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余日録


by watari41

戦国ファンド

 歴史の謎に挑戦した意欲的な小説が、最近よく出ている。「信長の棺」とか、「利休にたずねよ」山本兼一著などである。斬新な発想で面白い。

 「利休」が秀吉から切腹を命ぜられた理由は謎であった。「利休にたずねよ」もその答えを出そうとしているが、私なりの感想を記しておきたいと思う。利休は実に魅力的な人物として描かれている。当時天才的大芸術家だったのである。「侘び茶」というのを見事に表現している。日本美の極地を追い求めた人でもあったのだろう。いうなれば日本のレオナルドダビンチだったのかもしれない。
さらなる利休の凄さは、経済活動にもおよんでいる。それまで価値を認められていなかった、茶道具に万金の値をつけて物議をかもしたりしている。しかし、そんな高価で取引され、さらに高値を呼んだりすると、これは現代でいう「茶道具ファンド」ということになる。
 事実、利休はそれにて、莫大な利益を上げて、京都大徳寺に巨額の寄付をしているのである。
  興味深いことがある。後年になって、彼の本来の名前である「千 宗易」を、その茶に関する功績から、朝廷は勅号を与えて「千 利休」と改めたのだが、名前の選定者が面白い。大徳寺筆頭の古渓宗陳なのである。「利を休め」というような意味なのだ。
 大徳寺側でも利休に何らかの危なっかしさを感じていたのだろう。

 織田信長が、安土に楽市楽座をはじめた。戦国時代に市場経済を創設したのだから先見の明がある。さらに秀吉はこれを発展さた。あっという間に「ファンド」まがいのものまで出来てしまったのだろう。さらなる値上がりを見込んで「債権化」しようとしていたのかもしれない。
 最初に、これに異をとなえたのが、石田三成ではなかったのだろうか、戦国経済がメチャクチャになってしまうと思ったからではなのだろうか。秀吉への讒言ということになったのだろう。

 何百年かの時を経て、テレビの鑑定団に「利休の茶杓」というものがでてきた。我々には単なる竹細工にしか過ぎないものが、2千万円という値がついていた。

 アメリカでは、リーマンブラザースが巧みな債権処理で世界経済を崩壊の淵まで追い込んだ。だれも止めることができなかったのだという。目の釣りあがったあのCEOの顔が、人類社会のたどり着いた一つの顔面なのだろうと思っている。
Commented by schmidt at 2009-04-30 15:13 x
「利休にたずねよ」はかなり難しい小説だなあと感じました。読み終えて、利休像の一つにならないのです。時間を遡る手法と読み手の感じ方がうまく一致しないかもしれません。利休は「侘び」の極致と考える茶器に大きな貨幣価値を認めます。自分の審美のメルクマールとして貨幣を認めていたふしがあるように描かれています。美を認め愛する気持ちと貨幣経済の極みが同居する姿が、本当にほんものなのかどうか、よく分かりません。かといって権力者あるいはそれにへつらう者たちが、人間攻撃の材料として口にする「けしからん」はまた一緒にはなりたくないのです。やはり難しい作品でした。
Commented by ようこ at 2009-04-30 20:57 x
「茶道具ファンド」とは、面白い表現ですね。
2千万円の茶杓の価値は、まったくわかりません。

現代絵画の中にも、それほどいいと思わないのに高値がついているものがあります。
私に絵画の価値を見る目がないのかも知れませんが、どうも「現代絵画ファンド」に思えてきました。
Commented by watari41 at 2009-04-30 20:58 x
面白い試みの小説だと思いました。時間を遡る手法はなるほど思ったものです。作者は利休をかなり理想化しすぎているとも感じたものです。利休の美に対することはやや極端にも書きすぎているような気がいたしますが。
秀吉に慇懃無礼に頭を下げているが内心では軽蔑しているであろう利休と同様な場面をテレビでみることがあります。総務大臣の指摘に、無表情で深々と頭を下げている郵貯社長の姿です。
400年が過ぎても、似たような光景があるものですね。schmidt さん、コメントをありがとうございました。
Commented by watari41 at 2009-04-30 21:07 x
利休が削った茶杓なんですね。2600万円とか。小説のなかでは、茶杓の節の位置をどこにおくかで、極端にバランスが異なり、絶妙なる位置がある。それで、全く異なる美になってしまうとか。我々は目でみても区別がつかないんでしょうね。それを表現した文章でのみ理解できる。おかしなことですが。
ようこさん、コメントをありがとうございました。
Commented by moai at 2009-05-01 09:36 x
秀吉と利休の関係はドラマなどで断片的に知るのみですが、偉大な文化人であるはずの利休にもそんな俗物的側面があったからこそ、軽蔑と恨みの関係に陥ったのかも知れませんね。総務大臣と西川社長の映像に重なったとは、実に面白いお話です。言われてみればよくわかります。
Commented by クォリア at 2009-05-01 09:55 x
お茶の作法は日本の美であると聞いたことがありますが利休のお茶が美味しいのではなくお茶を作るまでの動作や客をもてなす言動にあるような気がします。お茶ができるまでの一連の工程が美術的で同じお茶でも美味しくなるのではとも思ったりしています。
Commented by watari41 at 2009-05-01 16:52 x
日本の頂点に立ったと思っていた秀吉が、脇を見ると文化の頂点に立つ利休がいて、それは堺商人の頂点にもいて、自分の財政的基盤も危ういと感じたのかも知れないと思っているんです。moaiさんコメントをありがとうございます。

流れるようなお茶の作法は素人の我々が見ても美しいものです。すべてはもてなし方なんですね。クオリアさんコメントをありがとうございました。
by watari41 | 2009-04-30 14:53 | Comments(7)