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地震あれこれ:続

 今回地震との関連で「多賀城碑」のことを思い出した。江戸時代初期に半ば土中に埋もれている碑が発見された。恐らくは地震によって倒壊し、そのまま放置されていたのだろう。ではいつ頃に倒壊したのだろうか。

 碑が建立されたのは奈良時代の724年、それから400年後の1150年頃に西行がこれを見て感嘆している。壺石碑(つぼのいしぶみ)として有名である。その頃はまだ、きちんと立っていたのであろう。
 そして土中から発見される1600年頃までの間に大きな地震があって倒れたと推測されるのである。それも直下型のものだったのではなかろうか。
 今回の「岩手・宮城内陸地震」の断層を南に伸ばしてゆくと、そんなこともありそうだという地質学者の話に興味を持った。数年前には、東松島市近郊で強い直下地震があったので、そんなことも考えられる。

 地方の古い時代の記録は意外に少ないものだが、仙台には「伊達治家記録」という、かなりしっかりした江戸時代の文書がある。数十年間隔で起こっている地震の記録もある。99%確率で発生が予測される根拠の一つなのだろう。しかし地震のあったことはわかるが、当時のことだから震源地まではわからない。
そのためか最近のニュースでは、宮城沖地震については明治以降に発生した確実なものしか扱っていない。

 できれば地震は来てほしくないものだ。ちなみに地震の神様というのはあるのだろうかと思ったら三重県にあった。「要石」を御神体としている。ナマズが暴れないようにという重しなのだという。地下で動いているのはナマズならぬプレートといわれるものだ。動いた分の歪が蓄積するという単純な構造解説がされているが、実際にはまだ誰も見ていない。
 地中深くに穴を掘るのは、莫大な金額がかかる。月にロケットを飛ばして、そこから地球を見て感動するような場面はないだろうが、地下で年間に数cmづつ動いているというプレートやマントルを、早く見てみたいものだ。
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by watari41 | 2008-06-26 10:23 | Comments(5)

地震あれこれ

 地震にもいろんなタイプがある。「岩手・宮城内陸地震」の特徴は、”ガル”という数字がやけに大きいことだった。加速度の単位である。「阪神・淡路震災」の頃から注目されるようになった。

 今回の地震で、栗原市内の方が家には特段の異常が無かったが、家具類がほとんど転倒してしまったということである。加速度が大きいとはそういうことかと、妙に納得してしまった。
 物体が落下する時の地球の重力の加速度は980ガル。これは物理の初歩で習うことだ。この数字を上回ると物は宙に浮いてしまうことになる。今回の地震では直下型ということもあって4000ガルという大きな値であった。

 同じ宮城県内ながら100kmも離れた、県南のわが町になると、そのガルの影響は少なくなってしまうようだ。しかし列車が今も徐行運転をしている、この地方の地盤にもなんらかの影響があったのだろうか。
 「ガル」は、原子力発電所のことで注目されるようになった数字である。この数値が大きいと、原子炉制御棒がはずれる危険性が増すということのようだ。

 地震の大きさの他に周期とか、揺れている時間とかで怖く感じたり、建物の被害状況も変わってくるのである。

 今回の震源地は2千万年前の断層の活動によるものだというから、あまりに古過ぎて予測とかそんな範疇のものではない。日本列島どこに住んでいようと地震から逃れることはできないようだ。

 かつて、小学校の頃、教科書には活火山・休火山・死火山という区分があるんだと書いてあり教えられた。その後、地球の歴史からみるとそんな区分は何の意味もないという話になってしまった。
 断層にしても、そんなことなのだろうと思う。古いものだからといって安心はできない。それにしても山塊の崩落とはすごいものだ。だがこんなことがあると地元で暮らす人々の生活が紹介される。数年前の新潟県山古志村の時もそうだった。牛との暮らしが重要な要素を占めている。50年前の我々の生活もそんなものだったということを回想する。牛の糞と稲わらで作った堆肥が主たる肥料で農作物を作っていたのだ。

 新潟県山古志村々長から衆議院議員になった長島さんという方は、今回の地震へのコメントで村を復興するんだという希望がなくなることが一番こわいことだと語っていた。人間に関する本質をついていることだと思う。
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by watari41 | 2008-06-22 09:05 | Comments(6)

地震予測の裏側:続

 海底地震学者である、島村英紀元教授の逮捕と有罪に至る経緯を簡単に紹介しよう。
 ある日突然に何の前触れも無く、教授は家宅捜索を受けて逮捕されたのだという。容疑は北海道大学で自作し、ノルウエーの大学に販売した海底地震計に絡むことであった。
 2千万円の代金を送られてきたが、北大には、それを受け入れる海外口座がなく、やむを得ず島村教授個人の口座に入金したのだという。そのお金は、教授が更なる研究費用として使い、大学側との金銭上の事務的処理にも問題はなく、検察が当初考えていたことでの立件は不可能になった。

