オマケの回想
2008年 02月 10日
カバヤのキャラメルのことを思い出した。昭和25年頃のことだから古い話である。当時の子供の人気商品だった。赤いキャラメル箱を60代後半の方なら誰でも憶えていることだろう。オマケが魅力だったのである。その後、グリコでもオマケがついたものを発売した。
小学生向けの月刊誌にも付録という形でのオマケが付き始めたのである。今月号の付録はなんだろうと、そちらに興味がいったものである。正月号などは、本誌の何倍ものボリュームがある付録がついていたものだった。当時は、まさにオマケで雑誌社が販売の勝負をしていた感があった。
アイスキャンディーを食べると「当たり」と焼印の押しているものがあった。もう一本がタダでもらえるのである。これも懐かしい回想なのである。20本に一本くらいの割合で入っていた。すなわち5%引きなのであるが、そんな値引きよりもタダのものが入っているほうがはるかに嬉しい。オマケの妙である。
オマケで合格点をもらったとか、様々なオマケが去来する。
私が生きているのは、オマケみたいなものだという人がいる。大病をした方々などである。
我々、70歳に近くなったものは交響曲でいうと第四楽章すなわち最終章に入ったことになろう。拍手を浴びてアンコールのオマケでも、もらえたら幸いなことである。
オマケの人生どころか、第二楽章あたりの「未完成」で終わった人も多い。音楽家では滝廉太郎、シューベルト、モーツアルトなどだろう。それでいて歴史に燦然と輝いている。いろんな分野の天才に寿命のオマケを与えてくれないのだから皮肉なことである。
この頃は、自分にご褒美を上げたいなどという言葉がはやっている。自らにオマケをやるということだが、やや不遜なことのようにも思う。オマケは他者から、あるいは天からの贈りものなのだろう。努力した者のみに与えられるとなってほしいものだ。
小学生向けの月刊誌にも付録という形でのオマケが付き始めたのである。今月号の付録はなんだろうと、そちらに興味がいったものである。正月号などは、本誌の何倍ものボリュームがある付録がついていたものだった。当時は、まさにオマケで雑誌社が販売の勝負をしていた感があった。
アイスキャンディーを食べると「当たり」と焼印の押しているものがあった。もう一本がタダでもらえるのである。これも懐かしい回想なのである。20本に一本くらいの割合で入っていた。すなわち5%引きなのであるが、そんな値引きよりもタダのものが入っているほうがはるかに嬉しい。オマケの妙である。
オマケで合格点をもらったとか、様々なオマケが去来する。
私が生きているのは、オマケみたいなものだという人がいる。大病をした方々などである。
我々、70歳に近くなったものは交響曲でいうと第四楽章すなわち最終章に入ったことになろう。拍手を浴びてアンコールのオマケでも、もらえたら幸いなことである。
オマケの人生どころか、第二楽章あたりの「未完成」で終わった人も多い。音楽家では滝廉太郎、シューベルト、モーツアルトなどだろう。それでいて歴史に燦然と輝いている。いろんな分野の天才に寿命のオマケを与えてくれないのだから皮肉なことである。
この頃は、自分にご褒美を上げたいなどという言葉がはやっている。自らにオマケをやるということだが、やや不遜なことのようにも思う。オマケは他者から、あるいは天からの贈りものなのだろう。努力した者のみに与えられるとなってほしいものだ。
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ようこ
at 2008-02-10 20:56
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私はグリコのおまけのことは覚えています。
若い時は、おまけが嬉しかったものですが、中年になると使わないようなおまけをいただくのは、ゴミが増えるだけなので、無駄なものを配るより、価格でサービスして欲しいと思うようになったものです。オマケが欲しくて品物を買ったりしない、カワユクないオバサンになりました。
アララ!「自分にご褒美をあける」とは、中年を過ぎたころから気楽に使うようになりました。思い起こせば、いろいろなことがあったなあと、人生の苦労を思い出すと、今の幸せを感謝すると同時に自分をほめてあげたい気になることがあります。
若い時は、おまけが嬉しかったものですが、中年になると使わないようなおまけをいただくのは、ゴミが増えるだけなので、無駄なものを配るより、価格でサービスして欲しいと思うようになったものです。オマケが欲しくて品物を買ったりしない、カワユクないオバサンになりました。
アララ!「自分にご褒美をあける」とは、中年を過ぎたころから気楽に使うようになりました。思い起こせば、いろいろなことがあったなあと、人生の苦労を思い出すと、今の幸せを感謝すると同時に自分をほめてあげたい気になることがあります。
