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 日本人は大新聞の論調に左右され易いとされる。特に我々世代は若いときに朝日新聞に信仰に近い信頼を寄せていたことを回想する。当時の時代的な雰囲気もあったのだろう。昭和40年頃は大阪にいた。朝日が「新日本のビジョン」という特集を組み各界の識者の寄稿文を掲載していた。蝋山さんの「自律的人間への成長」などという記事を切り抜いたものだった。

 日本の経済活動が盛んになってからは、今度は日経新聞がその地位を獲得したように思う。学生に対してこんな広告まであった。「社会人になったら日経を読んで勉強しよう」とは、これまた思いあがった尊大ぶりである。その記事は大企業が発することを書いているにすぎない場合が多いのだ。
 今や、新聞のトップに立つ人がその力を過信し、日本を動かせると勘違いしているようだ。読売新聞の元社長が大連立の仕掛け人とまでいわれる。それだけ社会的影響力が強いといえ、各社のお家騒動みたいなことが面白おかしく伝えられたこともあった。

 その新聞の地位が危ないと言われたことが何度かある。ニューメディア、マルチメディア、・・であるが、依然としてゆらいでいるようには見えない。しかし我々が新聞に目を通す時間は確実に少なくなっている。つまり巨木の内部が空洞化しつつあるようなもので外側からは同じように見えても、ある時突然倒れる危険性もあるといえよう。新聞を読まなくなった時間だけパソコンの前に座っているような気がしている。テレビを見ている時間も少なくなった。

 先日の河北新報「ふらっと」のITフォーラム感想続編を書いているつもりがジャナーリズムのことになってしまった。
 基調講演の後のパネルディスカッションも面白かった。新聞社の地域SNSに何が出来るのかの議論を主催者は期待したのであろう。畑仲さんという方の話に興味がもてた。働きながら東大大学院に学ぶという人だ。彼は上述の如き新聞を脅かすようなテクノロジーが次々に出てくるが、何も変ってはいないという。IT技術も結局はそういうことになるのではなかろうかというのだ。

 しかし、一般的に新技術は産業界には大影響がある。それで会社がひっくり返る場合もあるのだ。新聞がいつもそんな技術で話題にされるのは、ジャーナリズムに何らかの変化が求められているからに他ならない。「ふらっと」はその一つの試みでもあろう。パネラーは地域の問題解決型にというような提案もしていた。歩き出した地域SNSは仙台、そして宮城県、大きくは東北に何らかの変化をもたらすことを期待したい。
 2007年も大晦日を迎えた。今年もつたない私のブログにお付き合いいただきありがとうございました。
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by watari41 | 2007-12-31 11:38 | Comments(7)

メディアリテラシー

 新聞社は何ともうらやましいビジネスだと思ったことを回想している。どうしてかというと、価格が下がらないからである。民間会社、特に物づくりをしているところからみると、同一価格帯での競争だけというのは信じ難いくらいにうらやましいことなのだ。

 しかし、それに安住してはいけないと新聞社内に危機感を持っている方々もいる。インターネット時代に適応しようという積極的な試みがある。その一つが東北を代表する地方紙の河北新報のSNSである。「ふらっと」という「地域SNS」を始めた。いろんな試行錯誤やトラブルをかかえながらも頑張っている。恐らくは社内でもそんなことは時期尚早とか、いろんな意見があるのだろうと思う。
 SNS自体は、ミクシーの大成功でよく知られる代表的なネット利用の形態である。
 去る22日、その河北新報にて、「ふらっと」に関するフォーラムが開かれ参加した。その時の基調講演で地元大学教授がメディアリテラシーの話をされた。門外漢である私もメディアと公共性について考えてみたのである。

 たまたま先日、河北新報県内版に、わが町でおきた不祥事の記事が載った。
 広域行政に属する公共施設の若い男子職員が女子トイレを隠し撮りしていたのが見つかり懲戒解雇されたというものだった。何とも不埒な人間を採用したものだと、たいして気にもせずに読み飛ばしていた。
 ところが、後日ある会合に出た時に、新聞に載ったあのときの不祥事の内実はこういうことなんだという右翼の人が書いている小さな新聞と呼ぶべきかA3版の表裏に細々としたことを書いたものを持っていた。その内実はドロドロしたひどいもので、いわば暴露ものだが事実なのだという。
 要点を記すと「不祥事を起こした男は、隣町の町会議員の息子である。その議員は町長の側近でもある。そしてどうしようもない息子を抱えていた。町長はその広域公共施設の長でもあるので、欠員が出たのを機に議員が頼み込んで息子を押し込んだ。その息子が一年後に不祥事を起こした」というようなことである。関係者の間では半ば公知のことでもあったのだという。

