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歴史の裂け目:後編

 内藤湖南という学者がいた。十和田湖の南で生まれた(秋田県鹿角市)。東洋史を専門とした。後に京都大学教授となった。(先日の河北新報でも東北学を主唱する赤坂さんによって詳しく紹介されていた)
 大正十年の講演で、室町時代後期の「応仁の乱」を境に、日本の歴史が一変するという独創的な見解を発表したのである。
 銀閣寺を創建した足利義政の次の九代目将軍を選ぶ争いが、武力衝突して応仁の乱となり、戦国時代へと続いていくことになる。日本の中世の終わりでもあった。
 総仕上げは織田信長である。これまでのあらゆる権威を破壊した。それに抵抗したのが明智光秀だったと思う。秀吉も一時は黄金の茶室など足利義満もどきのことをやったが、時代の趨勢にはあがらえなかった。そして鎖国に入って身分制度が固定化され、独自の武士道文化とか町人文化が出てきたのである。(この部分は私見)

 さて、現在の状況を見ると室町時代に似ていないこともない。繁栄の極に達した日本は、どちらかというと緊縮的ムードが漂いつつあるように思う。行過ぎた驕りに対する反省もあるのだろう。
 そして、あれだけ過酷だった戦争の記憶が、次の世代に伝わりにくくなっている。何故だろうか。時代が動いている時には過去の記憶が伝わりにくい。そして今は歴史的転換点に立っているような気がしてならない。

 では、次の歴史は何になるのだろうかということになる。カギを握るのは「技術」なのだろうと思っている。ミニ化というか、あらゆるものが小さな方向に向かっていることは間違いない。数十年前からそんな傾向が出てきていた。

 在職の頃はTon・Kgの商売だったものが次第にgに変化してきていたことを回想している。
 携帯の部品などは、もはやミリグラムであり、あらゆる記録が小さなマイクロチップに収まる。そして一枚のカードが個人の全てを特定するようになるのだろう。産業と情報の革命である。我々の生活様式も一変するはずだ。これらは徐々に進んでいるので、生きている我々には変化がわかりにくい。三十年前に亡くなった人が出てきたら浦島太郎のはずだ。何もかも変わってしまったと思うにちがいない。 
 しかし、人間のエゴだけは永遠に変わらないのだと思う。
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by watari41 | 2008-08-30 19:52 | Comments(6)

歴史の裂け目:前編

 現代の日本文化が次世代へうまく伝わっていくのだろうかと疑問を抱くことがある。我々の世代で消えてしまったものが、実に多いのではなかろうかと思うのである。
 新しい日本が出発することで、それはそれでよいのだろうが、歴史が転換し全く別の日本になった例が過去にもあったという話を回想している。

 文化の断絶とでもいうのだろうか。日本の歴史は15世紀の「応仁の乱」で、一旦途切れたという考え方がある。それ以前の人は、現代人とは別人種のように陽気で明るかったというのである。

 古代日本史を調べても、それは外国の歴史を見ているようなもので、現代に繋がるのは、15世紀からでそこからを学べばよいとするのである。こんな考えの人たちが増えてきているようだ。もちろん、これは地方豪族以下の歴史であり、天皇家や公家などとは別のことである。

 原さんという有名なデザイナーは、現代日本文化の原点は銀閣寺にあるとしている。建設したのは室町幕府末期の八代将軍足利義政であることは誰もが知っていることだ。原さんは、その中でも義政が書斎とした簡素な作りが以降の日本文化に決定的な影響を与えたというのである。

 対照的なのは金閣寺であることは、言うまでもない。ブッシュ大統領などの賓客が来ると、ここに案内してワンダフルといわれるのだが、これは平安朝から続く文化の集大成でもある。これを建てた三代将軍の義満は、自ら天皇になろうとしたが失敗した。
 八代将軍の義政は、バカ殿のように言われるが、どうしてどうしてなのである。日本の文化を変えてくれた。
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by watari41 | 2008-08-26 17:15 | Comments(8)

