人気ブログランキング | 話題のタグを見る

余日録


by watari41

戦争責任

 戦後60年、未だにその戦争責任が曖昧模糊としたままである。戦勝国による裁判はあるが、日本人自身による裁きも必要な気がしている。

 テレビで靖国神社特集をみながら、日本の戦前戦後が凝縮されているという表現に多くが物語られているようだ。
 戦死した方々は神として祀られるが、その中には南方諸島で作戦上の誤りから何万人もの方々が武器・弾薬も尽きて孤立し、食料もなく戦うことなく餓死した人たちも含まれている。明らかに戦略・戦術上の失敗であり当時の参謀本部には大いなる責任があるはずだ。

 だが戦勝国の裁判では、戦争開始への責任と戦時中の捕虜虐待などへの罪に関するものが問われたのである。
 当然ながら下劣な戦術のお陰で戦勝国を利した当時の作戦課長・部長に関する責任は問われない。このことは日本人自身が問題とすべきだが、戦後ずっと不問にされてきたように思う。

 生還した方が語っているが、餓死した方々を靖国に祀ってすむようなことではなかろうということである。国家につくしたとはいうが、命令によってとんでもない悲惨な戦いをさせられたのである。

 国と国とが交戦状態となれば、どんな殺人も合法化されてしまう。原爆や空襲で何十万人の一般市民を殺しても罪には問われないのである。だが捕虜の殺人は罪になるというのも、国際法とはいえ割り切れないものを覚える。

 また、負け続けていることをひたすら隠して偽りの大本営発表を繰り返していたことにも大いなる戦争責任があると思う。そうすれば3百万人にもおよぶ戦没者の大部分は昭和19年以降なので、その時点で停戦の機運も出てきただろうし最小限の犠牲ですんだのではなかろうか。沖縄の惨劇や広島・長崎もなかったはずである。

 軍や政府の首脳は実態を知っていたはずであり、終戦を遅らせたことへのこれまた不作為の責任があると思う。後世の史家の判断にまかせたいなどという悠長な意見もあるが、それでは遅すぎるのではないか。
Commented by akiyama at 2005-08-17 10:01 x
戦争の責任究明は必要ですが、個人のケースにおいては手遅れと思います。責任者が生存していません。『雲は流れて』の今後の節に書きましたが、あのころの日本人九割の心情は大本営の戦果発表虚偽を作らせるに容易な土壌を作ってあったと思います。もちろん、個個の戦場責任は問われていましたが、あの時局では、大勢に流されて収拾がつかなかったと推察されます。ラバウル司令官だった今村均も戦後は、その罪の償いを自覚した生き様を送っています。また、終戦の数日後、自決でその責を負った武将もたくさんいます。また、その反対の将官もいました。
この難解な課題は、私たちの責務と思います。旧来の左右思想から発言されたものでなく、現在の国際情勢を直視して思索を繰り返している私です。戦艦大和の自爆出撃にいたるまでの経緯に、その苦悩が吉田満氏の体験談に載っていますね…この自殺行為はあえて「新生日本のために……」と…。
 硫黄島、沖縄、南太平洋諸島、インパール、大陸での…戦後のシベリア抑留での犠牲者…軍需工場で爆死した青少年…原爆で…焼夷弾の火災で火あぶりになって…これらの人々の慰霊とは、どうゆうことか…それぞれの感慨は千差万別ですね……
Commented by schmidt at 2005-08-17 10:01 x
 ジャーナリスト辺見庸の「いま、抗暴のときに」を読み返しています。講談社文庫、495円も出ました。
 想像すべきは爆弾の下の風景であり、散乱する死骸である」と辺見は書きます。そうなのだろうと思います。「想像力」はその社会が長い時間をかけて生み出す所産であり、50年、60年という、節目だけの議論では話になりません。
 終戦60年を機に主にテレビメディアで繰り広げられる討論の様子を見ると、互いにこんなに勝手なことを考えているのか、と驚きかつあきれかえります。あの戦争をめぐる責任論、解釈論は多様なのが当たり前で、その多様性をぶつけ合って、何らかの結論を見出せるとはとても思えません。
 過去もさることながら同一の次元で受け止めるべき現代もあります。私自身、辺見のようには徹底できませんが、共感のあり場所としては100%支持できます。自分一人で何ができるかを考え、少しは行動しなければならないのだと改めて感じています。50代も半ばになって、実にお恥ずかしいかぎりです。
Commented by schmidt at 2005-08-18 00:56 x
>あの戦争をめぐる責任論、解釈論は多様なのが当たり前で、その多様性をぶつけ合って、何らかの結論を見出せるとはとても思えません。
 過去もさることながら同一の次元で受け止めるべき現代もあります。


