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一流人・三流人

 「篤姫」が大人気を博している。これまでの大河ドラマの最高視聴率が「伊達政宗」だったのでそれを凌駕するかもしれない。宮尾登美子さんの作風が現代の風潮にマッチしたのだろう。
 江戸末期というのは、複雑な時代だった。「尊皇攘夷」という思想が入り乱れて、なかなかわかりにくい。それを篤姫を軸にして単純明快に割り切った。史実としても篤姫が西郷隆盛に書簡を送り、それが江戸無血開城の一つのきっかけになった。

 西郷は一流の人物だった。彼は東北をも無血で収めようとした。彼自身が乗り出せばうまくいったのだろう。しかし官軍の先頭に立てないくらいに多忙だったのだろう。まかせてしまったのである。その参謀に長州は「世良修蔵」を当てた。これは三流の人物だった。仙台藩代表との交渉に居丈高にふるまった。交渉は決裂した。福島県で世良を惨殺てししまった。その中には現代になってイカサマ建築士として全国に名前が知れ渡った「姉歯」さんの一族と思われる仙台藩軍監、姉歯武之進もいた。
 こうなっては、一戦を交えずにはすまなくなってしまった。官軍は北上して前回の回想へ記載のごとき次第となるのである。

 新潟県の長岡藩では有名な家老の河井継之助がいた。これまた官軍の交渉相手がわけのわからない三流の人物だった。結局は全面戦争となった。

 後になって、西郷が直接乗り出した山形県の庄内藩ではまるく収まった。その後、庄内藩ではずっと西郷への感謝の念を持っていたようだ。

 乱世にあっては事に当たる人物の器量が歴史を決してしまう。指導者が一流の人物にあたれば幸いである。
 1929年のアメリカ大恐慌の後にはルーズベルトが大統領となって、その復興策が後の米国の超大国たる地位を決定した。

 現在の金融危機における麻生首相の対策はこれでよいのだろうか。一流の宰相は無理としても、三流の人であらねばよいがと願っている。
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by watari41 | 2008-10-31 12:03 | Comments(12)

マラソンコース

 昭和20年の大空襲で仙台は焼け野原となった。30km南に住む私のところからも真っ赤な仙台の空が見えた。私の記憶に残る最初の出来事でもある。
 そこから遡ること77年前の、明治維新の時にもそんな危機があったのだが焼けずに済んだ。仙台藩の南境まで兵を進めた官軍と、寸でのところで交渉が成立して、本格的な戦争には至らずに降伏できたのである。
 伊達氏の一門で、2万石を有して南端の要害を預かる伊達邦実公が、仙台藩主の意向も聞かずに単独で交渉したのだ。その頃はすでに負けを覚悟していたので、降伏調印式には藩主慶邦公は、すんなりと仙台を出て阿武隈川を渡ってここの要害にやってきた。

 官軍との最初の交渉には、2人の気の利いた百姓が選ばれたのである。手紙を持って相手の陣営に紛れ込んだ。到着した先が肥後(熊本)軍であった。当然ながらニセ手紙の疑いをもたれ、1人がとどめ置かれ、もう一人に亘理・伊達邦実公の重臣を至急に連れてくるようにいい渡された。その百姓は、そこから走りに走ったのだという。約20kmだからハーフマラソンの距離だ。そして帰りも重臣に付き従って走ったのだから、マラソンをしたことになる。

 仙台藩は戦争と焼け野原になることを避けられた。恩人とも言うべき人たちである。恩賞として百姓は士分に取り立てられたが、亘理・伊達邦実公配下の3千名は北海道開拓への移住を決断し、大変な苦労をして現在に至っている。

 ちなみに、この百姓が走ったところと同じ道路か否かはわからないが、宮城県の公認マラソンコースとなっている。
 だが、これは上記の話とは全く関係がなく、平坦で交通量の少ないことが条件にかなっただけなのだ。
 亘理鳥の海・山元コースと呼ばれており、高校駅伝などでよく使われる。かの北京オリンピックの男子マラソンで優勝したワンジル選手も育英高校時代に何度も走っている。
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by watari41 | 2008-10-27 16:46 | Comments(8)

手で歩く

 最近、仙台を中心に宮城県一延に、ノルディックウオーキングが小さなブームを呼んでいる。スキーのストックのようなものを両手に持って交互に地面を突いて歩く。舗装道路を歩く時は、ストック先端にゴムを付ける。

 仙台に、数年前にフィンランドセンターという北欧文化を紹介する施設ができて、その一端として、このスポーツも紹介されたようだ。
 本来は、ノルディックスキーの選手が、夏場のトレーニングとして取り入れたもので、それを一般人のスポーツとして改良されたのだという。
 スキーで坂を登る様子などをみていると、まさにストックに如何に腕の力を伝えるかが、勝負なのである。この競技は北欧の選手が伝統的に強い。

 我々は、昔から舶来文化に弱い。ましてや西欧のものにはすぐに飛びつく。健康に良いとなるとなおさらである。
 わが町でも役場の保健課肝いりで、数十人のグループが出来て、それに参加している。ストックはまさに北欧からの直輸入品である。2本で最低の価格品でも一万円もする。特許などの関係で日本ではまだ生産ができないのだろう。ついている説明書もすべて横文字である。別に読む必要などはないのだが、オーと思わせる。

