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お雇い外国人

 バレンタイン監督はロッテに日本一をもたらした。野球の指揮能力を買われた「お雇い外国人」である。
 明治の日本に近代化をもたらした西欧人に奉られた尊称でもある。持てる知識を買われて来日したのだ。その力があったればこそ、近代国家の仲間入りと江戸時代からの脱却ができたのだといわれた。

 最近では日本サッカーを一流国にしようと、オールジャパンにお雇い監督が続いている。オフト、トルシエ、ジーコと続き、徐々に日本の力があがってきているようだ。

 現代日本の産業界ではもう不要だと思われていたのだが、ゴーン社長が「お雇い外国人」ならではの役割をはたした。ニッサンの業績回復と同時に、日本人経営者では断ち切ることのできない系列のシガラミを解いてくれたことに意義があったようだ。
 お雇いとはいいばがら、それぞれに日本の為に意味合いの違う働きをしているのだ。

 私も現職時に「お雇い外国人」のお世話になった。当時としては最先端のシステム導入のために来社してもらった。インド系ドイツ人だった。通訳を通じてのコンサルティングである。多額の報酬を支払ったがそれなりのキャリアがあり、大いなる助言を得たのだった。

 歴史上で「お雇い外国人」の第一号は、「鑑真和上」ではなかったかと思う。日本の仏教改革に重要な意味合いがあったといわれている。それ以前にも「帰化人」と呼ばれる大陸や朝鮮からのお雇い人がきて、律令国家日本ができたようなのだ。
 新しいものを取り入れたり、歴史的な節目には日本のために外国人が係っていることが多い。

 昨今、国際化であるとか、グローバル化とかいわれるが、外国人との係りをもっと多面的にみていく必要がありそうだ。
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by watari41 | 2005-10-29 07:41 | Comments(0)

脳トレ

 歳をとるにつれいろんなところが衰える。体全体がバランスよく老化すればよいのだが「脳」だけが先に弱ると困ってしまう。脳には記憶・計算・判断など様々な機能があるが、まずは記憶からおかしくなるようだ。
 物忘れである。ついには認知症に至るのだろうがそのまえに予防したいものだ。子供の頃に老人から何度も何度も同じ話を聞かせられてまいったことがある。

 訓練で体の衰えを防ぐことと同様に、脳もトレーニング次第では老化防止ができるという。このところすっかり有名になった東北大川島教授の脳に関する研究である。簡単な計算や音読で脳の働きが改善できるというのである。

 使わない器官は弱ってくるが、脳も同じで動かすことが必要なようだ。計算や音読が脳の活性化に効果があるらしいのだが、どういう条件・方法が最もよいのかが研究されている。

 その実験台として60才台半ばの男子モデルの一人として参加してきた。この研究にはソフト開発会社も一枚加わっている。ソフトウエアのテスト協力という狙いもあったようだ。
 その開発会社は老人施設あるいは個人に有用なソフトを商業ベースで販売しようという目論見のようだ。従ってそのソフトのモニターとしては、多少はパソコン操作もできるシニアを必要としたのだろう。

 各年代の男女をモデルに実験を続けているようだ。実験は頭に血流量や脳波などを測定する各種のセンサーが取り付けられ、簡単な計算や音読をさせられた。その測定結果では計算が最も効果のあるものだった。

 帰りに開発途上のテスト用ソフトをいただいてきた。音読による脳トレである。インストールしたソフトを開き、画面に出る文面をマイクに向って読み終わると直ちに採点がでる。ただいまのは83点でしたとか。まるでカラオケを歌った後の採点と同じだ。いかなる条件で百点満点となのかはわからないが楽しみながらやってくださいということのようだ。どんなものが販売されるのか期待している。
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by watari41 | 2005-10-26 08:16 | Comments(4)

電気とガス

 先日の町内防災訓練でのことである。プロパンガス安全協会の方がやってきた。説明によると最近は震度5になるとガスは自動的に止まるという話であった。ガスメーターにその装置が内臓されているのだという。
 その他、安全対策は至れり尽くせりで、ガスの流れに異常を感じるとストップする機能とか、各種の防護対策がある。卑近な例として、自殺にプロパンガスを使うこともままならないらしい。

 こんな話を聞きながらふと思ったのは電気との関係だった。
 ガスの主たる用途である「調理」のことだ。最近のモデルハウスを見学に行くと、オール電化住宅で台所には汚れない、安全な電磁調理器が大人気なのである。プロパンガスの各種改善は、これを強く意識してのことなのだろう。電気によってガスは駆逐されかねない。業界としては強い危機感を抱いたのだと思う。
 ガスの危ないイメージを一掃しようと懸命なのである。安心して使用してほしいということをPRしていた。電気に対しての利点は、災害時の復旧速度が断然早いということである。プロパンガスは個々に独立して使えるので簡単だということなのだ。