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schmidt
at 2008-02-10 22:10
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正月号の付録で「東京タワー」を組み立てたのを覚えています。紙製ですけど。「東京」は別世界でした。
小学2年のころ、近所の雑貨屋でミルクたっぷりの棒飴を勝ったら「当たり」でした。もう1本もらったらそれもまた「当たり」。3本目も「当たり」で、その次も、その次も・・。結局、わたしには12本の棒飴をもらって家に帰ったのでした。店のおばさんはなぜ「当たりは1本だけよ」と言わなかったのでしょう。人間がとても優しかった昭和30年代の話。あれは確かに奇跡でした。
小学2年のころ、近所の雑貨屋でミルクたっぷりの棒飴を勝ったら「当たり」でした。もう1本もらったらそれもまた「当たり」。3本目も「当たり」で、その次も、その次も・・。結局、わたしには12本の棒飴をもらって家に帰ったのでした。店のおばさんはなぜ「当たりは1本だけよ」と言わなかったのでしょう。人間がとても優しかった昭和30年代の話。あれは確かに奇跡でした。
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watari41 at 2008-02-11 18:58
自分を褒めたい、そうですか。ようこさんにそんなご苦労があったとは知りませんでした。
品物がもう欲しくないはその通りですね。だがもう少し年輩のオバサマ方は、ハイハイ商法というのに引っかかってしまうんですね。オマケで引っ張っていくやり方なんですね。一種の詐欺なのですが、オマケというのは、嬉しいと同時に人を興奮させてしまうものでもあるんですね。コメントをありがとうございました。
schmidt さんの奇跡は面白いですね。恐らくは「当たり」をまとめておいてあったものを、次々ともらったのでしょうね。
はずれても、それは当然と思うのですが、当たりが続くと奇跡となり、ましてや子供だったら興奮してしまいますね。珍しい体験をしたものですね。
そういえば、付録は紙の組み立て品が多かったですね。それでも喜んだものでした。コメントをありがとうございました。
品物がもう欲しくないはその通りですね。だがもう少し年輩のオバサマ方は、ハイハイ商法というのに引っかかってしまうんですね。オマケで引っ張っていくやり方なんですね。一種の詐欺なのですが、オマケというのは、嬉しいと同時に人を興奮させてしまうものでもあるんですね。コメントをありがとうございました。
schmidt さんの奇跡は面白いですね。恐らくは「当たり」をまとめておいてあったものを、次々ともらったのでしょうね。
はずれても、それは当然と思うのですが、当たりが続くと奇跡となり、ましてや子供だったら興奮してしまいますね。珍しい体験をしたものですね。
そういえば、付録は紙の組み立て品が多かったですね。それでも喜んだものでした。コメントをありがとうございました。
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schmidt
at 2008-02-12 09:43
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おまけの飴の続き。
12本の飴を持って意気揚々と帰宅すると母親がいの一番に取り上げました。「子どもがこんなに甘いものを一度に食べるもんじゃない」と。
かくして「奇跡」の配分は、本来何の権利もない弟にまでもたらされました。「おやつ」として。まったくのところ不本意でした。
12本の飴を持って意気揚々と帰宅すると母親がいの一番に取り上げました。「子どもがこんなに甘いものを一度に食べるもんじゃない」と。
かくして「奇跡」の配分は、本来何の権利もない弟にまでもたらされました。「おやつ」として。まったくのところ不本意でした。
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watari41
at 2008-02-12 14:02
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虫歯になる子は少なかったですよね。甘いものは今みたいになかったですね。 schmidt さん、12本も持っていりゃ、それはそうですね。歯医者さんは、昭和20年代は、この町に1軒しかなかったんです。それが今や10軒もあるんです。甘さが溢れている現代でもあるんでしょうね。再度のコメントをありがとうございました。
by watari41
| 2008-02-10 15:43
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