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我が家の小史(2)

 論語の本が残っていた。2百年前の教科書である。寺子屋などで使ったのであろう。文化2年(1805年)富蔵13歳これを習うと本の片隅にラクガキがあった。(私の高祖父の養父に当たる人だ)
 論語は「子曰く・・・・」というもので、難しい漢字が並んでいる。私はほとんど読めない。現在でいうと小学6年生がこれを学んでいるのである。孔子の思想と共に読み書きも同時に学習しているのである。貴重な本だったのだろう、子から孫へと明治になるまでの先祖の人たちが使用している様子が、名前の書き込みから読み取れる。
 おそらくは一般の人たちにとって、この程度の知識と教養があれば社会生活上の問題はなかったのだと思う。

 この他にも何冊かの実用書が残っている。現在の百科辞典にも相当するものだろうか、絵が入った事物の解説本だとか、のし紙の折り方が数十種類も記載されていて、それぞれの用途だとか。
 ただ、残念ながら本の保存状態が悪く虫が食ってボロボロである。だが博物館でしか見られないものが身近にあり、先祖が使用していたものと思うと愛着がある。江戸日本橋の版元と仙台の取り扱い店名が記載されてある。

 これらが残る建物は嘉永6年(1853年)建造と柱に書いてある。丁度ペリーが来航した頃のものである。土蔵だったが宮城沖地震の時に崩れたので、柱だけを残して屋根と外側を張り替えた。道路に面しているので店として使用していたのだろう。塩、味噌などを売っていたようだ。
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by watari41 | 2004-10-29 19:29 | Comments(5)

我が家の小史(1)

 江戸時代に「離婚」は、一般人にとって比較的自由なようだった。
2百年前に我が家に生まれた女性のことである。としごろになって一旦はここから北へ30kmの仙台の商家へと嫁いだ。が、一年足らずにして離婚し戻ってきてしまった。いくらも我が家に留まることなく今度は、南西へ50kmほど離れた町の商家へ後妻として再婚した。ここで男の子供を一人生むのだが、数年にしてまた離婚し子供をつれて戻ってきた。丁度我が家では家を継いでいた兄夫妻に子供がいなかったので、その男子を養子とした。まもなく彼女は3度目の結婚をするのである。ここから山ひとつを越えた20kmほど離れた商家の後妻としてである。さすがにここで落ち着いた。数人の子供を生んで生涯を全うした。
 彼女の子供であり、我が家の養子となった男子は私の祖父の祖父(高祖父)である。

 退職後に我が家の歴史探訪のために最後の婚家先を訪ねた。彼女は長命していた。明治15年に80歳を超えて亡くなった。丁度同じ年に我が家では息子が59歳で亡くなっているのである。およそ120年前のことに思いをはせた。

 江戸時代の風俗を研究している学者、田中優子さんの著書をみるとその当時は現代人が考えるような抑圧された世の中ではなく、一般の人々は比較的自由にふるまっていたというのだ。私は身近にその実例を見た。

 「離婚」のことを当時は「薄縁にして」などと表現していた。また仙台のことを「御城下」と呼んでいた。日の長い時には朝4時、おにぎり持参で出発し、昼前に到着したようだ。
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by watari41 | 2004-10-27 20:10 | Comments(2)

言外の話

 雑誌の記事だった。鉄鋼会社が自動車会社にたいして鉄板の値上げ交渉をしていた頃のこと。30年くらい前のことだろうか。担当者同士の話し合いでは決着がつかないので、S製鉄会社社長がT自動車工業社長を尋ねた。しかし、値上げのお願いに行ったはずのS社長は、その件には一切触れずよもやま話だけで帰ってしまったという。
この後でT社長は値上要請に来訪しながら、何もお願いがなかったというのは、よほど困っているのだろう。S社長の胸の内を察して余りあると購買部門に対して値上げを受けるように指示をしたというのだ。
この話のニュアンスが解るのは、我々世代以上の方々だろうか。