 ガスそのもは昔と何ら変らないものの、安全対策など周辺機器の進歩が目覚しいことを認識されられた。
 これも電磁調理器という強力なライバルが現れたかに他ならない。競争は進歩を生むということである。ガスには二酸化炭素の発生が少ないなどの利点もあるそうで、こんなことを基にした更なる改善を期待したいものだ。

 半世紀前までは、風呂やカマドの燃料を得るために子供でも出来た薪割りや山中での杉葉拾いのことなどを回想する。
 家庭での電気は電灯をともすだけのものだった。ガスや電気は今や万能に近いものになってしまった。
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by watari41 | 2005-10-23 08:06 | Comments(6)

非常食

 パキスタンの大地震に各国から救援物資が続々と送られれている。これまでの日常生活では見たこともない品物が届き現地の人々には戸惑いがあると報じられていた。西欧から来るものとは相容れないというのである。
 大きなダメージを受け、緊急物資だといわれても衣食住についての違和感があるようなのだ。日本人は、このようなことへの融通性がいいのだが、イスラムの人々はそうではないということだ。こんな報道をみていて同情するよりほかはない。

 先日、私の住む町内会で百名ほどでの防災訓練があった。宮城沖地震を想定したものである。避難場所に集合してから非常食が配られた。驚いたことに米飯なのである。細長い筒状のポリ袋に詰まっている。しぼり出すようにして食べるのだがこれが実に旨い。手にしたものには醤油味がついていた。
 圧縮乾燥した米が詰まっていたのだろう。婦人会の方々がこれに水を加えて熱したのだ。非常食も大変に進歩したものである。これなら避難生活にも困らない。乾パンなどもあるのだろうが、米飯の方がはるかにありがたい。同じ形態での普通の白米飯もあった。これも味噌か沢庵でもオカズにすればいうことはない。カップ麺だけでは飽きてしまう。災害に備えいろんなものが工夫され開発されているその一端を知ることができた。

 米飯にこだわりながらも、我々は食に対する融通性は大いにもっている。何でも食べてしまう。
 終戦直後のことを回想すると進駐軍からの援助物資はありがたかった。幼かった私にはパイナップルの缶詰の美味かったのが忘れられない。生まれてはじめて食べたものだった。
 パキスタンの大災害を見ながら、現地は大変なことなのだろうが、子供たちがこれまで食したこともないような美味いものが救援品にあって、それを口にできたらなどと勝手な思いをめぐらしていた。
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by watari41 | 2005-10-20 07:15 | Comments(2)

藤沢周平作品

 時代の空気がメディアを動かしているのか、それともメディアが時代を動かすのだろうか。
 このところ、藤沢周平作品を2つみた。NHKの連続時代劇「馬の骨」と映画「蝉しぐれ」だ。映画はもう何年も前から準備されているので、たまたまこの時期にということなのかもしれない。「蝉しぐれ」は、小説を読み、連続テレビドラマでも見て、今度は映画の鑑賞である。傑作小説の場合には、映像がそれを超えるのは難しい。読んだ印象が強いので、どうしても映像がそれなりに評価されるのはやむを得ないことだ。

 テレビドラマでの「蝉しぐれ」は、小説のラストシーンを冒頭にもってきて全体を回想シーンとする構成だった。物語の展開からいって、なるほどとは思ったがイマイチの感じを受けたものである。
 映画はさすがに迫力がある。巨木やお寺の情景など実にすばらしい、庄内で撮影したものではないのかもしれないが、山形県庄内地方のイメージアップに大いに貢献していると思う。内容の濃い長編小説をどうやって2時間にまとめるのかと思っていた。物語では秘剣とか処刑者の美人妻を扱った部分がかなりのスペースを占めていたが、映画ではこれをさらりと流した脚色は流石である。
 映画は映画なりに楽しめばよいのであり、原作とのかかわりをあまり詮索することもないのだろうと思う。

 藤沢周平さんは、司馬遼太郎さんと対比されることがある。藤沢さんは名もなき市囲の人々を取り上げることが多く時代の哀歓が漂う。対称的に司馬さんは、歴史上の変革期に出てくる英雄を取り上げている。どちらの作品も面白い。これは両者の作品に現代社会に通じる何かがあるからなのだろう。

