追憶(2)

 ふり返ってみると、私の在職最後の東京単身赴任の頃が、我が家は最も困難で苦しかった。2人の息子がそれぞれに首都圏の大学に入り、5人家族が4世帯になったのである。「火の車」などという表現を通り越した時代だった。何とか、かんとか凌いでもらったのである。

 車の運転を苦にしなかった妻は、娘一人を自宅に残して300kmの道のりを東京までやってくるのである。互いに離れている3軒のアパートを巡って帰っていく。こんなことを何度繰り返したことであろうか。6号線から入る東京湾岸道路などは通い慣れた道だったのであろう。病床でテレビに湾岸の風景が出てくると懐かしそうに眺めていたものである。

 東京の我々男子もそれなりの努力をした。当時発刊されていた『一ヶ月を9千円で暮らす法』という本を、3人共に別々の本屋で立ち読みをしていたのである。干物を中心としたもので栄養なども問題ないというものだった。子供の一人はある期間を実践したようだ。

 車好きだった妻は、今から一年前になる入院を機会に私が引き継いだ時には数年間の乗車で10万kmを超えていた。
 また、事務処理能力にも長けていたので、私はほとんど家事関連の書類に触れたことがなかったのである。今になって現実の問題が確定申告である。恥ずかしながら最初のことなのである。末期の病床にあっても比較的状態が良かったので、今年も頼もうなどと呑気に構えていたのである。几帳面な性格なので、亡くなるほんの少し前の1月18日までは、日誌をつけていたのである。それも時間毎に、誰が来て、どんな薬を飲んだとかいう詳細なものだった。19日からはノートのページ毎に、日にちのみが書き込んである白紙が延々と続いている。しばらくは大丈夫なつもりでいたのである。

 これから遺品を整理する毎に、いろんなものが出てくるのであろう。その都度にまた回想してしまうというようなことになるのだろうと思う。こんなことを書いているのも自らの慰めのひとつなのかもしれない。
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Commented by schmidt at 2007-02-19 10:12 x
 奥様の人となりがよく伝わってきます。わたしのような世代でも、いくぶんかは共通するものを感じます。一字一句がわたしの心の中にしみとおるようです。感謝申し上げます。
Commented by michiko at 2007-02-20 21:40 x
車の運転も得意だった奥様だったのですねぇ。
家の中の物すべてに奥様との生活の思い出があって何をご覧になってもお元気だった姿を思い出していらっしゃることでしょう。
お察しいたします。
Commented by imaizumi at 2007-02-21 08:39 x
才女にして良妻賢母の愛妻を亡くされたWtariさんは片肺飛行の苦難を味わっていられることと思います。
自分がその立ち場になったらと想像はしましても到底限界があります。
その意味でWtariさんが追憶で詳しく体験を記述して下さればまたとない貴重な人生マニュアルになると思います。
Commented by watari41 at 2007-02-22 16:27 x
 まだまだ、いろんなことが忙しくて手が回りませんが、徐々に思い出したことなどを記載してゆきたいと思っております。
 schmidt さん、michikoさん、imaizumi さんコメントをいただきありがとうございました。
by watari41 | 2007-02-19 08:46 | Comments(4)