 しかし検察側は、島村元教授を何としてでも裁判にかけたかったのだという。その背景としてあるのが、「地震予知は可能である」という、今や学会の共通認識になり、国家的意向にも添ったことに「異議」を唱えていたからである。それが狙われる原因だったようなのだ。
 また同時期に検察不祥事が続いていたので、それらへのカモフラージュの意味あいもあったのだろうというのだ。
 しかし、教授にやましいことは何も無いので国内事件としての立件ができないので、ノルウエーの大学からの「詐欺」として裁判にかけられたのである。わざわざ欧州から証人も呼ばれたが、ノルウエー側は詐欺にあったという認識はなく正規の購入だったという見解を示したのである。
 やむをえず検察側は、大学教授がそういう商行為をすること自体が違法であるとして、有罪を求刑したのである。
 しかし、教授は既製品の海底地震計を設置したところで、有効なデータを得られるわけではなく、専門家が部品を集めてノウハウを込めて調整した観測機器でなければならないというのである。この言い分は学者として正しいことだ。

 おりしも、今回の「岩手・宮城内陸地震」の如く海底だけではなく、陸地でもどこに地震が発生するかはわからず、数多くの有効なデータ採取が必要だといわれているのだ。

 この事件で島村元教授は、独房で証拠隠滅の恐れありと半年間も外界との接触を絶たれ、犯罪容疑者としての生活がどんなものかを描いている。我々が経験することはないであろう、その様子を描いておりそちらも興味がある。
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by watari41 | 2008-06-19 10:24 | Comments(2)

地震予測の裏側

 99%起こるはずの「宮城沖地震」、だが予測外の地震がまたも起きた。「岩手・宮城内陸地震」、ぐらっと来た最初の瞬間は、とうとう宮城沖かと思ったが、またも違った。新潟での2つの大きな地震も予測外のものだった。

 「宮城沖」のことは何度も広報されるので、すぐにでも来るような気がしてしまう。正確な予測は極めて難しいのだと思う。

 地震予知が可能だと言われ始めたのは、30年ほど前のことだった。次の関東大震災がいつ来るのかということだった。あれほど巨大な地震には何らかの前兆現象があるはずだということがきっかけだった。
 予測が可能であれば多くの人命・財産を救えるということがあった。その観測体制を設けるのに多額の予算がついた。これは逆に、地震研究に予算をつけるための政治的なものだったとも言われたものだ。

 当時の専門家の常識では、予測など無茶な話だというような意見が多かったことを回想する。
 その後に専門家を集めた東海地震判定会議ができたりして、予知が可能であるとすることが大勢的な見方となってしまった。これを批判する方々は、反体制学者のような風潮ができてしまった。

 島村英紀さんという、元北海道大学教授がいる。海底地震の専門家で、その立場から地震の予測などはできるものではないという見解だった。その方が、全く別件のことで逮捕され半年間も独房生活をおくり、挙句の果てには2007年3月に執行猶予付きながら有罪判決を受けてしまう事件があった。これら一連のことを書いた著作がある。
 これからの裁判員制度などとも絡んで、興味ある内容だった。河北新報の話題の本というコーナーで取り上げられていたので読んでみた。
 書名「私はなぜ逮捕され、そこで何をみたか」講談社 著者:島村英紀 533円である。地震だけはなく日本の権力機構のことが垣間見える面白い本である。次回にさらに詳しく紹介しよう。
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by watari41 | 2008-06-16 10:11 | Comments(6)

人間の命

 秋葉原の無差別殺人事件には、現代の格差社会が背景にあるとする人も多い。
 しかし、殺人に至るには、そんな社会的雰囲気があるとしても、実際の行動に至るまでには多くの道程がある。途中でストップがかかる関門がいくつもあるはずだ。それらが歯止めとしてきかなくなっていることが問題なのだろう。犯人自身が誰かが止めてくれると思っていたなどとも語っている。

 格差社会・差別社会は昔から存在している。現在の格差社会はかつてのものとは違うのだろうか。情報を得る機会は確かに多くなった。
 現代社会に不満が鬱積しているのは理解できるが、それが直ちに殺人と結びつくのはおかしい。いくつもの障壁がある。簡単には破れないものだ。それらを突破しての行動なのである。

 社会的不満という理由で殺人にまで行き着くことを、何とも思わない風潮が恐ろしいことである。
 「なぜ人を殺すことがいけないのですか」という子供の質問があったことを回想する。これまた社会を騒がせたが、有効な回答はなかった。人命が粗末に扱われる社会現象がおかしいのである。こんな質問が出てくること自体が問題なのだと思う。

