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緩和ケア病棟

 11月20日に、妻がこの病棟に移った時にはまだ多少の元気が残っていた。次々に去っていく方々を見送っては、お気の毒にと思っていた。だが、やがてこれはとんでもない思い違いであることがわかってきた。

 妻よりやや早く、この病棟に入所した女性のご主人と、時々洗濯場やラウンジで顔を合わせることがある。私とは同年代の方である。その彼は、泊り込みで奥さんの介護をしているのだという。自分では食べられないので口まで運んでやるというのである。看護と介護は別物なのである。介護は家族が行うのが原則であるそうだ。なかにはやむを得ず付き添いさんを頼んでおられる方もいるようだ。
 彼はこんなことを言っていた。自分が病に倒れて、妻にやってもらうと思っていたことが全く逆になってしまったと嘆いていたが、男は誰しもそうなのだろうが私もそんな感覚でいたのである。人生何があるかわからない。彼はいわばこの病棟での「戦友」であり「先輩」でもある。
 妻はこの介護の必要な時期を経ることなく一気に悪化してしまった。

 隣室の患者さんの名札がなくなっていると、翌日の地元紙の訃報広告にその氏名があるような世界である。去るもつらいことながら、残るも「地獄」なのだということが次第にわかってきた。

 病棟は、雑木林など自然環境の残る一角にあり、すばらしい施設の中で過ごせるのはこの上ないことだと当初は考えていたのだが、病状が次第に悪化していく状況を側で見守っていると、そんなこととは関係なく、何をするわけでもないのだが精神的には何ともつらく疲れてしまう。

 私自身も、がん患者なので、そんなには無理がきかない。同病院の本館でその時お世話になった看護婦さんとすれ違うと、だいぶやつれて見えるから気をつけてなどと声をかけられる。親切心なのであるが、こちらはその一言でまた参ってしまう。少し交代してくれるというので東京在住の長男に来てもらった。1月末まで病院に泊り込んでくれる予定である。

 妻の状況は、医師ももはや打つ手がなくなったようだ。後は本人の生命力がどこまで支えられるかになってきてしまった。
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by watari41 | 2007-01-29 09:26 | Comments(4)

ホスピス

 1981年に日本で最初のホスピスが開設されている。パソコンの歴史などよりも新しいのだ。「ホスピス・緩和ケア白書」なるものを目にした。2004年版によるとその時点で2千床を超えている。98年に健康保険が適用されるようになってから急速に増加したのだという。だが、これを必要とする患者数からいうとまだ桁違いに少ないようだ。

 治癒が不可能になった患者にたいして、快適な療養環境を提供して、手厚い看護態勢のもとに人生最後のひと時を過ごしてもらおうという趣旨である。大きな病院に20床程度の独立した病棟があるののが普通だという。このガンセンターもそうである。音楽療法、鍼灸療法などの先生がやってこられる。メンタルケアが重要視されている。施設には全国的な統一基準がある。ピアノのある大きな談話室や、温泉宿の一室を思わせるような家族部屋もある。個々の病室も広い、寝泊りする時には病室の畳部分に布団を敷くこともできる。

 入院料も全国一律である。現在は一日当り37.800円(健康保険適用分)が基本料金で、これとは別途に病院独自の特別料金が加わる。70歳以下だと一ヶ月におよそ50万円の支払いとなる。頭の痛いことである。ただ、3カ月ほど後に市町村によっても異なるようだが、高額医療費支給制度というのがあって、半分くらいは戻ってくるようだ。

 痛みの激しい終末期の患者を自宅で看るというのは大変なことである。無理をしてでも、ここで看ってもらいたくなる。しかし入院希望の待機者は定員の2倍にもなっているようだ。ここに入所できたのは運がよかったといわざるを得ない。

 看護婦さんも大変である。病棟の性質から次々と見送らなければならない方々がでる。並みの神経ではもたないのではなかろうかとも思う。
 今回は病棟の簡単な紹介にとどめておくこととする。

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 妻の病状は一段と悪化してしまった。吐血したのである。劇薬が胃を荒らしたのである。応急処置をしてもらったが、半ば昏睡状態に陥ってしまった。ここ数日は食べられないので点滴で持ちこたえている。
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by watari41 | 2007-01-23 08:04 | Comments(10)

成人式

 1月15日は成人式ということで長年、慣れ親しんできたが変動休日制になってから、祝日に戸惑うことが多い。荒れる成人式といわれて久しいが、今年は夕張市の成人式が爽やかな話題だったのは幸いである。今も昔も役所による役所のための式典だといっては、言いすぎであろうか。十年一日の如きもののような気がしている。

 私の成人式は、もう半世紀近くも前のことになる。おしきせであるとはいえ当時はまだありがたいという気分があったものだ。町の式典で新成人を代表して決意を読み上げてくれとの依頼を受けた。抽選に当たってしまったようなものだ。公民館長のような方が文案を持ってきた。一読してみたら「我々は”大東亜戦争”開戦前夜に生を受け・・・」というような下りがあった。その表現は書いたご本人も気にはなっていた一節らしいのだが、私は「・・太平洋戦争・・」と変えてもらった。懐かしい20歳の時の回想である。それこそ一時代昔の日露戦争の頃に生まれた方が書いたものを読んだのである。

 成人式は、本来は一人前のオトナになったことを祝うものだ。20歳は選挙権の付与と関連したものである。その昔は15歳で元服があったので、それに倣って中学生に立志式というものをやっている学校のことが報道されているが、今の感覚ではピンとこないものがある。

