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奉仕の精神

 ボランティアをしている同級生が嘆いていた。
 老人所帯から庭の草取りを依頼されて行ったところ、その家にいる居候であろう中年の男はクーラーの効いた室から出ようとはしないというのである。好きでやっているんでしょうと言われたという。「感謝の念」などさらさらないというのだ。
 だが、ボランティストとしてそんなことに腹を立てているようではまだまだ修養が足りないということらしいのだが考えさせられる話ではある。

 無償の行為である「奉仕」という概念は、わが国では明治以降になってからのものだろうと思う。キリスト教の影響なのだろう。赤十字の精神である「博愛」などもその範疇のものであろう。

 日本でも昔から「喜捨」とか「布施」などという言葉があり、貧しい人たちへの無償援助が行われていたようだ。
 ただ、これは仏教というかお寺に関するもののようで、昔は大半の寺院は貧しくて一般からの施しで生活していたようなのだ。いまや立場は逆転して裕福なお寺に貧乏人が「お布施」を包まなくてはならない時代になった。仏さんへの功徳だといわれるとやむを得ないところがある。

 「奉仕」の精神は日本になかなか根付いていないというので、文部科学省が中央教育審議会に依頼して「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」なる諮問をしその答申が出されている。
 昨今の社会問題、学校教育の問題は根本的に「奉仕」の精神に欠けたところにあり、その活動と体験こそが荒れた社会や学校を変革し豊かな社会をつくる源であるという認識である。大人も子供も「奉仕」を実線すべきだというのである。
 一理はあるのだが、一面的な捉え方のような気もするのである。全てがそれで解決するわけでもないだろう。何よりも冒頭の不遜な輩のことではないが、何事にも「感謝の念」が先決ではないのだろうかと思う。

 貧しいか金持ちかは別として人間同士の対等な精神的関係が前提となろう。与えるほうも与えられるほうも心からの「感謝の念」についての教育が欠けていたのではなかろうかと思う。
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by watari41 | 2005-08-29 08:42 | Comments(3)

天下の絶景

 かねがね、この世で一番美しい景色はどこにあるのだろうかと思っていた。それを、わが目で見たいもんだという子供の頃からの願望があった。

 国立公園など風光明媚、美しい所はいろんなところにある。だが、もっときれいなところもあるはずだと欲張ってしまう。

 どうやら、最も美しい景色とは、地球を外から、すなわち宇宙から眺める地球の姿が最もすばらしいのだろうというような感がしてきた。「何て美しいんだろう」という宇宙飛行士の感嘆の声を何度か聞いた。

 宇宙旅行が現実のものになってきた。高額な料金を支払っても得られる最大の目玉は、この「絶景」にあるのだろうと考える。真っ暗闇のなかで、無重力を体感したところでそう感激するものではなかろうと思う。

 月までの旅行では、遠ざかりつつある青い地球を眺めながら、荒涼たる月の世界が近づくさまは、何ともいえないものであろう。それに加えて地球は動いている。暗闇の位置が刻々と変り朝が明けつつあるさまや、夜のとばりがおりた大都市の夜景など百万ドルどころではない眺望だろうと想像する。

 かつて、福島県の安達太良山に登ったことがあった。頂上に立って反対側を見ると、噴火口跡がまるで月面をみるような感じである。景色の良い道を通ってきた表側とは正反対のコントラストに驚いたものだ。ミニミニ宇宙旅行のような山登りだったことを回想する。

 美しいものを見たいという願望は誰にでもある。現在までに宇宙飛行を体験した人はいくらもいない。有名なジャーナリスト立花隆さんが、かつてそれらの人たちをたずね歩いたことを連載していた。いずれも、消しがたい記憶が残り、人生観が変わってしまうなどの、大きな衝撃を受けたことを記している。
 それは、動く地球を見たことと、そしてあまりの美しさからではなかったろうかと私なりに考えている。

 それこそ天文学的な金額のみが話題になっているが、人類の夢としての宇宙観光の意味がそれなりにあるのだろうと思っている。
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by watari41 | 2005-08-26 09:10 | Comments(2)

会社倒産

 カネボウの巨額粉飾決算が明らかになった。倒産を回避しようとして、あの手この手を尽くした結果のようだ。いろんな手段を試みたが、やったことは犯罪行為なのである。

 会社が「バンザイ」をしなければ「こと」は明るみには出てこない。どんな会社であれ多少は虚偽の決算はあるようだ。だが、ひとたび好景気が到来すると、これらの負債は一挙に解消できたのである。

