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民主々義

 小学校で同級生だった男が県会議長になった。それを記念して議会傍聴をしたことがある。建物の立派さに驚きながらも質疑を聞いた。興味のあることでもなかったので、我々同級会一同はほとんど居眠りしてしまった。質問者は初の登壇であったらしい。その地元の支持者とおぼしき一団も傍聴していたが、皆ながコックリをこいでいた。テレビが映す居眠り国会議員の状況を理解できたような気がしたものだ。
 その時に、ふと思ったのが、ここから何百メートルも離れていないところで、県の人口の半分を占める仙台市議会が似たようなことをやっているだということが頭をよぎった。もったいないことだ。県が一つの「市」になってしまえば議会は一つでよいことになる。長年、貧乏会社に勤めた私は、ついこんな発想になってしまう。
 民主々義にとって議会は欠かせない。無駄という考えは捨てなければならない。アテネの昔は直接民主々義であったという。これはこれで問題があったということだ。時代が進んで現代ではこんな形態をとっているが、もっと良い方式が編みだされるのではなかろうか。
 ソ連が崩壊して、冷戦が終了した後で「歴史の終わり」という米国フクシマさんの著作が大ベストセラーになった。これからは、すべての世界が民主々義へと向かう。これまでの歴史、闘争はこのための戦いでもあった。歴史は終わったというのである。当時は説得力をもっており、共鳴する人も多かった。
 しかし、残念ながらそうはならなかった。テロを予測した人はいなかった。民主々義の本家、アメリカも大きく揺らいでいる。歴史は続いているのである。
 
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by watari41 | 2004-08-31 09:09 | Comments(2)

炊飯ジャー

 私達が使っている「単位」には概して人の名前がつけられている。身近なところでは、電気のアンペア、ボルト、ワットなどいずれも有名な学者の人名である。
 キュリー夫妻もよく知られている。これを冠した「キュリー点」というのがある。物質が磁気を失う温度のことをいう。鉄は8百度近くまで磁気を失わないが、これにニッケルを混ぜると、磁気を失う温度はどんどん下がってくる。磁気を失うというのは磁石に吸い付かなくなるということである。それがキュリー点である。
 炊飯ジャーが出来てから、美味しいご飯を炊こうと、いろんな工夫がなされた。キュリー点を利用したものも一つの試みだった。どういうものかというと、100℃近くのキュリー点材料を作るのである。それを磁石と一緒にジャーの底にセットする。温度が上がってくると、材料の磁気が弱まり、磁石から離れるので、電気が切れるという仕掛けである。いろんな温度を試みて、最適な炊き上がりのものを探したものである。ひところのジャーを使ったことのある人は、スイッチをONにしてから、炊き上がりに近づくとバタンという音がするのを聞いたことがあると思う。磁石から離れた音である。
 これは何年間かで使われなくなってしまった。もっといいものが出来たからである。最近は「IHジャー」など、もっと進歩した高級なものが出ており、全体的に加熱してふっくらと炊き上がるということのようだ。これも電磁気の原理を応用したものである。
 この他に、電磁鍋なども汚れない器具として最近人気のようである。磁気もこんな形で日常生活に深く係るようになってきた。
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by watari41 | 2004-08-28 16:49 | Comments(2)

