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人間の骨

 先日、90歳を越えた叔母さんが相次いで亡くなった。東京そして南相馬市での葬儀である。
 田舎での葬儀は簡略化が進んでいる。昔は位牌を持った喪主が先頭に立って親戚がそれぞれの具物を持って行列をつくり、墓地や寺院まで歩いたことを回想する。今や駐車場までの間を歩く形式的なものになった。大都市ではこれも省略されている。
 葬儀社にいわせれば、お経も葬式の間を持たせる形式としてのものなのだという。意味もわからぬ経を聞いて、遺族や参列者も納得するというのだが。しかし何度も列席しているとこの時間がもったいない。個人を偲ぶというより型どおりの式をやればよしとするのだ。
今や火葬が本来の意味の葬儀なのだろうと思う。

 東京では戸田の火葬場に行った。霊柩車が次から次へとやってくる。通路の反対側は遺骨を抱えた人たちが、これまた次々と帰途につく。人口が多いのだから当然だが、この数の多さに唖然とする他はない。
 火が入って40分ほど控え室にいた。骨を拾う準備ができましたと言うので、行ってみたら、もう鉄板の上にわずかの骨が並べられ骨壷に入れるばかりになっている。火葬そのものは15分くらいで終わっているようだ。それでは短すぎるので遺族の心情を斟酌して、控え室の時間を長くして、その間に準備をととえるのだろう。

 父の末妹である叔母さんに我々甥・姪は子供同様にしてお世話になった。従兄弟は皆集まった。父方の最後の親族でもある。

 東京から帰ると、今度は家内の叔母さんが亡くなったとの知らせである。こちらの火葬は2時間もかかっている。そして台車ごとに引き出される。驚いたことに頭をはじめ遺骨がほとんど残っていないのである。長いこと現代医療で生かされていた人というのは、こういうことなのかと思ったものである。東京の火葬場での拾える骨だけを持ってきた配慮を理解したのであった。
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by watari41 | 2008-05-31 22:23 | Comments(4)

パターン認識力

 長崎県の地図の輪郭を、いきなり目の前に出されると、何がなんだかわからない。該地のホテルで天気予報の時間に、おかしな図形が出てきて驚いたことを回想している。普段は宮城県の地図しか見慣れていないからだ。

 図形認識力というのがあるみたいだ。脳トレをやっていて、これが一番弱い。前の頁図と次の頁図でどこが違うかを指摘せよというものだ。余計なものが一つ加わっていても全くわからない。この能力は年齢と共に急速に衰えるようだ。
 昔は、トランプの神経衰弱というゲームを得意にしていたことを回想する。トランプを床一面に裏返しに無作為な向きにならべる。そして同じ数字のものを4枚取り出すゲームである。最初の人は2枚をめくり、違う数字だったら、そこで止めて、同じ位置に裏返しておく。ゲームに参加している人が次々にめくっていく、同じものを2枚開くと3枚目という具合になる。いかに前の人たちが開いたものを記憶しておくかの勝負なのだ。52枚のトランプが、どの位置に何があるかを記憶していかなければならない。

 将棋・囲碁もプロになると、そんなパターン認識力でやっているようなのだ。一瞬にして数十手を読むなどといわれるが、頭に将棋・囲碁盤全体の駒や白黒石の配置があり、それが次はどうなるかと瞬時に頭の中を駆け巡っているようなのだ。羽生さんがそんなことを語っていたことがあった。プロでも年齢と共にその能力は落ちてくるのだろうと思う。

 速読術というのも、そんなことが絡んでいるのではなかろうか。ページ、あるいは行を瞬間的に頭に入れて解釈してしまうのではなかろうか。人間の能力にはすごいものがあるのだ。
 中学生のころ、社会科で日本地図を得意とする先生がいた。黒板に北海道から九州までサット、チョークで書き上げてしまうのである。見事なものだったことを回想する。
 そんな能力を、ほとんどの人々は使うことなく終わってしまうようだ。
 