 藤沢さんは江戸時代の人を通じて現代を語り、なおかつ活劇を取り入れて話を面白くしている。若い頃は、司馬さんの小説に引かれたのだが、年齢を加えるに従って藤沢作品が面白くなってきた。また今の時代雰囲気が藤沢作品的なものを求めているのだとも考えている。
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by watari41 | 2005-10-17 07:24 | Comments(3)

タイムカプセル

 遠い過去のことが目の前にある。「タイムカプセル」はロマンでもある。何とも魅力ある言葉だ。大阪万博が契機だったと思う。その目玉行事の一つに「タイムカプセル」があった。5千年後に開封するものと同時に、同じものをもう一つ作り百年毎にその状態を確認しようというものだった。

 どんなものを入れたらよいのかの議論があり面白かった。新聞などと共に、時の風俗を代表するものとして避妊器具なども選ばれたと記憶している。入れ物は頑丈で腐らない壊れないステンレス製の球状の壷だった。大阪城内の地下深くに埋められたのである。

 その時以来「タイムカプセル」が流行したのだと思う。小学校の卒業記念に作文などを校庭に埋めて成人式に掘り返すことなどが流行ったような気がする。

 現代のタイムカプセルともいうべきものが博物館だ。公共のものから個人で運営されているものまで様々である。それらがテレビで紹介されたことがある。オモチャ博物館、そろばん博物館・・・。懐かしいことこの上ない。

 大昔の文物が地中から発見されたりするとどういう目的で、どんなところに使われのだろうかと、研究対象になってしまうものもある。博物館は、後世の人たちにその時代をきちんと認識してもらうということにあるのだと思う。百年前の農機具は、今の子供には全く想像外の目的の物さえある。

 わが家にも、先祖からの「タイムカプセル」ともいうべき土蔵の建物がある。ペリーが来航した頃の150年前に建てられその年号である「嘉永」の文字が柱にある。手紙だとか食器類など昔からのものが残っている。

 私は子供の頃から物置代わりにいろいろなものを放り込んでいた。かなりの量になってしまった。先祖からのことを考えると私一代でそんなにスペースは使えないと思う。意味のないものを整理して投げ始めている。
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by watari41 | 2005-10-14 05:55 | Comments(4)

科学への理解

 「古代人は神のお告げを信じ、現代人は科学を信ずる」といわれる。「科学的」という言葉に我々は弱い。科学を盲信している方々もいる。その中味はわからずとも科学的といわれて信ずるのは、神様を信ずることとそんなに変らない気がするのだが科学万能の世の中ではある。

 技術のブラックボックス化は、ますます進んでいくようだ。門外漢にはまったくわからなくなってきている。これをやさしく説明しようと、いろんな人たちが入門書を書いているが、それを読んでわかることはまずない。

 有名な天才物理学者ホーキングが、かつて「宇宙を語る」という著書を出したときに、数式が一つ入ると読者は半減してしまうからと、文字だけの宇宙科学の入門書を出した。この本はベストセラーになった。最初は読みやすかったが、後になるほどにわけがわからなくなってしまった。、多くの方々がこうだったのだと思う。
 ホーキング氏の考えとは反対に、数式一つで全てを理解させるということもあるのだ。このバランスがなかなかに難しい。数式は厄介だが文字での説明はさらに難しい。

 現代科学をもってしても未だに解明しきれないことは多いが、徐々にわかってきていることもある。怪奇な現象だった火の玉はプラズマで説明できることを、これまた有名な大槻博士が実験で証明した。実験科学は誰しも納得しやすい。

 なかにはインチキな科学もあって騙される人もいる。市民が正しい科学知識を得られるようにと専門家との間をつなぐ科学コミニュケーションということが注目を浴びている。
 何となくわかった気にさせられることもあるが、科学はそんなに単純ではないことを思い知ることの方が多いのだ。
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by watari41 | 2005-10-11 06:12 | Comments(2)

NHK考

 テレビを見ている時間はかなり長い。その大半はNHKである。月に千円程度の料金(衛星は見ていない)で、よくぞこれまでやってくれるものだと思っていた。費用対効果でこれほどのものはないという感じがする。月に50時間以上は見ているはずだ。ラジオも聞いている。

 だが、今やかつてない視聴料の不払いに見舞われNHKは経営危機に陥りそうだ。職員の不祥事がその発端なのである。
 しかし考えてみると公務員の不祥事などはゴマンとあるが、税金の不払いは許されないのである。NHKは独立採算の所以である。

