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連続地震

 このところ、東北には地震が多い。「震度」とか「マグニチュード」の数字ばかりが大きく取り上げられるが、被害を受ける人間や建物にとっては、この数字だけではない、いろんな要素のあることが次第にわかってきている。
 「加速度」であるとか、「周期」によって同じ震度でも被害の様相が大きく異なる。今回の岩手沖地震の特徴は、天井からの落下物がやけに多いことである。それも学校やホールなど公共の建物に被害が多い。これを分析することで、また新たな地震に対する知見が加わるののではないのかと期待している。
 天井の落下は、建物が大きいために天井に応力が集中してしまうのか?
 今回の地震は震源が深かったので、そんなことと関連があるのか。
加速度や周期以外にまた別の要素があるのか。などなどに興味がある。単なる手抜き工事みたいなものだったりすると身も蓋もないのだが。

 仙台でも数年前の地震でプールの天井板が落下した。今回も岩手のある公共施設では、ねじ止めの補強工事までしてあるものが、落下したというのであるから、何かがあるにちがいないと思っている。
 その他にも、地盤の状況であるとか、建物の基礎工事などによって、被害や揺れは大きく異なる。

 ここ宮城県の南岸一帯は、数メートルも掘れば砂地になって、地下水が湧き出る。決してよい地盤ではない。しかし、昔の人はよいことを言ったものだ。300年も住んでいれば自然に地は固まるもんだと祖父母が言っていたことを回想する。

 地震の予知も重要だが、実際あった被害の分析から、どんなことがわかるのかの研究も意欲的に進めて成果を発表してほしいものだ。
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by watari41 | 2008-07-25 20:46 | Comments(5)

光で動く

 とうとう、ここまできたのかというのが率直な感想である。「光で動くモーター」である。今やどこかしこに、いろんな種類のモーターがあふれかえっている。昭和30年頃の一般家庭では、まだ、ゴミと共にモーターの数は文化のバロメーターと言われたものである。今や家の中には数十個のモーターがあるはずだ。そのほとんどは直流で動いている。

 小学生の頃、乾電池で動く組み立て式のオモチャのモーターがあって、結構遊んだことを回想している。直流は子供にも理屈がわかりやすい。交流モーターだと少し厄介なのである。これを教えられたのは、高校に入ってからだ。年配の中途採用の先生だった。どうやったら上手く教えられるかと必死で考えたそうで、その熱意が伝わってくる。手で作った輪を動かし、こういう回転磁界が出来るんですよと、先生がコケそうになって動いていたことがなつかしい。

 時計もまた、60秒に一回転しているモーターである。腕時計などは小さなボタン電池で何年も動く。わずかなエネルギーのはずだ。

 人類は、自然のモーター(動力)を使っていた期間が長い。オランダの風車であり、日本では水車である。電気が発明されて水車はすぐに発電機になったが風車はかなり遅れた。太陽光も電気にはなったが、光が直接モーターになるのは単位面積当たりのエネルギーが少なすぎて難しかったのだ。今回の光モーターの特徴は、光波長の差異を伸縮に変える材料ができたことによるものだ。軽いモーターしかできないのだろうが、今後の展開を楽しみにしている。思いもつかない光モーターの用途が出てくるのかもしれない。
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by watari41 | 2008-07-21 12:05 | Comments(5)

ナスカ地上絵の謎

 古代遺跡にはピラミッドの如く巨大で謎めいたものが多い。仙台では今「ナスカ地上絵の謎展」が河北新報社などの主催で開かれている。
 古代遺跡の謎とは、①誰が ②いつ ③どんな方法で ④どんな目的で作られたかということである。最初の3つはかなり解明が進んでいるが、目的がいまひとつはっきりしていないものが多い。

 ナスカの地上絵は五穀豊穣を願って描いたのだという説が有力であるが、どうもピンとこないところがある。あれほどに巨大なものを描く必要があったのだろうか。地上で見ても絵はよくわからず、はるか天空から見なければならないのである。
 天の神に、地上絵に描いてある動物のハチドリ・猿・コンドル・・・などを捧げたのであろうか。輪郭を描くのに2重の線を用いて見やすくするなど古代人の独創性も伺える。

 ナスカの地上絵には、子供の頃から興味を持っていた。あれは宇宙人が作ったものだという説が幅をきかせていた頃のことを回想している。
 今回の展示では、その絵を描いた人々が使った食器や布などが多数あり、年代がわかると同時に当時の日常生活と地上絵は直結していたのである。

 今回の展示ですばらしかったのは巨大スクリーン(3×10m)での飛行機で撮影した映像だった。これを見てナスカの全体像がよく理解できた。地上絵が描かれている乾燥した高地の脇には谷間があり緑があって人々が暮らしていた。

 地上絵は、ほぼ2千年前の人々が残した巨大な痕跡である。後世の我々に見てもらうためではないであろう。その時代に必要として描いたのだ。どんな目的だったのかこれからの更なる解明を期待している。
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by watari41 | 2008-07-16 15:05 | Comments(5)

残念<平泉>

 ”普遍的な価値が認められない”。「平泉」に対する世界遺産登録審査委員会の見解である。認定は延期となってしまった。

 残念な事だが、やむを得ない。目に見えるものが「中尊寺・金色堂」ぐらいしか、なくなっているのである。

 毛越寺庭園も日本では唯一の史跡・特別名勝に指定されているが、異文化圏の人がみて理解できるのだろうか。池の周囲には壮麗な浄土建築が並んでいたはずだ。そんな建物があってこその庭園でもある。「礎石」だけでは如何ともしがたい。私も60年以上日本人をやってきて何とかその浄土感覚を掴めるようになったと思っている。
 子供の頃に見学した時には、義経と弁慶の最後にしか興味がなかったことを回想する。