  
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by watari41 | 2008-05-27 16:31 | Comments(9)

外国人と日本人

 大相撲5月場所は、琴欧州の見違えるばかりの活躍があり優勝してしまった。意外なことだった。外国人力士同士の対戦も、もう違和感がなくなってしまった。
 昭和40年頃までは最も日本的伝統なので、外国人が入り込む余地などはないと思われていたことを回想する。元横綱栃錦が春日野親方となり、相撲協会理事長だった頃、南太平洋の島々からなるトンガ王国から10人ほどの新弟子入門があった。しかし長続きはしなかった。集団で帰国してしまった事件を思い起こす。
 現在の外国人力士が主勢力である大相撲の状況は、閉鎖的だともいわれる相撲協会の実情からみて信じ難いことなのである。いろんな摩擦が起こるのもやむをえないことなのだろう。

 似たような話だが、先日、囲碁のNHK杯を見ていたら、対戦者が韓国と台湾の方、そして解説者がマイケルエドモンド九段なのである。オヤオヤと思ったものだ。日本に帰化したか両国籍を得ているのだろう。

 逆に外国で活躍する日本人も増えている。そのまま住み着いている人もいれば、帰国して退職してから貴重な異文化体験だったと、それを回想しブログを起こした同級生もいる。

 国内にある外国企業に勤務する方々も多い。これらの企業は転職者が非常に多いらしい。それだけ自由だと言われているが、実際にはこれら外国企業間を同じ日本人が巡っているに過ぎないのだと、在職中に聞いたことがあった。これらの人たちは決して日本企業に転職することはないのだそうである。

 外国と日本、その溝は急速に埋りつつあるが、日本でしか通用しない日本人、その逆にどうしても日本にはなじめない日本人も増えているような気がする。

(親戚に不幸が続き、しばしブログを中断してました)
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by watari41 | 2008-05-24 21:24 | Comments(4)

特別な人

 雅子様をはじめ皇太子ご一家と、天皇・皇后や宮内庁とのギクシャクした様子が報じられている。これは現代の世相を”象徴的"に示している事例だと思っている。一般の家庭でも、この年代で両親と息子夫妻の考え方の違いは大きいものだ。

 祭祀に関すると、60代後半の我々世代でも、もうどうでもよいことだと思っている。
 私が子供の頃は、大晦日には祖父母が床の間に、お歳神の掛け軸を飾り、お膳に料理を盛り、お神酒を上げて灯明をつけ、今年への感謝と明年への無事を祈った。それからの夕食である。古い家屋でもあったので何とも厳かな雰囲気だったことを回想する。やがてそれは母親と私が代行することになったが、母親が亡くなると止めてしまった。お盆の行事などもそんなことである。

 皇室の場合には、この祭祀が極めて重要なことなのだと思う。もう我々から見ても馬鹿ばかしいような行事もあるようだが、神代からの継続だとして、逆にそれらが皇室の格を高めており、現代に存在できる意義なのでもある。大嘗祭などは一般に知らしめないで、神秘性を高め尊崇の念を持たせているのである。
 その他に細かい祭祀が沢山あるのだろう。これらは雅子様よりみると実に下らないことに見えるはずだ。美智子様もそう思ったはずだ。しかし皇后はそれを乗り越えられた。心の葛藤は大きかったのだろうと思う。そんな後遺症だろうと思われる病気のことがいろいろと報じられた。雅子様はそこをどうしても越えられずに悩んでいるのだろう。それが公式に発表されている「不適応症」ということなのだと思っている。

 公に顔を見せる時は、にこやかに手を振るスライルである。あれだっていつも同じ格好である。どんな時にもそのスタイルをしなければならいというのは、つらいことだろうと思う。公務のお休みが多すぎるというのも、そんなことが原因なのだと思っている。我々が単純に考えること以上の苦悩と葛藤があるはずだ。オランダ王室に滞在していた時の晴れやかな顔は、そんな日常から解放された日々を過す晴れやかさであったのだろう。日本では、どこにいようと普通の人の扱いは受けられない。特別な人ということに関して、悩みに悩みぬいているはずだ。

