人間の記憶
2004年 12月 03日
記憶というのは、もともと不確かなものだ。このことを逆手にとったのが政治家である。一億円もらったことを憶えていないという。「記憶にない」が格好の言い逃れに利用されてる。その始まりは30年前のロッキード事件に絡み政商といわれた小佐野被告の国会での発言だった。付き添った弁護士の苦心の作だったのであろう。
竹下元首相は5億円金屏風事件というので疑惑をもたれたが、憶えていないで押し通した。だが秘書は命を絶った。状況の記憶は定かでなくとも、事実をすっかり忘れてしまうということはないようだ。
「忘却とは忘れ去ることなり」という有名なナレーションではじまるのがラジオドラマ「君の名は」だった。忘れたくとも忘れることのできないもの。逆にどうしても憶えられないものもある。記憶は不確かなものだと思うことが多い。若い頃に見た京都、奈良の古刹を数十年後に見たときに、違うところではないのかとの印象を持ったことがあった。それらは何百年も変ってはいないはずのものだ。その時の感性で見たものが後で違うものに見えることもあるようだ。
暗記は短期の記憶だ。試験が終われば忘れてしまう。脳の構造が次第に解明されてきているので、忘れるとはどういうことかも明らかになるだろう。フラッシュメモリーみたいな一時記憶と、永久記憶があるみたいだ。脳科学が進歩するとハードディスクに書き込んであるように、その全てが呼び出されてしまうというようなことが実現することもあるのではなかろうかと、そんなSF的空想も頭をよぎる。ゴミ箱から消去したファイルが再び蘇るように、過去の記憶も全て出てくるかもしれない。
「記憶にない」ことが科学的に証明された、などとなったら面白いことだろう。
竹下元首相は5億円金屏風事件というので疑惑をもたれたが、憶えていないで押し通した。だが秘書は命を絶った。状況の記憶は定かでなくとも、事実をすっかり忘れてしまうということはないようだ。
「忘却とは忘れ去ることなり」という有名なナレーションではじまるのがラジオドラマ「君の名は」だった。忘れたくとも忘れることのできないもの。逆にどうしても憶えられないものもある。記憶は不確かなものだと思うことが多い。若い頃に見た京都、奈良の古刹を数十年後に見たときに、違うところではないのかとの印象を持ったことがあった。それらは何百年も変ってはいないはずのものだ。その時の感性で見たものが後で違うものに見えることもあるようだ。
暗記は短期の記憶だ。試験が終われば忘れてしまう。脳の構造が次第に解明されてきているので、忘れるとはどういうことかも明らかになるだろう。フラッシュメモリーみたいな一時記憶と、永久記憶があるみたいだ。脳科学が進歩するとハードディスクに書き込んであるように、その全てが呼び出されてしまうというようなことが実現することもあるのではなかろうかと、そんなSF的空想も頭をよぎる。ゴミ箱から消去したファイルが再び蘇るように、過去の記憶も全て出てくるかもしれない。
「記憶にない」ことが科学的に証明された、などとなったら面白いことだろう。
by watari41
| 2004-12-03 08:36
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