 ここで気になったのが、記者は役所から発表された内容をそのまま記事にしただけなのか、あるいは深層を知っていても、公共性を有するメディアとしては、事件のみしか記事には書けないと判断したかである。地域に住む読者としては、不祥事の奥底まで知りたいものである。しかし新聞社はたとえ知っていたにしても、そこまでは赤裸々に書けるものではないであろう。その辺をどう兼ね合いをつけているのか知りたくなったものである。さらりと書かれてある不祥事も一歩突っ込むと、奥があるものだと思ったものだ。

 ついでに書いておくと、その町長は3期を務めた。今春の選挙でも出馬したが落選した。右翼はその町長を左よりだと攻撃していたのである。
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by watari41 | 2007-12-27 11:48 | Comments(2)

相馬の風景(5)

 a0021554_13241014.jpg相馬藩主代々の墓は同慶寺というお寺にあった。本堂前には老木がある。お寺の創建時に植えたものであろう。風格のある木なのだ。a0021554_13244733.jpg
お寺の格式が高かったのか檀家が33軒しかないのだという。従って今や寺の財政が大変に厳しいようだ。住職が全てを自分でやっているのだという。藩主の墓石の一部を撮影したが、同様の形状の墓が延々と続く様は壮観である

 a0021554_13301355.jpg南相馬から海岸に出て、松川浦の海の中道ともいうべき景色のいいところを通過した、その道は7Kmも続く、右が太平洋、左が松川浦である。福島県の名勝でもある。松川浦は200万坪もの広大な潟である。その中には松島を思わせる島々もある。松川浦の北端にある海水の出入り口には、相馬ベイブリッジともいうべき大きな吊橋がかかっている。(写真はいずれも観光案内
より)a0021554_13342617.jpg

 
 さて、最後に伊達政宗のことに触れてみよう。私の個人的な解釈だが政宗は相馬氏との激突を避けるために、相馬領の最北端を巧みについて太平洋に出たのである。現在の福島県と宮城県境のあたりだ。政宗はこの時に初めて海を見たのだという。政宗が腰を下ろした石というのが残っている。。a0021554_13382953.jpg
はてしない水平線を眺めながら、後の支倉常長の壮挙へとつながる着想がここで生まれたのであろうか。 現在は皮肉にも、目の前に座礁した外国の2千トンの貨物船が半分沈没して横たわっているのだ。引き上げの目途がまだ立っていない。
 政宗が腰を下ろした一帯は、これまた皮肉なことに後の江戸時代に唐船番所(外国船監視所)となった。全国5箇所のうちの一つでもある。
 日はとっぷりと暮れた。一日で10箇所以上もの名所旧跡を案内してもらった。N君に感謝を申し上げこの項を締めくくりたい。N君曰く「相馬市と南相馬(旧原町市)は、それぞれが独立しているので、関連ある資料を取り寄せるのに両方の市に連絡せねばならずやっかいだった]
とか。一日の行動を5回のブログに引き伸ばしてしまった。
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by watari41 | 2007-12-24 13:47 | Comments(2)

相馬の風景(4)

 a0021554_1714878.jpgこんな「磨崖仏」があるとは知らなかった。東北最古で最大の石仏群だそうだ。日本三大磨崖仏の一つでもあるという。南相馬市のさらに南端の小高地区にある「大悲山の石仏」である。
 中国の西域にある敦煌の莫高窟を思わせる。この大悲山には、今はわずかの石仏しか残っていないが、かつては多数の石仏が彫られていたようだ。しかし崖の表面に彫られていたので、長い年月の間に、自然の力で削られてしまったのだという。ここに残っているのは、崖を少し掘ってから彫ったものが運よく残ったのである。
 a0021554_1715563.jpg国が指定する史跡になっており、これ以上の崩壊が進まないように、エアコン装置で守られている。拝観は無料だ。仏像の特徴から平安時代の作だといわれるが、誰が何の目的で作ったのかなど謎のようだ。その時に一緒に植えたものだろう、磨崖仏入り口に千年杉があった。巨木である。
 この「大悲山」は大蛇伝説でも知られ、今やそちらが人気のようだ。a0021554_17464171.jpg

