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苦労話

 昭和20年の沖縄戦で惨劇の一つだった「ひめゆり学徒隊」の体験者談が退屈なものだったという話が物議をかもした。私は映画化された「ひめゆりの塔」を何十年か前にみたが悲惨なものだった。映像と音があることによって表現力は格段に高まってくる。
 体験談というか、お話だけで状況を伝えるのはかなり難しいことである。聞き手がそのことへの想像力が働かなければ意図するところが伝わらない。
 特に昔の苦労話をわかってもらえるのは並大抵のことではない。当事者にしか体験できなかったことを第三者に正確に伝えることは難しいことだ。
 
 わが町では多くの人たちが明治初年に北海道に移住し、辛酸をなめて開拓に成功したが、今の子供たちにこのことを理解してもらうのは大変なことだ。当時の農具などの使い方を知ってもらうことだけで難事である。
 終戦直後まで使われていた、足踏み式脱穀機などの農機具は今や資料館の展示物となっているが、どのようなことに使うのか子供たちには全くわからない物もあると思う。我々世代はこんな農機具を操作した最後の世代だろうと思う。
 こんな状況の中で、昔の苦労話というのは全く理解されないというか、退屈なものとなってしまうのだろう。

 苦労することが、だんだんとなくなりつつある。昔は食べることに苦労したが今や何でも売っている。しかも安い。
 いろんな変遷を経て、今日のような状況になっているのだが、現代に生きる人たちはそれを当たり前のことだと思ってしまう。若いときの苦労は買ってでもやれなどといわれたがそんなことは通用しない時代になってしまったようだ。
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by watari41 | 2005-06-28 20:20 | Comments(2)

大増税

 先ごろ、サラリーマンへの大増税案が発表された。今でも直接納める税金は少ないものの、物を買えば5%の消費税をとられるし、ガソリンや酒、タバコに至っては50%もの税金がかかっている。人によっては、収入の20%以上もの税金を納めている方もいるだろう。
 政府の税務調査会は納税者の大半を占めるサラリーマンからとるしか方法がないのだという。

 江戸時代には「四公六民」といって、主たる納税者だった農民は40%もの年貢米と称する税金を取られていたといわれるが、最近の研究では、これは予め定められた表向きの米の収穫に対する課税であり、実際には平年作だと20%程度の年貢でしかないというのだ。
 現在の公務員に相当するのだろう下級武士の生活の方がむしろ大変だったといわれる。

 今や国の予算、県や市町村の予算総額は200兆円をはるかに超えるようだ。税金と、国債、公債で賄われているがこれらを借金なしでやるためには消費税を17%にしなけれなならないとかの議論もあるようだ。

 江戸の昔を語っても仕方がないが、それぞれの藩は独立採算でやっていたのだ。わが町は伊達支藩の2万数千石で全てが賄われていたようで、武士の数は現在の町役場職員程度である。
 指揮権は幕府や本藩にあったのだろうが、経済的には全国がそんな独立単位だったと思う。

 これからみると、現在の行政機構は極めて無駄が多いと思う。なかにはやむを得ない出費もあるようだ。昔は寺子屋ですんでいたのが、学校制度を維持するための費用などだ。だがこれも塾にいくのであれば現代版の寺子屋とすれば費用半減になるだろう。

 税金を取るほうの議論は盛んであるが、使い道については、時折浪費じみたことが報道されるが、昔をかえりみれば根本的な削減策があるのではないかと思う。
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by watari41 | 2005-06-25 11:59 | Comments(2)

お役に立った

 先日の昼下がりのこと、Sさんという五十がらみの紳士が我が家を訪ねてきた。先祖のことを調べているのだという。
 明治時代の合併によって失われたわが町の「旧村名と番地」が唯一のたよりであるとのこと。町役場とかいろんなところで聞いてみたが要領を得ず、そのうちに、地元の歴史に詳しい人がいるということで、私を紹介した方がいたらしいのだ。(お恥ずかしいことだ)

