人気ブログランキング | 話題のタグを見る

余日録


by watari41

感性

 小林秀雄さんは、「科学」と「精神」についても面白いことをおっしゃっている。
 「科学」とは物事の法則を明らかにすることであり、一つの法則が発見されると、それは発展し続け限りなく発達してしまう。
 「精神」とは心の動きを示すもので、科学とは別物である。これを物理的に解き明かそうなどとされるが無理である。
 科学技術が異様に発展した現代社会を予言しているかのようでもある。人間の精神状態が追い付いておらず、それこそ精神病と言われるものが多くなったことを言い当ててもいるようだ。

 美人を前にすると、現代人なら当然ながら誰しも「この人は美しい」と思う「感性」を持っているものだ。これを科学的に解き明かそうとすると無理がある。目鼻立ちや顔の位置関係だとか、胴体や足の比率だとか、肌の色素がどうだとかの話になるが解析は困難というより土台無理なことである。
 人間の感受性は、これらを瞬時に理解してしまう。
 また、その美しさは表面的なものか、内部からにじみでているものなのかまで感じとってしまうものだ。小林さんのいう事を私なりに理解したものである。間違った解釈かも知れないが。

 また「もののあわれ」という表現が昔から使われてきた。現代人には、うら寂しいみたいな感覚で捉えられているが、ものの本質は何かということを昔の人はこういう表現で行ったというのである。現代に生きる我々は科学的なことを逸脱している話だと、例えばオバケのことなど誰も相手にはしない。
 そんな感受性を「大和こころ」という。戦前には大和魂などと勝手な解釈変更がなされてしまったが本来の意味は異なる。日本の気候風土などから長年かけて醸成されてきたものである。日本人ならだれしも持っている感覚なのである。

 科学万能みたいな時代に生きている我々は、こんな感覚を失いつつあることを自覚させられる。


Commented by schmidt at 2014-06-21 21:00 x
「もののあわれ」を実感できるようになっているかどうか、自信はありません。それでも、理屈や論理では語れない事柄が世間には数限りなくありますね。
Commented by watari41 at 2014-06-22 11:17
「人生とは何ぞや」と悩む人が昔から多くおりましたが、科学で回答を得ることはできませんね。
宇宙の果てまで科学のメスが入り、巨大加速器で素粒子が発見されようと、それとこれとは別問題なんですね。
我々は科学的に物事を考えなくてはならないとされてしまったのですね。「もののあわれ」今こそ大切なことだと思います。
schmidtさんコメントをありがとうございます。
by watari41 | 2014-06-21 17:51 | Comments(2)