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妻の闘病(5)

 現代医学の知見では「奥様の病状がこれ以上快方に向かうとか、現状を維持できるということはありえない」と担当の医師からは告げられている。

 現状は、モルヒネで持ちこたえているようなものではあるが、小康状態よりもやや元気が出てきているように感じられるからだ。欲目かもしれないがそんな風に見える。
 先月の地元紙に著名な宗教学者が、現代社会は安楽死を認めていないにもかかわらず、モルヒネを使用するのはその入り口を医師が容認しているようなものでおかしいことだというような考えを述べていた。
 しかし患者の側からは、その痛みは耐えがたいものなので、それが和らぐものならば何であろうと歓迎すべきことなのである。妻も、モルヒネによって相当に救われている。元気の出ている状況をみて、家族はついそれ以上のことを求めてしまう。

 病名が判明してワラをもつかむなかで、紹介いただいたのが、「JASON WINTERS TEA」だった。末期ガンを自ら快癒させたという人が配合したハーブ茶である。さらにアマゾンに自生する樹皮から採取したという「タヒボ茶」も飲んでいる。かつてのインカ帝国の万病薬だったようだ。もう一つはガンセンターの売店でも販売している「まつばら源泉」というものである。鳴子温泉の地下水をミネラル還元させたもののようだ。
 もちろん、科学的に最先端のガン医療技術を扱う医師が、これらを信ずるはずはなく、どうぞ患者がやりたいことは何をやってもかまいませんという。あまりにひどいものは血液検査結果に現れるので中止を求めることもあるという。

 いろんな方々からメールなどで、各種の品々を紹介いただいており感謝に耐えませんが、当分の間は上記の3点セットを継続することにしている。
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by watari41 | 2006-05-30 14:56 | Comments(6)

妻の闘病(4)

 余命は、いくらありますかと医師に問えば、教えてくれるのだろうが、とてもそんなことを聞く勇気はない。現在の状態が、出来るだけ長く続いてほしいとひたすら願っている。

 去年の暮れには、あれほど元気だったのにと、誰しもが不思議がる。ガンとは、こういうものなのだろうか。担当の医師からは、それなりの治療を施し手は尽くしたからと言われ、退院せざるを得なくなった。
 入院中の幸いは、一年中で最も良い季節のうつろいを病室の窓から眺められたことだった。桜花爛漫の頃、若葉から青葉への移り変わりと、高台にある見晴らしの良い病室で気持ちよく過ごしてもらったことだ。せめてもの慰めである。

 一般家庭が、体の自由が利かなくなった患者を介護するのは容易なことではない。介護用具、食事、緊急時のことなど、いろいろと考えると頭が痛くなる。私も経過観察中のガン患者なのでどこまで体力が続くのか不安なところがある。頑張るしかないようだ。

 一日、一日が貴重な時間である。こんなにも長く感じられたことはない。一ヶ月後のことは、途方のない先のようにも思える。
 自宅介護の手続きについて、いろんな方々にお世話になった。当事者になってみないとわからないことも多い。いろんな便宜も計らってもらった。患者が出来るだけ快適に過せるようにとの配慮がある。

 生活の質ということがよく言われる。苦しみながらの生存ではなく、より従来の日常に近い状態での過ごし方である。現在では、早い段階からモルヒネを使用して、苦しみを和らげるという考え方だ。以前に比べたらかなり楽になったようだ。
 小康を得ている妻の現状に一瞬、快癒したのではないのかと錯覚することすらある。そのまま時が止まっていてほしいとものだ。
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by watari41 | 2006-05-26 08:19 | Comments(0)

妻の闘病(3)

 一口に末期ガンとはいっても、いろんなレベルがある。「初期の末期ガン」というのもおかしな表現だがわずかでも骨に転移が見つかった時をもって一般には末期ガンと称するようだ。
 妻の場合には、全身の骨にくまなく転移ガンが見つかったので、発生源がどこのガンであるかに係らず症状としては、末期の末期ともいうべき状態だった。
 大腿部や腕の骨は特にひどくガンに侵されていて、極めて細くなっており、CTを見るとわずかの衝撃でも骨折に至る危険な状態であると言われた。ガンでの骨折は、二度と接合しないのだという。また、そこの痛みが最もひどいようだ。応急処置として、そこに放射線をかけてもらった。三次元の位置決めでその部位を正確に特定でき、効果的な照射がなされる。その治療で痛みはかなり和らいできた。しかし、医師は一時的なものであるという。

 ガンの終末には、ものすごい痛みがあると聞いてはいたが、それは転移したガンによる骨の痛みであるようだ。妻が、いろんな病院で診断途中に体のあちこちが痛い痛いと言っていたのは、まさにガン終末の痛みを訴えていたのである。さぞかし、つらいことであっただろうと思う。よくも耐えてきたものである。
 病名が判明しないと、むやみに薬は出せないと、病院からは単なる痛み止めしか与えてもらえなかったのである。ありきたりの一般薬で効くはずもなかったのだ。診断結果が出た後で、すぐにモルヒネをよこされてのも、そんなことからであった。