 昭和40年代の高度成長期には、決算操作で倒産を防げたというような話はいくつもあった。こんな芸当ができたのも、バブルの頃が最後であったようだ。
 それ以降については、一旦できてしまった負債をゼロにできるチャンスは到来せず、結局はニッチもサッチもいかなくなって公表せざるを得なくなるのである。
 カネボウ社長も何としても倒産の事態を防ぎたかったという話をしているが、過去の成功体験があったのだろう。

 かつては倒産といえば、会社更生法と決まっていたようなものだ。宮城県出身の早川種三さんをはじめ会社再建の達人といわれるような方々がいた。時代環境がよかったことなどもあったのだろう。計画期間前に再建を完了することが多かった。

 だが、今の低成長の時代には再建はより難しくなっているようだ。ダメージを少なく、そして再建を容易にするためなのであろう、民事再生法とか産業再生機構ができたのだと思う。

 しかし、会社の倒産にあった方々の現実は非常に厳しいものだ。
 よく、地方自治体が財政困窮して倒産同様だ、などといわれながらも、その役所に勤務している方々にはなかなか実感が湧いてこないようである。毎月の給料やボーナスがきちんと支払われるからである。
 つたない体験ながら、倒産ではないが給料カットとか、分割払いなどを経験したので少しはそのつらさを体感したことがある。ニュースを聞く毎に、官と民の差異を考えてしまう。
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by watari41 | 2005-08-23 09:37 | Comments(4)

大地震

 地震は怖い。
 震度5以上になるともう生きた心地がしない。
 とうとうきたかと思った。確実にくるといわれていた宮城沖地震である。
 27年前のことがまだ生々しく脳裏にある。一分足らずのことながらその出来事は鮮明である。その記憶は生涯に残ることだと思う。

 今回は2度目の経験だ。恐怖の後で、私の年齢からはもう3度目は、体験しないで済むだろうと思ったのだがそうではないようだ。今回は予測されたエネルギーの三分の一しか放出していないのだという。まだ地震の本体が残っているようなのだ。

 少し時間が過ぎて、冷静に考えてみると今回はあの吊り天井のプールを除いては被害はほとんどない。やはり少し小さい地震だったのだろうかと思う。

 大地震はその初期にゴーという地鳴りがある。これは大きいぞと身まがえる。揺れ始めると私はたまらず外に飛びだした。地面も揺れている。ガタつく建屋をみているのと余計におおきくゆれを感じてしまう。

 震度の割合には被害が少なくて済んだのは、今回は揺れの「周期」が短かかったのが理由なのだという。被害を決める要因である地盤の固さとか、液状化とか、建物の構造とかの他に「周期」という要素も加わってきた。

 昔の人は、地震が起きると地中で巨大ナマズが暴れていると考えたらしいがその感覚はよくわかる。今や、その巨大な力がどこからくるのかが解明されている。
 マントルがプレートをもぐり込ませてその歪が、ということをいつも聞かせられる。だが、その度に地球は少しづつエネルギーを失うはずだ。やがては消失するのだろうが、それは遥かかなたの何億年も先のことのようだ。

 宇宙のなかの星屑みたいな地球にさえこんな力が潜んでいる。膨張を続ける宇宙のエネルギーたるや想像を絶してしまう。
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by watari41 | 2005-08-20 07:05 | Comments(2)

戦争責任

 戦後60年、未だにその戦争責任が曖昧模糊としたままである。戦勝国による裁判はあるが、日本人自身による裁きも必要な気がしている。

 テレビで靖国神社特集をみながら、日本の戦前戦後が凝縮されているという表現に多くが物語られているようだ。
 戦死した方々は神として祀られるが、その中には南方諸島で作戦上の誤りから何万人もの方々が武器・弾薬も尽きて孤立し、食料もなく戦うことなく餓死した人たちも含まれている。明らかに戦略・戦術上の失敗であり当時の参謀本部には大いなる責任があるはずだ。

 だが戦勝国の裁判では、戦争開始への責任と戦時中の捕虜虐待などへの罪に関するものが問われたのである。
 当然ながら下劣な戦術のお陰で戦勝国を利した当時の作戦課長・部長に関する責任は問われない。このことは日本人自身が問題とすべきだが、戦後ずっと不問にされてきたように思う。

 生還した方が語っているが、餓死した方々を靖国に祀ってすむようなことではなかろうということである。国家につくしたとはいうが、命令によってとんでもない悲惨な戦いをさせられたのである。

 国と国とが交戦状態となれば、どんな殺人も合法化されてしまう。原爆や空襲で何十万人の一般市民を殺しても罪には問われないのである。だが捕虜の殺人は罪になるというのも、国際法とはいえ割り切れないものを覚える。