オリンピック雑感

 近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵が、「北京」を見たら卒倒してしまうのではなかろうか。開会式のアトラクションは、地上最大のショーともいうべきものだ。見ている方は、迫力満点で面白く、全世界が注目していたのだろうが、何故にここまでしなくてはならないのだろうか。

 オリンピックは極めて政治的なものになってしまった。そして商業的なものに変質してしまった。都合の良い時だけに「単なるスポーツ競技に過ぎない」というようなことわりがつくが、誰もそんなことは信じなくなった。

 昭和30年頃までは、盛んに「アマチュアリズム」が喧伝されたことを回想する。コマーシャルに」出たり、わずかな金銭の授受も、まかりならんといわれたものだ。当時のブランデージ会長は、その権化みたいなものだったと記憶している。

 オリンピックに最初に政治的意味合いを持たせたのは、ヒットラーであり、第二次大戦後は、それではいけないと、自粛された大会が続いたのだと思う。次に政治的な効果がとられたのは、ソ連のアフガニスタン攻略で、米のカーター大統領が「モスクワ大会」不参加を決めて日本をはじめ自由圏諸国の多くがボイコットして、オリンピックは事実上の骨抜きになり、政治的意味合いの極めて大きいことが皮肉にも明らかになった。

 商業的な意味合いを見出したのは、米ロサンゼルス大会でのユベロス委員長で莫大な黒字を計上した。ここで選手のアマチュア性というのは完全に消失した。

 「北京大会」は、中国の国家権威をかけたものだといわれる。米のブッシュ大統領をはじめ各国首脳が参加したので、その意味では成功なのだろうが、大会後に世界は深刻な反省をするのではなかろうか。はたして次の開催地「ロンドン」では、基点に立ち返ってというようなことを言っているが、どこまで実行できるのだろうか。
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by watari41 | 2008-08-21 21:13 | Comments(3)

冷やす。

 新調した6インチの「ノートパソコン」が、数時間使用していると、かなり熱くなってくる。消費電力は24Wなので、そのほとんどは熱となって放出されてるようだ。してみると本来の仕事である、膨大なデータ処理などには、ほんのわずかの電力しか使っていないことになる。定格電力とは、半導体等から副次的に発生する熱に消費されている。まるで昔の白熱電灯のようなものだ。
 その熱を逃がすために小さなファンが懸命に回っている。換気扇口に物をおくと熱くなる。今は夏なので、大きな扇風機を当てて補ってやっている。

 工業でも冷却が如何に大事かを、さんざんに経験してきた。冷やすことも大きな仕事なのだ。例えば、熱間圧延機というのがある。赤く加熱した平形の金属塊をロールの間を通して薄い金属板に延ばしていく作業がある。加熱炉で金属を高温にするには相当なエネルギーを要するが、金属塊を炉から取り出して、これを延ばす時にロールにも直接熱が伝わるので、ロール自体が熱変形すると困るので、大量の水をかけてロールを冷やすのである。延ばされる金属は温度の高いほうが変形しやすいし、片やそれを延ばすロールは常温を保っていたいというせめぎあいなのである。入社の頃の回想である。

 人間にも快適な温度がある。夏はその温度を越えるので冷やす。食べるものも腐るので冷やしておかなければいけない。この冷却には、膨大な電力を使う。この冷やすために使ったエネルギーのはけぐちは、これまた熱となって空中に放散される。冷やすことで対象物以外の空気は暖められる。皮肉なものである。

 電気を作る火力・原子力発電所でも、大量の冷却水を必要としている。高温・高圧に加熱したした水蒸気をタービンに吹きつけて回転させるが、役目を終えた水蒸気は、出来る限り低温・低圧がよいのである。そのエネルギー差が簡単に言えばタービンの回転力であり、電力となって取り出される。その低温・低圧にする装置を復水器といい、その周りを大量の水や海水で冷却しているのである。従って発電所周辺の海水温は若干高くなる。

