<   2009年 02月 ( 7 )   > この月の画像一覧

一寸休憩/こぼれ話

 ①話:町内会にあった話。私と同年代の男が、若い時に東京に出たのはよいが、どういうわけか暴力団に入ってしまった。だが、そんな才覚があったのだろう、メキメキと頭角を現し、たちまちにして大幹部になってしまった。ところが万事うまくいかないもので、心臓病か何かでポックリと死んでしまった。30年か40年も前のことだ。こちらのお寺で葬儀があった。当時はまだのどかな時代だった。東京の警察署長や警視庁のお歴々の花輪がずらりと並び、そこに暴力団の○○組や××会の花輪もあるのだが、当時はそれが当たり前の風景だった。
 葬式手伝いに、東京から威勢のいいアンチャン達もきていた。そこに地元町内会も入っての、いろんな準備である。町内会リーダーが、アーしろ、コーしろと指図をしていた。それを見ていた東京の組員が、あんたどこの「組」のものだと聞いたのだ。そしたらリーダー曰く”隣組のもんだ、なんか文句あっか”と言ったものだ。アンチャンはあっけにとられていた。いまでも語り草である。

a0021554_11353059.jpg
「こぼれ話」の語源は「こぼれた花」だとか、それが「こぼれ花」あるいは「こぼれた話」になり、やがて「こぼれ話」になったとか、そんなウンチクを傾ける人もいた。

 今度は秋田出身者の話。
 ②話:ワンマンバスが開通したころの話。バス亭で開いたドアに、老人が後ろ向きになってステップを踏んで乗り込んだのだという、運転手が不思議に思って、どうしたのですかと尋ねたら、そこに「バスには後ろから乗って下さいと書いてあっぺ」年寄りには大変なこった。
 ホントのような作り話なのだろう。

 ③話:退職後、公設市場に勤めた男がいた。12月の中ごろ、郵便受けをみたら年賀状の束が入っていたのだという、差出人はみな同じなので、さてはと思い近くなので、持っていったのだという。最近引っ越してきたばかりで、大きな赤い箱なので、てっきり郵便ポストだと思いました。というのだ。これは実話だ。
[PR]
by watari41 | 2009-02-28 11:43 | Comments(7)

表と裏/さらす(晒ス)

 良寛さんの辞世は、一般的には「裏をみせ 表を見せて 散るもみじ」と、いわれている。これまた凄い句である。全てをさらけ出し、隠しているものは何もありませんというようなことだ。辞世が二つあるのもおかしいが、いずれも良寛さんらしいことだ。

 昭和39年の東京オリンピックで、女子バレーを優勝させた大松監督は、後に「なせば成る」という本を書き、そのなかで私は自分の全てをさらけ出したので、選手がついてきたのであると述べている。忘れられない言葉だった。

 我々凡人には、自分をさらすというのが非常に難しい。心の奥底で何かが邪魔をしている。ある一面しか見せていない。私の場合は真面目人間という側面しか他人には見えないのだ。
 ある人は、オチャラカ性のみしか見せていないこともある。しかし、ほとんどの人は多数の側面を持っている。
 相手が無心でくる場合に、こちらが警戒すべき人間かどうかがわかるようだ。良寛さんが、子供と一緒に遊べたというのは、まさにそんなことを言っているのだろう。
 人間の全てをさらけ出せたとき、それが一種の悟りなのだろうと思っている。

 片や、政治の世界に目を転ずると、そこには権謀術数が渦巻いている。腹の中を見せることはない。吉田茂さんは名宰相といわれたが、お孫さんはどうも良くない。今日(2/24)の河北朝刊を読んでいたら作家・辺見庸さんのコラムで、こんな指導者の後には、得てして正体を隠した偽善者が出てきて、高い支持率を得ることがある。そしておかしな方向に国民を引っ張るなどということが歴史上、幾例もあったと心配している。

 麻生さんは、もはや池に落ちた犬と同様になってしまった。叩き過ぎると、こちらに跳ね返ってくる恐れがある。テレビはもはや、やりすぎている。a0021554_15194512.jpg
 首相は政治家として見せてはならない表裏をさらしてしまった。友を選ばばということにも神経が届かなかった。

 誰であれ去り行く人への礼をつくすのが日本人の美徳である。時あたかも「おくりびと」が注目を浴びた。敬意をもって、散る人を見守るべきだろう。首相を去れば仏様には至らずとも、何らかの悟るところがあるはずだ。
[PR]
by watari41 | 2009-02-24 15:21 | Comments(8)

生きる/行く先

a0021554_14571927.jpg
 2009年のスタートは好ましいものではない。経済だけではなく、まだ2月なのに、私の手元には会葬御礼が5枚もたまった。なかでもガンに苦しんだ同期生に弔辞を読んだのが何ともたまらないことだった。

 先日は、ご近所の享年80歳の方。数年間の入退院を繰り返した。長男の喪主挨拶がよかった。ピンピンコロリとは年寄りの願いであるが、父のように徐々に弱ってもらった方が家族としては幸いであるというのである。言われてみればもっともなことだ。

