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バイオエルギー

 「お米」が自動車を走らせることになるかもしれない。バイオエネルギーである。ガソリンと同等のエチルアルコールが農産物から作られる。地球温暖化を緩和するという大儀名分がある。炭酸ガスを増やさないということで脚光をあびた。アメリカではトウモロコシで既に実用化している。
 だが、額面どおりに受け取れないところもあるようだ。その裏側には産油国への牽制や、自国への農業対策がある。米国の農家のみならず日本の農業にも大きな影響を与えることになりそうだ。
 日本では米が余っている。30%もの休耕田がある。農水省は米を作らない田に補助金を出し農家を保護している。そんな田圃にアルコールになる米を作るという話である。

 清酒は米からのものだ。その発酵技術を生かすという発想だ。アルコールで自分自身のエネルギーを高めて暴走する人もいるが、食物がアルコールとなり工業的エネルギーになる。

 農家は米を作りたい。米作りにはあまり手間がかからなくなった。加えて国は田圃整備に多額の投資をして今や一区画が1ヘクタールもの巨大で整然とした田園風景が東北各地にも出現している。米国式農法の如く、空から種をまいて大型コンバインで米を収穫するようになるかもしれない。

 第二次大戦の頃、石油の一滴は血の一滴などと言われ、石油獲得が戦争の原因にもなった。当時は食べるのに精一杯で、米からエネルギーを得ようなどとは考えもしなかったであろう。だが今やその米から自前のエネルギーを持てる時代が見えてきたのである。

 農水省新時代かと思っていたら大臣が自殺した。汚い金を手にしていたのであろう。目つきがあまりにも悪かった。周りは説明責任というが、それは自分の人生を否定することになってしまう。進退極まったのであろう。生命を絶ち過去を清算した。あまりにも虚しすぎるように思える。
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by watari41 | 2007-05-31 07:58 | Comments(2)

我輩は猫

 在京の親戚から著書を送ってもらった。「”夏目漱石抄伝”鏡子礼賛」という著作だ。漱石はあまりにも有名で、この種の評伝というのはこれまでにたくさん存在している。何を今更と思って聞いてみたら、漱石夫人の鏡子さんがひどい悪妻であるということが世に喧伝されているので、そんなはずはないと思ったからであるというのだ。

 漱石が、あまりにも有名になり神格化されてしまい、近寄りがたい存在だと考えられているが、調べてみると意外にも普通の人と何ら変らない人間くさい人だというのである。そんなことを書きたかったのだという。
 現代の我々が大文豪だと考えている以上に、漱石の晩年の弟子であり、後に小説の神様とまで呼ばれるようになった志賀直哉までもが、神の如くに思っていたのだというからただごとではない。
 上記著者が漱石のことを詳しくわかったのは、漱石の弟子である小宮豊隆、阿部次郎といった作家が漱石生涯の資料の多くを東北大文学部に持ち込んでいたからであるというのだ。調べる足がかりがあったのだ。

 私の親戚であり、上記著者の高橋誠さんは大正14年生まれで、サラリーマンを定年退職後に古代史探訪などいろんな活動を始めた。種々のことに興味を持ち調べてみたことを書いてみたかったそうだ。文芸社という出版社で取り上げられた。

 漱石の逸話で面白いと思ったのは、俳人・高浜虚子が編集していた雑誌「ホトトギス」が売れ行き不振で悩んでいた時に、漱石に投稿を依頼したというのだ。そこで「我輩は猫である」を書いたのだそうだ。虚子はそれを添削して載せたのだという。大いに売り上げが伸びて、続きを頼んだところ漱石は今度は無修正での掲載を条件として投稿に応じたというのである。

 上記の「夏目漱石抄伝・・」は昨年6月の初版なのだが、先日の親戚仏事の際にお会いした著者の高橋さんから近況を伺った折に話があって、私も一冊いただくことにしていたのである。文学については一般常識程度の知識しかないのだが漱石により親しみを覚えたものである。
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by watari41 | 2007-05-26 20:29 | Comments(3)

