郷土の歴史(2)
2004年 07月 13日
明治維新の時に、わが町から3千人もの人たちが北海道に新天地を求めて移住した。戊辰戦争で伊達仙台藩は賊軍となり、その支藩であった2万石余を有する、この城下の侍達も身の振り方を決めなければならなかった。その時に殿様をはじめとして、家中は挙げて北海道の原野を開拓する道を選んだのである。
百姓となって農業をやるなら、このあたりには当時はまだまだ未開の原野みたいなところはたくさんあったはずである。何故だろうという疑問があった。北海道に移住した藩はいくつかあるが、これほど大掛かりなものはない。
その解答がみつかったと思ったのは、移住した人の子孫の書いた本にあった。最大の理由は「士族」の身分を保証するということにあったようだ。当時にあっては武士の誇りは何物にもかえがたかったようだ。
艱難辛苦の末に開拓が成功して、現在の伊達市が生まれた。だが士族の称号は明治の中期にはなくなってしまっているようだ。
移住した人たちは、郷里に限りない愛着をいだいているという。わが町の私よりやや上の年代の方であるが、昭和20年代に仙台の高校野球部が札幌に遠征したことがあったそうだが、Kさんという珍しい苗字だったこともあるのだが、一人の関係者が近づいてきて、郷里の方ではないのかと尋ねられたそうで、そうですと言ったところ大変に懐かしがられ、いろいろと様子を聞かれたとか。
しかし、この人は移住者の子か孫のはずだが、ふる里の話を子供の時から繰り返し聞かせられていたのであろう思う。
百姓となって農業をやるなら、このあたりには当時はまだまだ未開の原野みたいなところはたくさんあったはずである。何故だろうという疑問があった。北海道に移住した藩はいくつかあるが、これほど大掛かりなものはない。
その解答がみつかったと思ったのは、移住した人の子孫の書いた本にあった。最大の理由は「士族」の身分を保証するということにあったようだ。当時にあっては武士の誇りは何物にもかえがたかったようだ。
艱難辛苦の末に開拓が成功して、現在の伊達市が生まれた。だが士族の称号は明治の中期にはなくなってしまっているようだ。
移住した人たちは、郷里に限りない愛着をいだいているという。わが町の私よりやや上の年代の方であるが、昭和20年代に仙台の高校野球部が札幌に遠征したことがあったそうだが、Kさんという珍しい苗字だったこともあるのだが、一人の関係者が近づいてきて、郷里の方ではないのかと尋ねられたそうで、そうですと言ったところ大変に懐かしがられ、いろいろと様子を聞かれたとか。
しかし、この人は移住者の子か孫のはずだが、ふる里の話を子供の時から繰り返し聞かせられていたのであろう思う。
by watari41
| 2004-07-13 13:09
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