破滅と終末

 我々は、破滅とか終末論が大好きである。
 ノストラダムスの大予言から始まった。今世紀になってからは、マヤ文明が作成した暦が切れるので、それがこの世の終わりでもあるというようなことだった。いずれも外れた。
 科学的な根拠など何も無いのだから外れて当然と言えば当然のことである。
 現代文明を持ったはずの人間も、こんな説に一喜一憂しているのだから面白い。

 世界大恐慌も、最初の予測本がでたのが1988年で、本屋さんで毒々しい文字が躍っていたのを記憶している、あれから30年、リーマンショックなどはあったものの、大恐慌と呼べるほどのものではない。
 日本人の破滅好きは、天災があまりにも多すぎたからではなかろうか。火山の爆発、地震、津波など昔の人は原因がわからないものへの恐怖心はすごいものであったろう。いつかはこの世の終わりが来ると思っていたのいちがいない。そんなDNAを我々は引き継いでいる。

 同じ災害大国なのにイタリア人は陽気にみえる。
 宗教的なものが影響しているのだろうとみている。「ヨハネの黙示録」にはこの世の終わりらしきことが書いてあるが、その時期がはっきりしていない。
 お釈迦様も36億年の将来には、そんなこともあるだろうと言っているようだ。
 今から千年前に日本では末法思想が流行した。疫病や怨霊が大流行したである。その時に大活躍した「聖人」といわれる方々が、今も葬式などに行くと名前を聞く、親鸞さんや日蓮さんである。

 韓国ではどういうわけか、大統領が全員次々と破滅している。李承晩大統領の時代から記憶がある。今度の朴大統領でそんなジンクスも終わりなのだろうと思っていたら、やはり破滅しかけている。そんなことを何かの呪いと呼ぶ人々もいるが、どう考えればいいのだろうか。

 人生には必ず終末が存在するが、それも百を超えると目出度いと言われる。
先日、知人の母親が102才で亡くなった。坊主も目出度いことだとおっしゃる。
法号が「鶴松院賀妙・・大姉」2文字は聞き取れなかった。世の中は様々である。
 

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by watari41 | 2016-11-05 17:44 | Comments(0)