 昔はあうんの呼吸とか、暗黙の了解とか、このような言外のことが分からないようでは駄目だなどと言われたことがあった。

 しかし、現代社会に通じることではなくなった。話も出さないで何がわかるのかというような具合である。

 子供の頃、授業中にいたずらをしていて。いきなり立たされビンタをくらったとかゲンコツされたとか、先生がいちいち話さずともわかるだろうと。今の学校ではとても通用しないことだ。
 あまり多言を弄しないことが大人物だといわれたような時代もあった。しかし今や如何に弁舌巧みに相手や大衆を説得するかが問われる時代となった。
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by watari41 | 2004-10-25 10:37 | Comments(5)

ビジネスモデル

 詐欺ではないペーパー商法がある。納得づくで紙切れ一枚に数十万円支払う人がいる。囲碁好きの知人がいた。週刊誌の懸賞問題に偶然にも全問正解したのである。六段の免状を差し上げますという連絡がきた。但し、K棋院に30万円を支払ってくださいということだった。その人の奥さんは大反対した。紙切れに大金を使うなんて馬鹿げたことだと。当然である。しかし本人は支払ったのである。額縁に入れて麗々しく飾ってある。実力は初段程度だから、こんなチャンスは2度とないのだと。奥さんは憤慨していた。

 お寺の戒名も似たようなものだ。一文字当たり何万円もする。遺族はやむを得ないことだと支払いに応ずる。日本に独特のことで外国人が聞いたらびっくりするようなことだろう。何百年にも亘る習慣からこのようなペーパー商法が通用するのである。いろんな稽古事の家元から発せられる免状もそんなものだ。権威のあるところが認定したというのがミソである。
 これらは究極のビジネスモデルのような気がしてならない。原価は限りなくゼロに近い。紙や石碑の文字に満足感を得てお金を払うのである。何回忌の法要などというのも、こんなことをいうとお寺さんからは怒られそうだが、優れたビジネスモデルだと思う。
 10年ほど前にビジネスモデルにも特許が与えられることになった。昔から存在するものは対象にならないが、インターネットを利用した新しい商売はどんどん出てくるような気がしている。
 
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by watari41 | 2004-10-23 09:07 | Comments(3)

記録の重要性

 支倉常長の研究者の講演を聞いたことがある。スペイン・ローマなど、常長の足跡を辿ったものだった。私が興味を持ったのは宮城県牡鹿半島「月の浦」からの出航に関してである。仙台藩伊達治家記録には、その年月日が記録してある。もちろん旧暦なので、それを現代の暦に直していくと当日は「大潮」であったという。「月の浦」の地形は昔とほとんど変っていないいうから、その水深は浅いのでサンファン号が船出するには大潮でかつ満潮でなければならないはず。調査結果その日は午前5時が満潮であると気象庁のデータからつきとめたという。従って出航は、夜明け早々のことだったというのだ。よくぞそんなことまで調べたものと感心したものだった。4百年前の出航月日の記録があったからできたことである。

 昔のことは記録に残っていないと何事もわからない。推測の域をでなくなる。日本に関する最も古い記録は中国にある卑弥呼に関する3世紀のものだ。これによって実在の人物であるということと邪馬台国探しも伝説を追うのではなく歴史究明になるのだと思う。
 記憶というのは往々にしてあやふやなものだ。「古事記」も伝承を集めたものなので、記録の裏づけがないのでそれなりの扱いしか受けていない。
 伊達治家記録には、仙台で繰り返し大地震のあったことが記録されている。今後30年の間に宮城沖地震の起きる確立99%というのは、その記録も参考になったのであろう。
 私などは、一週間前のことでさえ一日くらい間違えて憶えていることがある。記録しておくことは大事なことだ。
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by watari41 | 2004-10-21 21:57 | Comments(2)

建物の美しさ

 仙台の国宝・大崎八幡宮が大修理を完了した。実に美しい建築物だ。4百年前の建造である。全体のバランスが良く、神々しい雰囲気がある。特に黒漆の柱がいい。豪壮な感じを与えている。
 同時代の建物である姫路城もまた、たとえようもないほどに美しい。その白壁とたたずまいが白鷺にたとえられる如くである。日本では、その後の歴史で城郭建築を上回るような美しい建造物は現われていない。いろんな建築デザインが試みられているが、城を超える美しさをだせないようだ。

