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余日録


by watari41

食文化

 日本古来の食文化だと、捕鯨再開を求めているが西欧諸国はこれを拒否している。かつては鯨の町だった宮城県鮎川で数十年ぶりに鯨の焼肉定食を口にした。思わず小学校の時に持参した弁当の味を思い出してしまった。調査捕鯨のものだろうが、今ではかなり高価である。現代の味に慣れてしまった舌には旨いものとは感じられなかった。
 飽食の時代に今更鯨を食べなくてもと思うのだが、鯨に沿岸の漁業資源を荒らされるなど、別の問題もあるようだ。昨今は山菜が見直されている。だが海の食材は高級なものとの感覚がある。山奥のホテルでも刺身がでる。もてなしの表現なのだろう。

 食文化は宗教の問題でもある。
 在職当時、横浜にいた頃、インド系ドイツ人との付き合いがあった。昼食時にガリガリっと音がするので振り向くと、生のニンジンを食べていたのには驚いた。横浜名物を知らないだろうとシューマイを差し上げたところ、口に入れたとたんに吐き出した。ミンチーだと叫んだ。一瞬はっとしてあやまった。
 ヒンズー教の人にとっては牛を食べるなどはもっての他であろう。その点、我々は気軽なものだ。中国人は四足なら机以外のものは何でも口に入れてしまうとか。ハクビシンまで食べていたのには驚いたものだ。
 韓国人にも同様なことがいえる。だが西欧の基準に照らすと犬を食べるのはいかにも野蛮のように感じたのだろう。88年のオリンピックの時にはその看板を隠したというが、何も相手の基準に合わせることもなかったのではなかろうか。固有の食文化で押し通してもよかった気もするが、他人のことだからそんなことがいえるのかもしれない。
 牛肉はたしかに旨い。英語がグローバルスタンダードになってしまったように、食の世界標準化が進んでいくのかもしれない。
Commented by たまちゃん at 2005-05-09 12:09 x
わたしは鯨ベーコンが大好きなので、もっと安く食べられるとうれしいです。鯨の竜田揚げも小学校のとき、よく食べました。

捕鯨禁止を主張する人々は、どこか感情的ですよね。理由が別にありそうな気がしてなんだか腑に落ちません。

貧しい国も豊かな国と同等の食事ができるという意味での「食の世界標準化」が進むなら大歓迎です。
Commented by カメチャン at 2005-05-09 19:22 x
捕鯨反対派は”鯨は哺乳動物で家族生活を営むなど感情を有した高度な動物ゆえ、保護しなければならない。”と叫ぶ。
それなら”鯨が駄目なら牛は問題ないのか。どちらも哺乳動物である。”と言いたい。
牛肉文化圏の人たちは牛は哺乳動物であるという感覚がなく、
牧場で生産されている感情を有しない生き物として理解しているのだろう。
牛も自分で飼って見ると実に可愛く、目をじっと見ると離れるときは涙が出るそうだ。
一方捕鯨推進派は”鯨は年間5億トンもの魚をえさとしている。一方人類は高々1億トンの漁獲量であり、資源保護の観点か
ら見れば鯨は捕獲しなければならない”と主張する。
この論理はちょっと単細胞過ぎると思う。鯨だって今までと同じように生きる権利がある。
地球の生態系に大幅な変化を与えない程度の捕獲をバランスよく行なうことが正解なのだろうと思う。
食文化は各国固有のものであり、他国があれこれ言う筋合いではない。
捕鯨反対運動が牛肉生産国の環境問題にセンチメンタルに悪乗りした輸出拡大を狙った陰謀でなければいいけれども。
Commented by watari41 at 2005-05-09 22:40
 鯨のことになると、どうしてセンセーショナルなことになるのかわからないことですね。

 鯨を食べることと牛を食べることと、どこがどうちがうのか我々にはわからないところです。陰謀説というのは考えすぎでしょうが、日本はこのことに関しては、他国にあまりにも配慮をしすぎているように思います。

 飼っている牛を手放す農家をテレビで時々見ますが、飼い主は情が移るみたいですね。牛もこれからを察するみたいでトラックに積まれるときには抵抗しますね。

 人間というのは非情なものだと思うのですが、そうやって生き延びてきたのでしょうね。だが人にも感情があるので、子供の頃の記憶でニワトリを殺すところを見た人は、その肉を食えないといいますね。

 たまちゃん、カメチャン、コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2005-05-09 08:34 | Comments(3)