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経済効果

 楽天イーグルスが仙台を本拠地にすることで百億円以上の経済効果があるという。宮城県の人たち、広くは東北の方々の懐からそれだけの支出がなされるということである。
 新幹線開通の時は、やや意味合いが違うがそんな計算があった。東京まで片道2時間の短縮なので年間何万人が利用するから、時間当たりの金額を掛け算しその経済効果は何億円に相当するのだということだった。
 高速道路でも同様のことがいわれた。しかしこれは考えてみると時間が有効に使われることが前提になっている。時間を無駄にしないで使うのは難しい。
 「時は金なり」は正しいのだが、凡人はヒマをもてあましてしまうことがある。それでもって、お金を浪費してしまうことも多い。これも経済効果といえなくはない。

 経済万能の時代ではあるが、全てのことが金額で云々されるようになったのは何時の頃からだろうか。たしかに数字で表すことができるのでわかりやすいことではあるが、何となく味気ない気もするのである。
 今年はスギ花粉が多いと予測されるので、外出を手控えることによるマイナスの経済効果が何億円などというニュースまであった。天候もそうである。今年は暑かったから、あるいは寒かったから経済上プラスだとかマイナスだとかという話になる。小子、高齢化も日本経済に及ぼす影響という観点から語られてしまう。

 GDPやGNPがあたかも国家目標でもあるかのように、取り扱われるようになったのは戦後のことであろう。経済効果は最終的にこの数字に反映される。その効果はGDPを何%押上げたとかいう具合だ。
 中国など他国を推し量るのもこの数字によってしまう。外国では別の評価尺度を持っているのではないのかと思う。
 戦前なら軍事力が国力みたいな時期もあったのだろうが、今の経済力の方が平和的であるのはたしかだが、もっと別の尺度があっても良いような気がする。
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by watari41 | 2005-01-30 21:19 | Comments(0)

需要予測

 大掛かりな建設工事には、まず需要予測がある。
 仙台市の地下鉄南北線の工事が始まるとき一日当たりの乗客予測は23万人であった。一見して多すぎると思われたが、それなりの産出根拠に基づいて出したしもののようだった。だが完成後の実際の乗客数はその6割程度であったと思う。徐々に増加はしてきているが、そもそもの損益計算が当初の需要予測によっているのでそのぶんの赤字がでることになり運賃値上げもされた。
 当時は地下鉄が出来ることに対する夢があったので、建設優先という時代の雰囲気もあったような気がする。

 今度は、地下鉄東西線であるが、その需要予測は前回同様にかなり水増しされているような数字である。南北線の当時とは異なり、何が何でもというような時代でもなくなっているので反対意見も根強い。昨日(2005年1月27日)その最初の工事に係る安全祈願祭が行われたが前途は多難だと思う。

 あってはならないことだが、予測ではなくて逆算された数字、つまりあるべき数字が需要予測として提示される場合が出てくる。どうしても建設を進めたいときにはこうなってしまう。
 数字の裏側を読む必要が出てくる。
 従来の公共工事にはこのようなことが許されていたようだ。高速道路の建設なども同様のことなのだろうと思う。まともな計算をすれば建設工事などはできなくなってしまう。こういうことが繰り返されて巨額の負債が蓄積されていったのであろう。

 だが民間会社ではこうはいかない。需要予測の誤りは命取りになりかねない。しかしあまり慎重にすぎても会社の発展は見込めず、飛躍のチャンスを失うことになる。
 需要予測にはそれなりの計算根拠があるものの世の中がその通りに動くわけではない。最後は人間が判断するしかない。将来を予測できる能力というのは過去の経験とか分析力とか諸々の総合力が必要だが、最後には賭けの要素があることも現実である。
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by watari41 | 2005-01-28 09:46 | Comments(2)

実力差

 プロとアマチュアの実力差について考えてみたい。野球では大学の一流選手はすぐにプロで通用する。歴史が浅いというようなこともあるのだろう。
 相撲の世界では昔は格段の差異があったといわれる。戦前の学生横綱は三段目の力士には到底かなわなかったといわれる。今や幕下付け出しでいきなり7戦全勝したりするのだから、かなり差が縮じまってきているのだろう。アマのレベルが向上したというよりも大相撲のレベルが低下しているのだろうと思う。