  「頭を冷やして来い」とよく言われたものだ。人間も熱くなると良い考えが浮かばなくなるのかもしれない。
 
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by watari41 | 2008-08-16 12:17 | Comments(5)

生と死:後編

 今年もお盆に入った。死者が実家に戻ってくる。家族も列車や車で苦労しながら戻ってくる。精霊となって戻ってきたご先祖様たちをきちんと迎えてくださいとお寺さんは言う。しかし、今やそんなことを信ずる若い人はいなくなった。仏教というよりも、もはや形式化した日本の伝統行事なのである。広義の意味での夏休みである。

 お寺に行くとお墓は、すべからく立派になった。豪華な墓石は死者のためというより、生きている人が、世間様に見せるためのものである。林立する墓石を見ていると人間の驕りではないかとさえ思えてくる。家族同様のペットを一緒に埋葬したいというと、畜生を一緒にしてはいけませんと住職から諭される。畜生より劣る人間もいるのではなかろうかと思うのだが、死ぬと仏様にしてもらえるようなのだ。

 数千年前の貝塚からは人間の骨もでてくる。自ら動物の一種だと考えていたのである。山の木々に、そして海で癒されるのは、脳のどこかに大昔の記憶がまだ、とどまっているのだろう。

 生きているうちに自分のやりたいことをやれた人は幸せである。何度も惨い目に合い、こんな人生なら死んだほうがましだと思う人もいる。また、自分で自分を苦しめて死に至る人だっている。夏目漱石の「こころ」がそうだ。

 昔は、祖母からあの爺さんはこうだった。おばさんはこんな人だったなどときかせられたことを回想している。今や自分がそれを語る番になってしまったのだ。
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by watari41 | 2008-08-14 09:16 | Comments(6)

生と死:前編

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」、これは江戸時代の「葉隠」という書物にある有名な一節だ。いかなる時に切腹を命じられても取り乱さず、「平常心」で腹を切れるように心構えておきなさい、というように解釈されている。
 「葉隠」は、難しい書物のように思われるが、現代風に解釈すると「サラリーマン心得帳」みたいなものだという。別に「死」を奨励しているわけではない。ただ武士としてのありようを説いたものらしい。

 現代においては、こんなことを考える必要はないのだが、人間がはたして「平常心」で死ぬるものか否かを考えた哲学者がいる。そして、それは可能であるという結論になったのだ。それを自ら実証したのである。驚くべきことだ。
 一昨年に65歳で、自死したというから、私とは同年齢である。決意してから何度も自分は平常心なのか否か、確認したそうだ。そして数人の親しい友人にも打ち明けたのだという。
 その過程を書いた遺書ともいうべきものが出版された。「自死という生き方」須原一秀著である。話題の本でもあったので読まれた方もいると思う。
 何故65歳なのかというと、ここが人生のピークと考えたのである。それまでに生きている間にやりたいことは全てやりおえたのだというのだ。これから以降は老残の身を晒すばかりだと考えたのだ。私ら俗人は、老後の楽しみであるとか、何よりもまず死が怖いということがある。子供の頃は、自分が死んでも世界が残るのはいやだと思ったことを回想している。

 自殺者の多くは、追い込まれての死である。借金・病苦や孤独感などによるものだ。須原一秀さんは健康な平常心でこの世を去りたいというのが動機だった。死の自由があってしかるべきだというのだ。「新葉隠」ともいうべき、自分の学説の実証なのである。川端康成さんや伊丹十三さんの自殺は、はっきりした理由が見えず、自死なのだろうと推測されるとしている。また三島由紀夫さんも、自衛隊を舞台にした派手な演出があったが、そうだったろうと著者は考えているのである。人間の死に関する学問がこれから出てくるのだろうか。
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by watari41 | 2008-08-11 15:43 | Comments(4)

