永仁の壺(1)

 知り合いの女性が陶芸を始めたとは知らなかった。展示会をやるんですという案内をいただいた。小生は陶作を見たところで理解できるセンスは持ち合わせていない。というよりも芸術的感性がもともとゼロなのである。見学したが初心者とその先生の違いがなんとなくわかる程度である。

 関連して思い起こすのが、昭和35年に起きた「永仁の壺」事件である。当時は陶芸界というより社会的大事件として関心が集まり興味を持ったものである。
 この贋作を作った加藤唐九郎は、一躍時の人となり、著名陶芸家への階段を駆け上ることになる。
 偽物を重要文化財にしてしまったのは、政府の文化財保護委員会の小山富士夫である。この人は大変な非難を浴びたのであるが、一切弁明らしいことをせず委員会を即座に辞任して、日本各地の窯を巡り陶作にいそしむことになる。
 事件に関する見方は様々であるが、作家の村松友視(正式には「示に見」だがIME辞書にない)氏が2004年に新潮社から刊行された「永仁の壺」がわかりやすくて面白い。
 
 著者が居酒屋で、偶然に手に取った「ぐい呑み」が出来の良いもので、作者をきいたら「小山富士夫」ということで興味を持ち、種々の偶然も重なり、この事件を調べ始めるキッカケとなる。ところどころにフィクションもあるのだろうが、作家らしい視点からのもので実話である。

 悲劇の人というのは、生涯どこまでもつきまとう。真面目すぎる人にえてして多いものだ。この小山さんも、若くして奥さんを2人も亡くしている。さらには後年にこの「壺」事件に巻き込まれてしまうのである。

 贋作者の唐九郎とは若い頃に同じ陶芸の道で知り合う。知人というより友人に近い関係だった。小山さんは陶芸学者へ、一方の唐九郎は陶芸作家への道を辿るが並々ならぬ野心家だった。結局は唐九郎に騙されてしまうことになる。
 重要文化財に推薦する時に、当の本人に一度確かめているのだと言うのだから、始末の悪い悲劇なのだが、小山さんは騙された自分が悪いと、一言も非難めいたことを言わなかったのだから並みの人間の出来ることではない。

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Commented by schmidt at 2014-10-22 22:58 x
騙すよりも騙される方になる方がまだまし、とは子どもたちにも言い続けてきたし、自分もそうありたいと願っています。しかしながら世の中、こうもわけの分からないことが起きると、そんな簡単な話は、自分限りにしないといけないのかもしれない、と思うきょうこのごろです。
Commented by watari41 at 2014-10-23 19:35
日本人が国民として騙されやすいのなら、再度また大きく騙されることがあるだろうとは、終戦直後に伊丹万作さんの言葉として先日NHKで紹介されてました。
騙し騙され時は過ぎゆく、などという迷言もありますが、たしかに自分限りにしたいですね。schmidtさんコメントをありがとうございます。
by watari41 | 2014-10-22 16:14 | Comments(2)