 週刊誌などが仰々しく、興味本位で扱っていることとは、また別の次元の苦悩があるはずだ。上記は一私人の推測にしか過ぎないが、真のことを公にできないところがまたつらいことでもあるのだろう。
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by watari41 | 2008-05-14 11:40 | Comments(5)

仕事の意識

 大阪府の橋下知事と職員組合との論争が面白い。知事は府の財政が逼迫しているから職員の給与を引き下げたいというのである。
 民間会社であれば当然のことで、経営の失敗で会社が傾いても従業員にしわ寄せがくるのは避けられない。私が在職していた会社も何度か危機的状況に陥ったことがある。一般社員の昇給停止とか管理職の賃金カットや、給料遅配とか、債務超過を避けるための退職金の引き下げなど、いろんなことがやられたことを回想している。幸いにも会社は現在も名前を変えたが生き残っている。

 大阪府職組は、府の財政を民間会社と同列に扱うべきではない。利益を追求しているのではなく府民のために仕事をしているのだから、給与の引き下げなどはとんでもないことで、応じられないというのである。この成り行きは今後も何かと話題になっていくことだと想う。

 そもそも公務員の特権とは何かということが問題になってくる。本来は”公僕”といわれ住民のために精神誠意働き不正などが起こるはずがないという前提だった。だから本来はそんなに良い職業ではなかったはずだ。だが、今や子供からみると父親がなっていてほしい職業の第一位が公務員なのである。
 民間会社の状況は、我々の頃よりもさらに厳しくなってきている。そんなことから公務員の世界はまるで天国のようなところに見られているのである。

 だが、内部の人に聞くとそれなりの苦労はあるらしい。特に人間関係のようだ、これに失敗すると長い期間を楽しく勤務することはできなくなるようだ。飲みたくない酒も飲むとか大変だったんだというようなことを言われるが、我々の味わった苦労とはまた次元がちがうのである。

 社会のスピードは物凄い勢いで変化している。府職組も従来の論理一辺倒では、我々さえも違和感を感じてくる。また橋下さんは、目的達成の為の組織の動かし方というか、そのポイントをつかめないままに、いきなりのトップダウンとなってしまった。こういうものは得てして潰されることが多い。民間会社では企業風土などと呼ばれ、誰が社長になろうとも簡単にそれを変えることはできない。公務員組織も同じなのだろう。あの社会保険庁もあれだけの非難を浴びながら、意識は変化してない。舛添さんもそのあたりを読み違えている。民間の保険会社から社保庁長官になった方の回想がそのうちでるのであろう。
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by watari41 | 2008-05-10 09:40 | Comments(7)

鉄は硬い

 お前のブログは堅すぎていかん、鋼鉄のようにガリガリだ、それに理屈っぽくて読む気がしない。そんなこんなの忌憚のないご意見をいただいている。だからといって、やわらかい物を書けるはずなどない。書けたとしてもそれはもう私のブログではなくなってしまう。

 俳句は作るよりも良い句を読めと言われる。

 先ごろ亡くなった吉村昭さんの最後の作品である「死顔」がよかったという紹介をいただいた。著名な作家であるが、私はまだ一作も読んでいなかった。早速に開いてみた。読んでみて作者をいい人だと思った。ついでにもう一冊「わたしの普段着」というエッセイ集を手にした。これを見てエッセイとは、こういうものなんだと改めて思い知った。それとなくの自己紹介や家族のこと、日常生活に起きた思わぬ出来事、自分のこだわり、これまでに書いた作品のきっかけやその内容など、吉村作品の概要も知ることができた。奥さんもまた著名な作家の津村節子さんだ。大学の文芸クラブで知り合ったという。