 相馬では百尺観音が有名だ。現代の大磨崖仏である。当地出身の仏師である作者は、昭和初期に崖を切り崩し彫り始めた。製作途中に亡くなってしまった。当地に多い苗字である荒さんという人だ。現在は孫の方が引き継いで完成に向かっている。前に一度見たことがあるが何のためにと思ったことを回想する。そのルーツは千年も昔にあったのだ。仙台市にある大観音とは異なり磨崖なので正面からしか見えない仏様なのである。(百尺観音はやや遠方より眺めた。この写真は観光案内のものより)



 a0021554_1835727.jpg千年前の仏像群を拝観した後で、さらに遡ること5百年、4世紀末の古墳に案内してもらった。「前方後方墳」という珍しいものだ。東日本に比較的多い形状なのだという。前方後円墳は一般的でよく知られるが、後も円ではなく四角なのである。
 ここ南相馬から北へ70kmの名取には雷神山古墳という巨大な前方後円墳がある。わずかな時代差での墓形状の流行違いなのか、あるいは別系統の人々なのか謎である。墓の主は巨木をくりぬいた中に横たわっていたということだ。
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by watari41 | 2007-12-20 17:09 | Comments(4)

相馬の風景(3)

 相馬市は近年財政的なピンチに陥っている。大規模な工業団地を海岸部と内陸部に2つも造ったのに企業誘致が進まなかったのだ。しかし、このところ活発な進出があるので単年度黒字化の目途もたってきたようだ。

 a0021554_153014.jpg鹿狼山という430mの山がある。ハイキングに適し途中の樹木もすばらしいコースになっている。山頂に立つと下に広がる展望のなかに大きな工場の屋根がキラキラと見える。最近進出した企業なのだろう。
 またこの山の上り口には、鹿狼温泉がある。如何にも効能がありそうな湯である。また相馬の海岸近くには蒲庭温泉という、これまた歓楽を目的としていない湯があり、昭和初期に徳富蘇峰という思想家が逗留したことで知られる。阿武隈山脈一帯の東側には名湯が多い。
 わが町もその山脈の北端に位置する。だがそんな湯脈はここまではきてない。そこでそういう系統の湯とは異なるが、温泉を掘り出そうと無理矢理というか1000mもボーリングして湯を出した。これだけ掘れば日本全国どこでもでるそうだ。仮の建物で営業を始めたところ信じ難い来客数があった。交通の利便性がよかったのだろう。今度は本格的にと10億円以上も投資して5階建の温泉会館を建築した。まもなく開業する。効能があると信じているリピーターも多いようなのだ。わたり温泉「鳥の海」と名付けられた。5階を風呂にしてあるので、蔵王山や太平洋の眺望もよく。意外な人気が出るかもしれない。話がそれてしまった。

 a0021554_154488.jpg相馬のことに移ると、幕末にも藩の財政がピンチになったことがある。その時に、かの有名な二宮尊徳に仕法(倹約や心構え・日常生活改善などによる財政再建)を依頼したのである。藩と人民はその指示に従い半数の村々が立ち直ったといわれる。

 相馬市は、意外というと失礼だが進取の気性をもっている。選挙の開票では、いろんな工夫をこらして全国で最も早く開票を終えてしまう。その市長が言う如く役所も工夫することが大切であるということが身についてきているのだという。仙台市長などは早くしたところで何の意味があるのだなどと言っているのだからだいぶちがう。相馬市の財政ピンチが職員にも緊張感をもたらしたのだろうと思う。
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by watari41 | 2007-12-17 15:17 | Comments(4)

相馬の風景(2)

a0021554_1552672.jpg相馬城跡にも巨杉がある。街の中心部の平城ながら雄大な規模で堅固である。専守防衛に徹したようだ。城内に大きな広場ができている。平坦で400mのトラックがとれそうだ。