 また、負け続けていることをひたすら隠して偽りの大本営発表を繰り返していたことにも大いなる戦争責任があると思う。そうすれば3百万人にもおよぶ戦没者の大部分は昭和19年以降なので、その時点で停戦の機運も出てきただろうし最小限の犠牲ですんだのではなかろうか。沖縄の惨劇や広島・長崎もなかったはずである。

 軍や政府の首脳は実態を知っていたはずであり、終戦を遅らせたことへのこれまた不作為の責任があると思う。後世の史家の判断にまかせたいなどという悠長な意見もあるが、それでは遅すぎるのではないか。
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by watari41 | 2005-08-17 08:46 | Comments(6)

首相の権限

 日本の首相には大きな権限はないものと思われていた。事実、過去にはお飾りみたいな首相も何人かはいた。オランダのジャーナリストであるウオルフレンさんも摩訶不思議な日本の権力構造だと多数の著作で分析している。

 だが首相には大変な権限があるのだということを小泉さんが示した。衆院の解散権が首相の専権事項であることはよく知られているが、それを首相個人の判断でやれるとは誰も思っていなかった。周囲の納得が前提だったのである。

 かつて、バブルの頃に経済の専門家である宮沢首相は、その時の経済動向を危険だとは認識しながらも大勢を押しとどめるのは自分の力ではとてもできないとの判断があったと後に述懐している。

 郵政法案の可否はひとまず置くこととして、自民党はその時々の政治状況から党内の誰もが納得することをやってきたようだ。料亭政治などというのも党内事情による一種のセレモニー的要素があるのだと見ていた。「数」を維持するために党内の「和」をことさら重視していたようだ。

 今回のことで特徴的だったのは、最後に森前首相が説得に行ったときに、お茶代わりに出されたのが缶ビールとひからびたサーモンだったというも面白い。従来のパターンではありえないことで、森さんはメンツを潰されたということだろうが、我々一般人の来客接待とかわらないところが愉快なことだ。

 自民党内の賛否だけが騒がれているが、民主党、公明党内にも賛否があるはずなのに一致した行動をとっているのは、ここでも「和」を重視しているのであろうか。これもおかしなことだ。タナボタ式に政権が転がり込むのを期待しているようだが、たとえそうなってもすぐにまたおかしくなってしまうであろう。考え方の違う人たちが一つの政党を作っているところに問題がある。だが「数」がものをいう国会にあっては如何ともしがたく何とも矛盾のあることだ。

 かつてゴルバチョフが、行き詰ったソ連邦の「大改革」をやろうとして失敗し、いくつかの国に分裂してしまったが、今回の騒動はそんなことを連想してしまう。
 だがこのことでこれからの日本は大きく変わっていくのだろうという期待感を持っているのだがどうなるだろうか。
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by watari41 | 2005-08-14 07:37 | Comments(4)

望外のこと

 私のブログが本に紹介された。インプレス社の「じっくり挑戦おとな愉快団のブログ入門」である。昨年の日本経済新聞の記事と共に望外の出来事である。仙台シニアネットで「ブログの輪」を主唱されたシュミットさん のお陰だ。

 老いも若きもブログの魅力に嵌っている昨今である。何故書くのかといわれると、明快には答えられない。人間には、もともと想念や体験を記録にとどめておきたいという本能があるのかもしれない。生きた証しのようなものである。他人が読んでもあまり面白くはないのかもしれないが、最近は同級生の方々によく目を通していただいているようだ。同じ時代を生きてきたものとしての共感があるのだと思っている。

 私のブログは日記でもなく、エッセイの類なのだろうと思う。そのエッセイの書き方という本を手にしてみたら我々素人が書くものというのは、最後の3行が余計なのだという。終わりにまとめを書こうとするが、それは文を読んでいるうちに読者が自然と頭でまとまるようになっていなければだめなのだということだ。
 その他「香気のほとばしる文」とか、鮮度とか驚きの表現とか、いろいろ書いてあるが、どれも素人には難しいことである。
 唯一の救いは、どんな下手な文でも書いているうちに、少しづつは上手になってくということに望みをつなぎたいと思っている。

 コメントにも励まされている。名前にはニックネームなどを、パスワードには適当な英文字を入れていただければOKです。
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by watari41 | 2005-08-11 10:28 | Comments(5)

大人と子供

 喫煙は子供に悪いからと禁止されている。タバコを吸ったからといって甲子園の夢を絶たれた高校もある。だが喫煙は、青少年に悪いだけではなく大人にだって大変な害毒がある。それを承知で吸う大人は多い。
 逆に大人が面白いものは子供だって面白いはずだ。パチンコがある。だのに子供はやらせられない。競馬などのギャンブルだってそうであろう。大人になったらやりなさいというのだ。青少年健全育成の観点からのようだ。