 人を殺すのは人間の行為として究極的なことだ。死刑囚の執行ボタンはなかなか押せないものだという。

 先日、ある法要の席上だった。住職がこんな話を始めた。小学2年生の子供から質問をされたということだった。お寺さんは何をやるところですかと聞かれたのだという。大いに戸惑ったのだと思う。現状は率直に言えば死者を扱う職業だ。我々から見ても不労所得と言うと失礼ではあるが、子供からみた現状の社会システムへの疑問なのだと思う。大人だっておかしいと思いながらもお付き合いせざるを得ないのである。

 今度の犯人は25歳、ここ数年でおかしくなったのではないと思う。子供のころからの、種々のきっかけがあるのだろうと思っている。
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by watari41 | 2008-06-12 16:08 | Comments(5)

希少金属

 中国、四川省大地震の悲惨な状況と共に、レアメタル(希少金属)の産地でもあり、その施設に少なからぬ被害を受けたことがが報じられている。
 一般には、なじみの薄い物質である。ハフニュームとかジルコニュームとか何のことだかわからないという人が普通だ。

 昔は金属といえば、鉄に金・銀・銅や錫・鉛といったものがあれば十分な時代が続いた。
 科学技術の進歩が、レアメタルを必要とするようになった。半導体・原子力・超伝導などという分野で欠かせないものになったのだ。

 在職中は、磁性材料を扱っていたので、レアメタルとは縁があった。ニオブというレアメタルを使って、すばらしい性能を得られる材料の特許をとられ悔しい思いをしたものだった。もっと良いものはできないものかと、周期律表を睨んで元素の数字を見ながら、つたない計算をしたことなどを回想する。

 磁石も今やネオジュウムというレアメタル物質を使い、理論的限界に近い強力な磁石が作られるようになった。お陰でパソコンのハードディスクも信じがたいほどに小さくなった。

 今度の四川省レアメタル被害のことをいち早く報じたのが、徳島新聞だったので「なるほど」と思ったものだ。徳島は東北には阿波踊りぐらいでしか知られていないが、技術的にきわめて難しいと言われていた「青色発光ダイオード」を発明したのが、「日亜化学」という徳島の会社なのである。発明者は後に特許報償をめぐり、会社に莫大な金額を要求したことでさらに話題を呼んだものである。そんなことで現地の新聞社もそんな関連事項には敏感になっていたのだろう。

 地球の資源には様々なものがあるが、更なる科学の発展で足りないものも多くなってくるはずだ。宇宙ステーションは、数十年前の計画時点では夢と希望を与えるものであったが、米国の関心は今や、月や火星に向けられている。その資源も魅力の一つなのだと思っている。
 
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by watari41 | 2008-06-07 09:35 | Comments(2)

最高の人生とは

 「余命半年」と言われたら何をするか!
それを題材にした映画を見た。「最高の人生の見つけ方」という米画である。原題は「棺おけリスト」(The Bucket List)だが、これでは日本人にはどぎつすぎる。

 2人の名優が見事に演じた。一人は大富豪で、もう一人はごく普通の自動車修理工の男である。主人公たちは60代半ばである。両者は同時にわずかな余命の宣言を受ける。
 入院した病院も富豪の所有物だ。個室は経営効率が悪いと2人部屋としたのである。ここで2人が同室になった。
 修理工がメモした紙が床に落ちた。富豪の男がそれを拾った。棺おけリストなるものを書き付けたものだ。やりたことが記してある。それを見てこれは面白いとなった。大富豪もベットの上で奇跡を待つより、やりたいことをやろうとなった。大富豪も自分もやりたいことを付け加えた。
 上映中の映画なので、これ以上の筋は止めることにする。とにかく面白い映画だった。

 日本でこんな映画はなかなか作りがたい。著名人の闘病記をよく目にする。「おいガンめ酌みかわそうぜ秋の酒」などという著作もあるが、映像化は難しいのだろう。

 映画の面白さは別として、人間はいざとなると本当にやってみたいこととは意外に陳腐化したものなのである。むしろ、それまでの長い人生でやってきたことに意義がある。映画でも「オレは40年も油まみれで働いてきた」と、いうようなことである。好き好んでやっていたわけでもあるまいが、その人の人生なのである。

 よく、自分探しなどと言われることがあるが、そう簡単に見つかるものでもあるまい。多くの人は、ちょっとしたきっかけから入った仕事が天職みたいなものになってしまうものだ。

 趣味の世界に没頭できる人も幸せなひとだ。一般には、健康で生きていることが「最高の人生」そのものかもしれない。これまた陳腐化した結論に達してしまった。
 
 
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by watari41 | 2008-06-03 09:52 | Comments(9)