 昭和25年頃のことだった。進駐軍の偉い方が来るというので、そこで「ミニ野馬追」が催された。
丁度その頃に、私の近所から相馬に引っ越した方がいた。見物にこないかと誘われ母親と出かけた。
20騎ほどの武者が集まり、本番同様の神旗争奪戦がおこなわれた。米軍からの印象を良くしようと参加者も頑張ったのだろう、騎馬武者の疾走する姿はすごいものだと思ったものだ。小学生の頃の回想である。

 相馬氏が13世紀頃にどんな地位を占めていたかの面白い史料がある。
 「京都六条八幡宮造営工事」に関する全国からの寄付金一覧である。寄付というより、地位に応じた割り当てみたいなものだろう。
現在の金額に換算して示すと、北条時宗など北条本家が5千万円、その一族合計が1億5千万円である。それに対して相馬氏は250万円、伊達氏も同額である。
そのころ宮城県の北部を支配していた「葛西氏」は700万円なのである。後にこの葛西氏は豊臣秀吉に小田原への参陣不参加を理由に潰された。金額はあくまで現在の目安である「原本には、相模守(北条時宗のこと):500貫文とある」蒙古襲来の少し前の話だ。
 どうして、私がこんなことを知っているかというと、わが町の新住宅に仙台の大学に勤務する新進気鋭の歴史学者が居を構えたのでそれを記念して町の公民館が講演会を催したので聞いたまでのことである。つけくわていうと、この史料は最近発見されたものらしく、こんな史料が新しく見つかるのは珍しいのだということだ。

a0021554_1523190.jpg 樹齢700年とは、その頃に植えられた木なのである。屋久杉などとは比ぶべくもないが、東北地方では巨杉の一つであろう
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by watari41 | 2007-12-14 16:18 | Comments(3)

相馬の風景(1)

a0021554_1641829.jpg 勇壮な行事で全国的に有名な福島県の「相馬野馬追」は、現代風に解釈するなら、祭事にことよせた「武装中立」の手段ともいえよう。事実、この地方では戦国時代にも大きな戦闘は起きなかった。この結果、相馬地方に何をもたらしたかというと「巨木・老樹」が多いのである。神社やお寺に存在する。街中の神社には、1100年と700年の樹齢といわれる2本の巨木があった。(神社名と木の名前がウロ覚えで何とも恥ずかしい)

 巨樹には、人を癒す効果があるようだ。同期入社だった隣町のN君が、相馬の旅へと誘ってくれた。私の住むところは仙台と相馬の丁度中間に位置しているが、仙台ほどに相馬のことを知っているわけではなかった。(仙台もそれほど詳しくはないが)

 こんな巨木があるとは考えてもみなかった。歴史的背景がそうさせているのだと気がついた。
伊達氏も相馬氏も、源頼朝の平泉攻めでの戦功が認められ、もともとは両者共に茨城県から千葉県北部にかけて住んでいたものが、伊達氏は福島県中通りの伊達市(町村合併での新市である)へ、相馬氏は現在の場所へとより大きな領地をもらったのである。戦国期に伊達氏は政宗という英傑がでたので、62万石となり最終的に仙台に落ち着いた。政宗は相馬氏とはまともな勝負を避けたのだと思う。戦に勝っても損害が大きいと判断したのであろう。相馬藩は6万石で幕末に至っている。

 相馬氏は平将門を祖とし、妙見様を信仰しているが、従前からの神様も尊重したのである。それもまた巨樹が残ることに幸いしたようだ。そうでなければ用材として、とうの昔に切られていたであろう。特に杉の巨木には注目した。相馬城の跡地には700年の杉があり、南相馬の大悲山には、1100年の杉があって驚いた。近寄ると杉の壁を見ているような感じなのである。その地には太田神社もあり、これまた700年杉が多くあった。先年、神社の財政事情が逼迫して境内の修復もままならないと、そのうちの3本を材木商に2千万円で売却して修理が終わったそうだ。材木は地元の業者なので、損得抜きで買い取ってもらったそうだ。こんな逸話が何とも愉快だ。(3本で合計樹齢2千年となるので、一年、一万円としたのだろうか!)
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by watari41 | 2007-12-11 16:09 | Comments(13)

非線形

a0021554_9165729.jpg この曲線を見たことがある人は多いと思う。理科や物理で習うのではなかろうか。磁石のところに出てくる。私は40年近く、これで飯を食ってきた。磁気を表す「ヒステリシス」曲線と呼ばれるものだ。鉄をはじめ、磁気をもつものは、すべからくこの曲線をもっている。