 大人になったら健全な判断力がついて、自己責任能力が出てくるからということのようだ。だが、必ずしもそうはならない大人がいるギャンブルにのめり込んでしまう人は多い。
 そうであるなら、早い機会に子供にもパチンコなどを経験させておいたほうがよいのではないのかという議論を耳にした。
 極論のような気がしないでもないが、一理はあるようだ。青少年健全育成とは大人の思い込みにすぎないところもあるようだ。

 教育環境云々ということがよく聞かれる。子供に見せたくないものは多い。だがそこで育った子供が全て悪くなるわけではない。反面教師ということもある。
 よい環境にあったものが、誰しも良い子になるわけではない。孟母三遷の教えというのは一例にしか過ぎないのであろう。最大の教育環境というのは現代社会そのものである。そこからは逃れることができない。
 犯罪にしてもしかりで、子供ながらの特別減免処置がある。判断力がないからであるということだが、これも大人と区分することはもはやおかしいような気がしている。
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by watari41 | 2005-08-08 07:26 | Comments(2)

海外の日本人

 海外で事件・事故が起きると、日本人は含まれていない模様、というようなニュースをよく耳にする。よほどの大事件でもないかぎり、邦人が関係していないと続報はなくなってしまう。 島国根性のような気がしてしょうがないが、伝えても関心をもたれないのでやむをえないことなのだろう。

 宇宙ステーションで野口さんの大活躍の様子が連日伝えられている。これも日本人が乗り込んでいるがためである。帰途に空中分解事故を起こしてしまった前回は、その時の乗組員の船外活動などの模様は、日本ではほとんど報道されなかったと思う。
 宇宙船の乗組員が何故日本人なのかと思うことがある。韓国人でもフィリッピン人でもよいはずである。そこには日本が応分の負担ををしているからなのだろう。

 大リーグも、イチローや松井選手が出場しているからこそ、頻繁にテレビでも流され、同時に他の外国人野球選手のこともわかってくる。そうでないと大リーグのこともよそ事である。ゴルフなど他のスポーツでも似たようなものだ。

 海外に出ている日本人は、何百万人といるのだろうが、先進国で活動している場合にはスポーツ選手に限らずワンランク上に見られることが多い。かつては洋行帰りということでそれなりの尊敬を受けていた。
 日本では評価されなかった人が、外国での評判を得るとにわかに見直されるからおかしなものだ。

 日本と外国との垣根は次第になくなりつつあるようだが、日本人が活躍することを通じてしか海外のことがわからないというようなことがまだまだ多い。真のグローバル化というか自国人だけではなく他国人のことも平等に見られる感覚が出るようになるにはもう何世代かの時間がかかるのではなかろうかと思っている。
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by watari41 | 2005-08-05 08:10 | Comments(0)

景気動向

 景気が上向いてきているとか、踊り場にあるなどの政府発表を折にふれ耳にする。鉱工業生産動向とか、在庫状況などの民間活動データーから、いろんな経済指標ができ、そこから景気判断がなされる。このため、どうしても発表されるものは数ヶ月前の出来事になってしまうのは否めない。リアルタイムではないのである。

 現職の頃は、そのデーターの元である民間会社の一角で毎日の受注動向などを眺めていたので、かなり早い段階で世の中の動きはわかっていたものである。景気動向に敏感な商品では半年も先にそのきざしが表れるものもあった。
 米国や欧州の動向にも自然と目が向いていた。その影響は時間をおいて必ず日本にも表れてくるからである。動いている産業界の中にわが身のあることを実感していていたものであった。

 だが、退職して数年もすると、もうそんなことはどうでもよくなってくるから不思議なものだ。景気判断も昨今の産業界はソフト化のウエイトが大きくなってだんだんと実態を掴むのが困難になってきているようだ。不景気だといわれながらも、仙台駅前の大型家電量販店に行くとその賑わいに驚かされ、どこが不況なのかと思うことがある。

 有名な経済新聞を引き合いに出して、退職の朝とは、その新聞を手にする必要がなくなった時であるとのキャッチコピーを何かの広告でみたことがある。言いえて妙だと思ったものである。世界情勢や経済動向にはやたら詳しいが、地元の状況には全く疎いというのが、普通のサラリーマンだったのだ。これからは通用しないことなのだが、いざ地域の状況を知ろうとしてもなかなかこれが難事である。
 字数が尽きたので、いつかまたこのことを取り上げてみたいと思う。
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by watari41 | 2005-08-02 08:57 | Comments(0)