仙台の文化

 杜の都、七夕、伊達政宗、これらは仙台そのものでもある。しかしその意味するところは、次第に弱くなってきている。杜の都は戦後に植えられた主要街路の欅の木でかろうじて面目を保っている。一番町・青葉通りのところが、地下鉄工事のために数百mに渡ってケヤキがなくなった。そこのビル街をシゲシゲと眺めると、なんだ仙台も普通の都市ではないかという感じがする。ケヤキは非常に重要だったのだ。工事が終わればまた植えられるようだ。

 七夕も豪華絢爛ではあるが、動かないので飽きられぎみである。動く七夕の試みがあるが、昔にあった「仕掛けもの」はそれなりの意味があった。三原堂や井ケ田茶屋の前でしばらく、じっと見ていたことを回想する。アニメも何もなかった時代である。

 最近は「伊達」という字をよくみかける。昔によく言われた「伊達者」とは、政宗が演出した、人目につく派手なことをいったのである。これは、当時お金があったから出来たことで、政宗だけで終わってしまったようだ。しかし言葉としては残った。今年の大型観光キャンペーンにかけて、宮城県は「伊達な旅」というキャッチフレーズを作ったが、どうもピンとこないところがある。他県の人たちから見てどんな印象を持たれるのだろうか。

 実は仙台には、もう一つの大きな特徴がある。河北新報である。地元紙として、他の地方都市と比べると圧倒的な市場占有率を持っている。それがために仙台やその周辺地域は、河北文化圏ともいうべき感じを抱いていた。それだけ影響が大きいのである。最近は新聞を読む時間が減ってきているが、その分、ネット画面をながめている時間が多くなった。河北はいちはやく地域SNSを立ち上げた。記者の目ではなく、一般の人が街の情報を書き込むところが面白い。こんなことが仙台発として新聞と共存していけたら、これまた新しい文化を生むのであろう。
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by watari41 | 2008-08-07 16:23 | Comments(2)

携帯雑感

 海辺の砂浜に立つと、寄せては返す波が、砕け散る波音と相まって、実に気持ちが良い。人間の波長と合っているのだろうか、癒される感じがする。大昔の人々も同じ感慨をもったのにちがいない。そして海の果てには未知なるところがあると考えたのかもしれない。

 それから数千年、現代社会は数え切れないくらいの人間が作った波が空中に溢れている。無線の波である。今やどこかしこに、電波を送り出すアンテナがある。携帯用だ。我が田舎の町でも10本を越えるアンテナが立っている。携帯依存症とも言われる現代社会のシンボルである。
 同じような電波ながら、電子レンジ用の波は、生物を焼き殺す力を持っている。一面では恐ろしいものでもある。

 空中だけではなく、そこかしこに見える電線にも、いろんな波が通じている。今や、デジタルというゼロかイチという波が多くなってきている。この波が外部からの影響で乱されたりすると大変なことになる。接続されている機器が壊れたり、誤動作したりする。こんなおかしな波が来たときには、上手にブロックしたり、バイパスを作ってうまく逃がす必要がある。そんなことが今でも商売になっている。退職した会社の社報にそんなことが掲載されていた。現職の頃は、あらゆる波に対応できるにはどんな材料がよいのか、いろいろと検討したことを回想している。今はそんなものが出現しているのだ。

 話変わって大海を行く小船も、似たような環境にある。波に翻弄され、時には波が合体して異常に高い三角波がでたりする。これを上手に避けながら航行するのだという。舵がきかなったりすると大変なことになる。それこそ波任せで漂流してしまう。

 波こそ違えど、空中も大海も波の世界だ。昔は青い空や白い雲をみて詩情をかき立てられることもあった。今や携帯がその波間に漂っているのかもしれない。抽象絵の画家ならそんな絵を描くかもしれない。携帯は漂流船と同じように、どこか未知のところに連れていってくれるかもしれないのだ。携帯弊害論もあるが、肯定的に考えることにしよう。
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by watari41 | 2008-08-04 15:46 | Comments(8)