 強い磁石はこの曲線の幅が極端に広い。また高さもある。すなわち曲線の面積が広いほど強い磁石なのだ。もはやその強さは理論的限界値に近くまで行っている。現代社会には必須のハードディスクの駆動になくてはならないものだ。

 鉄そのものは、磁気の材料として使うことはないが、鉄にいろんなものを加えて磁石としたり、逆にヒステリシス曲線の幅を極端に狭くした材料を作ったりする。電気鉄板などといわれるもので、X軸上での幅は磁石と比較すると何万分の一でしかない細い曲線を描く。理想的には幅がゼロ、すなわちヒステリシス曲線が座標のY軸上でのみ描かれる、すなわちX=0、の材料がほしいのである。
 もちろん、そんなものは出来ないのだが、限りなくゼロに近いものを目指したのである。磁石とは正反対のこんな磁気材料もなくてはならない重要な材料であった。
 また、曲線ではなく、長方形のヒステリシスをもつ、角型磁気材料というものも作ったのである。拡大してみると直線ではなく、いくらかは丸みを帯びた角型である。これらを総称して非線形磁気材料と呼んでおり半世紀前の最先端工業界にはなくてはならぬものだったことを回想する。電話やテレビであり、電気機関車やエレベータもこの材料で制御されていた。ミサイルもそうだった。そして今も当時と変わらぬ発電機やトランスの材料がある。

 だが現在は、その大半が半導体によって置き換えられた。「非線形」というのは一般的にはほとんど馴染みのない言葉であるが、何とも懐かしい用語なのである。そして、その磁気工学には開祖ともいうべき東北大の本多光太郎博士をはじめとする多くの先生がいた。いわば仙台が本家本元なのである。そして1940年頃に半ば国策的に磁気材料を作る会社が創設された。私はそんな企業に勤務していたのである。
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by watari41 | 2007-12-07 09:46 | Comments(2)

直線と曲線

 人工物は大概にして直線である。常磐線が東京に近づき林立するビル群を見ては大都市に来たことを実感したのは半世紀以上も前の回想である。
 しかし1990年頃に「横浜のみなと未来地区」にある、半円形に近い鳥のクチバシの如きビルをみた時には、これぞ21世紀の都市だと思ったものだから不思議なことだ。同一地区にあるランドマークタワーなどとのバランスがきわめて良いのである。
 高層ビルは四角い方が造るにも使うにも都合が良い。それをわざわざ曲線仕立てにしたのだから並のことではなく、なおかつそれを見る側に未来を感じさせるのだからたいしたものだ。

 自然に存在するものは、そのほとんどが曲線状であるといってよいだろう。杉の木などはかなりの手入れをして真っ直ぐな木に育てている。
 本来の川の流れは低くきを求めてクネクネとうねっていたものだ。最近は、コンクリートの護岸工事で真っ直ぐな川にしているものもある。
 道路も最短距離は直線である。しかしこれは運転する人間の心理にはよくないのである、事故が多い。運転中に自然にハンドルを切れるクロソイド曲線という道路がよいとされる。高速道路第一号の名神高速でそれを経験したのは40年以上も前のことだ、以降の日本の高速はそのカーブを取り入れている。

 我々のゴルフも常に真っ直ぐに打っているつもりなのだが、右に左へと必ず曲がる。これも自然の摂理なのだろか。単に自分のバッティングフォームが悪いからに他ならないが、これがなかなか直らない。

 人間にも、定規で引いたようなといわれる直線的な方もおれば、曲がりくねった人もいる。余程のヒネクレものでなければ、多少は曲がった人が面白い。

 直線状であれば、木材・鋼材を問わず、構造物などの強度計算が簡単だ。だが、曲がった木材が意外な強度を発揮することがある。法隆寺五重塔で力のかかる部分に、とても持たないような細い柱があるそうだ。それを補っているのが、木材の曲がりなのだという。通常の倍の力を受け持っているそうだ。宮大工の名人といわれる方がそんなことを語っていた。古い蔵などを注意してみると、力を受ける部分ににそんな曲がり材が使われているのをみることがある。

 我々磁気の分野では、線形に対するに「非線形」材料という用語を使っていた。これまた懐かしい回想なのである。
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by watari41 | 2007-12-01 08:42 | Comments(7)