 かつて、世田谷にある技術研究所を一般公開の時に見学したことがある。未来の放送に向けての基礎研究など相当なことをやっているのに感心したことがあった。別に肩をもつわけではないのだが、NHKはそれなりの努力をしていたように思っていた。

 だが一世帯当りではわずかでも、集めれば膨大な金額になる。やや無駄遣も多いような気がするのだ。巨人戦の放送などなにもNHKでやることはない。同様にサッカーとかオリンピックなどにもお金をかけすぎているように思う。民放にできることは任せるべきだ。

 また、朝から晩まで放送を続けることもなかろうと思う。休み時間があってもいいのではなかろうか。あれやこれやで、視聴料を思い切って半額とまではいかないでも値下げしたらどうだろうか。必要でない放送も多いと思う。そんな時代になっているのではなかろうか。皆さまのNHKということを聞くたびにそんなことを考えてしまう。

 それにしても一世帯で月千円の金額は、国全体となると大変な事業ができるものだと改めて思うのである。
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by watari41 | 2005-10-08 08:55 | Comments(2)

危険との隣り合わせ

 便利だと思って使っていたものが、後になって危険極まりないものだとか、有害なものだと知らされることが多い。最近の「アスベスト」騒動には驚いてしまう。40年も前には万能の材料みたいにもてはやされたことがあった。
 私も入社の頃にずいぶんと使ったものである。耐熱性に優れ、水でこねて、いろんなところに詰め込んだりしたものだ。発がん性があったなどとは夢にも思ってはいなかった。

 「フロン」もそうである。洗浄剤としてこれほど優れたものはなかった。冷却材としてもなくてはならないものだった。これがオゾン層を破壊しているといわれたときには、これまた驚きだった。

 古くは「DDT」がそうだった。消毒薬として、また蚤やシラミの退治に全身に白い粉をかけられたこともある。これが残留毒性があり、環境ホルモンにまで発展して使用禁止になった。

 また「PCB」も工業上重要だった。トランスの冷却などになくてはならなかった。だがこれも毒性の問題で処理するには多額の費用を要するので捨てるに捨てられず、現在もそのままに放置されているものも多いようなのだ。

 ことほど左様に、有用なものがある時を境に一転して害をなすものとなってしまうのは困ったことである。現在、我々が平気で使用しているものも、将来それは毒物でしたといわれかねないのである。これだけ科学の発達した世の中でなぜ事前に解らないのだろうかと思う。
 その昔、毒キノコを人体実験しながら見分けたこことあまり変わりがないような気がするのである。
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by watari41 | 2005-10-05 07:52 | Comments(2)

靖国神社

 この神社は、どうしてこうも揉めるのだろうかと思う。首相の参拝が憲法上合法か否なかという問題にまでなっている。
 今年の終戦記念日前後にもNHKは連続して靖国神社特集をやっていた。特殊な神社なのである。
 私は東京勤務の頃に行ったことを回想した。一般の神社では宝物殿に相当するところに戦闘機などが飾られており、さながら戦争博物館といったような趣だった。
 また軍人や遺族の手紙なども展示されており、そこでは日本は戦争の被害者そのものである、というような印象を強く受けたものであった。遺族がこの神社に寄せる感情もそいうところにあるのだと思う。

 もともとは官軍の戦死者を祀るために創立された神社である。戊辰戦争で賊軍となってしまった東北諸藩の人々は祀られない。当時、賊といわれた人々には複雑な感慨があったようだ。この汚名返上にはものすごい努力が払われたのである。いつしか、この神社は国家的な意味合いを持ってしまったのである。

 (余計なことではあるが、今度の選挙でも似たような感じを受けた。官への反対者はさながら賊軍のごとき扱いで、元への復帰は並大抵のことではないのだろうと思う)

 戦後は、信教の自由で特別扱いはできなくなった。しかし遺族への配慮とか、各界人の思想信条も絡まり靖国神社があまりにも政治的に扱われ、国際的な問題にもされているのは不幸なことである。数百万もの人たちが祀られているのだ。

 戦後60年のみならず、明治の創建以来の複雑な歴史的背景を背負っているが、万人が納得できる道を模索すべきであろうと思う。この問題は、どうしても感情的な論議が先に立ってしまうようなのだ。

 大きな原因が、第二次大戦の事実経過が日本のみならず世界の誰もが客観的な形で納得できる歴史になっていないからだという気がするのだ。それぞれが勝手に解釈してしまっている。事実は一つしかないはずだ。極めて難しいことだが、この究明こそがいろんな問題の結論を出せるのだと思っている。
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by watari41 | 2005-10-03 10:06 | Comments(7)