 わが町では、よりによって城造りの巨大なコンクリートの図書館が作られた。文明社会である現代においても城郭以上の建築デザインはもうないのかとさえ思える。
 城郭建築は4百年前に現われて突然のピークを迎えている。これも不思議なことだ。城に桜の組み合わせは、最も日本人のココロを揺さぶる光景である。

 五重塔も美しい建物だ。京都駅近くを新幹線で通るとき眺める東寺の塔はこれぞ、日本の風景だと思う時がある。法隆寺の五重塔もすばらしい。寺院全体の伽藍配置も調和がよ全体としての美しさをかもしだしている。ココロに安らぎを与えてもらえる。

 神社建築も同様な趣がある。伊勢神宮が原型であろうがシンプルなものが、時代を経て華麗さが加わり、大崎八幡宮のような建築となったのだろう。全体の色彩がすばらしいできばえである。

 出来ることなら昔のものだけではなく、これらを乗り越えた現代版の日本建築美を見たいものだと思う。そんな建築家は出てこないのだろうか。
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by watari41 | 2004-10-19 20:45 | Comments(4)

方向感覚

 見知らぬところにいくと、東西南北がまったくわからなくなってしまう。ひどい方向音痴なのが困ったことである。慣れたところでも方向感覚を失うことがある。しばらぶりに街に出て帰宅するのに列車に乗り込んで仙台駅を発車したところ、逆の方向に進んでいる感覚に捉われたことがある。かなり動いてから間違いではなかったと胸をなでおろすことがあった。

 大海原や砂漠を昔の人が星を頼りに旅したというのは想像を絶する難儀だったと思う。GPSやカーナビの電子技術が現代の方位感覚を一変させてしまった。もはや目的地まで迷うことはなくなった。

 奈良・平安時に宮城県は「東の国」と呼ばれていたらしい。京都を出発した人が東に向かい、実際には関東まで来ると北へと向きを変えることになるのだが、歩いている人には、そういう感覚はないはずで、相変わらず東に向っていると思っているうちに多賀城に着いたということのようだ。
 この方位感覚からいくと秋田へ行くには、京都から北に向って歩き出すのが近道である。従って秋田は北の国だったのではなかろうか。東と北で東北地方となるのだろう。
 東や南には陽のイメージがある。逆に北と西は陰である。どの屋敷でも北西のところに神様を祀っているのは陰を払うということなのであろう。方位は昔から人間の行動にとって重要な意味を持つとされてきたようだ。

 方角がいいとか悪いとかのことがある。風水とも関係しているようだ。方位には目に見えぬ力が働くとされている。占いなどもこれらのことを勘案したもののようだ。こんなことにも最近は科学的解明をしょうとの試みがなされているようだ。何となく神秘的である方がいいような気がするのだが。
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by watari41 | 2004-10-17 20:35 | Comments(2)

冷凍技術

 温度の話である。何千、何万度という高い温度はいくらでもあるのだが、低い温度は、マイナス273℃が限界で、それより低い温度は存在しないという。不思議に思うことである。
 自然界でもシベリアではマイナス60℃にはなるようで、世の中にはもっともっと低い温度があってもよいと思われるのだが、広い宇宙でも限界温度より低くはならないという。このマイナス273℃を「絶対零度」と呼んでいる。

 温度と言うのは、物質の振動をもとにして決められているので、その振動の止まるところが最低温度であり、それが「絶対零度」なのだという。この温度の近くになってくると、いろんな面白い現象が出てくる。超伝導といって電気抵抗がゼロになったり、磁気がはじき飛ばされたりしてしまうので物体がが宙に浮いたりする。
 ただ、この温度に近づくことは容易ではない。液体ヘリウムとか特殊なものを使わねばならない。通常、我々が工業的に使用できるのは液体窒素のマイナス200℃程度である。
 温度を下げるというのは、結構エネルギーがいることで、夏の冷房にエアコンを使う時に最大電力を記録するということからもわかる。