 元気だと思っているうちに一瞬で逝かれると困ってしまうだろう。私も平均的にはあと10年くらいしか残っていないようだ。生きているうちに何をやっておくべきか真剣に考えなくてはならない時期にある。
 40・50代にやるべきことではなくて、残された日々にとはいっても、そんなに悲壮感がるわけでもない。ここまでの10年も長かったが、これからの一年づつはさらに長いことだろう。

 良寛さんは、形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋は月 の辞世を詠んだ。 何を残さずとも、日本のすばらしい自然環境がありますよというようなことに解釈されている。
 良寛さんは、足るを知るの自然体での生き方が、今日までも語り継がれ驚嘆されている。生き方そのものを残したのだ。そんな聖者にも恋があったろうと、瀬戸内寂聴さんが「毛鞠」という小説を書いている。最後を看取った貞心尼との淡い物語である。

 私も思い起こせばいろんなことがあった。お世話になった方々もほとんど亡くなってしまった。国内外で数千人の方々とお会いし、近隣諸国とのビジネスなど、それらの商品も今や多くは博物館に入るほどに変化の激しい年月を駆け抜けた。

 退職後は町内会の世話役も引き受けた。これからも続けていくことだろう。更にはなにをやるべきだろうかと考えている。多くの人がそんなことで悩んでいるのかもしれないと思っている。
[PR]
by watari41 | 2009-02-20 15:00 | Comments(3)

ご苦労様/45年間

 私の身近にいた男の話である。2月14日春一番だという猛烈な風が吹き荒れた。列車は全面ストップである。45年間働いた男の送別会なのである。やむなく仙台まで車を走らせた。酒が飲めないのは残念なことである。運転代行などとは年金生活者には考えられない。

 この男は、中学校を卒業するとすぐに会社に入ってきた。かわいい顔をしていた。送別会のこの日、10年ぶりくらいに会うのだが、頭が少し白くなった以外にほとんど変わらない。
 実に真面目な男だった。雨の日も風の日も自転車で通勤していた。遊ぶことを知らないとも言える男だった。

 この男は、金属の実験室に配属となり、それ以来、数千種類にも及ぶであろういろんな合金を実験炉で溶かし続けたのである。古い時代の磁性金属から最新の機能性金属まで、彼の手にかからなかったものはないであろう。寡黙な男でもある。必要なこと以外はしゃべらない。

 45年間のご褒美があったようだ。余計なことを心配して聞いてみた。そしたら年金の特例処置みたいなものがあって、その年数を働いた人は、即刻満額の厚生年金をもらえるそうなのである。会場にはあと数年で、そんな境遇になる人が何名かいた。現場でずっと働いていた人達である。

 面白い感謝状もあった。サンザンゴクロウをかけました。とゴロ合わせで33596円を同封し、思い出のコメントを書き送ってきた人もいる。機能性合金で有名になり在職中に独立法人国立大学教授に転出した奇特な人である。

 我々も悪かったのだろうが、この男はとうとう独身で過ごしてしまった。これからは妹一家の世話になるのだという。晴れた日には、また自転車で散歩しますというのが返礼のご挨拶だった。

 
[PR]
by watari41 | 2009-02-15 15:34 | Comments(7)

良妻・悪妻/男と女

 楽天の野村監督夫人は悪妻・悪婦人の見本のように言われていたことがある。そのイメージは今も変わらない。
 しかし逆説的にいうと稀に見る良妻なのかもしれない。73歳になっても野球をやっていられるのは、ひたすら夫人に尻を叩かれ続けているからなのだろう。賢夫人なら、これまでに稼いでもらったからと野村さんは今頃、悠々自適の生活を送っているはずだ。
 野球界にとっても、本人にとっても現役を続けてもらうことは願ってもないことのはずだ。夫人に感謝するしかない。不思議なものだ。

 世界三大悪妻(トルストイ・モーツアルト・ソクラテスなどの夫人)と呼ばれる方々もいる。いずれも男よりの評価なのだ。そして彼らは歴史上あまりにも名高い。そのご婦人方はなんとも気の毒だ。

 日本でも同様なことがある。源頼朝の北条夫人、日野富子、徳川家康夫人の築山殿など。近代では夏目漱石夫人なども(漱石夫人鏡子さんの悪妻評には異論もあるが)。しかし、それらは後年になってから作り上げられている。しかも北条夫人などは、現代女性作家によると賢夫人として描かれている。

 だいたい、男は女によってどうにでもなるものだ。小・中学校でどうしようもない先生だと思われていた人が校長になったりする。そこには、だいたいにして賢夫人がいるものである。