益鳥と害鳥

 この50年で価値基準というか、概念がすっかり変化してしまったものが多くある。「益鳥と害鳥」のこともそうだ。小学生の教科書に、米や穀物類を食べるスズメなどは「害鳥」、虫などを食べるのは「益鳥」と教えられ、害鳥は駆除の対象となったものだ。米が何よりも大切にされた時代だった。私も近所の遊び仲間と、スズメをカスミ網やモッチという接着剤をつけた棒もって捕まえると5円で売っては小遣いとしたものだ。食べても美味しかった記憶がある。
 しかし、今や鳥たちは現代人にとって癒しの対象である。バードウオッチングとか庭先に来た小鳥への給餌など、まさに共生の時代だ。
 昔も、姿や声の美しい鳥が飼われることはあったが、大衆のものではなかったようだ。一般には野生の鳥をみて癒される人も多かったにちがいない。
 わが町には、白鷺が多くいる。実に優雅な美しい鳥である。街から少し離れたところに「鷺屋」という地名の集落がある。田園のなかに20軒ほどの家がポツリポツリとある。いずれも居久根が家を囲んでいるが、夕方になると、それらの木々が真っ白になるほどに鷺たちが止まって眠りにつくのである。川や田で小魚やドジョウを食べているが、昔からそんなに増えても、減ってもいないようだ。穀物を食べることはないので大切にされてきたようだ。
 これにくらべて最近困ったのは、アオサギという大型の鳥が増えてきたことだ。食い物が乏しくなると街にやってくる。我が家の池に降り立ち金魚を数十匹もやられてしまった。まさしく”害鳥”ではないのかと思うのだが、保護鳥に指定されているので、勝手に捕獲はできない。困りごとの一つである。
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by watari41 | 2004-08-27 20:02 | Comments(2)

余命(3)

 ほとんどの人は、日常的には死を意識することなく過ごしている。そんなに長くは生きられないものだとは思いつつも、差し迫ったこととしては、なかなか捉えられはていない。昔から十二分に生きてさえおれば、死はいつきてもよいのだというのだが。
 徒然草に面白い一節がある。(93段より)
 「されば人、死を憎まず生を愛すべし。存命の喜び日々にこれ楽しまざらんや。愚かなる人、この喜びを忘れて、いたずらに外の楽しみを求めて、この財(生きる喜び)を忘れて、危うく他の財(下らない事)を貧るには、志、満つことなし(志がかなうことはない)。生ける間、生を楽しまずして、死に臨みて、死を恐れば、この理あるばからず(理屈にあわないことだ)。人皆な生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近きことを忘るるなり。もしまた生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりというべし(生死を超越したところで真理が見えてくる)。」
 原文を読めるわけがないので、上記は中野孝次さんの著書よりの引用で、それでも意味のわからないところがあるのでカッコ内は、私の勝手な解釈である。何となくは作者の言わんとするところがわかる。
 明確に先のことを意識しなさいということで、現代では病気になるのはむしろ望ましいことだともいう。癌なども、絶望的なのかどうかはわからないにしても、数年の余命はあり、人生の締めくくりとしては十分な時間であり、その間に喜びの日々を作ることもできるという。
 いにしえの方々のような賢人にはなれそうもないが、その精神だけは汲み取りたいものである。
 
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by watari41 | 2004-08-26 15:07 | Comments(2)

余命(2)

 インターネットは、闘病生活を大きく変えている。私の病気は同年代の方々が多く罹病しているが、積極的に闘病記を発表されている方々がいて、優れた内容のものも十指に余る。発見されるいきさつから、手術とその後など、どんな経過を辿るのかなど、病気に関するどんな専門書を読むよりも、患者本人の記述なので、これ以上に参考になるものはない。
 記載者各人の病状にも違いがあるので、自分のことと照らし合わせて、今後どのようになっていくのかの予測がつき、亡くなる方もいるので余命の判断もつく。
 優れたHP(ホームページ)には、開設数年でいずれも数十万人からの訪問者がいて、いかにこの病気で悩み、その関連の知識を得ようとしているのかが伺える。
 その掲示板には、若い女性が数多く登場するので、はじめは不思議な感じがした。男子専科の病気だからである。よく読むと患者の娘さん達である。私らの年代ではパソコンに触れていない方々が過半数であろう。父親に代わって娘が情報を求めてきている。 「腺友の娘同士」だとして、大いに盛り上がっている。
 前立腺は、消化器、循環器系などとは違って、他の臓器からは独立しいる。従ってガンとはいっても、転移をしてなければ命には別状がないというのだが、これも時間が経過してみないとわからないようだ。
 前立腺の機能説明を聞いて、パソコンだとプリンターに相当すると思ったものである。中枢からの指令を受けて、噴出する液体の制御をするインク壷みたいなものだ。交換時にホルダーを外すと、細かい配線に驚くが、前立腺も似たようなもので、神経が集中しており、手術はやっかいだということである。
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by watari41 | 2004-08-24 16:25 | Comments(0)

