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多賀城の碑:前編

 「京を去ること1千五百里」で始まる、有名な「多賀城の碑」は西暦700年代に作られた。この碑を見た後世の西行も芭蕉も感嘆している。この碑文内容で不思議に思っていることがある。  「靺鞨国(まつかつのくに)まで3千里」という表現である。「靺鞨」は現在の北朝鮮と中国満州の国境付近に存在した国であるといわれる。日本海を越えていかなければならない。当時は小さな帆船で何日もかかったことであろう。その間、水平線しか見えない日も続くのである。どうして距離を測定したのであろうか。
 現在の地図で見ると、京都までの距離のほぼ2倍であり、その数値は相対的に合っているのだ。昔からの疑問の一つでもある。古代人の距離感というのはすごいものだと思ったことを回想する。

 話は変るが、ピラミッドの謎といわれるものの一つが、底辺と高さの比率だったと思うが「π」すなわち3.14になっているということで、πの発見はずっと後年になってからのことなので謎とされてきたのである。それが壁画のなかに車輪の図があったことで、もしかすると長さの測定に車を回していたのではないかと推測されるというのだ。そうすると知らずのうちにπが絡まってくるというのである。

 古代の遠距離測定にも意外な謎解きがあるのではないかと思っている。南北の方向は北極星の角度を測ることで、距離を知ったようなのだが、東西方向は難しい。いつの日にかその回答が見つかるのだろうと思っている。

 多賀城国府は、当時の東北における最前線基地であった。西の大宰府と並ぶものだ。大宰府は菅原道真が配流されたことで有名になり今も学問の神様である天満宮で賑わっている。こちら多賀城は戦闘基地も兼ねていたようで、焼き討ちにもあっているようだ。周辺には多くの古代の「製鉄所跡」も見つかった。武具や農具に用いたのであろう。30年ほど前だった。在職の会社で、その出土した鉄の成分分析を依頼された。会社の分析課長が個人的なつながりもあったのだろう。私も古代史ファンとして注目していた。チタンがやや多く原料は「砂鉄」だということがわかり、常識的な内容だったことを回想している。

 「多賀城の碑」は、石に文字を刻み込まれているので、千年以上も持ちこたえている。鉄に刻んだ文字はボロボロで判読に苦労する。以前に関東の古墳から発掘された鉄剣の文字をよむのに考古学者が苦労していた。「ワカタケル大王(すなわち雄略天皇)が古墳の主に送った」という文字だった。文明は石器から鉄器へと変ったが、長期保存の点では石には勝てないのだ。
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by watari41 | 2007-08-28 06:05 | Comments(2)

中華航空機の事故

 作家・向田邦子さんも中華航空で遭難した。昭和56年、台北から高雄に向かう途中だった。何と事故の多い航空会社なのだろうか。私も在職中は何度か乗ったことがあったことを回想している。羽田から出発して、台北で乗り換え高雄の工場に向かう、何事もなかったのは幸いだった。
 今回の事故は、着陸後に燃料が大量に漏れてしまった。詳しい原因はこれから突きとめられていくのだろうが、燃料パイプに関する私のある思い出を紹介しよう。

 航空機は、軽くそして丈夫にするために、いろんな工夫がある。その一つをかいまみたことがあった。燃料配管パイプを接続する「継ぎ手」である。少しの漏れがあってもならない。そこに形状記憶合金が使われていたのである。

 もう30年以上も前のことである。アメリカ帰りの東北大の先生から、面白い金属を見せましょうといわれたのである。それが上記のものなのだ。短いパイプでその内径は、接続する航空機配管の外径より、幾分小さくしてある。使用方法は、その形状記憶合金の内径を無理矢理押し広げて、接続パイプの外径より少し大きくしてマイナス200℃に近い液体窒素に保存しておくのだ。
 実際の使用に当たっては、それを取り出して、つき合わせて接続する燃料パイプに差し込むのである。当初は冷えていて、ゆるゆるの状態だが、次第に温度が常温に近くづくにつれて、形状記憶合金の内径は小さくなっていく、すなわち元の寸法に戻ろうとするのだ。そして燃料パイプが締め付けられる。両者はしっかりと結びつけられるのである。温度があがればますます強く結びつけられることになる。通常の金属膨張とは逆のことが起きるのだ。形状記憶とは、ある温度での形状を記憶していて、その温度になれば、その形にもどるというものなのである。

 まもなく特許が切れるので、日本でもこの金属を作れるようになるいうことだった。50%ニッケル、50%チタンの合金なのである。当社も早速試作にとりかかった。アメリカでは航空機とはいっても、より苛酷な状態で使われる戦闘機での用途なのである。
 日本では、当然そんな用途はないので、何かないものかと探したのだが、めぼしいものはなく形状記憶という言葉だけが話題先行してしまった。。
 話が飛んでしまったが、事故原因は何だったのだろうか。今日23日に漏れた部分が分解調査される。今や仙台から台北へもチャーター機が飛んでいる。早く桜のマークの信頼を回復してほしいものだ。
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by watari41 | 2007-08-23 08:07 | Comments(5)