東北の中心都市

 仙台は東北の中心都市だ。疑う人などいないのだが、昭和40年頃こんな話しがあった。50年後のことを考えると福島県の「郡山市」が仙台に替わって東北最大の都市になるだろうというのである。首都圏に近く、東京から青森に至る南北交通に加え、新潟からいわき市への東西回廊の要衝に位置しているというのが発展する理由だということだった。当時の社会状況からは妙に説得力があり記憶に残っている。
 しかし、そうはならなかった。社会環境が大きく変化したこともあるが仙台がその地位を譲ることはなく、今後ともありえないことだろう。この数十年間、仙台は都市の魅力を高めるための種々の努力をしており今も続いている。
 東北楽天イーグルスが本拠地としたことなどは、地域大都市の欠かせない条件を手にしたようなものだ。青葉祭り、光のページェントなども彩を加えてくれている。祭りの熱気は一体感をかもし出す。音楽祭もできた。加えて広瀬川の清流回復や青葉山の環境維持などの施策も功を奏したのであろう。
 周辺地域にもよい影響を及ぼしている。わが町の仙台に近い地区は人口が増えている。しかし町内でも距離が遠くなるに従い減少している。町全体では微増といったところだ。

 中世の東北では、平泉がその中心でおよそ百年間栄えた。独立王国みたいなもので日本海に乗り出して中国との直接貿易までやっていたようだ。仏教をモチーフにした浄土を目指した都市づくりだったのである。僅かに残った遺跡にそのよすがを知ることができる。

 では、現代における東北の中心都市としての役割は何なのであろうか。地域に向けた情報の発信ということがあるが、どこにでもある大都市ではなく、東北らしい特長を発揮した中心地となることを期待しているのである。仙台に入る手前の長町の高架線から、広大な更地となった空間を眺めながらどんな都市づくりになるのだろうと思っている。
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by watari41 | 2007-05-23 11:19 | Comments(2)

食物の今昔

 縄文人も我々と同じものを食べていたんだと思うことがある。海岸で牡蠣(カキ)を拾った時などだ。ナマでも旨いが、火を通すとさらに美味しくなる。
 ワラビなど山菜類も同様だ。現代では少し贅沢感もある貝類や魚などが貝塚から発掘される。粗末な食物で生きていたのだと思いがちだが、意外にも我々と同じものも食べることもあったのだ。海の幸、山の幸である。

 古代人が食べられなかったのは、現代の米である。弥生時代には「赤米」というのがあったといわれ、それが今に脈々と受け継がれているが、珍しさで少し箸をつけるたことがある。玄米みたいなものだ。よくぞこんなものを食べていたものだ。
 米は、近代になってから急速に改良が進んで美味しくなったといわれる。私らの年代で田舎育ちのものは、そんなにまずい米というのをしらない。

 子供の頃に、あの人はクサイ飯を食ってきた人だといわれたり、ご本人がそう話す場合もある。これは留置所や刑務所に入ってきたという意味なのである。文字通りのクサイ飯だったのであろ。そのころはまだ選挙違反で捕まる人が多かったこともある。
 私も一度だけクサイ飯を経験した。とはいっても機内食の話なのである。10年ほど前でしかない。香港から大陸のアモイに向かう時だった。中国南方航空会社だったと思う。飛ぶ距離は短いのだが、昼時だったのと出発が遅れたので弁当が出たのである。蓋を開けたらムーと匂ってきた。とても箸をつける気にはなれない。オカズだけを拾って、ご飯はそのまま残した。クサイ飯の記憶は消えないものだ。

 50年以上も前になるだろうが「黄変米」といって輸入した米が大きな問題になった。とても人が食えるものではないと騒がれたが、カレーライスにすれば結構食えると時の大臣が試食していたことを憶えている。
 米に限らず食物は保存が難しい。鮮度が一番なのである。縄文人も採取してすぐに食べた時はよいのだろうが、干物を作ったりいろんな保存工夫があったのだろうが、今となってはわかりにくい。貝塚周辺の散歩で古代人の生活に思いをはせることがある。
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by watari41 | 2007-05-20 08:44 | Comments(2)

企業買収

 巨大製鉄会社、新日鉄が買収の危機にある。夢想だにしなかったことが現実に起きている。先日のNHKドキュメンタリーを見て衝撃を受けた。ミタルというインド人が、世界の鉄鋼業界に覇を唱えている。一介のスクラップ屋さんに過ぎなかった男である。これが市場経済の行き着く姿なのかと思って見ていた。
 自由主義諸国には独占禁止法があって、やたらに市場占有率を上げることはできない。しかし国際間にはそういうルールはないようだ。買収だろうと何だろうと好き勝手なことができてしまう。