 幸いにも明治中期のわが町の住宅地図みたいなものがあることを思い出した。たしかに、その番地にSさんの名前があった。曽祖父の父親の名前のようだ。Sさんは躍り上がらんばかりに喜んだ。早速に町の郊外にある先祖が住んでいた田んぼの中に数軒の農家がかたまっている一角を案内した。
 現在住んでおられる近所の方の話では、家が建っていた礎石らしいものがあったが、何年か前にかたずけたのだという。そこではなかろうかということだった。今となっては以前に誰が住んでいたのかはわからないということだった。

 先祖が住んでいた現地に立ったSさんは感慨深げだった。曽祖父は北海道に移住して苦労したのであろう。「旧村名と番地」だけが伝えられたということだった。当日はとりたてての用事もなかったので私は3時間ほどお付き合いをしたが、見ず知らずの方のお役に立てた。

 上野千鶴子さんという学者が、社会のお役に立ちたいという年配者が多いが、役に立たなくなったら生きている価値はないのでしょうか、というような疑問を呈しておられたが、シニアが自ら行動しなくとも何らかの機会にお役に立つことを実感した出来事であった。
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by watari41 | 2005-06-22 14:55 | Comments(3)

200話記念

 マイブログ一周年を過ぎてから、ペースダウンをしながらも200話に達した。先日、野茂投手の200勝達成が注目を浴びた。同じ数字ながらもちろん、そんなこととは比ぶべくもないが、凡人にはこんな文章でも続けるのは大変である。公開しているのでおかしなことを書くわけにもいかず気をつかう。

 エキサイト社が提供している無料ブログの投稿枠が、一つの目安である。そこに納まる範囲のものを一話としている。八百字程度だ。書き始めるとタイトルと中味が支離滅裂になってしまい困ることがある。
 小学生時の作文を思い出してしまう。題ははつけたが、中味を書けず時間が迫ってしまい、あわてて隣席の女子同級生のものを写してしまい、先生にしかられたことがあった。

 「回想」を、さる有名検索サイトで見たら80万件ものトップにランクされており驚いた。これまで生きてきた六十余年の様々な出来事や現在の社会現象を過去の思い出に照らし合わせての感想記なのだが文をまとめるのは大変なことだと改めて認識した。

 ブログが無かったらこんなことも出来なかっただろう。
 まだ老年の域には達していないが、「回想」はその種の戯言に近い。話数が多くなるにつれ、知らずのうちにダブったことを書いているかもしれない。

 人はいろんな制約条件のもとで生きている。先祖からの歴史的なつながり、地域とのつながり、職場でのつながり、同窓生とのつながりなど、しがらみでもあり、考えようによっては無形の財産でもある。こんなことが誰しも頭の中に凝縮されている。これからも、これらを少しづつ吐き出せたらと思う。

 一年を過ぎて少しモデルチェンジをしようと思ったが、そんな能力はなく無理のようだ。今後とも似たような内容になりますがお付き合いください。
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by watari41 | 2005-06-19 08:43 | Comments(4)

ゴミ問題

 杜都仙台が「ゴミ」でゆれている。新しい焼却場が動かないのだ。またも三菱の名がでた。近郊のわが町も、幾分かの焼却を引き受けたが焼け石に水のようだ。

 そもそも、半世紀前には「ゴミ問題」というのは存在しなかった。生ゴミのたぐいは、豚を飼っている農家の人が集めにきていた。エサにもならないものは肥料になった。人糞のたぐいも同様である。燃えるゴミは、風呂やカマドにくべられた。プラ容器は貴重品だった。だが今やゴミの多くがプラゴミなのである。

 ゴミ問題は近代文明のアキレス腱と化している。ゴミが大きな行政課題になったのは最近である。役所も戸惑いがあるようだ。わが町内会でも地区のゴミ置き場の管理が順番でやってくる。地域住民の大きな仕事となってしまった。