世界遺産

 「松島」を世界遺産へという、宮城県知事の発表したニュースが出た時には驚いた。何を今更と思ったものだ。このところ観光客が減少ぎみなので、リカバリー策だろう程度に考えていたものだ。

 しかし、その対象が「貝塚」なのだというので、さらにビックリしてしまった。松島湾一帯は、日本一の貝塚密集地帯でもあるというのだ。歴史には多少の自信をもっていたが、そんなことも知らなかった。なんとも恥ずかしい。
 最大のものは、奥松島にある200m×600m(約4万坪)で、その厚みは縄文時代の4千年分があるというからすごい。湾岸一帯、そして島々にも、おびただしい貝塚が存在しているのだという。
 と、いうことは、その時代に大変な人口があったということになる。当時の出土品からは、現在でも「網」を作ったり、修理したりする道具と全く同じものが出土しており、何千年も前に考案・工夫されたものが、今に伝わっているということになる。世界遺産の条件には、こんなことが評価されるのだという。しかし、貝塚の表面は、今は畑になっており、当時の白い貝殻が見える程度の殺風景なものだ。

 だが、敵は本能寺で、そこからは松島の見事な景観が見え、観光客誘致が目的なのは明らかだ。世界遺産は、どんどん増えている。日本は14箇所、東北では青森、秋田の県境にある「白神山地」。今度は岩手県の平泉が当確のようだ。1県に一つはないと格好がつかないというような感じになりつつある。
 事実、世界遺産をもっていない県は、それぞれの名所などを、文部省に登録申請している。山口県の錦帯橋など等。
 しかし、日本からユネスコへの申請は年に1件しかできないのだという。まるで、世界遺産甲子園なのである。

 松島の観光的価値が徐々に落ちているのは、残念ながらたしかなようだ。岩手県北部に「北山崎」という陸中海岸の絶景がある。今まではあまり知られていなかった。そこに旅した時にガイドの説明を聞いていたら、旅行者が期待した以上のNO1がこの北山崎であり、ちなみに期待を裏切ったNO1が松島なのだそうだ。やや誇張があるにせよ残念である。

 しかし北山崎は不便なところだ。昔から人を寄せ付けなかったのだろう。対するに松島は便利なところだ。そこにこんな景色がということで、日本三景にもなったのだろう。縄文の人々が集まってきたのもうなづける。
 それにしても「世界遺産」とは魅力的な言葉だ。石見銀山は3倍にも観光客が増えたとか。これに勝る看板はいまのところないようだ。
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by watari41 | 2007-08-18 08:18 | Comments(3)

欅の木は残った?

 杜の都、仙台のケヤキ騒動はいまだ完全な決着がついていない。東北以外の人々には分かりにくい話である。地下鉄建設に伴う街路樹の伐採可否をめぐる話題だ。仙台のシンボルでもあるメインストリート青葉通りのケヤキなので移植すべきだという話しなのだ。しかし1本の移植費用は3百万円かかる。50本なので一億五千万円必要だということで、財政難の仙台市がそれはおかしいという声が上った。市長はケヤキの精が語りかけてくるとの「迷言」を発し移植すべきだと語っているが、市民の意見は分かれている。

 我々の年代で、かつ田舎育ちのものからみると何とも奇妙な論議である。不要になった樹木は伐採すればよいだけだと思うのである。現代人は樹木にも優しい心根を持つようになったのかと思ってしまう話しだ。単なるケヤキの移植に数百万円の費用をかけるなど正気の沙汰とも思えない。

 しかしこれには、地下鉄建設の賛否が絡んでいるので、議論が複雑になっているのである。地下鉄建設を止めてしまえばケヤキはそのままで一件落着なのだ。採算が疑問視され、大赤字さえ予測される地下鉄だからである。もう工事が始まっている。結局はケヤキ数本の移植で最終決着が計られそうだが割り切れない話である。

 これに、似た話が我がお寺にもあった。遠くからも見える銀杏の大木があった。節になると沢山のギンナンンが落ちるのはよいのだが、落葉で墓地が汚れてしまう。住職は伐採を提案した。檀家は反対だった。ギンナンが欲しかったこともあったのだろう。しかし表立って住職に意見を言えるものではない。そのうちに根本から伐採されてしまった。お寺のシンボルがなくなってしまったと昔からの檀家は嘆いたが、この木がなくなったことで墓地がすっきりして、評判が良くなり檀家がどんどん増えたのだ。今度のケヤキ騒動で何十年も前のお寺の銀杏のことを回想したものである。ケヤキ騒動とはやや趣を異にするが木々にまつわる話しは多い。
 今年もお盆に入った。お寺に全檀家が集められる。施餓鬼法要が毎年行われるのだ。本堂でウチワを使いながら世間話に興ずる人たちも、もう銀杏の大木を憶えている人も少なくなり、話題にものぼらなくなった。忘れ去られるのは早い。