 将棋や囲碁の世界をみると、こちらもかなり接近してきている。昔は飛車角落ちだとか何目もハンディキャップをつけていたが、今やそんなことはなくなった。それでいてプロの世界は昔から比べると格段にレベルアップしているのだという。頭を使う方は、どんどん進歩をとげるのみたいだ。

 体を使う方は、陸上や水上競技の大幅な記録短縮からみると体力の向上があるようだが、筋肉の使い方などトレーニング方法の進歩によるものなのだろう。
 野球についてはベーブルースの時代から進んでいるのだろうかと思うことがある。かつて日米のプロ野球の差は百年の開きがあるなどともいわれたことがあったが、イチローや松井の活躍などは予想だにできなかったことである。確実にその差はつまってきているようだ。だがこれは日本の技量向上というより米国のレベルダウンのような気がしてならない。

 記録に残るものとちがって、競技の場合にはその時代の相対的な実力差で計る他はなく、明確な基準がもてないのはいたしかたのないことだが、プロとアマの差というのはなくなりつつあるようで、これがオリンピック競技でのプロアマ混合参加の背景になっているのだろうと考えるのである。
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by watari41 | 2005-01-26 07:53 | Comments(0)

契約の概念

 日本は西欧と違い、「契約社会」ではないのだといわれたことがあった。情緒的な約束事が多いというようなことである。しかし現実の日本は契約社会そのものであると思うことが多い。
 昨今の雇用問題である正社員とその他の社員との大きな格差などはその最たる例ではなかろうか。契約社員と呼ばれる人たちはその名に反して、契約されていない社員なのである。不思議な用語だと思う。正社員は会社と個人でそんなにきちんとした契約があるわけではないと思う。いかしながら正社員は大きな権利を有しているのである。
 入社時の方式で決まってしまうわけだが、会社と社員双方共にそういうふうに思っており、自発的な退職でない限りは会社は簡単に正社員のクビをきるわけにはいかないのである。裁判などになっても、その権利は認められている。

 また同一労働、同一賃金というのも日本では全く通用しない。正社員とパートなどでは同じ仕事をしていても何倍も給料が違うことがある。仕事内容ではなくて正社員が会社に来ていることに対して、あたかも給料を支払う契約を交わしているかのようである。
 一時期、日本でも職種別賃金とかドイツなどにあるような仕事の階級を認定するマイスター制度を取り入れようという動きがあったが、なじまないのである。
 正社員はその人の仕事がなくなってしまい、簡単な運転業務に転換したとしても多少の給与ダウンがあったところで従来の身分はは保証されている。同じような運転業務でもタクシーの運転手などとは雲泥の差がある。 
 民間でもこうなのだから役所ならなお更のことであろう。日本での契約の概念について考えてみると面白いことはたくさんあるように思う。
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by watari41 | 2005-01-24 08:59 | Comments(2)

金利(2)

 その昔、田舎のお金持ちが、そこに住む村人が子々孫々まで税金を納めなくとも済むようにと、村に何万円もの大金を寄付し、その利子で役場を運営するようにというような話があった。
 その後のインフレで善意は幻に終わってしまうが、金利というのは昔からある程度高いのが通例だったのであろう。
 世界のいろんな「基金」といわれるものも利子を目当てにしている場合が多い。ノーベル賞などはその最たるものであろう。現在は世界的な低金利時代に入っており、これらの運用は大変なことだと思う。

 世の中は、お金が少ないときは金利が高く、お金がだぶついてくると低金利時代になるような気がしている。経済には門外漢だがそんな感じをうける。
 高度経済成長期には、各企業は多額のお金を必要としたので、高い金利を払ってまでも設備を購入し物づくりに励んでいた時代があった。
 公定歩合に一喜一憂していたのである。金利は日本経済を文字通り左右していた。
 その後、経営のうまくいった企業は無借金の運営ができるようになり、お金が余って企業名を冠された〇〇銀行などと呼ばれるような会社までもが出てきた。
 一方では、今も多額の借金地獄に今も苦しんでいる企業が多い。金利とは関係がなくなった企業もいるかたわら、金利の上昇があれば命をとられるようなところも存在し、まさに二極分化したのが今の日本の実態ではないのだろうかと思う。

 現在の異常な低金利時代というのは、おかしなことのように思われる。いつになるのかはわからないが過去の出来事に照らすと、冒頭に記したようなインフレによるお金の消滅というのが、どんな形になるのかは想像できないが再び訪れるような気がしてならない。
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by watari41 | 2005-01-22 08:25 | Comments(0)

金利(1)