 在職の頃、会社が生き残るには、技術力を高め特色ある企業にしなければいけいない。そのためには全社をあげて研究開発に邁進しなければ、などと言われたことを回想する。だが今や、技術力の高い会社ほど魅力的で買収対象として狙われてしまうのだから皮肉なものだ。鉄鋼会社の買収などというのは最もやりにくいものだと考えていたので尚更に驚いた。その業界の一端に身を置いたものとしては唖然とするより他はない。

 その主役であるミタルさんは、あのホリエモンとどこがちがうのだろうかと思ってしまう。自社の株価を高めて、その価値をバックにして狙った会社を買うのだから基本的な差異はない。ミタルさんのやり方は国際的には許されているのである。

 世界の鉄鋼市場を統一してしまえば、最も効率的な生産配備ができるという理屈のようだが、一時的に成功はしても、かつて市場を独占してうまくいった例はない。

 新日鉄は買収防止に、あらゆる手立てを講じて立ち向かっている。かつてなら通産省が乗り出して、弱い日本企業の保護育成に当たるというようなことをやったのだろうが時代がすっかり変ってしまった。
 今や世界最強クラスになった企業が狙われるのだから恐ろしいことだ。経済というか金融面での国境はなくなりつつあるのだろう。一足先にEUがそれを実現している。宇宙からみると地球は一つというが、地上での闘争は果てし無く続いている。その様は時代毎に変った顔をみせ、今や経済・金融界のマンモスが跳梁する世の中だといってよいのであろう。21世紀初頭がこんなことになっていようとは、誰も考えなかったにちがいない。
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by watari41 | 2007-05-17 08:03 | Comments(4)

法令遵守

 高野連は面白いところだと思った。何を今更、公然の秘密を暴き立ててと誰もが不思議に感じた。
 だが、組織論的にいうと、繁栄のピークに達っした時に、抜本的改革をやらないと衰退が早くなるものだ。昨年は2人のスーパーヒーローを生んだ。楽天のマー君とハンカチ王子である。少し前には100億円投手の怪物・松坂や、ゴジラ松井もいる。NHKは全試合を継続中継し高校野球は今や絶頂期に到達したかの感がある。そこで次なる繁栄を考えての改革かと思いきや、そうでもないようなのだ。

 ただ単に、条文を守ってもらうというそれだけのことなのだ。自らが作成している憲章を守るというもので高野連は意外にもピュアーなところがある。野球部員がタバコを吸ったとか、傷害事件など不祥事で出場停止にしたことがよくあった。その一方で授業料の免除など多額の金銭的支援を見逃しているのだから、おかしなことだとは思いながらも、いつしか当たり前のことになってしまったのである。仙台の有名私立T学校長などは、全く知らなかったと驚きながらもあっけらかんとしていた。そんな条文があることさえ念頭になかったようだ。

 我々は既成事実に弱いところがある。時が過ぎ、慣行化すると条文があってもそれを守らなくて当然ということになる。
 だが、大事に至る前にきちんとしようとする動きも出てきている。地域の農協だよりをみていると、ここ数年コンプライアンス(法令遵守)ということを幾度となくとなえている。裏を返せば、これまでいかに融通無碍にやってきたかということだ。

 大きくは、憲法問題もそうである。現実が優先されている。条文が有名無実化してしまった。高野連の如く思い切ってストップをかけてもいいようなことだが、もはや裁判官も判断を避けることが多い。

 高野連は今頃になって、おかしなことを言うもんだという、我々自身の感覚がおかしくなっているのである。文部大臣まで乗り出してきた。
 いずれ何らかの決着がつくのであろうが、高校野球のみならず日本人の行動様式に大きな一石を投じたことはたしかである。週刊誌がいろんなことを勘ぐって書いているが、社会の底流としては、農協のことを持ち出しては甚だ失礼なことながら、法律は守らなければという意識が日本社会に芽生え始めているような感じを受ける。憲法を変えようという動きを急ぐのもそんな空気を察知してのことなのだろうか。
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by watari41 | 2007-05-13 08:20 | Comments(3)

