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古代の鉄鋼連盟

 年度末にわが町の公民館は面白いことをやっている。仙台の大学や研究機関から識者を呼んで講演会が数回催される。今回は「古墳時代の鉄鋼連盟」と私は勝手に解釈したが、大平先生という私大の歴史学者の話を取り上げたい。

 「前方後円墳」が仙台周辺にも大きななものが2つある。遠見塚古墳と名取市の雷神山古墳である。一般には、これをもってその時代には朝廷の勢力がこの辺りまで及んでいたとされるが、そうではないというのが「先生」の考えである。その時代には巨大な勢力にはなっていたが、朝廷は近畿地方を支配する一豪族に過ぎなかったという説だ。

 全国に点在する「前方後円墳」の持ち主である地方豪族は、その朝廷と同盟を結んでいる関係にあったというのだ。どんな同盟かというと、朝廷が朝鮮(百済?)から「鉄」を一括輸入して、それを全国の同盟豪族に売るというのである。当時の朝廷は鉄の輸入総代理店みたいなものだったという考えなのだ。農具に武器に鉄は貴重なものだった。まさに古代も「鉄は国家なり」であったのだ。

 そのうちに朝廷勢力は膨張をはじめ、周辺地域を侵食して2百年後には仙台市郡山にある遺跡まで前線基地が伸びた。やがて多賀城へと北進した。こんなストーリーである。

 古墳時代の鉄の輸入は、やがて国産のタタラ製鉄が始まると大打撃を受ける。朝鮮(新羅?)からやってきた人たちが出雲地方で現地の人に教えたのである。このあたりからは私の勝手な解釈になってくる。
 出雲に八頭の大蛇(ヤマタノオロチ)という伝説がある。これがタタラ炉に関するものらしいのだ。”目はまるで血の皿のように真っ赤で、ひとつの体に頭が八つ・・”と、これは鉄が溶けている状態をさすのだろう。大蛇の体とは「製鉄所」に至る原料などを運ぶ広い道路をさしていると思われる。八つとは、多いというような意味みたいだ。初めてその光景を見た他所の古代人はそんな風にみえたのだろう。
上記の下りは私が何十年か前に鉄鋼概論の講義の時に老教授が余興に話をしていたことに若干脚色してみた。

 この「八頭の大蛇」を、朝廷側の須佐之男命(スサノオノミコト)という人がやっつけたというのだ。神話みたいになってしまった。話が絡まるが、これに出雲の国譲り伝説なども関係しているのだと思う。

 今回、公民館で講演された先生は、私は学者なので小説家は気楽なことを書けるが、学問の世界は史料によって明らかにしなければならないと、先生の若い頃からの持論というのが冒頭の部分であるが、これからも取り組んで行くそうだ。私は、わずかのことからあらゆることを結びつけてしまうクセがあるので、とても興味深々の話題だった。
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by watari41 | 2008-03-30 16:53 | Comments(8)

多面的な見方

 昨年の中越沖地震で新潟県の刈羽原子力発電所が大被害を受けた時のことである。やはり地震国日本では原発は危険なのだという議論が国内で沸騰した。しかし、欧州ではあれほどの大地震だったのに「第二のチェルノブイリ」にならなかったのは、日本の技術力の高さを示すものだと評価が高い。好意的な見方というか、これが公平な見解なのかもしれない。日本ではどうしても一面的というか、センセーショナルなニュースにしてしまうが、もう一つの面からも見る必要があるのだ。

 我々は多面的な見方に弱い。どうしても一元的なものの見方になってしまう。そんな日本人の習性を捉えてのことなのだろう。原発建設の時には安全なものだということしか住民には説明しないようだ。
 本当に安全ならば大都市の近郊に建設するのが最も効率がよいのである。さわざわ人跡稀なるところを選ぶのは、何がしかの不安要素があるからに他ならない。本来ならその不安要素を説明して、こういう対策を講じているのだから安心してほしいというようなことをいわねばならないのだが、得てしてそうすると不安要素が拡大解釈されて、そこだけが広まってしまうというようなことになりかねない。だから安全ということ以外には言わないのだと思う。
 そして、最後は住民を買収まがいのことで納得させてしまう。使用済み核燃料の保管場所である青森県の村では、住民に一人当たり百万円の費用負担をして、保管場所の先進地視察という名目で欧州旅行に連れて行っていることが明らかになった。
 