 腕の力が20%、脚力80%が丁度良い健康バランスなのだという。単なるウオーキングよりもはるかにエネルギー消費が多いそうだ。月に2度ほど集まっては周辺を一時間ほど歩いている。手で歩くという感覚だ。

 人類は、直立歩行をするようになって、急激な進化を遂げたとも言われる。脳が歩行にも関係しているという、腰痛に絡んだ最新の説もある。4本足で歩くのは、退化なのではないのだろうかなどと、妙なことを考えながら歩いている。老人の杖もそのうち2本になるのかもしれないと思ったりしている。
 
 
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by watari41 | 2008-10-22 17:12 | Comments(6)

見事な人生

 ヤオハンの元社長だった「和田」さん夫妻について数年前、その近況を放送した番組を見て強烈な印象を受けたので記しておきたい。
 安いアパートに住んで、軽自動車に乗り、年金で生活しているのだという。何とも驚いた。一世を風靡した方である。時のビジネス誌によく取り上げられ、快気炎を上げていたものである。これからは世界的規模で展開するのだと、本社を香港に移したりしていた。

 そんな時に私は香港に出張したことがあった。街の中を歩いていたら、いきなり大きな船が地上に乗り上げたような光景に出くわして驚いた。よく見たら船首があって船腹の中央で途切れている。ヤオハンデパートそのものを船の形にしたのである。度肝を抜かれたことがあった。中は5層になっていたと思った。

 こんな、奇抜なことで、世界各地に展開したのだろう。しかし長くは続かなかった。倒産した。あの和田社長はどうなったのかと思っていた。
 そしたら、普通のおじさんの格好で登場したのである。私財は全て負債に提供したのだろう。実に清々しい顔をしておられる。奥さんもまた、社長の全盛期には高価な宝石類など売りつけられたらしいが、すべて処分したとのことだ。奥さんは私には似合わないものだと思っていたのだという。
 お2人共に何にも無くなって、実にすっきりしたというのだ。もともとは無一物からはじめたのだからとことなのだ。
 普通には、なかなか考えられないことだが、実行されているのだからすばらしいことである。日本人には本来こういう思想というか、諦観というのだろうか、こんなものがあったのだと思う。
 和田さんは、過去にもう贅の限りをつくしているので、人生に後悔はないのだという。しかし、あまりにも有頂天になりすぎてしまったという反省をしておられた。現在はそのむくいとして受け入れているような話をされていた。
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by watari41 | 2008-10-19 10:27 | Comments(6)

核の棺

 原子力発電に我々現代人は多大な恩恵を受けている。しかしその役目を終えた核燃料廃棄物を、うまく納棺できないでいるのである。

 先日、友人が気晴らしにと福島県の海岸地帯の旅に誘ってくれた。ここは日本でも最大の原子力発電所群が並んでいる。その案内センターを訪れた。
 渡されたパンフレットが、廃棄物の埋葬に関するものである。3重の棺に納められ、地下深くの岩盤に埋められるから、安全であるというPRなのだ。発電所も廃棄物処理が喫緊の課題であるとしている様子がみてとれる。

 どのような納棺をするのかというと、まず高い放射能を持った核のゴミを溶融したガラスと一緒に円筒状に固めてしまう。それをステンレスの筒に入れて、続いて分厚い鉄の筒に入れる、それをさらに粘度質の土で作った厚い筒に入れるのだから万全であるということなのだ。材質の異なる3重の棺だ。

 この話の通りなら、立派なものだと思う。この作業を行うのが青森県下北半島の六ヶ所村というところである。全国の原子力発電所から出る廃棄物が最終的には、ここに集まってくるのだ。
 昨日(2008.1012)の河北新報の朝刊に、最初の工程であるガラスへの溶かし込みがうまくいっていないという記事が載っていた。炉の底に希少金属がどうしても残ってしまうのだという。
(核のゴミが残るのだろう、新聞は表現をボカシテある)
 処理工程として、これでは意味がない。

 なかなか核廃棄物を棺に納められないでいるのだ。たまたま人間の納棺に関する映画が話題になった。「おくりびと」である。だれしもいやがる作業である。だが核の問題は、まったなしの状態になりつつあるようだ。

 在職の頃に、なかなか溶け合わない金属同士に難渋したことを思い出すのだが、問題解決に総力を挙げてほしいものだと記事をみながらの回想である。
 
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by watari41 | 2008-10-13 17:55 | Comments(7)