 現代社会では、一人前のオトナになる年齢範囲が広くなっている。相撲などスポーツ界では20歳で活躍している人たちも多いが、一般には30歳くらいまでオトナ扱いされる年齢がずれこんできているように思う。

 老人といわれる年齢も、大きく押し上げられている。「還暦」には、老齢に達したというような意味合いが含まれているようだが、これまたピンとこない時代になった。近隣の町では60歳に達した人たちを招いて「盛人式」なるものを催している。参加者もこの表現には納得しているようだ。「成人式」もかなり以前から問題ありといわれながらも改革が進んではいないようだ。名称も含めて一考の余地があるように思う。

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 妻の病状は、きわめて厳しい状況になりつつある。医師からもその時の事態に備えるように言い渡された。何とか頑張ってほしいと願いつつ病院通いを続けている。
 
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by watari41 | 2007-01-16 21:04 | Comments(7)

道具

 その道のプロといわれる方々は道具にこだわり大切に扱う。道具をみれば、その人の腕がわかるというものである。大工さんしかり、ゴルファーもそうだ。我々素人は道具をぞんざいに扱ていることが多い。囲碁将棋などでも同様なことである。
 なかなか腕が上らないのを道具のせいにすることもあるが、打ち込む姿勢の問題でもある。その道で一流の人々は道具を手足の一部だと考えている。究極の業を実現するために魂の入ったのでものでなければと考えているようだ。

 歴史に残る方々は道具を自分で作っている。国宝に指定されている「松林図屏風」という水墨画の最高傑作がある。長谷川等伯という絵師が400年も前に描いたものだ。この絵を描くのに絵筆にわざわざ「竹の筆」を作ったのだという。それがみる人に感銘を与え、見事な絵ができた理由でもあるようだ。
 世界的な業績を上げている科学者も実験装置・器具などは自作していることが多い。ノーベル賞をもらった小柴さんは、自ら設計して製作させた巨大な装置で宇宙の粒子を捉えた。宮本武蔵は、佐々木小次郎との決闘に自ら櫂で作った木刀を用いた。いろんな例が頭に浮かぶ。超一流の域に達した方々の業には目を見張るものが多い。

 「人間は考える葦である」といわれるが、「道具を使う唯一の動物」でもある。だが、あまり考えもせず多くの人々は与えられた道具を使用して一生を終わるのが普通である。

 ホームセンターに行けばそれこそ何でも売っている。道具があふれかえっている。しかも安い。使い方までご丁寧に説明されている。道具を作ることはなくなった。便利になりすぎたのである。

 人間が最初の道具である石器を作って以来、工夫に工夫が重ねられてきた。昔は生きるための道具であり、次第に戦う道具、趣味のための道具ができてきた。今や楽しみのためのものが多い。
 一方では現代でもその道の究極を目指す人たちが、芸術や科学の分野で必死で道具の改良や新しいものに創意工夫をこらしている姿がある。この世界も、ある意味での二極分化である。

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 緩和ケア病棟で年を越してからも一進一退が続いており、重症の末期患者用だという劇薬が与えられ元気を取り戻しているが、そんなには使えない薬物だといわれている。
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by watari41 | 2007-01-10 09:09 | Comments(9)

正月風景

 正月三が日、行き交う車に「しめ飾り」は、一台も見かけなかった。20年前だと、ほとんどの車の鼻先に付いていたものである。ビニールを被っているとはいえ、泥水に汚れてあまり見栄えのよいものではなかった。この正月風景は絶滅したといってよいのだろう。
 車だけではなくて玄関先の「しめ飾り」も、これを付ける家が少なくなってきている。仙台大崎八幡宮の「どんと祭」で焼やす正月用品はどんどん減ってきているのではなかろうか。

 一方で初詣の人出は、あまり変ってはいないようだ。ファッション性が高いからだと思う。裸参りなどもそうであろう。男のファッションである。伝統行事で生き残るには重要な要素になっているようだ。

 昔は正月に家を空けることなどは考えられなかった。都会の方がハワイで過ごすなどという話を聞いては、田舎の常識ではあり得ないことだったので、おかしな感じを持つと同時にうらやましくもあったことを回想する。今やこれもファッションの一つなのかもしれない。

 正月を迎えるというのは何か重々しい出来事であったように思っている。床の間に掛け軸を掛けて、お膳にご馳走をそなえて歳をとるのである。その他に数々の神々がいる。明神様、井戸の水神様・・・、それぞれにお供えをする。今や影も形も無くなってしまった。ほとんどの家々で絶滅してしまったのではなかろうか。
 これらの風習は京都からきたものだと思う。現社会にあって尚、冷泉家が千年の伝統行事を守っているのは並大抵のことではないのだと思う。

 正月の意義が減じているのは、時間の区切りがあいまいになってきているのも一因ではなかろうか。時が連続してしまっているのである。今日と明日のことでしかなくなっている。
 過ぎた年を忘れ、新たなる年を迎えるのは昔の人の大きな知恵であったことを改めて感じている。

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 緩和ケア病棟は、重篤な患者しかいないので年末・年始などはない。医師は元旦であろうとも呼び出しをうける。妻は少し容態が悪化しかけた。看護婦は電話で指示をうけていた。再び小康を取り戻している。
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by watari41 | 2007-01-04 09:50 | Comments(2)