 ゴミの処分には大きなコストがかかる。廃材の処分などにも信じ難い金額が必要だ。たかがゴミではなくなった。大量に生産された物は、いつかは必ずゴミになる。鉄や金属はリサイクルができるからまだましであるが、化学製品がやっかいである。近代を風刺したゴミに押しつぶされる人類というのも、もはやパロディではなくなったようだ。

 ゴミ問題は、生活がすべからく便利になった代償のようにも思えるが、燃えゆくゴミを見ていると何と無駄なことと思わざるを得ない。これまで人間の英知はいろんなことを解決してきたが、ゴミや廃棄物の問題をどのように解決していくのだろうかと思う。
 だが根本的な問題は物を大事にしなくなった、粗末に扱うようになってしまった「人間の心」にあるのかもしれない。買い物でプラ袋をもらわないなどの運動が広がっているが、このようなささいなことが将来の解決につながっていくのかもしれない。
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by watari41 | 2005-06-15 09:00 | Comments(3)

多様性

 3人寄れば派閥ができるという。一つの物事に対しても人それぞれに考え方がちがう。
 芸事の流派の多さに驚くことがある。踊り、謡、生け花など、ど素人にはどこがどう違うのかわからない。

 昔は剣術などにも多くの流派があった。江戸時代の数学である和算にも関流だとか日下流などがあったのだという。現代風にいえば、公文式などのように解き方がちがったのだろうか。
 宗教が最も極端な例であろう。お釈迦様より発した仏教が今や数え切れないほどの宗派が存在している。キリスト教などもそうなのだろうと思う。新しい流派ができる毎に拡大していったようだ。
 落語の隆盛も、内部の人たちに感情の行き違いがあった為とはいえ、多くの会派ができ切磋琢磨があったためのようだ。

 自民党の派閥争いが最もポピュラーだが、外部からみているといっそのこと、そんなに考えが違うのだから別れてしまえばと思うのだが、それでは政権が維持できないので一緒になっているのだという。芸事ならば簡単に別れられる。

 どんどん流派ができることによって、その芸事の全体が活性化し発展する。自民党も派閥があることによって活性化しているのだという。都合の良い解釈ではある。

 だが、生産効率などにもこの考え方が適用できるようなのだ。自動車の生産なども、かつての共産圏は単一車種を大量生産できたので、効率は抜群にいいはずなのだが、そうではなかった。
 自由経済圏では、多くの車種がひしめき、さぞや低効率と思いきや、そうではないのである。消費者の好みに合わせて多様なデザインがあるので、需要も増えてかつ生産の工夫もなされて意外に高い効率を維持しているのである。
 何事にも画一的ではない多様性が大事のようだ。
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by watari41 | 2005-06-11 12:15 | Comments(0)

失われた年月

 1990年代を失われた10年と表現されることが多い。時は確実に刻まれているのに、失われた年月とされるのは、その間にみるべき成果が何もなかったということからである。
 順調に発展してきた日本経済が90年代に停滞し、むしろバブルなどの影響でネガティブなことが多かったのだ。裏を返せばいかに日本が経済でしか語られない社会になってしまったかということでもあろう。この間にも子供は10才の成長があり、我々も歳を重ねている。失った年月というのはあくまでも比喩にすぎない。

 死に臨んで、私の人生は一体何だったのか、というようなことをいう人もいる。その人にとっては、まさに失われた一生なのかもしれない。

 個人的にも振り返ってみれば、充実していた期間もあれば、記憶に残ることの少ない空しかった年月もある。誰しも満ち足りた時間を過ごしたいと思っているが、なかなかそうはいかないものだ。
 私の六十余年の「実効年月」はいくらだったろうかと考えることがある。残された時間もだんだんと少なくなってきている。

 人それぞれに、時間の使い方は異なる。働いていることにこそ生きている実感を持つ人や、何事にも捉われずに自由にしていたい人やら様々だ。
 失った歳月をも含めて人生だという人もいよう。失った人生もまた楽しからずやという方もいるだろう。だが人の2倍も3倍も有効に時間を使っている人もいる。
 終わってしまった年月を云々してもはじまらないが、これからの時間を失われたものとはしたくないものだ。
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by watari41 | 2005-06-06 19:37 | Comments(6)