 女は男よりも広く物事を見る目があるのだとか。生物学的にも女は強いといわれている。事実、男よりも長生きしている。

 あと一万年もすると、男はいなくなってしまう。その兆候がもう現れているんだとか、そんなショキングな科学番組を先日テレビでみていた。うなづくところが多い。いろんなDNA研究がなされているものだ。
 男が威張るのは、弱さの現われなのかもしれない。万世男系の天皇家とはそういうところに価値を見出したのかもしれない。将来の人類は一性になるのだろうか。哺乳類の常識にはない繁殖行動をとるのか。遠い先のことだが、どんなことになるのだろうか。SF物語に出てくる宇宙人は単性である。人類は動物の段階を卒業するということなのだろうか。
[PR]
by watari41 | 2009-02-10 10:53 | Comments(7)

狐と狸/化かしの理論

 我が町にタヌキを飼っていた家があった。現在のようにペットとしてではない。ご利益(ゴリヤク)の記念としての飼育である。
 時は、明治から大正・昭和へと移る頃・・、何やら講談っぽくなってきた。

 ある地主が、一人の作男によって化かされるようにして土地を失ってしまった。どういうことかというと、その男への作料の支払いが事務処理の関係なのか、滞ってしまっていたのだという。催促したところ、冗談半分に土地で払うかとなったそうである。OKですとなって、そんならとはじめた手続きがおかしかったらしく、後年になって気がつくと、土地の大半は作男のものとなっていたという話だ。
 狐か狸にでも化かされたのだろうという噂になった。神社でも建てるところだが、生きたものを飼って奉ろうとなったそうだ。キツネは稲荷神社の祭神なので恐れ多いと、タヌキにしたそうである。それは、それは大事に扱ったとか。
 それを聞きつけた町内の人達が、そのゴリヤクにあやかろうと一時期、タヌキを飼うことがブームになったそうだ。

 何で、こんな話を持ち出したかというと、先日のTVで「GMの破錠」という特集番組があった。これまでの好調な業績の裏にはとんだカラクリがあったという内容だった。貧乏米国人ではとても買えそうにないGM高級車を販売店がローンで大丈夫だからと売りつけた。GMの金融子会社は、これを債権化して、またまた高値で世界に向かって売りつけた。

 まるでキツネが”枯葉をお札に化けさせた”ようなものだ。しかし現代ではこれを金融工学とよんでいる。化けの皮はいつかは剥がれる。リーマンショックで、全てが現実の世界にもどったのだ。

 日本の金融テクニックは「円天」なのか、集めた金額は千億円なので、日本経済を揺るがすほどではない。しかし化かされて全財産を取られたご婦人は気の毒だ。タヌキ男は日本人皆が幸福になるんですと。ふざけた話だ。何も高等数学を使ったわけでもなんでもない。マルチ商法だ。しかし結果的にはアメリカの話と一緒になる。こういうものに理論があろうとなかろうと同じことなのだ。
[PR]
by watari41 | 2009-02-06 10:53 | Comments(8)

臭い話/糞

 はなはだ尾篭(ビロウ)なことで恐縮である。
(写真は内容とは関係がない、一昨日の雪も大半消えた近所の旧酒蔵 
2009.2.2朝)
a0021554_10534140.jpg

かつて人工糞を作ろうとした人がいたのだという。人工心臓などもある時代なのだから、おかしくはないのだが、糞は成功していない。
 先日、テレビで腸の話を聞いていて、なるほどと思った。人間の腸には千種もの菌がいて、その重量は1.5kgもあるという。そして排出される便の1/3重量はそれらの菌が占めているのだそうだ。
 私が知っているのはビヒィズス菌くらいだ。ほとんどの菌はまだ未解明で、一つ一つ細かく研究されているところなのだという。
 これでは、やみくもに食物を腐敗させて人工糞を作ろうとしても成功はおぼつかない。

 先年、仙台での人体の不思議展を見たが、内臓の働きに関するものはなかったように思う。腸の働き一つみても大変な驚異の世界だ。
 腸内での便への合成は、複雑きわまりまいものなのだろう。私は、いくら食べても太らない体質のようだ。こういうことなどもいずれ解明されてくるのだろう。

 排出される便は、昔は肥料として有用だったが、半世紀ほど前からはやっかいもの扱いになってしまった。
 東京では、船に積んで沖合いはるかに捨てていた時代があった。黄金船などとよばれ、その実態を文芸春秋で読んだことを回想する。

 私のところは,当時は農業もやっていたので、トイレが満杯になるとコイ桶に汲み取り、その桶を両端天秤にかついで、屋敷はずれにあるコイ溜まで運んだ。これを、この辺りではダラカツギと言ったものである。私はあまり上手ではなかった。歩く毎にチャッポン々々と音を立て、時にはこぼれることもある。しかし当時は汚いという感覚はあまりなかったものだ。

 そのうちに、バキュームカーが走るようになり、簡易水洗から、本格的下水道へと変わっていったのである。わが町では水道と併せ基本料金が月に3300円である。わが身一つを処するのにもお金がかかる。

 人工糞は何を目的としたものかはわからぬが、科学の進歩はやがて、菌に何かを作用させて、便を一瞬にして消えさせたり、有用化させるかも知れない。その最初は宇宙での人間生活からなのからなのであろうと思っている。
[PR]
by watari41 | 2009-02-02 11:04 | Comments(4)