 言葉足らずでした。以下のように訂正します。

 あの戦争をめぐる責任論、解釈論の多様なことに寒気さえ覚えました。背景も事実認識も、立脚点も異なる者同士が勝手に主張し合う様は、何らかの結論を見出せるとはとても思えないほどでした。

 60年を機に過去を考えると同時に同じ次元で受け止めるべき現代もあります。
Commented by watari41 at 2005-08-18 07:52 x
 時代背景というのは重要なポイントですね。akiyamaさんの感覚では当時の90%の日本人の心情が虚偽の大本営発表を作らせたということですか!。そういえば戦後間もなくに一億総懺悔というようなことを言った方がおりましたね。
 この時代の空気というのが、後世の歴史家の測りがたいことなのだろうと思うのです。時代の雰囲気というのは、そこに生きた人のみが知りえることで、時代劇なども、現代人が想像する江戸時代であり実際とは大いに異なるのでしょうね。
 戦中のことも、だんだんとそんなことになってくるのではないのでしょうか。
 当時の責任を感じて戦後もずっと自ら謹慎状態とした海軍の井上大将やakiyamaさんの言われる将軍の方々などもいれば、高位高官にありながら平然としている人など、いつの世も同じですね。

 また、立場が異なるとschmidtさんの言われるように、意見の隔たりが大きく如何ともしがたいことがありますね。
 辺見さんは、ラジカルというのでしょうか、それが現実なのでしょうがストレートな表現のなかに想像をかきたてることをしているようですね。
 いずれにしても歴史から学べとはいうものの、単純なことではないですね。
Commented by akiyama at 2005-08-18 09:27 x
 新聞社の責任も大きいと思います。太平洋戦争に日本民族の意気を一つにして米英国に開戦させたのは、朝日新聞デスクもく寄与していたはずです。敗戦後は総懺悔で左に流れたのも朝日新聞です。
 毎日新聞デスクは立派だったと思います。ミッドウェー、餓島、珊瑚界作戦などの失態を直視して、竹槍訓練を強制した東条内閣に「竹槍より空軍を強化せよ…」という趣旨を大本営にたいして事態の深刻性を新聞に載せたエピソードはジャーナリストの鑑と私は思います。東条の参謀が毎日新聞に記事撤回を求めても、編集長、社長は堂々と「新聞は、海軍のためでもなく陸軍のためでもありません。読者のためにあります」といいました。 しかし、事態は敗戦に向かっていく段階でした。まだ、原爆投下不要論など書きたいのですが…割愛いたします。現在の朝日とNHKの政治欄が、冷静な中道を維持するよう願わずにはおられません。右から左に極端に転向しないで東洋思想の中庸を歩むわけにはいきませんかな……心情、情緒の範囲では誰しも平和維持論一致ですが…現実の世界、政治となると私ごとき詩人気取り(ミミズの詩)では解決できませんな…ともあれ米国から日本の平和維持を祈っています。
Commented by watari41 at 2005-08-18 20:18 x
 マスメディアの限界というのが、いつの時代にもあるのでしょうね。イラクに潜入した個人ジャーナリストが非難を受けていたことがありますが、これは大手メディアが政府と一体となって危険を宣伝しているのであって、報道に携わるものの使命として現場にいく必要があるのであって、自己責任だとか何だとかをマスメディア自体がが言うことはおかしいのだという意見を総合雑誌で実際に現地に行った方の投稿記事で読みました。いつのまにかマスメディアは政府と同じ見解になってしまうのですね。
 戦時中のことはよくわかりませんが、話には聞いていたものの毎日新聞は凄いですね。
 現在の朝日とNHKの対立は不幸なことですね。大メディア同士のいさかいというのは、これを利用しょうとするものにとっては願ってもないことですね。誰か大物の仲介者がでればと思っています。
  akiyamaさん、再度のコメントをありがとうございます。
by watari41 | 2005-08-17 08:46 | Comments(6)