 「樅の木は残った」という、伊達騒動をテーマにした、山本周五郎さんの傑作小説がある。「欅の木は残った」という物語はできないものだろうか。
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by watari41 | 2007-08-13 10:06 | Comments(7)

皇室のこと

 皇族の動静を見るにつけ、経済的には困らないのだろうが、窮屈な人生だと考える人は多い。
 「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」という本が昨年出版された。現在の天皇・皇后名が表題である。ずいぶん思い切ったことを書いたものだ。しかも著者は、宮内庁詰めの元共同通信社の記者「板垣恭介」さんという方だ。当然、内情をよく知る人なので読んでいて面白いことが沢山書いてある。

 話は昭和天皇のことから始まる。前半の20年を「神」として、また日本の最高権力者として過ごしてきた。戦時中は当然のことながら、あらゆる重要情報が報告される。大本営発表ではない真の情報がくるはずだ。権力者とはそういう立場にいるものだ。会社では社長のもとに一元的に情報が集約されるのと同じことである。天皇の言葉は承認を与えることであったり命令なのである。

 戦後、マッカーサー司令部は天皇を戦犯とするよりも存続させた方が、日本統治に都合が良いと判断したことはよく知られている。そのために米本国や他の戦勝国への工作をせねばならなかった。「昭和天皇独白録」が発見されたが、これも天皇に直接の戦争責任はないとする微妙な表現があり工作の一環だった可能性が高いという。英訳したものを当時の米政府高官に届けられていたようだ。

 戦後に生き残った天皇制は、新憲法によって「象徴」ということになった。現天皇は即位に当たって、憲法を守りという表現をしている。しかし、これが改正されたらどういうことになるのだろうかと著者は問うている。辞めてしまえばよいのだろうが、勝手に辞めるわけにはゆかず国民の総意が必要なのだそうだ。

 女の闘いも凄い。前皇后は民間出身の美智子妃を認めようとしなかったというのだ。生物学者である昭和天皇は、その必要性を十分に理解していたが、前皇后は平民と皇族・華族は別なのだという意識が抜けなかったようだ。

 皇族が興味本位や憶測で様々にかかれる事が多い。そうかといって実態をつまびらかにしてしまうのは、開かれた皇室などと言葉ではいうものの現実的は難しいのだろう。

 やがて時代が大きく変化して愛子様が成長し、オードリー・ヘップバーンの映画「ローマの休日」で市中に遊ぶ王女様みたいなことはできないものだろうかなどと、真夏の夜の夢をみている。
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by watari41 | 2007-08-08 08:50 | Comments(4)

歴史的惨敗と今後

 安倍晋三首相は、祖父である岸元首相と同じような考え方をしているといわれる。その岸さんが当時目指したものを今に実現しようとしているのだ。現在の状況は1955年体制の延長だといわれる。当時は自民党と共に社会党があった。批判だけの政党だといわれながらも、選挙の度に1/3以上を確保して政府も無視できなかった。
 宮城県出身の佐々木更三さんも委員長だった。独特のズーズー弁が懐かしい。当時は貧しい国情もあったのだろうが、多くの人々が平等にというような諸施策があって、日本は資本主義ながら社会主義国家に近いなどといわれたことを回想する。軍備にもできるだけお金を使わずにというようなことだった。
 そのうちに社会党がおかしくなってしまったのである。自壊してしまったというべきなのだろう。現在の民社党はその残骸みたいなものだ。
 
 やがてバブルがあった。失われた10年ともいわれる長い低迷期を脱するために、竹中方式とでもいうべき、よりアメリカ型の自由競争主義、すなわち勝ち残ったものがより多くの収穫を得るというような方向に舵をきった。それを改革と呼んだのである。その結果、国全体としては景気の上昇とGDPの増加ということになったが、個人をみると敗者が自殺に追い込まれたり、若い人が苛酷な労働のわりに安い賃金にあまんじるということになってしまった。ギスギスした社会になってしまったことは否めない。

 50年前に岸さんは、当時首相として全盛期にあったアメリカを訪問してアイゼンハワー大統領と会談した。その新聞記事をよく記憶している。戦時中の閣僚の一人でもあった岸さんには理想の国家だと見えたのであろう。そこにたどり着くのが目標だと思ったに違いない。孫の安倍首相もそんなことを聞かされて育ったのだと思う。祖父譲りの自分の考え方は間違っていないのだと思うからこそ続投を決断したのだと思うのである。

 しかし、改革と称するものは国家最適すなわち全体最適ではあっても、個人最適ではないのである。最終目標だとする憲法改正もそんなことだ。民主党は個人の生活が大切だとそこをついたものなのである。だがその人たちも元は自民党から飛び出してきた方々なのだ。昔の考え方では駄目だと気がついたのであろう。しからば個人最適にするにはどうすればいいのか、全体最適とのバランスをどうとるのか等など、そこのところがまだ見えてはこない。
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by watari41 | 2007-08-03 07:53 | Comments(8)