余命(1)

 60才台も半ば近くになると、余命はどう考えても、たかだか20年程度でしかないのだが、感覚的にはまだ無限の長さがあるような気がしていた。しかし、有限であることをいささか思い知らされる出来事があった。
 健診にて前立腺癌が見つかったのである。天皇の発病以来、有名になった病気である。現代医学は血液検査でこのガンを発見してしまう。前立腺がつくる特殊な蛋白質を血液から測定するのだという。ナノグラム(10億分の一)の精度で判定できるというのである。
 ガンが見つかったからには、手術をして切り取ってもらうことを選んだ。今年(2004)2月に施術した。かなり進行していたらしく、7時間もかかったということである。後で臓器をスライスした断面写真を見せられたが、全面これガンというもので驚いてしまった。手遅れの寸前だったらしい。
 術後も順調ではなく、一時は血圧が極端に下がり、意識も朦朧として、あわやという場面もあった。しかし今の医学は患者に躊躇させることをしない。大手術後にもかかわらず、どんどん歩いて運動してくれ、食事も普通にというのである。昔なら安静第一にということだったのではなかろうか。
 3週間でもう退院をしてくれというのである。治療をすることがなくなれば病院にいる意味がないというのです。静養なら自宅でよいというのです。早く社会生活に復帰しなさいというのですから、これまで病気に対して抱いていたイメージとはまったく異なることで、あまりクヨクヨしてもはじまらないということのようです。
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by watari41 | 2004-08-23 09:54 | Comments(5)

ミロのビーナス

 40年前になるが、ミロのビーナスをみたことが忘れられない。先日NHKでルーブル美術館特集をやっていたが、昭和39年に日本に貸し出された時の模様も放送された。京都は岡崎の美術館で2時間もの待ち時間の末にやっと入った。広い体育館のような会場に一体だけが特別展示してあったが、その美しさに見とれたものである。
 当時は日本に有名美術品がくると、上野の博物館と京都での展示が常だった。偶然にも大阪に住んでいたので、見ることができたのである。
 先日の番組では、興味あることも紹介されていた。それは、人間が美しいと感じられるのには、一つの法則があって「1:1.6」の比率が保たれていると、均整のとれた美を感ずるのだという。ミロのビーナスも、バストとヒップの比率その他、上半身、下半身のあらゆるところにこの数値があてはまるというのである。
 エジプトのピラミッドなども、底辺と高さの比がそうようになっているそうだ。人間は古代からそのことに気がついていたということである。
 おそらくは、富士山も計測すれば、そのような数字が出てくるのだろうと思ったものである。国宝の仏像なども、そんな法則が適用されるのであろう。先ごろ仙台博物館に展示された鑑真和上坐像なども、そんな気がしてきた。科学というほどのことでもないのだろうが、近代人がこのようなことに気がついたのは、やはり科学する目があったからのことだろうと思うのである。
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by watari41 | 2004-08-20 16:22 | Comments(5)