 こういうものを読んだからとて、すぐに私が立派なものを書けるわけではない。従来と何も変わることはないのだろう。

 吉村作品の一つである戦艦の爆沈の話に興味を引かれた。戦闘中ではない時に突然爆発を起こして沈んでしまう。そのほとんどが乗組員の自爆行為なのだという。戦艦陸奥のことが書いてあった。艦内で金品がなくなる盗みが多発して、目星をつけられたのが火薬庫の担当乗員だった。本格的に取り調べられようとする直前に爆発、自沈したそうなのである。戦後に引き上げられ、火薬庫にバラバラの人骨があったが、一人分しかなかったというのだ。決定的な証拠はハンコがあったのだそうだ。海軍では給料をもらうために常に印鑑を身につけていたのだという。

 思わぬ方向に話が行ってしまった。40年以上も前の鉄鋼概論と言う授業の話を憶えている。老教授が昔は戦争がないと鉄の需要は少なかった。平和な今にこんなにも鉄が必要だとは思わなかったという話を回想する。第二次世界大戦は資源をめぐる戦いでもあった。戦後、鉄鉱石・原油などの資源は格安に大量に入ってくる時代が続いた。しかしその資源の値上がりが急激にやってきた。戦争に向かうことはないだろうが、歴史を振り返ると、これまた不気味な時代に突入しかけているのである。
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by watari41 | 2008-05-06 11:30 | Comments(4)

無線パソコン

 会社で同僚だった人の孫が、高校入学したのでお祝いにパソコンを買ってやったそうだ。無線内臓のビスタである。回線も光にしたというのである。準備は整ったがさてどうしたらよいかと電話がきた。町内なのですぐに行ってやった。いろいろとやってみたら間もなくつながった。その孫は早速YOUTUBUを使っていた。私は無線は初めての経験であった。何とかなったなと思った。
 これで、終わりかと思ったら、数日後に茶の間ではOKなのだが、奥の座敷に行くとダメになるというのである。しまったと思った。ご近所の電波を拾ってつながってしまっていたのである。再度伺い本来の電波につなぎなおしてやった。
 無線パソコンは、もはやG(ギガ)ヘルツの時代である。どのパソコン用無線機も同じ電波を発しているようなのだが、個別のパソコン電波区分は12桁の数字と文字が入り混じったもので識別されている。その数・文字の羅列が表示された。前につながっていたものも表示されている。
 その原理は、電気のことが多少はわかる私にも理解できない。操作ができて使える状態にはできるのだが、ブラックボックスをいじっているようだ。
 その同僚は無線の専門学校を卒業して、何年も船に乗ってから、私の勤務する会社に転職してきたのである。その人が私のパソコン操作を見ていて、俺はあんたのやっていることがさっぱりわかないというのだ。私も同様にわからないのだが、動かす手順を知っている違いがある。彼はかつて無線エンジニアだったので、何とかなると思ったようだ。

 大都市には公衆無線LANもできた。世の中の進歩は激しい。子供のゲーム機もそうだ、田舎には公衆無線はないので、漏れ出ている個人の電波を道端で中学生が拾ってゲームをしている。数人が集まってやっている。大人はそれを見て何だろうと思いながら通り過ぎる。無線でネットを通じないとゲームができないのだ。

 日本で無線が実用化されてから、まだ80年ちょっとでしかない。アメリカとの交信を行う為に、米国西海岸と最短距離で結ぶ南相馬市にアンテナが建設された。
 それは高さ180mの巨大な建造物である。当時の技術では電波の波長からアンテナの高さがそうなるのだ。大正12年に完成して、アメリカに向けた第一報が関東大震災だった。その巨大アンテナは数年を経ずして技術の進歩で無用の長物と化した。
 やがてコンクリートの寿命がきた。無線の記念碑として残してはどうかとの案もあったようだが、膨大な維持費を要するので20年ほど前に取り壊された。常磐線の名物でもあったことを回想する。いまやギガヘルツの電波は世界のパソコンを結ぶ時代だが、この方式もいずれ別の技術に変わるのだろう。
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by watari41 | 2008-05-01 21:39 | Comments(8)