あれから6年

 6年間というのは、長いようで過ぎてみると短いような気もする。
 漁港近くに住んでいた同級生K君は、介護度5の判定を受けて施設に入った。

 その時、2013.3.11には、彼は奥さんと出かけていて津波を見ていない。自宅は根こそぎ流され、跡かたもなくなった。実感が持てないんだよと何度も言っていた。街中の親戚の好意があって、避難所も仮設住宅も殆ど経験することなく、その点は幸運であった。

 だがショックは大きかったのだと思う。1年ほどが過ぎて軽い脳梗塞に罹った。治ったものの認知症ぎみとなってしまったのである。
 以降、ほとんど外出もしなくなってしまい昨年容態が悪化して、最悪の介護状態に至ってしまったのである。
 年令に不足はない歳といえばそうであるが、10年は早かったように思う。

 今年も追悼式典への案内状がきている。
 「震災格差」ともいうべきものがあるように思っている。もともと存在した格差がさらに拡大した。貧しきものはさらに貧しく。富者はこれを機会にさらに財を増やした人もいる。

 復興が進んでいると言われる。
 新たに開通した高架鉄道線路、駅前に広がる新規な街並み、これから大発展を遂げる東京郊外の私鉄沿線の如き姿で出現したのが宮城県山元町である。残念ながら時代が半世紀ずれてしまった。年寄りの比率がきわめて大きく、この6年間に人口の20%が減じている。

 町が目指している姿とは異なるのだろうが、高齢化社会のモデル地区が出来るのかもしれない期待がある。


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by watari41 | 2017-03-09 17:37 | Comments(0)