 ここ10年、金利は驚くほどに下がったままである。その背景には巨額の国債があるからと思うのである。地方債を合わせれば千兆円もの公債がある。金利が上がればこれらは雪ダルマ式に増えてしまう。
 現在の低金利でも元金が大きいためにその利息は年に数兆円である。金利が上昇したらとんでもないことになる。
 こういう観点から見ると、金利はほぼ半永久的に上げられないのではないかと思うのは素人考えだろうか。

 銀行は、貸出金利と預入れ金利の差額で運営されている。いつも不思議に思うのは、銀行は預金者に利息を払うのだから、大きな顔をしてもいいようなものだが預金者をお客さんとして丁重に扱うのである。昨今の低金利と手数料の高さからはお客さん扱いをされても当然かもしれないが、昔の高金利時代もそうだった。
 逆に銀行から借りる側は、利息をつけて返却するのだから、本来ならお客さんであるはずなのだが銀行には頭を下げなければならず、銀行も当然と思って応対している。
 通常の売り手と顧客との関係が銀行では逆転している。前々から不思議に思っていることだ。

 現在はローンを抱えるなど借金があるものにとっては望ましい時代である。しかしやたらと借金をするわけにもいかない。銀行の審査は厳しく、いくら利息をつけて返すとはいっても、簡単には貸してくれない。
 どうしてもお金の必要な人はサラ金から借りることになるのだが、とてつもない利息を払うことになる。借りる人は大変なお客さんのはずなのだが、どうもそういう感覚ではない。店で物を買うお客さんとはちがうのである。
 貸し手に利息を払うことで多大の恩恵を与えながらも、卑屈になるしかないのは不合理なことだが、お金を巡る借り手と貸し手の不思議である。
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by watari41 | 2005-01-20 08:32 | Comments(0)

歴史の真実

 キリストは磔台では死ななかった。突かれて瀕死の重傷を負ったものの、傷が急所を外れていたので、手当ての甲斐があって生き返った。これがキリスト復活の真相なのだという。
 磔台から下ろしたキリストを包んで、埋葬すると偽り治療のために地下の墓場まで運んだのが「聖骸布」といわれる大きな織物である。
 古くから伝わるものだが1988年に炭素放射性同位元素による科学鑑定の結果これは贋物だと判定された。この判定そのものがおかしいと異議をとなえている人たちがいる。鑑定に、わざと中世の織物の断片をサンプルとして提出するという工作をしたのだという。
 何故、こんなことをしなければならないかというと「聖骸布」が本物と断定されると、キリスト教の教義の根本がおかしなことになってしまうので、ローマ法王庁では贋物とせざるをえなかったという。
 キリストは全人類の罪を背負って十字架の上で死んだ。だが復活をとげた。などはことごとく誤りだったということになってしまう。だが、何よりも重要なのはキリスト教の中味がパウロの言葉によるものなのだという。キリストの言葉ではないというのだ。死人に口なしということなのだろうか。このあたりのことは門外漢である私などには到底わからないことだが興味はつきない。

 「聖骸布」を調べると、血が流れた跡があり死人を包んだものではないことは明らかだという。また織物もその特徴から2千年前のでものあることは間違いないのだという。
 かなり分厚い本ではあったが「聖骸布の陰謀」という、ドイツ人が書いたものを一気に読んだ。10年前の本だがドイツ人らしい几帳面さで、「聖骸布」の顛末を事細かに記載している。
織物にキリストの姿が転写されている有名なもので、我々は魚拓などで生物の姿を平面に写したものをよく見慣れているが、人間もそんな風になるものだ。著者はその身体の寸法比などを実に細かく計算して生身のキリストの姿を明らかにしてくれている。その織物は贋物と判定されたにもかかわらずトリノ教会に厳重に保管されているという。
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by watari41 | 2005-01-18 07:54 | Comments(0)

官と民

 年金を扱う社会保険庁で組織ぐるみの不正行為が明らかになったが、関係者の処分は軽微なようだ。前々から、この役所には数々の問題点が指摘されていた。解体論まで、でているがここに勤務する人は公務員なので、組織がどうなろうとも個人の給料や身分は保証されているのだと思う。

 ひるがえって、民間会社で不正行為がおこなわれるとどうなるかは三菱自動車の例で明かだ。商品は売れなくなり、企業は存亡の淵にたたされる。従業員のボーナスは極端に少なくなり給与は減額される。会社の末端にいて、その不正とは何らの係わり合いがなくとも塗炭の苦しみを味わされる。官庁勤務と民間会社に勤めるとでは歴然たる差異がある。