 よく、末期ガンからの生還という話を聞くが、どのレベルかにによって大きな違いがあるようだ。
発見されてから長期間に渡って生存している方も多くいる。ひたすら奇蹟的なことが起ることをねがっている。

 現在、得られている小康状態が出来るだけ長く続いてほしいものである。だが、医師からは残された時間は少なく有効に使って欲しいと言われている。
 今回のことでは、改めて命にかかわる医者選びはそれこそ自己責任の最たるものであることを認識させられた。
妻の病状を、こんなふうに記述するのは大変につらいことであるが、多くの方々にご心配をいただいているのでできるだけ実態はお知らせしなければと思っている。
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by watari41 | 2006-05-20 08:15 | Comments(7)

妻の闘病(2)

 この世には、往々にして不思議な偶然の一致ということがよくある。今年三十三回忌を迎える母が病に倒れたのは、62才の誕生日を目前にした時であった。
 難病中の難病といわれた「脊髄性進行性筋萎縮症」という病気だった。難しい病名だが忘れることはない。母の場合もなかなか病名診断がつかなかった。いろんな病院を転々とした末の結論だった。その病気は原因もわからず、治療方法も無いといわれた。あと数十年もすれば医学の進歩で解決するだろうといわれたが、いまだに、この病の治療方法が見つかったとは聞いていない。

 当時も、治療の手段がない病気の場合には、大病院だと治療行為はないからと自宅に帰されるのである。母の闘病と介護の日々を回想することがある。私は未だ30才台だったので、通勤しながら何日もの徹夜にも耐えることができたのだと思う。妻は二人目の子供を身ごもっていた。一緒に看病をした。父は戦中に亡くなっているので我が家の家族は少なかった。病院からは何の薬もよこされず、自宅で日々に弱っていく母を見守るだけであった。

 妻も、62才を目前にしている。不思議な一致という他はない。医療技術はこの30年で信じ難いほどに進歩しているはずだが有効な治療が無い病気になると、あまり変ってはいないようだ。母の時も民間信仰であるとか、漢方薬の如きいろんなものにすがってはみたが効果はなかった。

 今回は、また30年前と同じような状況に置かれてしまった。医師は、抗がん剤などをやるものの手当てのしようが無い状態なので患者や家族の希望で何をやってもかまいませんというのである。今のところは親戚、知人などから紹介いただいた薬茶などのお陰なのだろうと思っているが、ここ数日の現状は小康状態からやや元気を回復しているようにも感じている。妻も気分が良くなりつつあるようだ。医師の言うことはともかくとして今後に、いちるの望みをつないでいる。
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by watari41 | 2006-05-13 20:05 | Comments(0)

妻の闘病(1)

 今年(2006)2月の頃には夢にも思わなかった事態になってしまった。妻の看病をすることになるなどとは、これまでの人生で考えてもみなかったことである。

 体のアチコチが痛いということは言っていた。神経痛程度に軽く考えていたのである。原因がわからなかった。いろんな検査を行った。なかなか結論に達しなかったのである。ややあって骨の内部に異常が見つかり痛みの原因が骨の転移ガンであることが判明して愕然としてしまった。しかもどこかにガンの原巣があって全身の骨に転移したものであるというのだ。

 体中の臓器が調べられ、最終的に胃がんが原巣だとわかったのである。手の施しようもない状態だと言われた。目の前が真っ暗になる思いだった。それまでは普通に食べていたので信じ難いことであった。妻は、たちまちにして体を動かせない状態にまで悪化してしまった。
 何年も前から定期的に医者には診てもらっていた。胃腸を得意とする個人医院にかかっていたのである。自分の専門分野には得てして落とし穴があるようだ。医師は胃が悪いはずはないという認識と判断だったのである。

 ガンセンターでの検査後、原因が判明したものの治療のすべがないので、そのままホスピス(緩和ケアセンター)に入りますかと言われたのである。どうしたらよいのかわからないというのはこういうことをいうのだろう。

 出来るだけの手は尽くしてほしいと頼み、抗がん剤や放射線をかけてもらった。痛みは幾分か和らいだものの一時的なことであると言われた。モルヒネの投与も始まった。
 妻は検査前に、病状についての全てを知りたいの告知書類にチェックをしていたので、医師からは包み隠さずに何でも告げられる。これまた見ていてつらいことである。

 私のブログの始まりは、自分自身の前立腺ガンが一つのきっかけであった。妻がこんな風になるとは考えてもみなかった。いろんな方々より、ガンに効くという薬茶や本などもいただいたりした。勇気づけられる思いがしている。今後のことを考えると気が重いが、望みだけは捨てたくないと思っている。
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by watari41 | 2006-05-07 08:18 | Comments(13)