ではあるが、町内の90%以上の方々は知らないのだと思う。
 資源ゴミに関することである。新聞・雑誌・ダンボールなどだ。これらは文字通り資源なので、そのゴミを出した時には町に貢献したような感覚を持っていたものだ。
 しかし、そうはならない機構になっているのだ。「ゴミを運搬・処理する組合」が広域行政組織となっており、資源ゴミ、生ゴミとを問わず1kg当たり20円ほどのコストを、運搬・処理費用として町が組合に支払っているのだという。従ってゴミの総量が減じないと、いけないのだという。

 そして、子供会などの財源確保に年に数回行う資源ゴミの回収は、役場にとっては減収になるのだろうと思っていたら全く違っていたのだ。
 子供会で集めたゴミは、別業者に1kg4円で購入される。この業者は機構とは別系統の業者であり、異なる販売先を持っている。従って、役場としては、町民が別ルートでゴミ処理してくれるのを歓迎するのだということだからおかしな話ではある。全国どこでも似たようなものなのだろうか。
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 地球環境全体としてみれば、同じことかもしれないが、町内会、役場レベルの話だと、そういう細かいお金が絡んで変な話になってくる。

 数十年前に、ゴミ問題などなかった頃に、現在の生ゴミである「豚のエサ」確保を巡って、縄張りがあったことを回想している。多くの家で豚を飼っていたものだ。

 我が町の年間ゴミ費用負担は3億円であるが、ゴミの墓場とも言うべき最終処分場が満杯となり、さらに焼却炉が老朽化しているので周辺2市2町で新規建設すると400億円とか、全市町の年間予算に匹敵する金額だ。広域人口12万人なので一人頭30万円強となる。
 そんな金額がお寺の新堂建築の一戸平均だったこともある。命が消えれば生ゴミだと発言して物議をかもした人もいた。生きるために発生するゴミ、死して尚ゴミと言われると生存価値とは何ぞやということにもなる。
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by watari41 | 2009-05-12 10:01 | Comments(4)

農と工の歴史

 我々世代は、日本の歴史始まって以来の重大な転換事例に何度も遭遇した稀な時代を生きてきたが、最重要な転換は「減反」であったと思っている。オヤと思う方がいるかも知れない。

 有史以来、食料の増産は、人類共通のテーマであったはずだ。それが日本では昭和45年にプッツリと途絶た。新田・開田禁止と「減反」が始まったのである。これ以上の歴史的転換はないはずなのに、何故か今もってこのことを本格的に論評したものを見たことがない。
 今や田圃の減反率は30%にも達する。問題を意識的に避けているのか、カモフラージュしているのかがわからない。現在の農相は米を作りたいだけ作ればいい、などと言っているが、もはやそんな馬鹿なことをできる時代ではなくなっている。

 歴史的な大事業と言われるものは、ほとんど米の増産に関することだ。伊達政宗は北上川を捻じ曲げて、膨大な新田を開いた。近代に入ってからは宮城県の品井沼干拓事業。福島県の安積疎水、これは猪苗代湖の水をそれまで日本海に流れていたのを止めて、大袈裟に言うと奥羽山脈をぶち抜いて太平洋側に流すという壮大なものであった。そして秋田県の八郎潟干拓事業、これなどは昭和40年の完成で世紀の大事業と言われたのだから、減反の直前まで増産事業に精を出していたことになる。全国的に見れば、耕して天に至るといわれた棚田作りなど、枚挙にいとまがない。そして日本での米の歴史が事実上終わったのだった。

 そんな昭和の転換期に意識したことではなかったろうが、「鉄は国家なり」と言った鉄鋼会社社長がいたのである。当時は不遜な発言のように思えたが、今にしてみれば、農の時代は終わり工業の時代に歴史転換したということを感じ取った表現だと思っている。
 そんな鉄もあっという間に自動車に主役の座を代わられた。今や自動車さまさまである。宮城県にその工場が来るというので、はしゃいでいるが、自動車産業は、はたしていつまでもつのだろうか。

 農が話題になったのは、数年前に食料自給率が40%を切った時の話だった。40年前の歴史的転換が原点にあり、結果論ではあるが、当然そうなってしかるべきことだった。
 現在、興っていることが将来どうなるのか、難しいことではあるが、いろんなことを考えておくべきなのだろう。
 
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by watari41 | 2009-05-08 10:32 | Comments(7)

エネルギー効率

 ハイブリッドカーの人気が凄い。燃費が2倍にもなる。それでもガソリン効率100%からは遠いはずだ。ということは、一般の車では50%をはるかに下回った効率で運転していることになる。

 効率が悪いことで有名だったのは蒸気機関車である。石炭エネルギーのわずか数%しか利用されていないという代物だった。だが何故か人気が高かった。勇壮な姿で走るからである。ムダなエネルギーを撒き散らしながら前進するのだから勇ましいのである。3重連で走る列車は特に人気だった。率直に感嘆していたが、人間の脳はムダの三重奏を感じ取っていたのかもしれないと思っている。

 ハイブリッド車の走りは静かだという。これまた効率が高いことの裏返しでもある。但し、車の価格が高すぎる。私らにはもう手がでない。
 何故だろうかと考えてみた。電池を余計に積んでいるはずだ。スタート時の動力源としての電池だ。それに電気を溜め込むための発電機もいる。そして動力モーターも必要なのだ。あれやこれやを考えると、部品数はかなり増えてしまう。車全体も重くなっているはずだ。それでもガソリン効率がよくなるのだから、面白いものだ。

 ここから車で仙台に向かうとガソリン一升ほどを消費するが、電車賃の半分ほどである。人間一人が電車に乗ったところで、いかほどのエネルギーも使ってはいないのだろうが、維持管理費が運賃の大半なのだろう。

 車の意味は、田舎にあっては好きな時間に移動できることにある。ガソリン代も今はさほど高くはない。だがなんとなく地球環境を汚しているという後ろめたさがある。そんな心理がハイブリッド人気になっているのだと解釈している。

 車を持っていることは、地震などでの停電時に発電機の役割があるという考えがある。直流を交流に変えるインバータを取り付けると、100ボルトの電気を自動車から家庭に直接送り込める。数日分の電力をまかなえるらしい。物好きな電気屋さんはそんなことを考えやっている。
 しかし、通常は効率の良い話ではない。最新鋭の火力発電所は50%の効率があるからなのだ。
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by watari41 | 2009-05-04 16:45 | Comments(6)