 社会保険庁は一種のサービス機関でもあるはずだが、昼休みはきちんと休む。時間から時間までしか応対してくれない。
 昔の国鉄でこんなことがあった。満員の乗客を乗せた仙石線で石巻から時刻になっても発車しないので不思議に思っていたところ、やがて構内放送があり運転手がこれから食事なので食べ終ったら発車するとのアナウンスに唖然としたとの新聞記事を思いだした。公的機関に勤務しているにも係らず自分の都合を優先できたのである。JRになってそんなことはなくなったのだと思う。

 昔、雇用促進事業団という役所があった。時代の変化でその役目を終えた時に、本来なら解散すべきものが名前を変えて、雇用能力開発機構としてそのまま生き残った。私は退職してハローワーク通いをしていたときに変な組織があるものだという印象をもったが、前記のような経緯をたどった役所だと聞いて改めて官と民の差異を思い知ったことがあった。
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by watari41 | 2005-01-16 16:37 | Comments(6)

ロボット

 人類は自ら創り出すものによって滅びるといわれている。環境破壊がその最たるものだ。
 だが、最も懸念されるのがロボットなのだという。こういわれてもまだ現実味はないが、あと50年もすると切実な問題になるというのだ。
 先日、トヨタ自動車が全組立工程をロボット化する構想を発表した。これまでは一部の工程でロボットが働き、物珍しく眺めていたが全工程となるとただ事ではなくなる。デザインや設計までロボットがやるようになったらどんなことになるのだろうかと思う。

 ロボットは急速な進歩をとげつつある。二本足で歩くまでが大変だった。在職中にその関係者から人間のように歩くのがいかに難事であるかを聞いたことがあった。現状はまだまだ見世物の域を脱せず、大勢の裏方が苦労しているようだが、しかしその壁を乗り越えると、あとは二乗カーブのような急激な発展をはじめるものだ。

 「目」」の進歩もすごい。人間の目は7百万画素に相当するそうだが、デジカメはこれを超えるに至った。考える力も特定の分野から人間を超えてしまうようだ。将棋の名人位を奪うのも遠いことではないみたいだ。

 実用的なロボットは、掃除や介護などからスタートするのだという。筋肉の働きを助ける介助ロボットがTVで紹介されていた。すごいことだ。

 将来巻き起こる最大の論争は、ロボットに感情を移入すべきかどうかなのだという。感情をもったロボットは気に食わないものはすべて壊してしまうのだという。ロボットが勝手に進化する。映画での猿の惑星みたいだ。SF小説が現実味をおびるまでにはそんなに遠くはないようだ。
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by watari41 | 2005-01-14 07:35 | Comments(2)

特許訴訟

 青色発光ダイオードの特許訴訟は8億円で和解した。発明者の中村さんはなお不満を表明している。プロスポーツの世界では年収数億円から数百万円程度の選手が一つのチームを作っているにもかかわらず、何ら疑問に思われることはない。しかしサラリーマンの世界でこのようなことはなじまないとされてきた。
 会社で新商品が巨大な売り上げを得るに至るには、多くの人たちの努力があるのだが、その種がなければ何事もできてはこない。その種である発明ををどう評価するかである。
 これまでは、量産化技術や販売などが重視されてきた。どんな種でも環境条件が悪ければそのままに終わってしまうからである。
 新商品には種を作った人が必ずいるものだ。非常に優秀な人だったり、特異な人であったりすることが多い。しかし、会社はこの人だけに高い報酬をあたえることはしなかった。発明者は不満をいだきながらも我慢していたというのが実態であった。会社全体の力だということになっていた。

 中村さんはこのような日本の風土に正面から意義をとなえたのである。正論ではあってもこうなるともはや個人はその組織に属することはできず、飛び出すしかなくなってしまう。日本国内でも受け入れるところはなくなる。
 今回の中村さんの行動には違和感を感じている人も多いが、これをきっかけにして日本の会社、社会の考え方が大きく変わっていくきざしがある。技術史というか産業史に残るエポックでもあると思う。

 イチロー選手は5年契約ながら44億円といわれている。所属するマリナーズの経営状態とは関係なく、それだけの支払いを受ける価値があるということだ。技術者にもそんなことがあってもよいような気がする。
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by watari41 | 2005-01-12 14:49 | Comments(0)