「もったいない」「節約」という概念が、我々年代以上の人々には滲みついている。アフリカの女性がこの言葉を口にしてノーベル賞をもらった時には驚いたものだった。
しかし、日本の文化遺産として目に見える形で残されているものは、いずれも「浪費」の産物であると考えている。京都・奈良の古寺にしても、仏教文化とはいうものの時の権力者の浪費に他ならない。これらの古寺も江戸時代には荒れ果てていたそうだが、我々の鑑賞に耐え得るように修復したのが5代将軍綱吉の母である桂昌院が幕府の財政出動をさせたので、今に残ったというのである。浪費は悪いことのようにも思われるが、当時にあっては多額のお金が市中に出回り、元禄時代の経済が活性化して文化が花開いたのだという評価もある。
岩手県平泉の金色堂にしてもしかりである。藤原清衡の仏心からの造営ではあるが、壮大な浪費だったと言わざるを得ない。しかし源頼朝も破壊することをためらい後世への歴史として伝わるものを建造した。
昔の絵巻物などもそうである。源氏物語絵図・保元平治合戦図屏風など世界的名画も待賢門院璋子という白河天皇と鳥羽天皇から寵愛された女性が絵巻物趣味で金に糸目をつけず、立派な絵を描かせたのが元になって、その技法が発達したのだというから面白い。
海外でもそんなことが言えそうだ。ルイ14世の浪費が現代のフランス料理の基盤だったり、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城なども狂人となった国王の文化遺産として残る。浪費にも両面があるようだ。
我々個人が浪費したところでたかが知れているが、チリも積もれば山となる。国家全体としては大変なことになってくる。しかし蓄積された富をいろんなところで浪費してしまっている。
現代の浪費には文化的価値が全くないのが残念である。目の当りにしたのは年金資産を浪費した保養施設があった。小渕首相の時には景気刺激対策だとして100兆円ものバラマキ浪費をしたが、どこかに吸い込まれたかのように消えてしまった。
消費は美徳であるなどと一時期には言われたことを回想しているが、国家的消費は浪費にしかなっていないのは残念なことである。
浪費
権力者は文化遺産を残してくれましたが 元は庶民の税金なのですね 住民が文化遺産を残してくれたと思っています。
国家的消費が浪費にしかなっていない点は、重要ですね。将来への投資になっていない事例がさまざまあることをしっかりに認識し、変えていく必要があります。
現代のギリシャ・イタリアは浪費の結果なのでしょうが、二千年昔の人々は立派な文化遺産を残しておいてくれました。クオリアさんコメントをありがとうございます。
消費税を上げたところで、使い方を考えておかないと、浪費にしかなりません。国家というのはどうしてこんなにお金が必要なのか、根本から考える必要があります。schmidt さんコメントをありがとうございます。