 マイナスの温度で最近の注目は、人体を冷凍保存しておき、後の世代に生き返らせるという試みで実際に始まっているようだ。人類の願望である不死への挑戦でもあろう。ただし、それは生き返ったときに、その人の昔の記憶があるということが前提だと思う。そうでないと、単なる新しい生命の誕生にすぎなくなるからだ。何年後のことになるか、それにかけて冷凍を志願する人も出てきているようだ。
 生き返ったときにどんなことを思うのだろうか。浦島太郎の感慨を味わうのだろうか。
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by watari41 | 2004-10-15 09:05 | Comments(2)

資格・免許

 現代社会では資格・免許が大きな意味を持っている。退職した後で、小中学校の教職員にパソコンを教える仕事をしたことがある。つたない知識しかないので、図々しいというか恥ずかしいことだったが、
それはさておき、我々講師にオリエンテーションで皆さん方は教師免許を持っていないので先生方に教えるのはかまわないが、教室で生徒に教えることは出来ませんと言われて、一瞬はエッと思ったが免状とはそいうことなのだと納得したものだ。

 運転免許、理容師免許、危険物取り扱い免許等々、免許を持っていないと出来ないことが多くあり、これらの資格を取るために勉強をさせられる。これを得るために多くの人たちは、大変なエネルギーと費用を要し苦労している。これらの市場は膨大なものだと思う。医師や教師となるために入学してからそのことに専念する。多くの専門学校もそのためにあるようなものだ。
 資格・免許の類は大変な数に上るのだろう。法治国家なので資格なしに仕事をすれば罰せられるのは当然だ。

 子供の頃、頭の散髪などはバリカン一丁で商売している人にやってもらったものだ。しかし近代国家はいろんなことに制約を設けてしまう。これをもっと自由にやらせたら経済活動が活発になるのではないかというのが「特区」の構想だが今のところはトッピックス程度に取り上げられるだけで有効に機能はしていないようだ。
 資格・免許は業務上のこともさることながら、そこに一種の特権が生じ、先にその権利を得た人は、それを守ろうとするので厄介なことになることが多い。
 昨今の日本社会の閉塞感もそんなとこにも一因があるような気がしている。
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by watari41 | 2004-10-13 11:18 | Comments(0)

過当競争

 自由経済は過当競争を生みやすい。これを防止する規制をかけられることもあるが、評判が悪いと廃止される。そうなると激烈な競争が始まってしまう。消費者はありがたいのだが当事者はたまったものではない。企業体力の消耗戦は、どこかがバンザイすることになってしてしまう。最近では、都市間高速バスの例がある。信じ難いくらいに安い価格になった。仙台から福島・山形などエッというような運賃である。

 製造会社でもそんなことを経験した。価格は2通りあるのだ。ひとつは製造経費に適正な利益をプラスしての販売価格である。そういう場合には何らの問題もないのだが市場価格で決まる場合が困る。競合の為に原価を下回ることが多いのだ。この価格に合せて売らなければならない。販売価格から引き算の原価計算をやることになる。工夫の余地があるときはまだいいが、赤字でも売らなければならない時がある。
 物づくりで経験曲線というものがある。多量に物を作り続けると原価は下がってくるというものである。そんなことを先取りして販売価格を決めるときもあるが、いくらも売れないうちに製品寿命が尽きてしまうこともあって、とんでもないことになってしまう。赤字だけが残る。

 過当競争と思われるものが周囲にはたくさん存在する。それで苦しんでいる人たちも多い。消費者が満足すれば良いのだというような時代でもないような気がするのだが。
 価格が変らないというのは大変にありがたいことで、努力の成果が目に見えるからである。だが世の中そんなに甘くはなくて、工業製品といわれるものはおしなべて性能は良くなっているのに価格は下がっていくのである。
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by watari41 | 2004-10-11 15:31 | Comments(3)