パラオと蔵王

 宮城県側の広大な蔵王高原の一角に「北原尾」地区がある。
 見事な牧場が広がっている。これまで何も知らずに何度も車で走り抜けていた。
 ここが戦後に開拓されたのを知ったのは、つい数日前のことなのだから恥ずかしい。パラオに住んでいたいた人たちが開墾した。終戦後に東北・北海道出身者に雑木の生い茂るこの原野があてがわれた。北のパラオという意味だとは全く存じなかった。苦難の開拓だったと思う。

 戦争によって運命を狂わされた人達は数えきれないほど多い。当時は止める力が無かったのかもしれないが最終的に戦争命令を下したのは昭和天皇である。
 平成天皇が高齢にもかかわらず、慰霊の旅を継続されているのは通常の心理からして当然と言えば当然のことなのかもしれない。そのご心中を察して余りある。旧日本軍・アメリカ軍共に今となっては何の為に戦ったのかということになる。
 ベリリュー島の激戦を知ったのも恥ずかしながら昨年のNHK特集だった。玉砕命令とも言える指令を受けて長期間の戦いを継続出来たのは、ひとえに現地住民の支援があったからだろうと推察している。

 歴史には敗戦後に原野の開拓ありということが多い。明治維新での会津藩の青森県下北半島の開拓は悲惨を極めた。我が町の武士も北海道伊達市を開拓した。

 蔵王高原の冬はことのほか厳しい。雑木を切り倒して根を掘って農地にするなどということは筆者などの想像を超えている。日本人の根性はすさまじいものだ。パラオで生まれ、引揚てきて開拓に従事した現在の農協組合長さんは同じ年齢である。多難な人生であっただろう。スコールの記憶があると語っていた。
 ここから50kmほどの距離がある雪溶けを迎えた蔵王中腹のそのあたりを眺めている。

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by watari41 | 2015-04-09 21:26 | Comments(0)