 女川原発が始まる頃、船宿に泊まったことがあった。そこのオヤジさんが曰く「福島県の浜通りにある原発地帯を見学させられ、立派なお土産をもらってきた」ということを話していた。コントロールルームなど正常に運転されていれば何の問題もないきれなところを見るだけだから、この通り安全なものですといわれれば納得するしかない。もう何十年も前の回想である。

 話は変わるが「割り箸」のことである。最近、地球環境にやさしいと「マイ箸」がブームである。しかし、これには問題があると聞いた。県庁の林業を担当していた人からである。里山の森林を育てるには適切な「間伐」が必要なのであるというのだ。放っておくと木々は大きくならない。従って荒れた森は炭酸ガスの吸収量も少ない。手入れが必要なのだという。
 間伐された細い木材の主要な用途が「割り箸」だというのである。その需要が少なくなると、間伐の意欲が衰えるというのだ。世の中、片面では良いことも、他面ではうまくないということが沢山あるのだろうと思う。
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by watari41 | 2008-03-26 12:00 | Comments(6)

虚と実の世界

 春の彼岸に入った。休載中にもかかわらず多くの方々のご来訪に恐縮しております。この機会に再開するとします。「お彼岸」は、何とも音韻の良い言葉である。昼と夜の時間が同じになってあの世と、この世が接触する日でもあると解釈したい。現世がつらかった昔の人は、ハスの花咲く西方浄土に極楽を感じていたのだと思う。
 今や現世が極楽浄土の人が多くなった。あの世にゆけば良いことがたくさんあるというのは、昔の人々の死への苦しみを和らげたことであろう。しかし今やその死をどのように受け入れるかが大問題でもある。

 昼と夜とが同じ時間になるこの時を彼岸とする考えも面白い。今や「千の風」の時代だが、墓前であの世の方々と語り合うというのは、日本人のものの見方と合致するようだ。天文学は昔から発達しているので真東から太陽が昇り、真西に日が沈む特殊な一日は昔から知られていたのだと思う。
 しかし、生きている間は「実」の世界であるはずだが、あの世は「虚」ではなかろうかと思う。

 虚実あいまってなどの言葉もある。
 ここで話を180度転換してしまうが、数学の世界にも「実数」と「虚数」というのがある。実数はご存知のとおり日常的に使っている。実数でないものが虚数である。文字で書いてもわかりにくいが、√-1【(ルートマイナス1)(-1がルートの中に入っている)】これが虚数である。電磁気学を学び始めた頃に、この虚数の概念を理解できると電気工学は非常にわかりやすくなるのである。
 ゼロを発見した人もエライと思うが、虚数の発見というのだろうか、それを作り上げた方も近代科学技術に大きな貢献を果たしたのだと思う。実数と虚数とを組み合わせたものを「複素数」と呼んでいるが、これが電気の現象を数式で示すことになり、いろんな問題を理論的に解くことができるのである。難しそうなことを書いてしまったが、私は50年も前には、このことで頭を捻っていたことを回想するのである。

 またまた話が飛んでしまうが「虚無主義(ニヒリズム)」というのがある。人間界を縛る道徳・倫理などは、何も無くても良いとする考え方である。本当はもっと深遠なる思想なのであろうが、簡単に言うと前述のようなことだ。
 これに対して「実存主義」という考え方があるのだから面白い。目に見えるもの、すなわち実際に存在するものだけを信ずるというものである。従って運命的なことは否定すると言うことだ。これも単純に書きすぎている。もっと深い意味があるのだろう。

 なにしろ、19世紀から20世紀にかけて、ニーチェとかハイデッカーなどという有名な思想家が唱えているのである。とにかく人間はいろんなことを考える。パスカルという人は「人間は考える葦である」と言ったそうだがその通りだ。あの世のことから、物理のこと、そして哲学までをである。我々も浅はかながら、何かを考えるとボケの予防くらいにはなりそうだ。
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by watari41 | 2008-03-18 11:03 | Comments(7)