二つの発明

 ノーベル物理学賞を3人がもらうという快挙があった。30年も前の論文だそうで、この分野での日本のレベルは高かったのだ。今も継続されているのだろう。
 仙台でも近頃、注目すべき2つの実践的な発明が地域ニュースとして報ぜられた。
 一つは、水素を発生させてそれを動力として走る自動車である。簡単な装置だ。アルミの廃材を筒に入れて「特別な液体」を注ぐとアルミが溶けて水素が発生するという仕組みだ。
 在職の頃、アルミを溶かすのに苛性ソーダ(NaOH)をよく使ったものである。今回の発明はこれをベースに、新しい液体を作ったのではなかろうかと想像している。
 水素を使う燃料電池車は、環境面から次世代車の本命とも言われ、現在のガソリンスタンドのように各所に水素供給所ができるだろうとも言われている。
 今回の如く自車で水素を発生できれば、手軽だが問題もありそうだ。原料であるアルミは廃材とはいえ、鉱石から製品になるまでには大きな電力を食っている。そしてアルミが溶けた廃液はどう処理するのだろうか。もう一度アルミを回収できるのだろうか。いろんなことが今後明かとなることだろう。

 もう一つは、ナノメートル単位の微細な窒素ガス気泡を含ませた「水」が、いろんな効用をもっていることが5年前に発見されているが、この水を稲作に使用したところ、農薬いらずで雑草も生えず、すごい効果があったということだ。たわわに実った水田が紹介されていた。
 知らなかったが既に愛知万博の時に、酸素の微細気泡を含ませた水で、淡水魚と海水魚が同時に生息できるということを展示していたのだそうである。
 何か大きな期待を持たせてくれることである。ナノバブルと呼ばれる気泡であるが、超音波技術などが関係しているのであろう。オールドエンジニアとして大いに興味を抱いている。日本人の頭はこれからも、いろんなものを生み出してくれそうだ。金融技術ではないものに脳を使ってほしい。
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by watari41 | 2008-10-08 16:51 | Comments(12)

世襲

 英雄の子孫は現代でも一目(イチモク)置かれている。伊達政宗や徳川家康の末孫などだ。その頂点に立つのが天皇だ。これは世襲で無いと尊敬を得られない。日本では世襲が良いとする雰囲気が形づくられている。
 対照的に言われるのが米国初代大統領ワシントンの子孫が、今はどうなっているかなどはまったくわからないという話だ。

 世襲にもメリット、デメリットがある。民間企業では、ある程度の規模になると世襲の社長では持たなくなる。トヨタも変わった。パナソニックも世襲では大胆なブランド統一の事業などは難しかっただろう。創業者一家と言うのはだんだん、企業のシンボル的な存在となるのだろう。
 30年ほど前だろうか、「世襲企業」という清水一行さんの小説を読んだことがあった。マツダをモデルにしている。有力な自動車企業が世襲で如何に駄目になってしまったかを書いている。

 ひるがえって、国会議員も今や世襲制みたいになってしまった。孫そして、ひ孫の時代になった。鳩山さん、小泉さんもそうなるのだ。民間企業ではないが、国会そのものがおかしくなってしまうのではなかろうかと思う。町会議員や県会議員では、世襲をあまり聞かないが、国会議員にはそれだけのメリットがあるのだろう。国力の割合には国際的政治力が弱いと言われるのは、そんなことなのだろう。

 学校の先生も世襲が目立つ。それだけオイシイ職業の一つなのだろう。先生はいろんな仕事があって大変だとの報道もあるが、要領のいい先生は、サッサト切り上げている方々も多い。

 こうなると、学校も国会もおかしくなり、日本も駄目になるかといえばそうではないのだと思っている。国民的な基盤は、意外にしっかりしているのだと考えている。古くからの伝統とか、それらに基づく新しい技を創り出す力が備わっているとみている。日本人は幾度かの歴史的に困難な体験を乗り切ってきている。楽観的な見方かもしれないが、何十年もの先を見てみたいものだ。
 
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by watari41 | 2008-10-05 10:12 | Comments(6)

台湾南端の旅

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 台湾の南端に植物園がある。亜熱帯というより熱帯に近いところだ。原色の赤に近いのだろう、これまでに見たこともない毒々しい色だ。しかしその気候にマッチしているからなのだろうがすんなりと受け入れられる。そんな南国に来たことを実感させる花々に出迎えられた。
 園内は広い。ジャングルを思わせるような風景に思わず立ち止まった。通路は板敷きになっており、そこからはみださないようにとの注意書きがある。「毒蛇がいます」ということだ。ギョトして通路の中央を歩く。
 日本では見たことも無い花や植物だらけだ。違う世界に来たのだと思った。
 高雄に出張していた休日の時間だった。10年前のことを回想している。

 植物園を後にして、サツマイモのシッポのような台湾の最南端を目指した。途中に小さな湾があり、海水がエメラルドグリーンである。良い環境が保たれているのだろう。
 岬に到着した。地図に見る細々しい感じとは違う。辺りは広々とした草原である。突端は50mほどの崖になっており、海面近くにもう一段の幅数十mの平地があった。そこを見下ろしていたら野牛が尻尾を振りながら草をついばんでいた。
 その日はよく晴れていた。遠くまで見通せた。高台からの展望なので、水平線はかなり遠いはずだ。かなたに陸地が見えるフィリピン本土かと思ったが、その間にある島々の一つを見たのであろう。
 台湾の休日を堪能したのである。
 
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by watari41 | 2008-10-01 20:30 | Comments(6)