理数科離れ

  「sin(サイン)、cos(コサイン)眺むれば、tan(タンジェント:端然)として涙流るる」、こんな川柳もあるくらいだから、昔から数学を苦手としていた人は多かったにちがいない。子供の理数科離れがいわれて久しいが、大人の科学離れも問題であるということだ。
 科学的知識への理解は、個人の健康管理にも役立ち、インチキ科学にもダマサレなくなるという、文科省科学技術政策研究所の報告があるそうだ。
 最先端の科学研究と、一般人とのギャップを埋めるために、これらを平易に解説できるサイエンスコミニュケーターが必要だと文部科学白書がうたったということである。
 大学や国の機関である各種の最先端研究所と、一般社会との交流が必要であると気がついたということだ。コミュニケーターの候補としては、当面は博物館の職員などが当てられるという。ゆくゆくはそのための人材育成もおこなうということのようである。結構なことだと思う。将来はIT講習みたいに、科学技術無料講習でもおこなわれるのだろうか。
 「サイエンス・コミュニケーション」というNPOも設立され、メルマガも検討されているそうだ。
 日本人の科学に対する関心は、必ずしも低くはなく、「天才物理学者ホーキングの宇宙を語る」が大ベストセラーになったことがあった。氏曰く「著書に数式が一つ増える毎に読者は半分づつ減っていくことを経験した」ということで、数式の一つも無い本だったが、かえって理解しづらくなった。ほとんどの読者は、半分も読まずに放棄してしまったと思う。多少とも知識のある人は、数式のある方が理解しやすいこともある。「サイエンス・コミュニケーション」とは結構難しいものである。
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by watari41 | 2004-08-19 15:32 | Comments(3)

名水

 コンビニなどで販売されている「名水」はあまりにも高価ではなかろうか。牛乳に近い価格である。たかが水でしかないのに、どうしてだろうと思う。ここ20年くらいの現象ではないのだろうか。
 日本では本来、水はどこにでもあり、タダで飲ませてくれるものだった。今だって大概はそうである。「名水」は何がちがうのだろうかと思う。私の住む近くにも「名水」はたくさんある。あまり近いと、ありがたみがないので、遠くはないが福島県新地町の3大清水といわれるものを汲みにでかける。そこでは、きちんとした成分表が掲示されている。仙台の人たちはこの町のものでも、ありがたがって汲んでいくようだ。
 宮城県山元町の峠にある「名水」が最も良いようだが、出が悪くて夜中でも長蛇の列のようだ。
 「蔵王百名水」などと称される如く名水は至るところにある。いずれも無料なのだが、店に並ぶとどうして高くなってしまうのだろうか。運送費しかないはずなのに。
 水に対して、最近の日本人は一種の信仰みたいなものが出てきているようだ。
 温泉に行って、水道水を沸かしたものとも知らずに、長年の間、入湯していた人がいるように、「名水」に水道水とか、わけのわからないものを入れてあっても、見分けのつく人はどれほどいるのだろうかと思う。

 話は異なるが、イラクで自衛隊が飲料水を作っているが、これなども日本からマンモスタンカーで運んだら、きわめて安いのではなかろうかと思う。石油の方が「名水」よりはるかに安いのだから、運賃などはそれこそいくらもかかっていないはずだ。
 
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by watari41 | 2004-08-17 20:10 | Comments(2)

磁石とIT

 昔から磁石の強力な力は、それを回転力とするモーター、直線運動にするリニアモーターなどに利用されているが、最近ではVCM(ボイスコイルモーター)といって、HD(ハードディスク)のランダムアクセスには欠かせないデバイスとして膨大な数量が使われております。
 DVD、IPOTなどの高密度記録にはHDが搭載されており、従来では考えられない小型の高機能機器ができています。3昔前のHDは、大型コンピュータ用が主体で図体が大きく、容量も小さなものでした。2昔前にはパソコンに搭載されたものの、数MB程度のごく少容量のものでしかありませんでした。当時を知っている者として現在のような機器ができるとは夢のようなことです。
 この陰には、磁石の高性能化があります。VCMの超小型化が実現し、夢のような機器が出現するにいたっているのです。これからも驚くべきものが開発される可能性が大きいといえます。
 磁石は、その粉末が磁気テープや磁気カードの記録用に利用されてきていたが、その容量は、現在の最新機器からみるとまことに小さいものであるが、一つの時代を担ったことは確かである。
 新しい機器の時代は、いずれまた次の世代へと替わっていくはずであるが、磁気はどういうかかわりかたをするのかと遠い将来のことへと想いをはせるのである。
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by watari41 | 2004-08-16 21:16 | Comments(2)