人間の純度

 先日、詩人「中原中也」の番組を見ていたら、コメンテータが「純度の高い人」であったからこそ百年後の現代人の心にも響くと話していた。
 「人間の純度」という表現に新鮮な驚きを感じた。純粋な人間というのは稀にいる。こんな人は周囲と妥協できず、どちらかと言えば孤立しがちだ。
 喜びを率直に表しすぎ、悲しさを最後の最後まで訴えるからである。
 純粋さと同時に発想力や表現力を兼ね備えていなければ、後世には忘れ去られてしまう。

 弘法大師空海は、後継者と頼む若い弟子に先立たれた。その追悼に「悲しいかな」ああ「悲しいかな」と繰り返し繰り返し書いている。それ以上の表現方法はないのであろう。空海は厳しい修行を行ったとされる。それは「人間の純度」を高めるためのものであったのだろう。
 現在でも、千日回峰とか極限の修行が、人間の不純物を追い出すと考えられているのであろう。生きながらにして仏様になる、即身成仏という言葉がある。僧侶は「悟り」を得た人というが、一般的にはよくわからない。現代風に表現するなら純度100%になったということなのであろう。
 名僧・高僧と言われる方々が到達した境地なのだと考えている。

 この世には筆者などの如き、不純物に満ち満ちた人が大多数派のはずである。
 現代のお寺さんは、便利なことに死ねば誰でも仏様として扱う。つまりは存在が無くいなったのであるから、不純物もまた無くなったのである。
 筆生凡人の極めて乱暴な解釈であるが、当たらずとも遠からずと思っている。
 

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by watari41 | 2017-02-05 15:47 | Comments(0)