軽薄短小(3)

 バブルの頃のステータスシンボルは何だったか?とテレビのクイズ番組がやっていた。答えは「携帯電話」なのである。それも今のようなものではない。重さは500グラムもあり、立派なバックに入れて持ち運んでいた。高価なもので誰もが持てるものではなかったのだ。
 わずか20年前のことながら、今では想像もできないことである。

 丁度、そのころ携帯電話製造各社は、その小型・軽量化にやっきとなっていたのである。有力メーカーのN社が訪づれてきた。それを我々の前で分解して、御社で協力してもらえる部分はないかと問われたのである。その頃、米国のM社では150グラムを実現しており、それを凌駕したいということだった。
 電気回路そのものはわからないが、見たところアンテナが大変に太いのである。中味は細いステンレス線に針金を巻きつけ、さらに外側をビニールコーティングしたものだった。弾力性を与えるためにそんな構造になったようだ。
 その代替として、ゴムに似た超弾性を持つ軽い金属を紹介したところ非常に喜ばれて採用された。今や全世界の携帯アンテナに、この金属線を採用しているのだと思う。
 その時に使用法の特許を申請したのだが、世の中には目ざとい人がいるもので、数年前に既にアイディアとして特許を取得していた人がいたのである。忘れがたい思い出の一つである。

 さらに「軽薄短小」の根本にあるシリコン「IC」のことについて触れてみよう。その原料であるシリコン(珪素:ケイソ)は地表に最も多く含まれる元素なのだ。一般の岩石にも多いが、珪石から採取される。元は石ころなのである。
 ある時、評論家がシリコン「IC」をして、第二次石器時代に突入したのだと言った冗談が妙に記憶に残っている。古代人は石器の刃で物を切り刻んだが、現代人は石の主要成分であるシリコンを取り出して、細かな回路を切り刻むというようなことである。素人受けのする表現に感心したものだった。

 金属シリコンは軽いのだが、硬くて脆いので実用には供さない。鉄のなかに3%程度を含ませると電気鉄板といわれるものができあがる。発電や送電・配電のトランスになくてはならないもので年間数百万トンも作られる。電気産業というより、現代文明を支えるものなのだ。
                                              (この項、了)
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by watari41 | 2007-05-09 07:57 | Comments(4)

軽薄短小(2)

 「金属」には、重々しいというイメージがつきまとう。だが軽量化の波もあった。軽い金属「チタン」が一時期、もてはやされた。製造メーカーも宣伝した。耐久性もあるので屋根材に良いというのである。200年は持つというのだが価格が高すぎた。木造建築では、本体朽ちて屋根だけが残ったということになってしまう。

 アルミニュームは比較的廉価なので使われる。そのリサイクルも盛んだ。ただ製造に電力を食うのが難点である。飲料缶には少しばかり高級感もある。アルミ風船も出回っている。先日仙台の地下鉄でとんでもない事故が起きた。子供の手を離れて風船が送電線に絡み付いてショートし全線を2時間も止めてしまった。多くの人に風船はゴムのイメージしかない。だが金属は電気を通すのである。

 意外なのは、電子機器の小型・軽量化を支えているのは「金」なのだ。グラム当たり千円以上もの高価なものだが、いくらでも薄く、細くできる。そして腐食にも強い。電気配線に使うのだが、機器が超小型化しているのでいくらも使わない。「銅」では信頼性に欠けるから金なのである。

 変ったものを目にしたことがあった。釣り道具の「浮き」に「マグネシューム」が使われていた。通常はプラスチックなのだが、金属だから壊れないというのだ。確かに比重は2にも満たないので軽い。少しの形状工夫で浮いてしまう。これを見て、面白い発想をする人もいるもんだと感心したものだ。。

 在職時は、30年以上もいろんな金属と係った。いずれもみんな「軽薄短小」という時代の宿命にあった。だが一方では溶接によって、巨大なタンカー、つり橋、タワーの計画があったりで、世の中の事象が全てそうではない。前回コメントをいただいたように、時代の進歩というのは、一方でミクロ化し、他方でマクロ化というかマンモス化するということなのであろう。
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by watari41 | 2007-05-05 09:09 | Comments(2)