ミクロとマクロ
2016年 02月 18日
灯油の価格がどんどん下がっている。我々にとっては想わぬ僥倖である。昨年の半値に近い。ガソリンも下がり、恩恵を受けている日本人は何千万人もいるはずだ。
しかし、日本経済なかんずく世界経済にとっては、きわめてまずいことだとされる。
個人の利益と国家なり企業の利益とが、相反しているのが現在の状況なのである。かつては全体(マクロ)がよくなれば個人(ミクロ)も良くなるものとされてきた。高度経済成長時代にはそんなことが、実現できていたような気がしている。
そんなことが現在でも通用するという前提で、アベノミクスも策定されているようだ。全体をまず良くしましょう。そうすれば個人にも恩恵が回ってくるはずですと。
だが、現実の社会情勢を分析すれば、石油の例を持ち出すまでもなく、かつての時代とは大きく様変わりをしてしまったのである。
そんなことを筆者などが言うまでも無く、政府首脳をはじめ誰だってわかっていたはずなのだが、どうして現在の混乱ともいうべき状況を止められないのだろう。
我々は物価が下がる事は、すべからく良いことだと思っている。それはミクロ的な考えでしかないと言われているのだ。マクロ経済的には、物価上昇率が2%でないとダメとされる。そうでないと日本経済が成り立たないとされる。
どの辺りから、ミクロとマクロが合致しないようになったのだろうか。おそらくはバブル時代が分岐点だったのだろう。それまでは誰もが将来への希望を持っていた。だが、これは極めて稀な時期だったのかもしれない。
人類の歴史をみれば、ミクロとマクロの合致などは有り得なかったと言えるのだろう。
戦前は特にそんな時代だった。国威発揚が優先された、その国民がそんなに貧しいとはと驚かれたらしい。現代の北朝鮮如きである。
今も国民の5%程度の人に富が集中しているとされる。いつの時代、どんな体制でもそんなパーセンテージだったのだと思う。見果てぬ夢をみながら、高度成長という今になると良き時代を懐かしんでいるのである。
しかし、日本経済なかんずく世界経済にとっては、きわめてまずいことだとされる。
個人の利益と国家なり企業の利益とが、相反しているのが現在の状況なのである。かつては全体(マクロ)がよくなれば個人(ミクロ)も良くなるものとされてきた。高度経済成長時代にはそんなことが、実現できていたような気がしている。
そんなことが現在でも通用するという前提で、アベノミクスも策定されているようだ。全体をまず良くしましょう。そうすれば個人にも恩恵が回ってくるはずですと。
だが、現実の社会情勢を分析すれば、石油の例を持ち出すまでもなく、かつての時代とは大きく様変わりをしてしまったのである。
そんなことを筆者などが言うまでも無く、政府首脳をはじめ誰だってわかっていたはずなのだが、どうして現在の混乱ともいうべき状況を止められないのだろう。
我々は物価が下がる事は、すべからく良いことだと思っている。それはミクロ的な考えでしかないと言われているのだ。マクロ経済的には、物価上昇率が2%でないとダメとされる。そうでないと日本経済が成り立たないとされる。
どの辺りから、ミクロとマクロが合致しないようになったのだろうか。おそらくはバブル時代が分岐点だったのだろう。それまでは誰もが将来への希望を持っていた。だが、これは極めて稀な時期だったのかもしれない。
人類の歴史をみれば、ミクロとマクロの合致などは有り得なかったと言えるのだろう。
戦前は特にそんな時代だった。国威発揚が優先された、その国民がそんなに貧しいとはと驚かれたらしい。現代の北朝鮮如きである。
今も国民の5%程度の人に富が集中しているとされる。いつの時代、どんな体制でもそんなパーセンテージだったのだと思う。見果てぬ夢をみながら、高度成長という今になると良き時代を懐かしんでいるのである。
by watari41
| 2016-02-18 18:42
|
Comments(0)