恩返し

 時々、聞いていて違和感をおぼえる言葉がある。「恩返し」というのもそうだ。本来の意味は、お世話になった御礼への謝意のはずだと思う。
 わが身を削ってまでの、鶴の恩返しなどはその代表例だろう。

 だが、スポーツ界では、この言葉が不用意にところかまわず使われているような気がしてならない。選手生命がいくらもなくなった人に指導を受けた若い人が、引退を早めるようなダメージを与えても、アナウンサーは見事な恩返しをしましたというのである。これはどう考えてもおかしい。

 「恩返し」ということ自体が、古くさいことになってしまったが、スポーツ界、わけても実況中継などで頻繁に使われているのは気になることだ。義理と人情の世界からきている言葉であると思う。

 数十年前まではよく聞いたものだ。郷里への恩返し、社会への恩返しなどが本来の使われ方なのだろうと思う。「恩返し」をしてみたいものだとは思っても、なかなか一般人には難しいことだ。
 都合よく使われてしまう場合もある。選挙でよく聞く「郷里へ恩返しをしたい」という言葉だ。だがこれをまともに受け取る人はいない。

 「恩返し」は響きのいい言葉なので使いやすいのだろうか。「恩」はあくまでも人が対象だ。郷里の「人々」への恩返しである。
 だが、恩を与える方はそうと意識しないことが多い。受ける側が「恩」を感じるということで、あくまでも主観的なことである。はたでとやかくいうことではないはずだ。

 ライバル球団へ出された選手が逆転ホームランを放った。アナウンサーは見事な恩返しをしましたと絶叫する。しかし選手も、相手監督もそんな感覚ではないはずだ。ヒーローインタビューでもそんなことを尋ねるが、選手は適当に答えている。「恩返し」の押し付けをしているみたいだ。放送用語みたいにもなっているが、いつも違和感をおぼえている。
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by watari41 | 2005-06-03 07:09 | Comments(0)

仕事いろいろ

 給料を貰っているのだからやむを得ないと思った仕事もある。だが、世の中報酬をもらいながら感謝される仕事もあるのだ。医療に係る看護師や医師それに教師などもそうだろう。自然に御礼を差し上げたいと思う気持ちもでるが、給料を貰っているのだからと最近は辞退されてしまうことが多い。
 逆にボランティアで仕事をしても必ずしも感謝されるとは限らない。一人よがりのことがある。どうせ仕事をするのだったら、面白い仕事、愉快なことをやってみたいものだ。かつては仕事といえば力や体力のいるものだった。今や頭脳が重要なこととなった。

 昔から日本には仕事に対する一種の倫理観というか、いい加減なことをしてはダメだという厳しさを求められるところがあった。対して西欧人はバカンスのために仕事をすというようなイメージがある。

 我々は、いい仕事をしたことに誇りを持つことが多い。仕事が人生だなどという感覚もある。だが、これらの思いもいささか古臭くなってしまったようだ。仕事を通じての人間形成などといわれたこともあった。
 バカの壁で有名な養老さんは、ムシ取りが本業なのだという。他人からみると何とアホなことをやっているかと思われるという。しかし学問上は重要なことなのだという。仕事と趣味が両立する人はうらやましいなどともいわれる。

 仕事はどうしても報酬との対比で語られる。食うに困らなければ仕事はしたくないという人も多い。
 最初に考えるのは楽な仕事をして高い給料をもらいたいということだ。だが世の中そう甘くはない。中には報酬を考えずにいい仕事をしたいという人もいる。
 最近は、いくつかの職をこなしてのキャリアアップだとか、仕事に関する概念はどんどん変っていくことだろう。
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by watari41 | 2005-06-01 08:37 | Comments(3)