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余日録


by watari41

沢庵さん

 我々はタクワンから、漬物を連想してしまうが、沢庵さんは実在した日本歴史上屈指の名僧(禅)である。
戦国時代末期から江戸初期にかけて活躍した。

 現代人に「禅」は、難しくて理解困難なところがある。キリスト教やイスラム教はそれぞれの「神」に救いを求める。仏教の多くもまた「仏様」に救いを求めている。いわば他者に頼る。
これに対して「禅」は仏教ではあるが、自分で解決することを求めている。お釈迦様の教えの原点でもあるという。現代人が目にしているのは禅もどきのことなのだろう。

 本来の禅は現世での栄誉虚飾を一切求めない。権威にへつらわないなどである。清貧の思想そのものである。
 沢庵さんは、死後に墓を作らないでくれ、お経も不要。野に穴を掘って埋めてくれ、伝記を書かないでくれと言い残している。数百年後の我々は、その存在すらも不確かだと考えたかもしれない。しかし弟子は余りの高徳を後世に残さないわけにはゆかないと、禁を破ってその記録を残しておいてくれたおかげで、我々はその実在と事績を知ることができる。

 弟子の書いた記録を我々は、ほとんど読めないのでこれを現代風に書き直してくれたのが作家・水上勉さんの「沢庵」という本である。25年も前のことだ。ところがこの本でも私などが読むのはきわめて難解なことなのである。半分程度しか理解できない。

 沢庵さんは、生前に「国師」の称号を授けられようとしているが何度も辞退している。また死後も「禅師」と呼んではならないと言い残している。従って表題も沢庵さんとした。

 宮本武蔵の小説やドラマで沢庵さんは有名だったことを回想しているが、両者の接点はなく、あくまで著者の吉川英治さんは創作であると語っていた。

 ただ、柳生宗矩とは接触があり、晩年の沢庵を3代将軍家光に紹介している。家光の帰依するところ大きく、沢庵の寺を江戸に建立するが、次々と大名などが教えを乞いにきて窮屈な生活だったという。その寺を沢庵開基として永続するよう後継者を家光が求めたが、沢庵は応じなかった。
 昼食を求めた将軍に出したのが、沢庵漬とご飯だった。

 墓の位置は、もちろん明確ではないが、交通の要衝となっている品川近傍の鉄道と国道に挟まれたところに名もない大きな石があるのだという。沢庵石とでも呼ぶのだろうか!。
Commented by schmidt at 2012-01-26 17:16 x
山岡荘八さんの「柳生三天狗」では沢庵さんが活躍します。実話に沿った展開だったんですね。知識が一つ増えました。ありがとうございます。http://flat.kahoku.co.jp/u/flat01/2P05YudzbMtpc8Xyw4jG/
Commented by watari41 at 2012-01-26 21:48 x
剣禅一如という境地は、柳生宗矩が沢庵さんの教えを受けて会得したというのです。江戸での沢庵さんは、家光から与えられた宿舎よりも宗矩の別邸を好み、話す機会が多かったということです。柳生但馬守宗矩は、兵庫県の出身で沢庵さんの出生地とも近く子供の頃に知り合ったと水上さんは書いています。schmidtさんコメントをありがとうございます。
Commented by morikou at 2012-01-27 20:48 x
いつも楽しませて戴いています。かつ モリコーバイブルになっています。ありがとうさんです。         仙台の雪は今年は 多いのでしょう?、当地 雪こそありませんが毎日 強烈な寒さです。
小説:宮本武蔵のお通さんと沢庵和尚の場面がかすかによみがえりました。たしか お通さんとの恋物語が強烈の印象だったと記憶していますから20歳前後に読んだ数少ない本のひとつでした。
Commented by watari41 at 2012-01-28 09:13 x
 武蔵は自己PRに卓越した人だったようで、吉川さんの小説は、それを決定的に日本人の心の染み込ませました。それには剣とともに禅がどうしても必要だったので、同じ時代に生きた沢庵さんを持ってきたのですね。沢庵さんは自己PRなどとは全く無縁の人でした。

今年の仙台は、物凄い寒さです。物陰の雪がなかなか溶けません。その寒さにもようやく慣れてきました。一週間前には寒さで眠れない日がありました。CHのダイチャンがうらやましい。熱い絹は面白いですね。現地のこともモアイレポートとあわせると何とも楽しい話です。
morikou さん、コメントをありがとうございます。
Commented by クオリア at 2012-01-30 19:51 x
沢庵和尚のような方を仏と言うのでしょうね
利権主体の現世に沢庵和尚さんが現れ救ってほしいと思いました。
Commented by watari41 at 2012-01-31 12:48 x
幕府の命令に従わず一時期は山形県上山市に流罪になるんですね。当時の社会にあっては絶大な影響力を持った方だったんですね。クオリアさん、コメントをありがとうございます。
by watari41 | 2012-01-26 11:38 | Comments(6)