人気ブログランキング | 話題のタグを見る

余日録


by watari41

追憶(3)

 妻を『偲ぶ会』という席を持った。通常の葬儀行為をしなかったので、火葬後に町内会、親戚、知人・友人など妻にゆかりのあった60名ほどの方々にお集まりをいただいた。
 その人たちの中に妻が学校を卒業後に就職した職場の方々にも出席してもらった。新入当時の思いで話しをしていただいた。もう80歳を超えている当時の上司の方が、妻の母親も和服姿で遠路同行してご挨拶に来られたことを憶えておりますと言われた。

 妻の実家は隣県なのである。仙台の学校へ2時間以上も列車に乗って通学していた。ミッション系の学校ながら栄養士のコースに進んだので、我が町にある県の出先機関に就職したのであった。農家のお嫁さん、おばさん方に生活改善を指導するという仕事であった。昭和40年代は、まだそんなことを必要とする時代だったのである。
 身近な食材で短時間に作れて栄養価の高い料理を教えるとか、保存の仕方、例えばタケノコの瓶詰めなどを得意としていた。職に就くと直ぐに中古車を購入し機動力を発揮したのである。気さくな人柄もあって後々まで先生と慕われていたところがあった。

 そんな中の、おばさんの一人が、我が家の嫁にどうかと私の母親に紹介したのである。母は妻を大変に気に入って是非にということになり、嫁いできたという経緯がある。その母も62歳で亡くなったので、2年ほどしか一緒には暮らさなかった。母から見ると私は頼りなくみえたのであろう、妻に後事を託したようなところがある。

 妻は、17年間その職についていた。私の最初の単身赴任をきっかけとして退職した。辞める時に退職金と共に共済年金の積み立てた分を、一時金でもらうか、後になって年金としてもらうかの選択があり、妻は年金の方を選んで基金として残したのである。
 それを貰うことを大きな楽しみにしていた。62歳になると満額支給となる。その最初の支給日が2月15日だったのである。
 地方職員共済組合に亡くなったことを知らせたら、ガックリするようなことを言われてしまった。ご主人が厚生年金をもらっているのでしたら、奥様が昔に残してある基金とその後の利息なども含めて全て没収されることになりますという話なのである。遺族に残るものは何もありませんと。そのように法律が変ってしまったのだという。
 踏んだりけったりとは、こんなことをいうのだろう。妻は少なくとも基金分だけは私に戻るはずだと思っていたのである。こんな電話でのやりとりで、また疲れがふきだしてしまった。
Commented by imaizumi at 2007-02-26 08:33 x
奥様の折角のご遺産が没になるとは!ショックですねえ。金より奥様のご意志を無残に踏み潰したことに対する怒り!行政感覚の典型です。
 でもwatari41さん、奥様はもっともっと大きな遺産を残されました。
奥様の徳目がやがて有形無形の莫大な遺産として必ず現れてくること間違いありません。信じてください。
Commented by カメチャン at 2007-02-26 14:43 x
WATARIさんの愛情溢れる追憶の文章から、今までお会いしたことが無い奥様の素敵だった一端がよく分りました。良い奥様だったのですね。年金の問題もルールとは言え無情なことですね。でも、素敵な奥様との思い出の方がWATARIさんにとってずっとずっと大きな財産ですね。いま、WATARIさんが素晴らしい友達に囲まれていることも、奥様があなたに残された素晴らしい贈り物かも知れませんね。
Commented by watari41 at 2007-02-28 16:09 x
 無形の財産ということもありますね。カメチャン、 imaizumi さんコメントをありがとうございます。今はわずかに残った有形財産の手続きで大変な目に会っているのですが、次回に書くことと致します。
by watari41 | 2007-02-24 17:29 | Comments(3)