 平泉には、視覚に訴えるものがあまりにも少なくなってしまった。同時代の歴史文書である吾妻鏡に記載があり、そして西行も見たであろう「柳の御所」とか、その他の寺院がいくらかでも残っていれば、事態は変わったことであろう。浄土思想を理解していただくのは容易なことではない。中国・韓国にもなくて日本独自のものだからである。

 平泉の創設者である「藤原清衡」は、前九年・後三年の奥州内戦で肉親・親族と共に幾万もの人々を殺してしまった。同盟軍の源義家(八幡太郎)が失脚して、莫大な富と権力が「清衡」に集中した。戦で亡くなった方々を弔い供養し、そして、この世に極楽浄土を築くという構想が湧いたのだろう。当時の新興宗教だった「浄土宗」が清衡の考えにマッチしたのである。

 ずっと後世の、第二次世界大戦で悲惨な目にあった日本が、再び戦争を起こしてはならないと「平和憲法」を受け入れたことに似ているのである。
 藤原清衡が平泉でやったことを併せ考えると、日本が終戦後に繁栄を極めた状況を理解しやすいのである。

 平泉の浄土思想は蓮の花咲く理想郷でもあったはずだ。昭和25年の金色堂の藤原氏遺体学術調査の際に、蓮が一緒に埋葬されていたのが見つかった。その種を再び現代に蘇らせて話題になった。

 平泉が、世界遺産に登録されないからとて、その価値が下がるものではない。戦後の処し方としてのモデルを築いたことに意義があるのだ。
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by watari41 | 2008-07-12 10:26 | Comments(0)

サミット

 洞爺湖サミットは、和気アイアイのうちに進んでいるが、大勢の各国首脳が集まった割合には、これぞという結論が出そうに無いのは残念なことだ。北海道屈指の絶景も雨や霧で眺められないのではないのだろうか。

 昨年、我々同級生は室蘭在住の男が幹事になって、今頃の時期にクラス会を開いた。「777」と称した。07年7月7日である。プレサミットだ、などと気取ったものである。今回のザ・ウインザーホテルでは我々年金生活者には高すぎたので、湖畔の安宿にしたのである。ついでにとそのウインザーホテルまで行ってコーヒーを飲んできたという方々もいる。今回の映像を見ながら家族にその自慢話をしていることであろう。

 サミットで各国が集まっても、それぞれの利害がまったく異なる。文化的な背景も違う。集まることに意義があるようなものなのだろう。だが、こういう親睦会みたいなことであっても、顔を見せ合っているうちは大戦争になることはあるまい。
 しかし、経済は絶え間なく動いている。原油暴騰が喫急の課題であるはずだ。これによって世界がひっくり返るような事態が起こる可能性だってなくはない。バブルに近いようなものだろうと思って見ている。破裂した時が怖い。大不況が起こるのだろうと思う。(素人的な見方であるが)

 同窓生の中には、世界各国で鉄鋼の技術指導を通じて異文化を体験してきた男がいる。「仕事に対する考え方」「文化の違い」が大きく異なると、ノウハウや管理方法の伝授にしても、その成果はまったく違ったものになってしまうことを身をもって実感してきた男がブログを書き始めた。「鉄鋼マンの異文化体験」というものだ。貴重な経験をしてきたものだ。今でも世界を飛び回っているのだというからすごいことだ。
 薄々ながらも、知識としてはもっている各国の事情が生々しい体験をもって語られるのは迫力がある。
 そんなことを念頭におきながら、サミットでの各国の二酸化炭素対応などを見ていると、お国ぶりが、より理解しやすいのである。
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by watari41 | 2008-07-08 13:26 | Comments(6)

経験と変革

 アメリカ民主党の大統領候補を争ったヒラリーさんとオバマさんの対決は、つまるところ「経験と変革」に集約され「変革」が僅かに制したということだった。

 これまで老人が尊重されてきたのは「経験」があったからに他ならない。特殊な分野を除くと時代はその経験を必要としなくなってきている。老人の存在感が薄れつつあるのだ。韓国や中国では老人が大切にされ敬われているというのは、その長年に渡る経験が貴重なものとされているからに他ならないのであろう。

 オバマさんが特別に「変革」を唱えなくとも、世の中はものすごいスピードで変わっている。しかし米国の有権者は変革に共鳴した。では何を変えようというのだろうか。恐らくは人間社会のシステムを変えようというのだろう。米国は成熟した民主主義国家であり、また自由主義経済を貫いているが、このところどうもおかしくなっている。
 資本の暴走ともいうべきものである。これにブレーキをかけないと、とんでもないことになってしまいそうだ。

 かつて、ケネディさんが暗殺されたのも、何らかの変革を阻止しようとする勢力の仕業だという見方があったことを回想する。オバマさんにも、そんな危機があるだろうことをヒラリーさんがうっかり口を滑らせてしまった。

 変革を妨害しようとする巨大資本、そして変革とは無縁な、時代から取り残されるであろう多くの老人たちの言動が注目される。

 日本では、その老人に負担の増加を求め、なおかつ若い方々には従来よりもはるかに厳しい労働条件を強いている。これを「改革」と呼んでいるのである。何ともおかしな話だ。
 オバマさんの「変革」は、日本の「改革」とは異なるはずだ。アメリカは世界に見本と未来を示すべきと考えている人々が多い。どんな構図が描かれているのだろうか。

 
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by watari41 | 2008-07-02 11:09 | Comments(6)